第五集「一冊の本」
大伴くんは少し驚いた顔をして――それから表情が険しくなる。
何で、と思うまでもなかった。
俺は反射的に掌客様の手を払いのけていて、慌てて『すみません』と中国語で口走りつつベッドに向かう。入口からじっと追ってくる視線が突き刺さるように感じるのは気のせいだろうか。
ベッドに座ったところで大伴くんがすかさずやってきて、「大丈夫か?」と言いながら俺の背に枕を入れて上体を起こしやすいようにしてくれたうえで掛布団をかけてくれる。
大伴くんは掌客様を振り返り、『医者は何と?』
『しばらく安静、と。あなた学校に行く、私が面倒見る、問題ない』
え?
そんなこと言ってなかったじゃん!
もう日常生活していいって――思わず大伴くんの肩越しに掌客様を見たら、鋭い一瞥を投げられ、俺は黙り込んでしまった。
『安静にするだけならば、私の家の者に見させます。掌客殿もお忙しいでしょうから』
『留学生の世話は私の仕事だ。まして我が国で事故にあった者を他国の者に任せられない』
だから何故そこでバチバチするんだ――頭を抱えていると、
「痛むのか!?」二人が揃ってこちらを見てきた。
実は仲いいのか、この二人――思いながら、「薬が効いてきたかも――すみません、休みます」俺は二人に背を向けて、掛布団を被った。
◆
三日も寝たのだからもう眠ることも……と思ったのだけれど、腹が温かく満たされ、清潔な衣と布団はとても心地よく、気づいたらいつの間にか寝入っていた。
目が覚めたら、二人の姿はなかった。
室内の明るさは変わっていないから、ちょっとウトウトした程度なんだろう。
だけど目覚めはすっきりしていて、なんだかじっとしていられなくなって俺はベッドを下りた。
文机の前に座る。
傍らの小テーブルには木の巻物がいくつか。この時代、紙は貴重だったっていうもんな。その横にあるゴミ箱と思しきものには、薄く細長いものが固まって入っている。つまみ上げてみると、それは削り取った木――そういや木簡って削って修正すると聞いたような。
文机を見ると、左端には木巻が積まれ、右端に傍らには硯と筆、それに小刀が置かれていた。
そして、さっき粥と薬湯が載せられていたお盆があった文机の中央には、一冊だけ紙の本が置かれていた。随分と使い込まれていて、表紙の文字が滲んで判読できない。
中を開く。あたりまえだが漢字ばかり。行きつ戻りつ何度も読み返して――これは辞典らしきものではないか――そう思ったとき、ぎいっと背後の扉が開いた。
「壱岐様、また勉強ですか。駄目ですよ、こんなときまで」
大伴くんの傔従だった。