第一集「誰」
ガイドブック通りに駅の一番出口を出たら、空にはまだ夕暮れの名残があったものの、街灯、電光看板、車のライト、その大半が点灯されていた。まるで夜の訪れを宣言するかのように。
片側三車線の大通りを、同じ地下鉄に乗ってきた大勢の人たちと一緒にぞろぞろと渡る。歩道を右折してしばらく、左手に「新街夜市」の紅い電光文字を掲げた小路が見えた。
これでもかというほどの電気が照らし出すその小路は夜とは思えない明るさで、両脇には様々な屋台と店舗がひしめき合っていた。
食べ物はもちろん、衣服、電化製品、射的に輪投げ……ここにないものはないんじゃないかと思える多様さ、まるで一つの街だ。
羊肉泡馍、烤肉、凉皮……屋台の看板の文字を見て、辺りに漂う刺激的な香りを嗅ぎ、周囲の人の話し声を聞いて、しみじみ思った。
ついに来てしまった。大学の卒業旅行以来、十年ぶりの中国へ!
失業から一週間、帰ったら失業保険受給説明会という現実が待っているが今は! とことん異国の地を楽しむ!!
まずはグルメからだよな――そう思って、ホテルに荷物を置いてすぐ、ここまでやってきたのだ。
クラクション。
振り向くと、白い車が屋台をこするように、のろのろ進んできた。歩行者が避けるスペースも少なく、そもそも避ける気もない人が大半のよう。そんな大型車で通ろうだなんて無謀だろと思いつつ、周りに合わせ左に避けることにしたとき。
背後から衝撃――ふわっと浮いた身体がゆっくりと落ちていき、目の前には、やけに長い紅い団子串が並んだ、十字路角の小さな屋台。サンザシ飴だ。何でこんなに色々ハッキリ見えるんだ。もしかしてこれ走馬灯ってヤツ? あ、店主が顔を上げた――。
そこで一気に視界が暗転した。
◆
「や、目を覚まされた!」「急ぎ知らせてきます!」
頭上で大きな声。
どたどたと遠ざかっていく足音――うるさい。
俺は何度も瞬きして、どうにか目を開けた。
辺りは明るい。少し涼しいから、朝方のようだ。
目だけを動かしてみると、ひょろりと背の高い男が一人、傍らに立って俺を見下ろしていた。知らない顔だ。
そうだ、俺は中国旅行に来てたんだった。
到着初日に一人気ままに夜市見学。知った顔がいるわけ……。
いや、ちょっと待て。
俺は目をしっかり開けた。
この人、何で着物なんだ? しかも素材そのままらしく無色。しかも膝丈で下はズボン。作務衣? いや、似てるけど違う。それに――何、その頭。
思い立って俺は胸元に手をかけ、掛布団を引き剥がす。俺も着物!? しかも真っ白?
慌てて起き上がったら、「いきなり動いてはなりません、主がすぐに参りますから!」
そう、慌てふためく男に目を向けたら、奥の棚に置かれた鏡が見えた。
黄ばんだ鏡面には、ひょろっとした白っぽい背中が一つ映っている。
そして、鏡からまっすぐに目を向けている、一人の男。
白い着物に、白い巾で頭のてっぺんで結い上げた髪、見開かれた大きな目――知らない、若い男の顔だった。
おずおずと頭上に手を伸ばすと、鏡の男も髷に手を触れている。
誰だこれ?
ここは一体、どこなんだ。