金狼
広大な森の上を飛ぶ一機のヘリ。
その眼下に広がる木々をボンヤリと見つめるポレット。
色で例えるならそれは緑だ。
色の総数は1677万色と言われる。
人が見分けられる色は約100万色。
4色型色覚の持ち主ならば更に色々な色の識別は可能だろうが残念な事にポレットにはその色覚は持ち合わせていない。
緑と一口に言ってみてもそれだけでいくつもの種類がある。
色だけではなく木々の種類、状態、森に住む動物や昆虫。
それら一つ一つを詳細に認識する事はできない。
神という存在がいるなら全てを見る事ができるのだろう。
だが残念な事に神は人類が作り出した創作の存在でしかない。
科学技術の大幅な発展と共に人類は想像の中にしか存在しない神という概念を徐々にではあるが消し去っている。
自然と人間社会。
かつて自然の中にいた人類の祖は自然の過酷な環境から離れ独自の方向性を目指した。
やがて自然界と異なる社会を形成し自然による過酷さとは別の過酷な環境を生み出し発展した。
しかしそれも科学技術の急激な発展により過酷さはより強まり人類は自ら生み出したモノに押しつぶされようとしている。
「もっと自由に…」
もっと自由になれれば人はもっと生きていけるだろう。
そうは思ってもその枠から抜け出す事は容易ではない。
考える以上に人は魂を縛られそこから出ることが困難なのだ。
自ずと人は人という限界の中でその生命を終える。
世界はもっと多様であるのにそれを認識する事が出来ないでいる。
そして自然に対して恐怖し壁を作りそこから出ることを拒む。
ヘリは木々が一部途切れている開けている平野に降り立つ。
メインローターが回転している中ポレットはヘリから降り少し首を縮めてヘリから離れる。
回っているプロペラを何となく見つめた。
回転するもの。
速い速度で回転し涼やかな風を起こしている。
それに触れればスパリと切り飛ばされるだろう。
その回転物に当たって首を飛ばされるのもまた一興だ。
飛ばされる瞬間がどんなものか。
どのように見えるのか。
一度経験したい気もするが今はその時ではない。
今は森を歩く時だ。
とにかく今はうるさい回転音からさっさと逃れるためいそいそと大人しく離れる。
人工のうるさい音はイライラするだけだ。
自然音とは明らかに違うイラつかされる音。
それは実に不快である。
ヘリはポレットがある程度離れたのを確認してそのまま浮かび上がり空へ飛び去った。
「……」
開けているとはいえここは森のど真ん中だ。
その中に1人取り残される。
この森はどのぐらいの広さなのか?。
少なくとも徒歩で脱出するには困難な広さだ。
浮遊できる傘で飛んでもいいがそれでは面白くない。
地上を行く生物は歩くのが基本だ。
歩く事を無くしては森を進む意味はない。
通常の人間ならば野生の生物を恐れて行くのを拒むだろうがポレットは普通ではない。
とはいえ普通とは何かと問われれば答えようはない。
曖昧な言葉だ。
ただ少なくともポレットは野生生物を恐れない。
肉食獣が出ても熊が出ても猛毒を持つ生物が出ても恐れない。
確かにそれらと素手で戦って殺されるのも一興ではあるが今は目的を優先させるため野生生物に殺されて血肉をあげる訳にはいかない。
目的は森の中を進み金狼に会う事だ。
シャドーとの戦いに飽きて森の奥深くで一時の休息を取っている金狼。
彼女は森の中で住処を作って一時的にそこで寝泊まりする事を趣味としている。
彼女がいる場所までポレットは歩いていく事にしている。
そうして歩き始めた。
どのぐらいの距離を歩いたか?。
辺りは陽の光が射す時間から暗闇が支配する時間へと移った。
特に気にせずに歩き続けているポレットだったが薄暗闇から闇に変わる一歩手前で辺りがすっかり暗くなっている事に気付いた。
正確には暗くなってきている事は分かってはいたが、まだ見えるとまだ大丈夫と先に先に進む。
それでふと気づくと随分暗くなっていたのに驚いた。
ポレットは立ち止まりカバンから松明を取り出す。
ライトの光は味気ないので炎で照らす松明を使う。
松明と言っても本物ではなく特殊な能力で作った特別製だ。
通常の松明は1時間足らずしか持たないのに対して特別製は約3時間持つ。
特別製とはいっても明るさは通常の松明と変わらない。
もっと明るくしようと思えばできるのだがあえてこうしている。
炎のぼんやりとした明るさは実に気持ちがいいからだ。
クリアな光は雰囲気を損なう。
何かこう、鬱蒼とした森の中を歩いているという気にさせてくれない。
だからこういう時のライトは嫌いだ。
何より炎の発する熱と煙と燃える臭いはポレットの気分を良くさせる。
まだ光を手にしていなかった人類の頃、そこに戻る時間なのだ。
ゆらゆらと辺りを赤い光で照らしながら森の中を進んでいく。
ゆらゆらと朧げに周りに灯る炎のゆらぎ。
その明かりの中で一歩また一歩と金狼に近づているいるという実感。
そういえば日中から今まで野生の動物には何頭か出会ったが遠くでこちらの様子を伺う程度で近づいてはこなかった。
野生の動物を人間が怖がるのと同様に野生の動物もまた人間が怖いのだ。
だから何か理由があったりでなければ向こうから近づいてくる事も襲ってくる事もない。
やがて僅かな熱を感じてポレットは足を早めた。
松明の炎ではない別の熱源。
それは少し開けた場所にあった。
少し深い穴が掘られてそこで炎が舞っている。
その焚き火の側には1人の若い女性が折りたたみの椅子に座り火をじっと見つめていた。
「来ましたか、ポレット」
「はい、メルヴィ」
金狼と呼ばれる女性は火から目を離してポレットの方を振り向き、少しだけ微笑んだ。