ドール
人類がネットという仮想空間を手に入れて久しい。
膨大な情報が飛び交う世界だがポレットにとっては狭い空間でしかない。
世界中の人間と情報交換を行えるツールだがただそれだけだ。
様々な事がネットを見れば分かるという幻想は実に滑稽だ。
実のところ本当に必要な情報や物事は何一つ手に入らない。
ネットの海は実に狭い。
宇宙の記録や記憶に比べれば水溜りにもならない。
ゴシックロリータの服を着てポレットは廃工場の一角に座りその静寂の音を楽しみ、休憩の紅茶を口に入れる。
この廃工場がポレットの住み家だ。
廃墟の美しさは実に良い。
かつて人々がいた痕跡と今は誰もいない寂れた空間。
そこに一つの楽しさがある。
だから比較的広大な敷地と建物を買い取った。
一部補修は入れてはいるが工場は閉鎖された当時の姿のまま保存されている。
建物が崩れて落ちて死んでもそれはまた一興。
人などいつかは死ぬ。
死ぬことに恐れはないし死は当然の事だ。
現代人は死を覆い隠し見えなくさせてしまった。
その愚かな行為は滑稽ですらある。
死を覚悟せずに生きている人間など虫ケラ以下の存在でしかないというのに。
「さて…と」
ひとしきり休憩しポレットは廃工場から出る。
そして工房へ。
工場が稼働していた時代に駐車場だった場所に人形を作る工房を建てている。
廃墟の景観を壊すので宜しくはないがドール製作は極めて繊細な作業になるのでそれなりの空間と環境が必要である。
ポレットは工房に入りドールの入ったドール用キャリーケースを手にする。
そしてタクシーを待つ。
車というものは運転するものではなく運転手に運転させるものだ。
現代は人類が今まで手に入れた事もないテクノロジーが発達した時代だ。
個人が手に余るスピードの出せる乗り物を所有し地を這う様は無様にしか過ぎない。
物流や公共交通に使われるならともかく遠方に行けるというたかが知れている個の目的の為にその自由性を獲得した反面精神を腐らせている現状。
言わば人間の過ぎたるものの一つだ。
ポレットはドールケースと少ない荷物を持って来たタクシーに乗り込む。
目的地は遠方。
飛行場に行き飛行機に乗らなくてはならない。
現代は昔と違って飛行機は墜ちにくくなっている。
しかし墜ちないという保証はない。
墜落死で死ぬのも一興だが流石に死体が完全に原型を留めない死に方はどうにも美しくはないので敢えてはいらない。
その墜ちにくいが絶対に墜ちないとも断言できない飛行する機体に乗る理由はある人物に会う為だ。
金の体毛を持つ狼。
人狼とも獣人とも言われるその人物。
シャドーと戦う金狼の彼女はポレットに取っては話し易い一人だ。
シャドーとは人の欲が生み出した怪物。
あちこちに出現しては人に害をなす存在だ。
ただ実際の所、その正体は不明であり出現条件も詳しくは分かっていない。
シャドーの姿も千差万別でこれといった固定の姿は持っていない。
とはいえ全く無い訳ではなく似た姿を取る事も度々あったりする。
そんなシャドーだが金狼の鼻を騙す事は出来ない。
金狼の優れた嗅覚はシャドーかシャドーでないか明確にかつ確実に嗅ぎ分ける。
それでいつしか金狼はシャドーと戦う事になり今に至る。
別に使命とかいう訳ではなく、何かしら体を動かした方が良いという判断からの活動だがポレット的には終わらない戦いによくやると考えない訳でも無い。
ただ本人がそれで良いならそれで良いとも思う。
タクシーから空港に向かい飛行機に乗り込んだ。
自分で飛ぶ訳ではないので気は楽だ。
寝ていても勝手に目的地に着いてくれる。
地上は車が、海は船が、そして空は航空機が。
宇宙には宇宙船が。
人類が移動出来る空間は随分広まった。
資源目的や探究心から広がった活動範囲。
しかしどんなに人間の活動領域が広がっても宇宙の広大さには敵わない。
人間が辿り着きたくても辿り着けない場所がある。
宇宙の果てなど辿り着こうとしても無理だ。
果てがあるかどうかも分からない。
宇宙の記憶や記録は語らない。
例え人間がその記憶や記録に僅かばかり触れれてたとしてもその大部分はアクセスする事が出来ない。
何故か制限が掛かっているからだ。
誰が掛けているのか?。
宇宙そのものの意思?。
ならば宇宙に意思がある事になる。
または神という存在がいるなら神なのかも知れない。
その謎は恐らく解き明かす事は出来ないだろう。
もっとも出来たとして、その情報量に耐えきれず全て灼かれてしまうだろうけれど。