第九十八話 枢機卿の参戦
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「――皇帝陛下、どうやら森の中にいたゾンビ達は全滅したようですぞ!」
ミランダ領の森林地帯から、少し距離のある場所。森を見渡せる丘の上に陣を置くバーディア帝国の黒い戦車隊。
その数は全部で300台にも及ぶ大部隊であった。
バーディア帝国の皇帝であるミズガルドは、赤い鎧を着た帝国の騎士達からその報告を受け。
戦車隊の後方に置かれた黄金の椅子に座りながら、遠くの戦場を見つめている。
「……ほう。我が軍が所有する戦車隊は、たしかに敵を寄せ付けぬ圧倒的な破壊力を見せつける事には成功したが、他国の騎士達とゾンビ共が入り混じり。敵味方の区別がつけられぬ故、どうにも攻めあぐねていたというのに。どうやらこれは、噂のコンビニの勇者とやらが魔王軍の4魔龍公爵を倒したのかもしれぬな」
「――皇帝陛下。では、我が軍はこれからいかが致しましょうか?」
配下の騎士にそう尋ねられたミズガルドは、黄金の椅子から立ち上がり。配下の騎士達に冷静に指示を与える。
「これからだと? フン、特に何もせずとも良いぞ。敵の親玉を仕留めるチャンスをグランデイル軍に所属する勇者に奪われてしまったのだ。もう、敵の残存勢力の掃討作戦に移る事はないであろうから、戦車隊はいったん後方に退けさせよ。しばらく周辺の様子を見守る事にする」
「ハハーーッ! か、畏まりました!」
帝国の赤い騎士は皇帝ミズガルドの意志を伝える為に、前線の帝国兵達が集う場所に伝令の早馬を走らせた。
そう――この旧ミランダ領での戦いは、もう完全に終了したのだ。
この戦いには世界各国の騎士団、総勢20万人が大集結していた。
しかし、最大兵力であるバーディア帝国の率いる騎士団を除くと。他国の騎士達は、緑色のゾンビ達が無限に湧いて出る森林地帯での乱戦に巻き込まれ、かなりの数の犠牲者を出している。
そんな中で全く無傷な戦力として残っているのは、帝国軍の約7万人の赤い騎士団のみという状況だった。
しかも帝国は他国の度肝を抜く、魔王遺物である沢山の黒い戦車隊を所持している。皇帝ミズガルドはこの戦いに、帝国が隠し持つ戦車を300台も投入していた。
今回のミランダ領での戦闘では、『戦車』が持つ凄まじい攻撃力と圧倒的な破壊力を、他国に間近で見せつける結果となった。
もし、今後……他国がまともにバーディア帝国と戦おうとしたら。強力な戦車隊を持つ帝国には、おそらく絶対に勝つ事は出来ないだろうと思い知らされたはずだ。
魔王遺物を初めて目にした他の国々にとって、大地を走る黒い戦車部隊が有する火力は、魔法より遥かに強力である事を十分に理解出来たのだから。
魔王軍の緑魔龍公爵の手から解放された旧ミランダ王国領は元々、この大陸に7つあったとされる国家のうちの1つであった。
過去に魔王軍の赤魔龍公爵によって滅ぼされ。その後は、緑魔龍公爵によってずっと支配されてきた。
この地を再び人間側の領土として、魔王軍の攻撃から守り抜き。安全に住める土地として復興していくには相当な時間がかかるだろう。
しかし今回の遠征軍のリーダーであるグランデイル王国も、遠征に参加したカルツェン王国、カルタロス王国の両国も、かなりのダメージを負っている。
しかもこの森の中の乱戦で、各国の騎士達を率いていた司令官クラスの安否も不明であるという報告が相次いだ。
となると、もはやこの地を安定的に守れるのは無傷で騎士団を維持しているバーディア帝国しか残っていない。
皇帝ミズガルドは、ミランダ領を帝国が支配する事で領土拡大にも繋げていきたいという野心を持っていた。
だからここはまだ事を荒立てずに、慎重に各国の今後の様子を見守る事が大事だと考えていたのである。
「……ふむ。これで良かったのであろうか、枢機卿殿?」
黒い戦車隊の後方で、赤い長髪を風になびかせるようにして立つ皇帝ミズガルドは、その隣に立っている女神教の大幹部――枢機卿に話しかける。
「………はい。緑魔龍公爵はこの地で確かに死亡しました。もはや魔王軍に残る幹部は黒魔龍公爵のみ。そして帝国にはまだ、最強の魔王遺物が残されています。今日、歴史は新たな一歩を進み始めました。魔王は滅び去り、世界はバーディア帝国を中心として新たに再編されていく事になるでしょう………」
黒い影に覆われている枢機卿の姿は、周囲の空気と混ざり合い。普通の人間の視覚では、その姿が確認しづらくなっていた。
その声や、朧げに見える顔の輪郭の容姿から。おそらく彼女が、黒髪の女性であるという事は推測出来る。だが、その存在は陽炎のように虚で希薄な姿をしていた。
枢機卿の返事を聞いた皇帝ミズガルドは、その場で大きな声をだして豪快に笑いだす。
「ハッハッハ。そうか、そうか。枢機卿殿にそう言って頂けるのであれば、帝国の将来は明るいといえるだろうな。これから魔王軍を制圧し、人類に希望を与える大役を我がバーディア帝国が成し遂げてみせようではないか。決して魔王を倒せるのは、異世界の勇者だけとは限らぬ。我が帝国が魔王軍に残る勢力を、魔王遺物を用いて全て倒して見せようぞ!」
『バーディアの女海賊』と評される赤髪の若き女皇帝ミズガルドが、上機嫌に黄金の椅子の上で笑う。
その様子を、しばらくじっと見守りながら。黒い影に覆われた枢機卿は『少しだけ用があります………』と皇帝に別れを告げ。その場から、静かに離れて行った。
皇帝のもとを去った枢機卿は、その部下である女神教の幹部達が集う場所へと歩いていく。
歩みの途中で枢機卿は、腕につけていた黒い腕時計のようなものに指先をそっと押し当て。何かの複雑な機械操作を、人目につかないようにこっそりと行った。
そんな黒い影に包まれた枢機卿のもとに、同じく黒いローブを身につけた複数の部下達が集まってくる。
「枢機卿様、我々はこれからいかが致しましょうか?」
枢機卿の元に集まった女神教の幹部達は、女神教の中でも最も役職の高い枢機卿に今後の行動指示を求める。
「………私が今、スマートウォッチを操作したので、帝国が持つ魔王遺物は暴走を起こすでしょう。この地に集う世界各国の騎士達は、戦車隊の砲撃により全滅し。その大いなる罪は全てコンビニの勇者が被る事になるのです」
「畏まりました、枢機卿様。では、我々もこの地から一度、撤退をした方が良いでしょうか?」
「………いいえ。この混乱に乗じて、この地でコンビニの勇者を一気に始末してしまいましょう。緑魔龍公爵との戦いで、コンビニの勇者は体力を消耗しているはずです。女神教の魔女候補生達をここに集めて、確実にコンビニの勇者を仕留めるのです。もはや魔王軍に残存戦力は、ほとんど残っていません。『無限の勇者』がいなくても。我々の力だけで動物園の魔王を倒せるでしょう」
「分かりました。すぐに魔女候補生達に、コンビニの勇者を抹殺するようにと伝えて参ります。それで、枢機卿様はこれから一体どうなされるのですか?」
黒いローブを身につけた部下達は、枢機卿の今後の予定を尋ねる。
その問いに対して、枢機卿は珍しくクスリ……と小さく口元で笑ってみせた。
その姿を見た、枢機卿の部下達は驚いた。
枢機卿は普段から滅多に感情を表に出す事が無いからだ。その枢機卿が、まさか笑うなんて……。
それは彼女の部下達にとっても、全く予想だにしない出来事であった。
「………コンビニの勇者を暗殺するには、強力な戦士が必要となるでしょう。幸いにも『暗殺』に最も適した戦士がここにいますので、私もコンビニの勇者の暗殺に参加したいと思っています」
「――!? そ、そんな! まさか枢機卿様が直々に、コンビニの勇者暗殺に参加されるというのですか? それは危険過ぎます。ぜひ、その任務は我々にお任せ下さい!」
枢機卿を止めようと、部下達は慌てて止めに入る。
だが枢機卿は首を横に振り、部下達に安心をするようにと伝えた。
「………フフ。大丈夫ですよ。私も、元は『異世界の勇者』なのです。しかもその能力は『暗殺者』の力を持つ勇者です。ですから、私以上にコンビニの勇者を暗殺するのに適した戦士はいないでしょう。私が直接戦闘をするのは久しぶりですが、私の力はまだ衰えていませんので安心して下さい」
枢機卿は、コンビニの勇者を始末する作戦に参加するという意思を撤回する事はなかった。
彼女の部下達は、女神教の大幹部である枢機卿の意思に逆らう事は決して出来ない。それゆえに、黙ってその指示に従うほかなかった。
「それにしても………クルセイスは一体どこで何をしているのでしょう? 定期連絡も途絶えがちになっていますし。まさか森の中で死んだ、という事はないのでしょうけれど」
枢機卿は遠い森の中を見つめながら、小さく独り言のような言葉を呟く。
枢機卿の呟きを聞きとった部下の1人が、枢機卿に返事をした。
「――ハイ。グランデイルのクルセイスとは、現在全く連絡が取れておりません。それどころか、このミランダの地の戦闘に入る前から、定期連絡は既に途絶えておりました。これは何か事情があっての事なのでしょうか?」
黒い影を揺らしながら、枢機卿は静かに上を向いて1人で思案をする。
「………そうですか。それは、少しだけ気になりますね。クルセイスの様子を探るようにと皆には伝えて下さい。どうか、よろしくお願い致しますね」
そう告げて、枢機卿は数人の部下達を引き連れて静かに森の中へと向かって行く。
残った彼女の部下達は、枢機卿の意思を伝えるべく。森の隅々にそれぞれ散って行った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その頃、女神教の枢機卿が去った後の丘の上に残された帝国軍の本体では――。
まさにこの瞬間、全く収拾がつかないような大混乱が起きていた。
「へ、陛下……大変です! 黒い戦車隊が、勝手に動き出しております! 動き出した戦車隊のコントロールを、なぜか制御する事が出来ません!」
「――何だと!? どういう事なのだ? なぜ、魔王遺物が突然動き出したというのだ!」
皇帝ミズガルドは黄金の椅子の上で立ち上がり、大きな声を上げて部下の騎士に怒声を浴びせかける。
「それが、原因は全く不明でございます! 中の操縦室でどのような操作をしても、こちらの指示を全く受け付けません! 全ての戦車が勝手に動き出し、そのまま森の中に向けて行軍を開始してしまっております!」
「まさか、そのような事が……! クッ、ここはなんとしても戦車隊を制御するのだ! ここで暴走をさせたら、大変な事になってしまうぞ!」
焦る皇帝ミズガルドの心配をよそに、魔王遺物である黒い戦車隊は、既に我が物顔で勝手に森の中に向けて走り出していた。
総数300台を超える黒い戦車の群れは、丘を駆け下り。一斉に森の中へと突入していく。
そして――300台を超える黒い戦車隊は、一斉にその黒い砲台から火を噴いたのである。
”ドゴーーーーーーーン!!!”
”ドゴーーーーーーーン!!!”
戦車隊の黒い砲台の先には、勝利の余韻に浸り。まだ勝どきの声を上げていた世界各国の騎士達が、森の中にひしめき合っている。
緑魔龍公爵が消え去った、旧ミランダ領のこの森林地帯には、勝利を喜び合う世界中の騎士達が大勢その場に残っていた。
それが突然、暴走を始めた帝国軍の黒い戦車部隊の大砲撃によって――。
阿鼻叫喚の地獄絵図へと、変わり果ててしまう。
黒い戦車隊の一斉砲撃により、森の中に残っていた騎士達は、見るも無惨な姿へと変貌させられてしまった。
ある者は爆風によってその体を吹き飛ばされ。他の者は砲撃の直撃を受けて体がバラバラに砕け散っていく。
近代兵器である、黒い戦車による一方的な大虐殺。その被害はゾンビ達による攻撃の比ではなかった。
おそらくゾンビ達との戦いによって戦死した各国の騎士達の総数は、数千にも満たない数であっただろう。
それが、この黒い戦車隊の大砲撃が雨のように激しく降り注ぐ現在の状況の中では……。既にその犠牲は、1万人以上にも膨れ上がっていた。
そして、その数は時間が経つにつれて次々と増え続けていく。
おそらく、このまま事態が最悪な方向に推移し続けるとしたら。森の中に集うグランデイル、カルツェン、カルタロス王国の騎士団は全滅してしまう可能性さえあった。
ゾンビ達との戦いよって、各国の指揮系統が失われていた事も被害を大きくしている要因の1つである。
森の中で戦車隊による大砲撃から逃げまどう事しか出来ない騎士達は、まとまった集団行動を取る事も出来ず。一方的に、ただ虐殺をされていくのみだった。
もし、このままこの一方的な大虐殺が続くのだとしたら……。人類の歴史上、過去に例を見ないほどの大惨劇が、このミランダの地で引き起こされてしまうであろう事は誰の目にも明らかであった。
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「――急ぐんだ、香苗! まずはここから安全な場所に避難しよう!」
「で、でも……彼方くん! 水無月くんの死体が、まだあそこに!」
「水無月の死体の回収は後だ!! まずは、この砲撃から逃げないと、俺達も吹き飛ばされてしまうぞ!」
香苗を装甲車の助手席に座らせて、俺は全力でアクセルを踏み込み装甲車を走らせる。
香苗には悪いが、この状況で水無月の死体(といっても残っているのは、もう下半身だけだが……)を回収するのは、ほぼ不可能だろう。
それどころか、更なる戦車の砲撃を受けて。残っていた水無月の下半身も、既にバラバラに砕かれてしまった可能性の方が強い。
とにかく、ここに残り続けているのはヤバ過ぎる!
この装甲車も外壁は頑丈な方だが、戦車の砲撃の直撃を浴びたら、もう動かす事さえ出来なくなるだろう。そうなったら、俺達もおしまいだ。
俺は、森の中で戦車隊の砲撃から逃げまどう、哀れな騎士達を避けつつ――。装甲車を運転しながら、戦車の砲撃を浴びなくてもすみそうな安全地帯を求めて、周辺を彷徨い続けた。
コンビニのみんなは、今頃どうなったのだろうか?
コンビニは元々、森の中から少し離れた場所に隠してあったから。この激しい戦車の砲撃からは、逃れる事が出来ていると思う。
もっとも暴走している黒い戦車達が、何を目的に無差別攻撃をしているのかが分からない現状では、どこにいても必ず安全だとは言えない状況ではあるけどな。
「よし、香苗! あそこの地面のくぼみの部分にいったん避難するぞ! しっかりと掴まってろよ!」
「うん。分かった、彼方くん!」
まるで映画のカーアクションシーンのように、俺は装甲車をドリフト走行させながら。森の中の少しくぼんでいる地面の低い場所に装甲車を移動させた。
よし、これでしばらくは大丈夫なはずだ。
ここなら、森の木々と高く盛り上がった地面に守られて、戦車からの砲撃をしのげるだろう。
周囲を見渡すと、戦車の砲撃から逃れようと。生き残った騎士達も、必死に安全地帯を見つけて、何とかこの最悪な状況の中でも生き延びようとしている光景が見えた。
「……それにしても、アイリーンと杉田は一体どこにいるのだろう? この激しい砲撃の中で、ちゃんと無事でいるのだろうか?」
俺はかなり前に装甲車の外に出たきりで、まだ帰って来ていない2人の心配をしながら。装甲車のハッチの上から出て、周囲の様子を探ろうとする。
すると――。
突然……装甲車の近くにある木の上から、高速スピードでこちらに向かって来る2人の人影の気配を感じた。
「コンビニの勇者の首、貰ったかにぃーーッ!!」
高い木の枝の上から。赤と白の2本の光り輝く線が、まるでクロスをするように、俺の首元に迫ってくる。
”カキーーーーーーーン!!!”
赤色と白色の光の線は、ちょうど俺の首を正確に切り落とすかのように、高速の斬撃を刻み込んできたが……。
ギリギリ、コンビニ店長専用服の緑色の防御シールドが自動で作動して。俺は間一髪、首が切断されるのを免れる事が出来た。
「――ぶはッ………!?」
かろうじて首が切り落とされるのは、防ぐ事が出来たけど。
俺の体は凄まじい斬撃の衝撃で、装甲車の上から無様に転げ落ちてしまう。
「彼方くんーー!! 大丈夫なの……!?」
装甲車のハッチから、首だけをわずかに覗かせた香苗が心配そうに声をかけてきた。
「ダメだ、香苗ーーッ!! 危ないから、装甲車の中に戻るんだ! そのままハッチを閉めて、中に隠れているんだぞッ!」
「……わ、分かったわ!!」
俺の指示を聞いて、慌てて香苗が装甲車の中に戻っていく。
流石に、今回のは直感で分かる。
今……俺を襲ってきた2人の敵は、かなりヤバい強さを持った敵だ。
首元がまだジンジンと痛んでいる。コンビニ店長専用服の防御機能がなければ、本当に一瞬で俺の首は、胴体から切り離されてしまっていただろう。
俺は敵の正体を探ろうと、周囲の様子をしばらく見回していると。
「さっすがは、コンビニの勇者だかにぃ〜。うちらの必殺の一撃が効かなかったかにぃ!」
「タラバお姉様、まだまだですかにぃ〜! 枢機卿様も仰っていたですかにぃ。コンビニの勇者には必ず守護者が付き従っているから、決して油断をしてはダメなんですかにぃ!」
地面に腰を強く打ちつけて、無様に倒れている俺の目の前に現れたのは……。
それぞれの右手と、左手に。巨大なカニのハサミを装着している、全身の皮膚の色が赤色と白色に染まった、2人組の少女達だった。
「私は枢機卿様に仕える魔女候補生、白鋏のズワイですかにぃ!」
「そしてその姉の、赤鋏のタラバだかにぃ〜! コンビニの勇者の命を仕留めに来たかにぃ!」