第九十五話 異世界の勇者の暴走
コンビニの周辺で、3人娘と紗和乃達がまだ魔王軍の緑魔龍公爵と戦っていた時――。
緑色のゾンビ達で溢れる森の中を、ひたすら1人で走り続けている異世界の勇者がいた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ハァ……ハァ……! 早く、早く、グランデイルの王宮に戻らないと!!」
『火炎術師』の勇者である杉田勇樹は、目の前に立ち塞がるゾンビの群れを炎で焼き尽くしながら、全速力で森の中を走り続けていた。
杉田はグランデイル王都にある屋敷の中に、妻であるメイドの『ルリリア』を残してきている。
ルリリアは現在妊娠中で、2人はまだ正式に結婚している訳ではない。
だが将来を誓い合った仲として、この戦いが終わったらちゃんとした形で結婚式を挙げようと、杉田は妻と約束をしてこの戦場に来ていた。
しかし、そのグランデイル王国の女王クルセイスは味方である異世界の勇者達を大量に惨殺し。この世界の裏で暗躍している女神教と、密接に繋がっている可能性が高いらしい。
そんな異世界の勇者にとって、まさに敵の総本山ともいえる場所に。自分の妻は今も一人で取り残されている。
親友の秋ノ瀬彼方が言うには、頭がイカれているらしいクルセイスがもし暴走をしたら。妻の身に何が起こるか分からない。
最悪、王都に残された妻はクルセイスに人質にされてしまう可能性だってあり得る。
それだけは、絶対にさせない。絶対に妻を敵の手から救い出さないといけないんだ!
まだ、このミランダ領で魔王軍と戦っている今なら。女王のクルセイスもこの戦場にいるはずだ。
危険な人物がグランデイルから離れている今のうちに、妻のルリリアを王都から早く脱出させないと。
杉田の頭の中は、もはや妻を助け出す事以外は何も考えられない状態になっていた。
冷静さを欠いている今の杉田には、状況を整理する判断力が完全に消え失せている。
ただ、ひたすらに前に向かって走り続けるだけ。
自分が必死に走ったその先に。愛しい妻が自分の帰りを待っているのだと、そう信じて……。
目の前に立ち塞がる緑色のゾンビ達を、倒しながら進んでいた杉田の目の前に。突然、青い鎧を身にまとった青髪の美しい女騎士が姿を現した。
それまで夢中で走り続けていた杉田が、その騎士の容姿の美しさに見惚れて。一瞬だけ、その足を止める。
杉田は、その青い騎士をどこかで見た事があるような気がした。
それはアッサム要塞攻略戦の時に、親友の彼方と共に赤魔龍公爵と戦っていた彼女の姿を、ほんの一瞬だけ杉田は見た事がある、という程度の僅かな記憶だった。
なのでパニックに陥っている杉田には、彼女が誰なのかを、すぐに思い出す事は出来なかった。
「杉田様、ここは危険です! まずは、店長と合流をしましょう。グランデイル王国に行くには、皆様と合流をしてからの方が安全です!」
アイリーンは杉田の進路の正面に立ち、暴走する杉田を説得しようと試みる。
「誰かは知らないが、そこをどいてくれ! 俺には帰りを待っている最愛の妻がいるんだ! だから俺はすぐにでもグランデイル王国に戻らないといけないんだよ!」
「ええ。ですからお友達の皆様と合流をして、一緒にグランデイル王国に戻るのです。コンビニには装甲車だってあります。そのまま走って帰るよりも、もっと安全に、より早く帰れる手段がいっぱい揃っています」
アイリーンは努めて冷静に、杉田に言葉をかけたつもりだった。
だが、もはやパニックに近い状態に陥っている杉田の脳には、その至極当然な呼びかけさえも届かない。
「い……いいから! とにかく俺の邪魔をしないでくれ! 俺は今すぐにでも、グランデイル王国に帰らないといけないんだ。妊娠している妻の身に、恐ろしい危険が迫っているんだよ!」
目の前に立つ、青い髪の騎士を避けるようにして。杉田は森の中を再び走り続ける。
もはや進んでいるその方向が、本当にグランデイルを目指方角なのかどうかも……今の杉田には分かっていないのだろう。
ただ闇雲に前へ前へ、突き進んでいくだけだ。
だが、アイリーンを無視して更にその前方に進もうとした杉田の前に……。
突然、白い鎧を着た複数の騎士達が出現し。その進路を妨害するように立ちはだかった。
「な、何だ……? お前達は!?」
白い鎧を着た騎士達は、杉田の進行方法を完全に塞ぎ。その周囲を取り囲むように立ち塞がる。
「――『火炎術師』の勇者の杉田だな。貴様をこの場で始末させてもらうぞ!」
10人近くはいる武装した白い騎士達が、それぞれ武器を構えてその場で戦闘態勢を取る。
それまで無我夢中で走り続けていた杉田は、自身に向けられた複数の騎士達の殺気を感じとり。ようやく、正気に返る事が出来た。
「なっ……俺の命を狙っているって言うのかよ!? お前達は一体、誰の差し金なんだ!」
白い騎士達の様子からして、何かしらの暗殺術に長けた者達なのは間違いないだろう。
だとしたらこれは、彼方の言っていた女神教の幹部とやらが送ってきた暗殺者達なのかもしれない。
「――その白い鎧には見覚えがあります。先程、何人かは私と直接お会いした事があるはずですが……。グランデイル王国女王のクルセイスを守る為に、白い天幕の中で魔王軍の緑魔龍公爵と対峙していた騎士の方々ですよね?」
アイリーンが腰に差していた黄金剣を抜刀して。杉田を守るようにして正面に立つ。
「何だって? この連中はクルセイスの親衛隊だって言うのかよ……! だとしたら俺の命を奪うように指示を出したのは、クルセイスなのか?」
杉田が驚愕の顔色を浮かべて、目の前の騎士達を見回してみる。
その白い騎士達に、杉田も少しだけ見覚えがあった。
確か、アッサム要塞攻略戦の後で。委員長である倉持が逮捕されたと世界各国の首脳陣の前で発表した時に、クルセイスの身の周りを守っていた騎士達だった気がする。
白い騎士達は、アイリーンや杉田の問いかけには一切答えない。
ただ小声でボソボソと、仲間内だけに聞こえるように囁きあう。
「……おい、アイツはコンビニの勇者の守護者だぞ」
「分かっている。という事は奴は緑魔龍公爵と同等程度の力を有しているはずだ。気を付けろ」
「大丈夫。我々は対守護者用の訓練も受けている。訓練の通りに、集団で襲いかかれば大丈夫だ。だが、あくまでも今回の目標は火炎術師の勇者だ。守護者の相手をするのは、後回しにした方が良いだろう」
「何やらヒソヒソと囁き合っているようですが。私は普通の人間よりも遥かに耳が良いので、貴方達の話は全て聴こえています。……もし、私が誰なのかを理解しているようでしたら、黙って今すぐここから立ち去る事をお勧めします。でないと私は、手加減せずに戦うつもりですので、生きて帰る事は出来ないと覚悟した方が良いですよ」
黄金剣を正面に構えたアイリーンが目に殺気を込めながら、足を一歩だけ前に踏み出した。
――途端。
全身をビクリと震わせた白い騎士達が、慌てて戦闘態勢を整え始める
コンビニの守護騎士であるアイリーンに対して、白い騎士達はそれぞれ剣を構え。
そのまま四方八方に移動を開始して、杉田とアイリーンの2人を取り囲むように陣形を形作った。
「くっそ……! 俺はこんな所で死ぬ訳には絶対にいかないんだ。妻がグランデイルで俺の帰りを待っているというのに! 誰が襲い掛かってきたとしても、俺は絶対に負けたりなんてしないからな!! ……うっ!?」
突然、杉田が『スゥ……』と、その場に倒れ込む。
そのすぐ後ろには、コンビニの青い騎士であるアイリーンが立っていた。どうやらアイリーンが、杉田に背後から強烈な手刀の一撃を加えて、杉田を気絶させたらしい。
「……申し訳ありません。味方を庇いながら戦う余裕は無さそうでしたので、一時的に気を失って頂きました。後で店長と合流をした時に、ちゃんと目を覚まして頂きます。それまでは、大人しくして頂けると助かります」
アイリーンは、倒れた杉田の体を左手で抱き抱えるようにして担ぎ上げる。
白い鎧の騎士達は、杉田の体を抱えるアイリーンを全員で取り囲みながら警戒を強めた。
なぜなら、アイリーンのその行為は……。杉田の体を抱えながら左手を使わずに、右手のみで自分達と戦っても勝てるという、強い意思表示に思えたからだ。
「あなた方には申し訳ありませんが、私は店長から有事の際には人間を殺しても構わないという許可を頂いています。この状況では手加減をする事は出来ませんので、一気に勝負をつけさせて貰います!」
アイリーンが右手に持つ黄金の剣を、白い騎士達に向けて鋭く構える。
この白い騎士達は、先程……クルセイスのいた白い天幕の中に緑魔龍公爵が襲ってきた時――高レベルの攻撃魔法を使用したり、まるで異世界の勇者の用いる、能力のような力を用いて戦闘をしていた。
つまり、並大抵の騎士達とは比べ物にならない程の、高い実力を有している可能性が高い。
アイリーンはその事をちゃんと理解して。短期決戦で、一気に勝負をつけようと心に決めていた。
……対する、白い鎧を身にまとった騎士達も。
「全員、最初から全力で攻撃をするんだ! 相手はコンビニの勇者の守護者だぞ。我らクルセイス様の親衛隊の全力を持って総攻撃をかけ、必ず任務を全うするんだ!」
『『――了解ッ!!』』
白騎士達は大きな掛け声と共に。一斉に飛び掛かるようにしてアイリーンに向かっていく。
騎士達の手には、それぞれ氷の矢や、炎の玉が作られている。それらの魔法攻撃をアイリーンに向かって同時に放ち、前後左右から一斉に迫って剣で斬り掛かかろうとしてくる。
その光景を見て、アイリーンは瞬時に理解した。
この者達は、きっと異世界の勇者の使用する能力を有している。おそらくは、ドリシア王国の女王ククリアが言っていた、遺伝能力を有している特殊な戦士達なのだろう。
”ガキーーーーン!!”
激しい閃光と共に、黄金の剣が織りなす光の曲線の乱舞と、強力な魔法攻撃が炸裂する音が森の中に轟く。
杉田を守る為に戦うアイリーンと、クルセイスの親衛隊達との激しい戦闘が森の奥で開始されたのであった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「み、水無月じゃないか! お前、こんな所で一体何しているんだよ!?」
「何って、森の中から大きな音がして。悲鳴が聞こえてきたから、慌ててここに駆けつけたら現代風の車が森の中に止めてあるし。大きなカエルの魔物が群がっていたから、中の人を助けようと魔物を慌てて駆除したんじゃないか。まさかここで、お前達2人と合流出来るとは俺も思わなかったよ!」
水無月は長い槍を手に持ち。数匹の巨大なカエルの魔物の死体の上に立っている。
――という事は、装甲車を囲んでいたカエルの魔物達は、水無月が全部倒してくれたらしい。
今はカルツェン王国に身を寄せていると聞いていたけど、水無月の奴……。『槍使い』の勇者として、かなりのレベルアップを遂げていたみたいだな。
「いや、マジで助かったよ。水無月、ありがとう! カエルの魔物達に周りを取り囲まれて、香苗と一緒に装甲車から出られなくなって、ピンチな所だったんだよ」
「水無月くん、本当にありがとう! またお互い無事に再会出来て嬉しいわ」
「あ、ああ……。でもこれは一体どういう組み合わせなんだ? 彼方と香苗さんの2人が、まさかここに一緒にいるとは思わなかったし。他のみんなは今、どこにいるんだ? 副委員長は? グランデイルに残ったみんなも、一緒に来ていたりするのか?」
「うーん、それがだな。えーっと……」
水無月は俺達がここにいる経緯や、クラスの他のみんなが今、どうしているのかを知りたいようだった。
確かに水無月の気持ちは分かる。
だがそれを今、詳しく説明するのは難しい。
特にクルセイスに殺害されてしまった2軍のみんなの事を、水無月にはどう伝えるべきだろうか?
俺達コンビニのメンバーがこれまで過ごしてきた経緯や、今の状況についても。全てをちゃんと水無月には説明しないといけないだろう。
けれど、それをこの場で全て水無月に説明するには、あまりにも時間が無さすぎる。
俺と香苗が、再会した水無月に他のクラスのみんなの状況を、どう伝えようかと悩んでいると――。
「……彼方くん、水無月くん、大変よ! アレを見て!」
突然、装甲車の外を覗いていた香苗が、大きな叫び声をあげた。
俺と水無月は、慌てて香苗が叫んで指差す方向を見つめてみると。そこには巨大な津波のような激しい水流が、こちらに向けて勢いよく流れて来ていた。
周囲にいるゾンビや、遠くにいた騎士達も巻き込み。水流は巨大な濁流となり、森の中に立つ木々の間を縫うようにして、こちらに向けてもの凄い勢いで迫って来ている。
「うおおおおおおぉぉぉーーっ!?」
「きゃあああああああーーっ!!」
俺と香苗は、急いで装甲車の車内に避難する。
カエルの魔物達の死体の上に乗っていた水無月も、慌ててその場でジャンプをして装甲車の上に飛び乗ると。上部のハッチから、俺達と一緒に装甲車の中に避難した。
”ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ――!!”
突然流れてきた水流は、装甲車の周囲にあるものを全て飲み込みながら。激しい濁流となって森の中を流れていく。
装甲車の周囲を流れていく濁流の水位はおおよそ1メートルくらいある。幸いにも重厚な装甲車は重みがあったので、水流に押し流される事はなく。何とかその場で持ち堪えてくれているようだった。
俺は装甲車の上部ハッチを開けて。車の上から顔を出して、周囲の様子を探っていると――。
俺の耳には人生でもう2度と聞きたくないと思っていた、この世で最も耳障りな男の声が聞こえてくる。
「やっほ〜〜! みんな、お揃いみたいだね〜! コンビニくんは、久しぶりに僕のお水をお腹いっぱいに飲み込む事が出来て嬉しいかい? もし、おかわりが欲しいのならいくらでも言ってね! 君のお腹がパンパンになって破裂するまで、美味しいお水をいっぱいぶっかけ続けてあげるからさ〜! アッハッハ〜!」
そう、俺達の前に姿を現したのは――。
倉持陣営に身を置く『水妖術師』の勇者。金森準が、いつものニヤケた笑を浮かべながら森の中に立っていた。