第九十三話 緑色の戦い
「みんな、気をつけてね! 敵は闇堕ちする前は元、動物園の勇者の守護者だったのよ! ……という事は最低でも彼方くんのコンビニを守る、アイリーンさんに匹敵するくらいの強さがあるって事なんだからね!」
「うへぇぇ〜! 私、アイリーンさんに勝てる気なんて全然しないよ〜! ねえねえ、流石にこれは私達だけじゃ無理なんじゃないの? こんなの絶対に無理ゲーじゃん!」
「大丈夫、大丈夫ー! こっちは合計4人いるんだから、集団でボコしてやれば何となるでしょー! いつもの体育館裏に呼び出して『オラオラ〜!』って感じのノリでやっちゃいましょうよー!」
「ええっと、私は体育館裏に人を呼び出した事なんてないんですけど……」
テンション高めに、意気揚々と戦闘態勢を取り始めた3人娘達とは異なり。
『狙撃手』の勇者である紗和乃だけは、戦況を慎重に見極めようとする。
アイドルの勇者である野々原のコンサート会場の中では、ゾンビ達は地面から出現する事も入ってくる事も出来ない。
――という事は、このコンビニの半径50メートル範囲内にいるのは、敵のボスである緑魔龍公爵のみだ。
こちら側の戦力は、異世界の勇者が4人。
それに加えてドローンや、5連装式のガトリング砲を装備した重火力のコンビニ戦車もある。
周囲には森が広がっているので使いづらいが、火炎放射器だってコンビニの屋上には装備されている。
これらの武器を駆使すれば、何とか自分達だけでも魔王軍の4魔龍公爵に打ち勝つ事が出来るだろうか?
敵はかつて、『動物園』の勇者であった現魔王――冬馬このはの守護者でもあった存在だ。
今でこそ、魔王軍の4魔龍公爵などという呼ばれ方をされているが、コンビニの守護者であるアイリーンと同等以上の力を持っているのは間違いなかった。
もし、コンビニホテルの支配人であるレイチェルさんがここに来てくれれば勝てるかもしれない。
けれど残念ながら、コンビニの地下階層を統べる存在であるレイチェルさんは、コンビニの外には出られない。
おそらく敵にコンビニ内部に侵入されるような非常事態にでもなければ、レイチェルさんの力を借りる事は出来ないだろう。
「……どちらにしても、今の状況は知らせておいた方が良さそうね。ティーナさん、彼方くんに現在の状況を知らせておいてくれる? 私達はもう、敵のボスの緑魔龍公爵と戦闘状態に入っているってね!」
「了解しました。彼方様に、すぐにお伝え致します!」
紗和乃とコンビニの事務所にいるティーナがレシーバーでやり取りをしていた、この間にも……。
「よっしゃー! みんな気合いを入れて行くわよー!」
『『おおおーーーっ!!!』』
既に3人娘達の攻撃担当である、『舞踏者』の勇者の藤枝みゆきと、『ぬいぐるみ』の勇者である小笠原麻衣子の2人が動き出し。緑魔龍公爵に対して先手をかける。
地面を這うような低空の姿勢から、双剣を携えた藤枝みゆきが滑り込む。彼女の双剣は高速の曲線を描きながら、緑魔龍公爵に斜めから斬りかかった。
”ガキーーーーン!!” ”ガキーーーーン!!”
対する緑魔龍公爵は、両手の指先から鋭い緑色の爪を伸ばす。そして藤枝みゆきの華麗な剣舞から繰り出される剣撃の全てを、自身の体に触れる寸前の所で弾き返してしまう。
子供のようにニヤリとほくそ笑む緑魔龍公爵には、余裕さえ感じられた。
「クッ……まさかコイツ! 私達で遊んでるんじゃないでしょうね!」
「みゆき、一旦どいてッ! 今度は私がこいつの相手をするわ!」
舞踏者のみゆきが、体をのけぞらせるようにしてバク転をしながら、後方に退くと。
今度は入れ替わりに、小笠原麻衣子が巨大クマの肩に乗りながら緑魔龍公爵に襲いかかっていく。
巨大クマが、長さ5メートルを超える銀製のフォークを振り回す。その後方からは、小さなクマのぬいぐるみ達がその手に普通サイズの銀色フォークを持ちながら、四方八方から緑魔龍公爵の体に一斉に飛びかかった。
「ひゃっはっはーー!! 何だよ、このオモチャの群れは? こんなんで、あたしの体に傷一つでも付けられるとでも思ってるの? あっひゃっひゃーー!!」
緑魔龍公爵は、もう可笑しくてしょうがないとばかりに大笑いをしながら緑色の鋭い爪を振り回す。
片手で腹を押さえながら、もう片方の手を伸ばし。突撃してくるクマのぬいぐるみ軍団を一瞬で切り裂いていく。
本来なら魔物が侵入する事は出来ない、アイドル野々原の結界の中で。緑魔龍公爵は何の制約も受けずに、自由に飛び回っているように見える。
そして大小様々な小笠原のクマのぬいぐるみ達の攻撃と、藤枝の剣技の全てを……高速移動をしながら易々と避けてしまう。
狙撃手の能力を持つ紗和乃は、コンビニの屋上から2人の援護をしようと、魔法の弓を構えた。
だが、あまりにも動きの素早過ぎる緑魔龍公爵や、舞踏者の藤枝みゆきの動きを――かろうじて目で追うのがやっとだった。
援護の為に魔法の弓を射掛けようにも、紗和乃の動体視力では狙いを定める事も出来ない。
「クッ……2人とも動きが速すぎるわ! 私の目じゃその姿を追うのがやっとだなんて」
紗和乃は、自身の射撃手としてのレベルの低さを痛感してしまう。
3人娘達は、自分よりも遥かに異世界の勇者としての戦闘能力が高い。3人が必死に緑魔龍公爵と戦っているというのに、自分はそのアシストさえする事が出来ないでいるのだ。
「――みゆき! どう? まだ戦える?」
「私は全然平気よー! でも、コイツ……動きが速すぎるわ! 私のスピードじゃ追いつく事が出来ないものー!」
小笠原と藤枝の2人は、自分達が完全に緑魔龍公爵にもて遊ばれているという実感を感じていた。
さっきから2人で同時に攻撃をしているというのに、一撃たりともダメージを与える事が出来ないなんて。
やはり魔王軍の4魔龍公爵と戦うのは、自分達にはまだ無謀な挑戦だったのだろうか?
「ヒャッハーー! この間抜けな雑魚どもめ! もう遊ぶのも飽きたから、お前ら全員まとめて始末してやるよ!」
緑魔龍公爵はクマのぬいぐるみ達の攻撃と、舞踏者の藤枝みゆきの攻撃を同時に避けながら大地を蹴り、上空に高々と浮かび上がる。
そして、空中からコンビニの屋上を見下ろすと。
「くらえッ、『緑棘機関砲』ーーーーッ!!」
緑魔龍公爵の浮かんでいる周囲の空間に、無数の緑色の小さな棘が浮かび上がった。
それらは勢いよく、コンビニの屋上に残る紗和乃と野々原。そしてその周辺に立っている小笠原と藤枝に目掛けて放たれる。
”ズドドドドドドーーーーッッ!!”
緑色の小さな棘の砲撃は、まるでコンビニのガトリング砲から発射される弾のように。
無限に増殖する緑色の豪雨となって降り注いでくる。
「みんな、危ないーーーーっ!!」
コンビニに残るメンバーに、緑魔龍公爵の攻撃を防ぐ防御シールドを張れるメンバーはいない。
とっさにぬいぐるみの勇者である小笠原麻衣子が、自身の周りを守っていた巨大なクマのぬいぐるみ達を、全員の盾になるようにコンビニの前に立たせた。
”ドスドスドスドスドス――!!”
10メートルを超える、巨大なクマのぬいぐるみに突き刺さっていく大量の緑色の棘。
茶色いクマのぬいぐるみの体は、その小さな棘の刺さった箇所から、次々と溶け出していく。
緑魔龍公爵の攻撃には、相手の皮膚を溶かし、毒性の酸を注入する恐ろしい成分が含まれているらしかった。
「きゃああああああーーっ!!」
マイクを手にしていたアイドルの野々原が一瞬だけ絶叫をあげるが、すぐに歌う事を再開する。
たとえ、攻撃を受けている状態だとしても。野々原が歌を歌う事を止めてしまえば、コンビニを守る防御結界が崩れてしまう。
そうなれば周囲のゾンビ達が再びコンビニの周りに出現をしてしまうだろうし、緑魔龍公爵自身の力も増大をしてしまうかもしれない。
今は、一見すると自由自在に動いているように見える緑魔龍公爵だが……。
このアイドルのコンサート会場の結界の中では、味方の魔物を召喚出来ていないという事は、やはり見た目には分からない何かしらの能力の制限を受けて戦っている状態なのかもしれない。
だからもし、この結界が無くなってしまったら。緑魔龍公爵の力はもっと恐ろしい能力を発揮して、自分達のような未熟な勇者達では、到底戦えない程の強さになってしまうかもしれないからだ。
小笠原の巨大なクマのぬいぐるみ達は、緑魔龍公爵の攻撃をその巨大な体で全て受け止め。完全にその全身が溶けてしまった。
それでも止まない緑色の棘の雨を防ぐ為に、大小様々なクマのぬいぐるみ達が一斉に集まり。コンビニの周囲にいる勇者達を守る為に、その体を張って次々と犠牲となっていく。
だがこのままペースでは、ぬいぐるみ軍団はすぐに全滅してしまうだろう。
紗和乃も何とか隙を見て、魔法の弓による反撃を試みようとするも――。緑魔龍公爵の攻撃が激しすぎて、狙いを定める事が出来ない。
このままでは、いつかは全員まとめてやられてしまう。
紗和乃がそう絶望をしかけた、その時に――。
”ズドドドドドドドドドドドッッーーー!!!”
コンビニの屋上に装備されている2門のガトリング砲が、突然、空中の緑魔龍公爵に目掛けて火を吹いた。
コンビニの中の事務所から、状況を見ていたティーナが隙を見て。緑魔龍公爵に集中砲火を浴びせたのである。
連射されるガトリング砲による攻撃を突然浴びた緑魔龍公爵は、完全に油断しきっていた。
空からのコンビニへの攻撃をいったん止めて、自身の周りに緑色のシールドを慌てて展開する。
「チィッ………!!」
ティーナによるガトリング砲の攻撃は、全て命中をする前に緑色の障壁によって防がれてしまった。だが、緑魔龍公爵の猛攻を一時的に食い止める事は出来た。
緑魔龍公爵は、今度は緑色の棘を集中的にコンビニの屋上にあるガトリング砲に向けて飛ばし。
そのままコンビニに装備されていた、2門のガトリング砲、火炎放射器、地対空ミサイルの発射装置の全てを破壊してしまう。
「このおぉぉぉーーッッ!!」
地面に降り立とうとする緑魔龍公爵に目掛けて。舞踏者の藤枝が再度、勢いをつけて斬りかかった。
小笠原のぬいぐるみ軍団は、先程の緑色の棘の攻撃を防ぐ為の盾となって、ほぼ壊滅をしている。
だから再び空中から棘の連射攻撃をされない為にも、敵に休む暇を与えないように。自分が攻撃を加え続けなければ……と、藤枝みゆきは考えたのだろう。
藤枝の流れるような双剣の剣技と、緑魔龍公爵の緑色の爪が、火花を散らすように空中で何度も交差する。
そして――……。
”ズシャーーーーン!!”
調理場で生肉を出刃包丁で切断したかのような音が、周囲に鳴り響いた。
「ぎゃああああああああーーーーッッ!!」
双剣を握る藤枝みゆきの左手が、緑魔龍公爵の鋭い爪によって切り落とされてしまった。
「みゆきーーーーーっ!!!」
大声で叫びながら、藤枝のそばに駆けつけようとした小笠原麻衣子。
しかし今度は、緑魔龍公爵の放つ緑色の棘の攻撃が――今度は、小笠原の全身にも襲い掛かる。
「きゃあああああああーーーーっ!!」
小さなクマのぬいぐるみ達が、かろうじて小笠原の体を身を挺して守ろうとする。
だが……当然、全ての攻撃を防ぎきる事は出来ず。小笠原の両足に、数発の緑色の棘が命中してしまった。
足に刺さった緑色の棘は、周辺の皮膚を溶かし、小笠原の行動の自由を完全に奪ってしまう。
その場に倒れ込み、完全に行動不能の状態になってしまう藤枝みゆきと小笠原麻衣子。
これでコンビニを守る異世界の勇者陣営のうち、主力となる攻撃メンバーの2人がやられてしまった事になる。
「――小笠原さん!! 藤枝さん!!」
コンビニの屋上に残る紗和乃は、絶望の表情を浮かべて歯軋りをする。
さっきから全身の震えが止まらない。カタカタと奥歯がぶつかり合い、弓を握っている両手が痙攣を起こしているのが分かる。
きっと、自分達はここで殺されてしまうのだろう。
彼方くんはまだ助けに来ないし。コンビニにはもう、戦う手段が何も残されていない。
ガトリング砲もミサイルも、全て破壊されてしまったコンビニ戦車。
せめて自分達に出来る事は、今からコンビニの中に急いで逃げ込んで。レイチェルさんに身を守ってもらう事くらいだろうか?
だが、この状況ではもう……。
緑魔龍公爵が目の前の自分達を、そう簡単に逃してくれるとも思えない。
これは、完全に『詰み』なのではないだろうか? 将棋やチェスでいうなら、完全に王手やチェックメイトの状態だ。
紗和乃は顔面蒼白の表情で、こちらに向けて、ニヤニヤと笑いながら歩いてくる敵の姿を見つめた。
おそらく緑魔龍公爵は、紗和乃のその絶望に満ちた表情が見たかったのだろう。
顔から溢れ出るくらいに満面の笑みを浮かべて。まるでステップを踏む子供のように、こちらにゆっくりと近づいて来ている。
緑魔龍公爵は、自分以外の他者が圧倒的な力の差を見せつけられ。絶望に打ちひしがれている姿を見下ろすのが、大好物なのだという事を紗和乃は理解した。
「――紗和乃さん! 攻撃を続けて下さい!」
「えっ……!?」
紗和乃は、ビックリして後ろを振り返る。
そこにはずっと歌を熱唱し続けている、アイドル野々原の姿があった。
野々原は、先程からずっと歌う事をやめず。そのままマイクを使って紗和乃に話しかけてきていた。
「で、でも……。も、もう……!」
勝利の算段が何も見出せない紗和乃は、歌い続ける野々原に諦めの意思を伝えようとする。だが、野々原の表情は真剣だった。
「私が麻衣子と、みゆきを必ず守ります! これ以上、アイツには指一本2人に触れさせません! だから紗和乃さんは魔法の弓で攻撃を続けて下さい!」
野々原に叱られるように、諭される紗和乃。
『ハイッ!』と、返事をするのがやっとで。目が覚めるような面持ちで、紗和乃は迫り来る緑魔龍公爵の姿を見つめ直す。
この絶望的な状況でも野々原は、まだ諦めないというのだろうか?
確かに野々原は、さっきからずっと歌い続けている。
もう、例え結界が崩れたとしても。緑魔龍公爵の攻撃を防ぐ手段は、こちらには何も残されていないというのに……。
ならばいっその事、怪我をした2人を置いて。急いでコンビニの中に逃げ込むという選択肢さえ有り得るのに。
紗和乃は自分が恐怖のあまり、愚かな思考に逃げ込もうとしていた事実に気付き、慌てて頭を横に振る。
「そうね。私、どうかしてたわ……!」
紗和乃は両手で自分の頬を強く叩くと、冷静さと正気を取り戻した。
最後まで諦めるという選択肢だけは、絶対に選んではいけないはず。
まして、ここで仲間を置いて逃げ出すだなんて。そんな思考が一瞬でも、自分の頭の中によぎってしまった事を痛烈に恥じた。
「例え私達がここでやられたとしても、きっと彼方くんが後で仇を討ってくれるわ! だから私も、絶対に諦めたりなんかしない!」
紗和乃は魔法の弓を構えて、緑魔龍公爵に再び狙いをつける。
「ヒャッハッハッーーー!!」
その紗和乃の決意が、いかに滑稽で馬鹿なものだと嘲笑うかのように……。
緑魔龍公爵は高速移動をして、紗和乃の目の前でビュンビュンと飛び跳ねて見せた。
きっとレベルの低い紗和乃の能力では、緑魔龍公爵を目で追う事さえ出来ないだろうと、からかっているのだ。
まして、ちゃんと狙いをつけて。魔法の弓を命中させるなんて事は到底不可能。
……の、はずだったのだが。
「あ、アレ……アレ……!?」
紗和乃はビックリして驚きの声をあげる。
それは、高速移動をする緑魔龍公爵の動きを……。いつの間にかに、目で正確に追えている事に気付いたからだ。
敵の移動する動きが手に取るように分かる。その動きの軌跡が完全に把握出来ている。
(――なんなの? これは一体、どういう事なの?)
紗和乃には、今の状況が全く理解出来なかった。
緑魔龍公爵の動きが、さっきよりも格段に遅くなっている?
……いや、もしかしたら自分の空間把握能力が、さっきよりも上昇しているのだろうか?
緑魔龍公爵の動きを正確に目で追いながら、紗和乃は一つの答えを導き出した。
そうか。これはきっと、その『両方』なんだ。
確かに緑魔龍公爵の動きは、先ほどより明らかに遅くなっている。そしてそれを、目で追う事の出来ている自分の身体能力も確実に上昇している気がする。
でも一体、どうしてこんな事が起きたのだろうか?
紗和乃は手にしていた魔法の弓を、一発だけ発射してみる。
光に包まれた魔法の矢は、放物線をなぞるような軌道を描き。緑魔龍公爵がちょうど地面に降り立とうとする、その瞬間の場所を正確に捉えて着弾をした。
”ズドーーーーーーーーン!!”
「――ハッ!?!?」
もちろん紗和乃の魔法の矢は、緑魔龍公爵が展開する緑色のシールドによって防がれてしまった。
……けれど、緑魔龍公爵は自分の高速移動を紗和乃に見切られ。移動先の位置を完全に予想されてしまった事に驚きを感じたようだ。
紗和乃をからかうように高速移動を繰り返していた、不規則な動きをやめて。
警戒をして睨みつけるようにしながら、ゆっくりとこちらに向けて近づいてくる。
「――紗和乃さん、大丈夫です! 私達は絶対にアイツに勝つ事が出来るから! だから私を信じて下さい!」
アイドルの野々原が歌い続けながら、前にいる紗和乃を応援づけるように後ろから声をかけてくれる。
「どうして、そんなに自信が持てるの? 確かに私は攻撃を当てる事が出来たけれど……。その理由だって、私にはまだ全然分かっていないし。こちらにはもう、敵とまともに戦う装備だって何も無いのに」
紗和乃を見つめる野々原が、アイドルソングを歌いながら笑顔で片目を閉じて。『キラッ☆』と、ウインクをしてみせた。
「フフフ〜。ヒントはね! 今さっき、私の頭の中で『ピンポーン』って効果音が鳴り響いたの。だから私の結界のパワーはさっきより数段も上がっているんです。結界の範囲内にいる味方には『能力上昇』のバフ効果を与えられるし、結界の中に侵入をした敵には『能力ダウン』のデバフ効果も、追加で行えるようになったんです!」
「えっ……!? それって、野々原さんがレベルアップしたって事なの??」
紗和乃は、野々原の言葉に驚く。
それと同時に、野々原の言葉によってどうして自分の身体能力が急に上昇し。逆に、緑魔龍公爵の動きが遅くなったのかの説明が全てつく事を理解した。
「フフ、それにね! 今の私はこんな事だって出来るのよ!」
野々原がコンビニの屋上で躍りながら歌を熱唱し、片手で銃の形を作る。そしてそれを緑魔龍公爵に向けて構えてみせると……。
”パリーーーーーン!!”
こちらに向けて歩いてきていた、緑魔龍公爵の周囲に張ってある緑色のシールドが、突如として音を立てて砕け散った。
「……!? な、何だ!? どうして、あたしの防御結界が突然消えたんだ?」
今度は、緑魔龍公爵が目を大きく見開いて驚愕の表情を浮かべる。
その姿を笑顔で見つめながら。野々原は歌いながら説明をした。
「私のコンサート会場内での、違法侵入者のあらゆる能力や不正行為を『禁止』します。アイドルの歌は、ちゃんとお行儀良く椅子に座って聞いて貰わないとね! 不正行為も、盗撮行為も、周りのお客様の迷惑になるような行為も、正統派アイドルであるこの私が、一切認めるわけないじゃ〜ん!」
それは、レベルアップした『アイドル』の勇者である野々原有紀の新能力であった。
野々原の開くコンサート会場に侵入をした敵には、その固有の能力を禁止出来る制約が追加されたのである。
自身を守る緑色のシールドが消失した事を理解した緑魔龍公爵は怒り狂い、わなわなとその体を震えさせる。
「おのれぇぇぇぇーーーッ!! このクソ雑魚どもがああぁぁーー、小賢しい事をーーーッ!!」
緑魔龍公爵は激昂し。飛び掛かるようにして、コンビニの屋上の野々原に目掛けてジャンプする。
紗和乃も慌てて魔法の弓を構えるが、間に合わない。
そんな、危機一発の状況で、
”ガキーーーーーン!!”
横から急に飛び出してきた、白い光に包まれた剣士が高速移動をしながら緑魔龍公爵に飛び掛かった。
「なっ……!? お前は、どうして……!?」
緑魔龍公爵に斬りかかったのは、舞踏者の勇者である藤枝みゆきだった。
先ほど切り落とされてしまった藤枝の片腕は、もちろん無いままだ。
だが、もう片方の右手だけで剣を構えて。藤枝は緑魔龍公爵に単身で襲いかかったのである。
突然の横から襲いかかってきた攻撃を、緑魔龍公爵は必死に両手の爪を伸ばして防ごうとする。
しかし、今度は藤枝の猛攻が速すぎて防ぎきれない。
相手は片手だけで戦っているというのに?
しかも手負いの剣士だというのに、一体なぜ……!?
藤枝みゆきの動きは明らかに、先程までよりも速くなっていた。
もちろんレベルアップした野々原の結界の力により。緑魔龍公爵の動きが遅くなっている、という事もある。更には、藤枝も能力アップのバフ効果を得ているだろう。
だが、それ以上に――。
舞踏者の勇者である、藤枝みゆきの剣技は――。高速スピードに達していると感じるくらいに卓越した超人の動きをしていた。
おそらく、野々原と同じように。舞踏者である藤枝みゆきの身体能力も、戦いの中で大きくレベルアップしたのだろう。
もはやシールドを失った緑魔龍公爵の力では、それを食い止める事は出来ない。
”ズシャ!! ズシャ!! ズシャーーーーン!!”
「ぐきゃあああああああああーーーーっっ!!!」
今度は、緑魔龍公爵が悲鳴をあげる番だ。
藤枝みゆきの華麗な剣技によって。
緑魔龍公爵はその両手を、剣で斬り落とされてしまった。
これは、たまらないと……慌てて、空中に飛び上がって逃げようとする、緑魔龍公爵。
時間をかければ、藤枝と違い緑魔龍公爵の斬られた両手は再生する事が出来る。だからここは何としてでも、このコンビニを中心とした、敵の結界の中から逃げ出さなくてはいけない!
既に緑魔龍公爵の脳内では、この場で3人娘達と戦い続ける事は……完全に不利だという事が認識出来ていた。
ここは例え侮っていた未熟な異世界の勇者達に負けてしまう……という屈辱を背負う事になっても。早くここから遠くに離れて逃げるべきだろう。
藤枝の追撃から逃げる為に、上空に大きく跳躍をした緑魔龍公爵。
その途中で、コンビニの上空にある『とんでもないモノ』を目撃してしまう。
「何だ……コレは……!?」
空の上に立ち塞がっていたのは、巨大な『茶色いクマのぬいぐるみ』だった。
その大きさは、あまりにも規格外過ぎる。
おそらく地上から、高さ70メートル以上に達すると思われる『超大型のクマのぬいぐるみ』が、巨大な銀製のフォークを振り上げて、空の上で待ち構えていたのである。
「ば、馬鹿っ……!! や、やめろおおぉぉぉーーっ!!」
上空に退避しようとしていた、小さな緑魔龍公爵を見つけた超大型のクマのぬいぐるみは、ギロリとその姿を睨みつけると。
まるでハエ叩きで、ハエを叩きつけるかのように。
既に絶望で泣きそうになっている、緑魔龍公爵の体を、
――『ペチン!』……と。
上空から大地に向けて、銀色の巨大フォークを振り下ろして、思いっきり叩き落としたのである。