第八十九話 混沌と化す戦場
「オッケーーッ! 魔王様に危害を加える可能性のある害虫の中の超大物2匹を、あたしがこの場でまとめて始末してやんよーー!」
天幕の中に、突如として姿を現した魔王軍の4魔龍公爵の1人――緑魔龍公爵。
それ程広くない白い天幕の中は、既に緑魔龍公爵が召喚した無数のゾンビ達で溢れ返っていた。
「店長、危ないです! 伏せて下さいッ!!」
アイリーンがすぐさま、黄金色の剣を引き抜いた。その叫び声を聞いて、俺は咄嗟にその場にしゃがみ込む。
俺が頭を低く下げたのと、ほぼ同時に。眩い黄金色の輝きを放つ光の剣線が、俺の頭上を横薙ぎに一直線に払われていった。
天幕の中に侵入した無数のゾンビ達は、アイリーンの放つ光の剣線によって。横から全て真っ二つに斬り裂かれていく。
「……チィッ……!!」
アイリーンの攻撃を避ける為に、緑魔龍公爵はその小さな体を空中に大きく跳躍させる。
「――逃がすものか!」
アイリーンもすぐさま、その場で大きく跳躍をして。逃走を図る緑魔龍公爵の追撃を開始した。
地表から2〜3メートル程の上空に、プカプカと浮いている緑魔龍公爵の体に……。アイリーンの黄金剣が再び勢いをつけて襲いかかった。
”ガキーーーーーン!!”
アイリーンの黄金剣と、緑魔龍公爵の体を覆う緑色の防御シールドが、激しい火花を散らしながらぶつかり合う。
そして、緑魔龍公爵のシールドを破壊する事の出来なかったアイリーンの体が、衝撃で地面に吹き飛ばされた。
この辺りの攻防は、赤魔龍公爵と戦った時と一緒だな。
4魔龍公爵の持つ防御シールドは、恐ろしい程に強固で頑丈だ。コンビニの騎士であるアイリーンの力を持ってしても、そのシールドを簡単に斬り裂く事は出来ない。
空中に浮かびながら俺達を見下ろしていた緑魔龍公爵は、その場で両手をゆっくり地面に向けてかざすと……。
空中から天幕の中にいる全ての者に対して。今度はいきなり、広範囲の全体攻撃を仕掛けてきやがった。
「お前達、全員まとめて始末してやるよッ!! これでも食らいなーーッ! 『緑棘機関砲』ーーーッ!!」
緑魔龍公爵の浮かんでいる空中から。突如として、緑色の棘のようなものが大量出現し。それらが一斉にこちらに向けて放たれる。
それは俺のコンビニに付いている、ガトリング砲の攻撃に匹敵するくらいに苛烈なものだった。
緑色の無数の棘が、天幕の中の広範囲に乱射され。中にいる者全てに、無差別の攻撃を加えてくる。
「――店長ッ……!! 危ないです!!」
すかさず、アイリーンが俺の前に立ち。
緑魔龍公爵が空から飛ばしてくる、緑色の棘の攻撃を全て――。まるで傘をさして豪雨を凌ぐかのように、黄金剣を頭上で高速回転させながら弾き飛ばしてくれた。
「さすがはアイリーンだ、マジで頼りになるぜ!」
俺はアイリーンのおかげで、なんとか敵の攻撃を防ぐ事が出来たが……。同じ白い天幕の中に座り込んでいたクルセイスの方は、無事なのだろうか?
すぐさま、クルセイスが座っている方を見つめてみると……。
「――えっ!?」
顔を下に向けて、俯くように地面に座り込むクルセイス。彼女は空中にいる緑魔龍公爵の姿を、なぜか全く見ていなかった。
何だ、あの様子は……?
緑魔龍公爵の攻撃を防ぐ気がないのか?
その場に、ただじっと座り込むクルセイス目掛けて。空から大量に緑色の棘が一斉に降り注いでくる。
”バチバチバチッ――!!”
その途端に、天幕の中に激しい炸裂音が鳴り響いた。
まるで高圧電流を放つ、電線に触れたかのように。クルセイスの体に襲いかかった緑色の棘は、目に見えないシールドによって、全て空中で焼き尽くされてしまう。
緑魔龍公爵の放った攻撃は、クルセイスの体に直撃する前に。目に見えない電気のシールドによってガードされたようだった。
えっ? 一体、アレは何だ……?
まさかクルセイスが、あの高圧電流の壁のようなシールドを作り。敵の攻撃を全て防いだというのか?
そんな常人離れした能力が、クルセイスにはあったというのだろうか? だが、アイリーンの目にもクルセイスには、そんな特殊な能力は無いと判定されていたはずだ。
先程からクルセイスの様子は、ずっとどこかおかしかった気がする。
アイリーンがクルセイスの喉元に突き付けていた剣を離して。その場にフラフラと座り込んで以降、クルセイスはさっきから全く身動きをしていない。
それどころか、突然周囲に大量のゾンビが出現して。魔王軍の緑魔龍公爵が、いきなりこの場に襲ってきたという緊急事態にも関わらず。悲鳴を上げたり、逃げようとするリアクションも全然していなかった。
まるでその場で眠ってしまったかのように、クルセイスはずっと無言で、下を見つめながら俯いている。
俺は最初、実はクルセイスと緑魔龍公爵が裏で手を組み。俺をここで罠に陥れる為に、共同で襲ってきたのかと疑ったくらいだ。
だが……緑魔龍公爵は、明らかに俺とクルセイスの両方に向けて無差別に攻撃を仕掛けてきている。
つまり、グランデイル王国と緑魔龍公爵が密かに裏で手を組んでいるという可能性は無いようだ。
だが、例えそうだとしても……。
今のクルセイスの反応は明らかに異常過ぎる。
先程までとは、まるで別人に変わってしまったかのような異質さを今は感じる。
俺は緑魔龍公爵への攻撃をアイリーンに任せて。様子がおかしくなったクルセイスの姿を、しばらく観察していると……。
「――クルセイス様! ご無事ですか!?」
周囲の白い天幕の布を切り裂き、白い全身鎧を身にまとった騎士達が突然、中に乱入してきた。
天幕の中に入ってきた白い騎士達は、そのまま座っているクルセイスの周囲に駆け寄ると。空中に浮かぶ緑魔龍公爵に向けて、一斉に魔法攻撃を加え始める。
「あそこに、魔王軍の緑魔龍公爵がいるぞっ!! 我らのクルセイス様をお守りするんだ!!」
白い騎士達は、凄まじい破壊力を持つ高レベルの魔法を次々と放ち。空中にいる緑魔龍公爵を牽制しようとする。
……この白い騎士達は、一体何者なのだろうか?
グランデイル王国に所属する騎士達の中で、こんなにも高レベルな魔法を使いこなせる『魔法戦士』のような存在を、俺は今までに一度も見た事がないぞ。
白い騎士達が放つ高レベルの魔法は――まるで、異世界の勇者が持つ『能力』のようだった。
クルセイスを守ろうとする白い騎士達は、巨大な炎の玉や、長さ数メートルを超える氷の柱を魔法によって次々と生成し。それらを緑魔龍公爵に向けて一斉に放っていく。
もちろん、アイリーンの黄金剣の攻撃を防ぐ、緑魔龍公爵の持つ鉄壁の防御シールドだ。
白い騎士達が畳み掛けるようにぶつけている攻撃魔法も、その全てが緑魔龍公爵の体に直撃する前に防がれてしまっていた。
……だが、俺やアイリーンも含めて。
レベルの高い魔法戦士達が、集団で緑魔龍公爵と対峙しているこの状況だ。
流石に多勢に無勢……と、形成の不利を悟ったのか、緑魔龍公爵はその場から遠くに飛び去ろうとする。
「――チッ……! このミランダの地に集う人間共は、あたしが全て抹殺してやるからなッ! 誰一人として生かしてはおかない! 逃げる事さえも許さない! 全員、覚悟しておくがいいよ!」
俺とアイリーンと、そしていまだに地面に座り込んでいるクルセイスを鋭く睨みつけ。
緑魔龍公爵は捨て台詞を吐くとともに、そのまま遠くに飛び去ってしまった。
その光景を呆然と見つめていた俺に、アイリーンが後ろから声をかけてくる。
「店長、大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
「あ、ああ。大丈夫だ! アイリーンのおかげで助かったよ……この通り、傷一つなく俺は無事さ!」
俺は両手を上にあげて、アイリーンに自分の体が無事である事を伝える。
「敵の親玉を仕留める事が出来ずに、取り逃してしまいました。申し訳ありません、店長……」
「いやいや、相手はあの4魔龍公爵の1人だぞ。それを一撃で倒す事なんて絶対に無理だし、今は仕方がないさ。それよりも……」
俺は周囲の光景をぐるりと警戒しながら見回してみる。
グランデイル王国軍の宿営地は――今や阿鼻叫喚の地獄と化していた。
見渡す限り、そこらじゅうの地面から緑色のゾンビ達が無限に湧いて出てきている。宿営地の中は、グランデイル軍とゾンビ達との乱戦状態に突入していた。
それは、俺が最も恐れていた事態になってしまったと言ってもいい。
敵がミランダの旧王都方面から、まとまってこちらに攻めて来たのなら、まだ戦いようはあった。
コンビニからミサイルを発射させて、ゾンビ達を一掃する事も出来るし、ガトリング砲で蹴散らす事も出来ただろう。
だが……地面からキノコのように無秩序に湧いてくるゾンビ達が、騎士団の集まる宿営地で一斉に戦いを始めてしまうと、コンビニの武器は完全に無力化されてしまう。
既に周りは、敵も味方も入り乱れての乱戦状態だ。
ドローンからミサイルを発射させたら、周囲にいる騎士達もまとめて爆破させてしまうし。コンビニをここに呼び寄せてガトリング砲を乱射させる事も、もう不可能だ。
俺が周囲の状況を確認しながら、ふとクルセイスの様子を確認しようと振り返ると――。
天幕の中にいたクルセイスの姿は、いつの間にか消え去ってしまっていた。
先程駆けつけてきた白い騎士達の姿も、忽然とその姿が消えている。
周囲をゾンビの群れに囲まれている状況下なのに。クルセイスは、一体どこに消えてしまったのだろうか?
倉持の渡してきた紙切れには、2軍のみんなを直接殺したのは、クルセイスだという事が書かれていた。それを直接確かめる為にも、まだクルセイスには問い詰めたい事がたくさんあったというのに……。
緑魔龍公爵の乱入と、大量のゾンビ達の襲撃によって。真実は全て有耶無耶な状態になったまま、首謀者達を完全に見失ってしまった形になってしまった。
クソッ! せっかく掴んだ手掛かりを見失ってしまうなんて……。
――そうだ! この紙切れを手渡してきた肝心の倉持はどこに行ったのだろう?
俺は天幕の周囲をくまなく探してみたが、倉持の姿はどこにも見当たらなかった。
「――店長。これから、いかが致しましょうか?」
アイリーンが、周囲にいるゾンビを撃退しつつ俺に尋ねてくる。
「そうだな……。まずはコンビニと連絡を取ろう。そして可能なら、杉田や香苗と合流をして、コンビニに2人を連れて帰りたい」
俺はスマートウォッチのメール機能を操作して、コンビニと連絡を取る事にする。
持ってきたトランシーバーでは、ここからでは流石に距離が離れすぎている。コンビニとトランシーバーで連絡を取る事は出来ないだろう。
俺がコンビニに、現在の状況を伝えるメールを送ると――。コンビニのパソコンからは、思いがけない内容の返信が俺の元に届いた。
おそらくティーナが書いたと思われるそのメールの中には、コンビニの現在の状況が書かれていた。
『彼方様! コンビニは現在、大量のゾンビ達に囲まれて敵の襲撃を受けています。ガトリング砲と紗和乃様の『狙撃手』の能力で応戦をしていますが、とても防ぎきれません……!」
何だって? コンビニも既にゾンビに囲まれているっていうのかよ!
緑魔龍公爵の放つゾンビ達は、地面さえあれば勝手にニョキニョキと生えてきてしまう。
おそらくは四条京子の持つ『防御壁』の能力を使って壁をコンビニの周囲に作り上げたとしても、ゾンビ達に内側から侵入されてしまうだろう。
『よし、分かった! 俺も急いでコンビニに帰還するから、それまでなんとか凌いでくれ! コンビニの周囲限定で3人娘達を出撃させて構わない。――ただし、コンビニからは決して離れないようにと3人には伝えてくれ。この辺りには緑魔龍公爵が潜んでいるからな。全員、コンビニの防衛だけに徹するようにして欲しい!」
『了解しました、彼方様! 必ず皆様に注意をするようにお伝え致します!』
『……頼む! それと、そちらの様子はどうだ? 誰か怪我をしたりしているようなメンバーはいるのか?』
俺はコンビニメンバーの中に、誰か犠牲者が出ていないのかが不安で、ティーナにそれを確認してみた。
『今の所、怪我をされた方はおりません。ですが、玉木様が先程の彼方様からのメールを見て、ショックを受けられて。お一人で地下に走っていってしまわれました……』
『玉木が……? そうか、分かった……』
そうだった。クラスメイトのみんなが8人も殺されてしまったという恐ろしい事実を。コンビニにいるみんなも、すぐに受け入れられる訳がないよな……。
特に玉木はクラスの副委員長だし、誰よりもクラスメイトみんなの事を心配していた心の優しい奴だからな。
傷ついた玉木の心のケアも含めて。これ以上、みんなの中から犠牲を出さない為にも、俺は何としてもこの戦いを生き残り。全員をこの世界の運命から救い出すんだと心に強く誓う事にする。
よし、まずは杉田と香苗の2人と合流しないと!
既にグランデイル王国軍は、ゾンビの群れと完全に乱戦状態に突入している。
おそらく杉田や香苗も、きっとこの森林地帯のどこかで戦っているはずだ。もしかしたら倉持や金森といった他の勇者達も、この近くで戦っているのかもしれない。
「よし、アイリーンいくぞ! 杉田達を探し出して、みんなで急いでコンビニに帰るんだ!」
「了解しました、店長!」
俺とアイリーンが、無数に迫り来るゾンビ達を撃退しつつ。グランデイル軍の宿営地の中を進み始めた、その時だった――。
”ポオオオーーーーーーーン!!!”
戦場となっているグランデイル軍の宿営地に――。
後方から、大地を揺るがすような低い法螺貝の音が聞こえてきた。
「何だ!? この音は一体……?」
嫌な予感がして、上空に待機しているドローンの中の一台をスマートウォッチで俺は遠隔操作する。
そして、音が聞こえてきた方角をドローンのカメラで確認すると。
丘の上にグランデイル王国軍とは別の鎧を着た、数万を超える騎士団が2つ。グランデイル軍の宿営地の後方に突然、姿を現していた。
「あれは……まさか? カルツェン王国とカルタロス王国の軍勢なのか?」
どちらも数万を超える騎士の大群が、全員馬に乗ってミランダ領の森林地帯を見下ろすように、丘の上からこちらの様子を伺っている。
『マズイ……!』と、俺が直感した時にはもう全てが手遅れだった。
『『うおおおおおおおおぉぉッーー!!』』
『『突撃いいいいいぃぃぃッ!!! 敵に襲撃されているグランデイル軍を援護するのだーーーッ!!!』』
丘の上に駆けつけたカルツェン王国と、カルタロス王国の軍勢は……。
既にグランデイル王国軍が、緑魔龍公爵の配下の魔物達と乱戦状態に入っていると判断して。全軍で丘から駆け降りるようにして、こちらに向けて突撃を開始する。
俺はその光景をドローンの監視カメラの映像で確認をしながら……絶望する。
「これじゃ、もう……全部、緑魔龍公爵の思うツボじゃないかよ!」
既に緑色の森林地帯の中で、乱戦状態となっているこの戦場に。カルツェン王国とカルタロス王国の軍勢も新たに加わり。
ミランダ領周辺は、地面から無限に出現してくるゾンビ達と、3つの国の騎士団がそれぞれ入り乱れ。全く統制の取れない、大混戦の状態へと突入してしまっていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「シク……シク……シク………」
コンビニの地下階層にある、地下5階の駐車場エリア。
ここには真っ暗な暗闇のスペースに、装甲車1台と戦車2台が置かれている。
天井の電気の照明を付けなければ、暗黒の迷宮にさえ見えてしまう、この薄暗い駐車場の中で。
暗殺者の勇者である、玉木紗希が――たった1人で座り込んでいた。
暗い駐車場の中で明かりもつけずに、1人で嗚咽を漏らしながら、玉木は冷たいコンクリートの床の上に座り込んでいる。
「玉木様、こちらにいらしたのですね……」
1人で座っている玉木のもとに、ゆっくりと後方から近づいてくる人物が現れた。
それはコンビニホテルの支配人である、レイチェルであった。
「あ、レイチェルさん……! どうして、ここが分かったんですか?」
「私はコンビニの地下階層を統べる者です。皆様が地下のどこにいらっしゃるのかは、常に把握しております」
ニッコリと優しい笑顔を向けながら。
ゆっくりと、玉木のそばに近づいて行くレイチェル。
「そうなんですね。私、ここに来ればきっと誰にも見つからないだろうな、って思ったんだけど……。レイチェルさんにはやっぱり、バレてしまっていたんですね」
涙でクチャクチャになった自分の顔を見られて。
玉木は、気恥ずかしさで顔を赤くしながら。その場で『エヘヘ』と照れ笑いを浮かべてみせた。
「玉木様、お友達の皆様がお亡くなりになられた情報は私も聞きました。今はとても心のショックが大きいと思います。立ち直るまで、ここでゆっくりと休まれて構わないのですよ……」
レイチェルは心配そうに、玉木に優しい言葉をかける。
「ううん、レイチェルさん! 私、もう大丈夫です! だって外ではきっと彼方くんも、みんなも戦っているだろうし。私だけここに逃げている訳にはいかないもの! 誰もいない駐車場で思いっきり泣いたから、スッキリしました。私だって、ちゃんとみんなと一緒に戦わないと。死んじゃったみんなに合わせる顔がないもの!」
駐車場の冷たいコンクリートの床で、玉木はスッと立ち上がり。両手でガッツポーズを作って、自分が立ち直った事をレイチェルに向けてアピールする。
「玉木様は、お強いのですね……。でも決して無理はなさらないで下さいね。私も玉木様や皆様の身をお守り出来るように、全力でサポートをさせて頂きますから!」
「うん〜。本当にありがとう、レイチェルさん! 私……本当はすっごく不安だったの。このままもう2度と私達は、元の世界に帰れないんじゃないかな〜って、いつも夢の中でうなされていて。もしかしたら、私だけこの世界に1人で取り残されてしまうような悪夢を、ずっと最近は見てたんです。きっと元の世界では、実家のお姉ちゃんも私の事をすっごく心配しているだろうなって思うし……」
「玉木様には、お姉様がいるのですね。その様子ですと、お姉様とはとても仲が良かったようですね」
「……うん。私のお姉ちゃんは、本当に私の事をすっごく溺愛してるんです〜! だから、ずっと家に帰っていない私の事を凄く心配してると思う。本当はすぐにでも帰って、早く安心させてあげたいんだけど。でも今はこういう状況だし、きっと元の世界の家に帰るのは、難しいんだろうな〜って、もう半ば諦めかけてるんですけど……」
玉木が再び落ち込んだような、暗い表情を見せた。
そんな玉木を元気付ける為に、レイチェルは笑顔で明るい声をかけ続ける。
「――大丈夫ですよ! 玉木様がきっと元の世界に戻れるように。私は、私という存在がこの世界にあり続ける限り。必ず玉木様の力になる事をお約束させて頂きます。ですので、どうかご安心して下さいね!」
玉木の両手をギュッと握るレイチェル。
そして、ピンク色の美しい髪を揺らしながらニッコリと微笑んで見せた。
「うん、ありがとう〜! 約束だよ、レイチェルさん! 私をこの世界に1人ぼっちにしたら、絶対にダメなんだからね〜! ずっとずっと、そばに居続けてくれなきゃ本当にダメなんだからね!」
「ハイ。私を信用して下さい、玉木様。必ずお約束は守らせて頂きます、例え、玉木様がこの世界で一人きりになってしまうような事があっても。私は必ず玉木様の元から離れない事をお約束させて頂きます」
薄暗い駐車場の中で、2人は手を取り合いながら微笑み合う。
すると、突然。玉木が『ゴホッ、ゴホッ……』と、苦しそうに咳き込み始めた。
「玉木様……? 大丈夫ですか?」
「……うん。大丈夫です! 実は私、この駐車場に置いてあるガソリンの臭いがすっごく苦手なの。私の実家の近くには、ガソリンスタンドがあるんだけど。いつもガソリンの臭いが家の近くにまで届いてくるから……。もう、夏場とかは本当に最悪なの。だから、ガソリンの臭いだけは本当に私、嫌いなの〜!」
「そうなんですね……。確かにこの地下駐車場には、ガソリンがいっぱい置いてありますからね」
「うん。だから、私……普段は絶対にここには来ないようにしてたんです〜」
レイチェルに肩を支えられるようにして。玉木はゆっくりとその場で立ち上がる。
そして、そのまま2人は上に上がるためのエレベーターにゆっくりと向かって行った。
すると……。
「……あっ!? 今、私の頭の中で『ピンポーン!』って音が鳴り響いたの! これって確か、レベルアップした時に鳴る音だよね〜? やったぁ〜〜っ! 私、久しぶりにレベルアップ出来たんだ〜!」
「おめでとうございます、玉木様! きっと『暗殺者』としての、新しい能力が増えているのではないでしょうか? すぐにお確かめになられた方が良いですよ!」
「うんうん〜。私、確かめてみる〜! え〜と、なになに〜! 新しい能力は、『陽炎』の能力だって! 能力の発動中は外見が空気と混ざり合い、黒い影を身にまとったような状態になって、他者から気付かれにくい蜃気楼のような存在になれるんだって! 何だか凄〜〜い! 本物の暗殺者っぽい〜!」
今までずっとレベルが2のままで成長が止まっていた玉木は、久しぶりのレベルアップが嬉しくて小躍りするように、その場ではしゃいでみせる。
そんな、玉木の嬉しそうな姿を……。
コンビニホテルの『支配人』であるレイチェルは、まるで自分の娘を見守る母親のように。いつまでも温かくその場で、微笑みながら見つめているのであった。
願わくば、玉木の未来が明るく楽しいものでありますように……。
そして、決してこの寂しい世界に。
たった1人だけで取り残されてしまうような未来が、起こりませんように……と。レイチェルは心から、玉木の幸せな未来を願うのだった。