第八十四話 魔王遺物
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大陸の南部に位置する、国境を巨大な山脈に覆われた広大な領土を持つ大国――『バーディア帝国』。
魔王領に近い西方3ヶ国連合とは違い。バーディア帝国は直接魔王軍から攻撃される事がほとんど無い。
それは国境付近にある巨大な山脈が、ちょうど魔王軍に対する防壁の役割をこなしている為である。
100年間に渡る現在の魔王との戦いにおいても、帝国は西方3ヶ国連合に対して経済的な支援を行うのみで、直接的な戦闘には参加をせず。遠くから静観をしているだけの状態が長い間続いていた。
帝国領の内部は、魔物達からの攻撃を受ける頻度が少ない為、商業都市が栄えている。
主に西方3ヶ国への軍事物資の輸出によって、経済が順調に発展してきたからだ。
また、帝国内部の都市では――東のグランデイル王国や、カディナ自治領を始めとする、多くの商業都市との物流も盛んであった。
そんな世界各国が魔王軍との戦争中であっても、栄華を極めていたバーディア帝国の宮殿の内部では――。
今、東の大国であるグランデイル王国から要請のあった、『ミランダ領への遠征計画』についての議論が行われている。
「――陛下! グランデイル王国の女王、クルセイスの呼びかけに応じ。我が国もミランダ領への遠征に参加するというのは、本当なのですか?」
臣下の大臣達にそう問いかけられた、巨大な玉座に座る若い女性がニヤリと笑った。
そこは赤絨毯の敷かれた、宮殿内にある広大な謁見の間だった。
豪華な玉座に座る若い女性は、その場に居並ぶ重臣達に向け。空気が震える程の大声を上げて宣言する。
「――そうだ! 我が帝国は遠征軍を率いてミランダ領へと進軍する。そこで西方3ヶ国連合や、東のグランデイル王国に対して、バーディア帝国精鋭軍の力を見せつけてやるのだ!」
そう発言をしたのは、バーディア帝国の若き女皇帝。
ミズガルド・フォン・バーディアである。
第31代目のバーディア帝国皇帝であるミズガルドは、まだ27歳という若き年齢で、バーディア帝国の皇帝の座についた血気盛んな女帝であった。
赤く燃えるような髪の色に、鋭い真紅の瞳。
まるで女海賊の首領を思わせるような、野性味のある顔つき。
若き女皇帝は、その性格の横暴さや独断専行ぶりも外見と全く違わず……。周辺の国々からは、『バーディアの女海賊』と噂される程の悪評を持っていた。
「……しかし、陛下! こたびの遠征はあのグランデイル王国が、直接指揮をしていると聞いていますぞ? そこに今から我ら帝国軍が参加をしたとしても。その功績は、かの若いクルセイス女王に全て奪われてしまうのではありませんか?」
「そうですぞ! グランデイルは異世界の勇者召喚に成功した東の大国です。かの国には、現在も多数の異世界の勇者が在籍しているはずです。その勇者達を使って魔王軍との戦いで華々しい戦果を挙げ、自国の功績を誇ろうとするに違いありません。そのようなグランデイル王国主導の遠征に、なぜ我らが参加する必要がありましょうか?」
バーディア帝国は長きに渡り、魔王軍との戦争には静観の立ち位置を決め込んでいた。
大陸の南部に位置する立地の有利さを活かし。直接魔王軍とは戦わずに、前線の国々に商業的な支援を後方から行う事で、莫大な富と財産を築き上げてきたのだ。
帝国の国境付近に、魔王軍が接近して来るような緊急事態でもない限り。バーディア帝国は常に、魔物との戦いにおいて動く事はない。
その不動の政治スタンスを、おおよそ100年近くも取り続けてきた。
それが、今回に限って――その有利さを自ら捨てて。帝国の精鋭軍、約7万人もの大兵力を動員し。西方3ヶ国連合やグランデイル王国の軍と共に戦う為に、遥か遠い西のミランダ領へと軍を派遣するというのだ。
皇帝のあまりに突然の決断に、帝国に使える臣下の者達が、ザワザワとざわめくのも仕方のない事であった。
「……貴様らこそ何を言っているのだ? こたびの戦いにおいて、あのグランデイルの小娘が大手柄を立ててしまったら。我がバーディア帝国は魔王軍との戦いにおいて、何も功績を残す事なく戦争が終わってしまうではないか。それではバーディア帝国は臆病者の国だったと、後世の歴史家達に笑いの種にされてしまうぞ!」
女帝ミズガルドは、周囲に居並ぶ臣下の者達を……鋭く威圧するかのように睨みつける。
そして拳を振り上げて、再び大きな叫び声をあげた。
「しかも話によるとグランデイル王国は、魔王軍の4魔龍公爵の1人を打ち倒したというではないか! つまり既に魔王軍との戦いは終盤戦に向かっているのだ。ここで我が帝国が手をこまねいていては、魔王を倒したという功績を全てグランデイルの小娘に奪われてしまうのだぞ!」
苛烈なミズガルドの性格を知っている家臣達は、誰もそれ以上、皇帝に対して意見する事は出来ない。
仮にもし、ここで激昂した皇帝に口を挟むような事をすれば……。その者は、即刻帝国から追放されてしまうか、あるいはその場で極刑に処されてしまう事だってあり得るかもしれない。
それ程に、皇帝に逆らうと言う事は……帝国内においては絶対に許されるざる不可侵な行為であった。
皇帝の怒鳴り声によって、シーンと静まり返る謁見の間に集う人々。誰もが顔を下に向けて、皇帝と目を合わそうとはしなかった。
その様子を満足気に眺めたミズガルドは、勝ち誇ったように笑みを浮かべる。
「フフ……では決定のようだな。我がバーディア帝国はミランダ領への遠征に参加する。帝国の精鋭軍7万を持って、遥か遠い魔王領の最深部にまで侵攻を開始しようではないか。そして、大陸の西部にまで我がバーディア帝国軍の威信を見せつけてやるのだ!」
皇帝の宣言に、謁見の間に集う臣下の者達が一斉に服従の意を示して頭を下げていく。
若き皇帝の前に、もはや反対の意を唱えるものは、この場には1人もいなかった。
「――ふむ、これで良かろう? 枢機卿殿」
皇帝ミズガルドは、自身が座る巨大な玉座の隣に立つ、黒い影を身にまとった黒髪の女性に声をかけた。
その女性は、女神教の重鎮である黒いローブをまとった女性、枢機卿であった。
「………はい。バーディア帝国の精鋭軍が参加して頂ければ、グランデイル王国軍と共に、魔王軍を壊滅まで追い込む事も可能となるでしょう。それは、全ては女神アスティア様の御心に叶う事なのです」
大陸の南部に古くから栄えるバーディア帝国は、女神教の信仰が厚い国でもある。
太古の昔から、帝国と女神教との結びつきはとても強かった。
今回も、魔王軍との戦争には消極的だった帝国に強く援軍の要請を働きかけたのは――女神教の大幹部たる枢機卿の影響があったからと言われている。
「ハッハッハ、それは実に良き事だ! 帝国にとっても女神教の枢機卿殿にはお世話になっているからな! なにしろ今回は、枢機卿殿から貴重な情報を頂いたお陰で、帝国が長きに渡って保管し続けてきた、あの『魔王遺物』の封印を解く事が出来たのだ。今回の遠征はちょうど良い、そのお披露目の場となるであろう。世界中の国々も、我が帝国が持つ巨大な武力の前に、皆一斉に平伏す事になるであろうからな」
ミズガルドは大きな声で笑い、謁見の間に再びその声を響かせた。
女神教の枢機卿は、だだじっと……その隣に無言で立っている。
今回の遠征には、南のバーディア帝国にも参加してもらう必要があった。
その為、女神教の枢機卿は帝国が長い間地下に保管をし続けていた『魔王遺物』の封印を解く為の知識を……。今回、特別に帝国に教える事を条件に。帝国軍の遠征への参加を強引に決めさせたのである。
『魔王遺物』とは――太古の昔、この世界全てを支配したとされる大魔王や、その他の魔王達が滅亡後も、この世界に残した遺産とされている物である。
「しかし、まさか……あのような臭い匂いの液体を用いるだけで。眠っていた魔王遺物を、再び動かす事が出来るとは思わなかったぞ! それもあの魔王の谷の底に、その液体が大量に眠っていたとはな。――いや、さすがは枢機卿殿だ! 我ら帝国が遥か昔から保管を続けてきた物を、まさかこの時代に蘇らせる事が出来るとは思わなかった。やはり女神教は、計り知れない程の深い知識に精通しておるのだな」
若き皇帝に褒められた枢機卿は、その黒い影の中で表情一つ変える事なく、小さく返事をする。
「………遠い昔の知識です。私もかつては、あの魔王遺物と戦い、多くの仲間を失った事もありました。その時に、あれらがどのような仕組みで動いているのかを学ぶ機会もあったというだけなのです」
「――ん? それは、どういう意味なのだ? 枢機卿殿は、遠い昔にこの世界で暴れたという太古の大魔王の事をよく知っているという事なのか?」
ミズガルドは、枢機卿の言葉に疑問を抱く。
遠い昔にこの世界全てを支配したという、伝説の大魔王。その魔王が用いた兵器の一部が、帝国の地下では古くから封印されてきた。
だが、眠っているそれらの『魔王遺物』は、決して誰にも動かす事が出来なかった。
数千年前にもなる、過去の歴史の事を知る者など――今の時代には、誰1人として残っていなかったからだ。
その伝説の大魔王の事を、枢機卿はまるで直接見て知っているかのように話していると、ミズガルドには感じられたからだ。
「………いいえ。お気になさらないで下さい、陛下。女神アスティア様の下には、世界中から沢山の知識が集まってきます。私はその中の一部を、単に知っていただけという事にすぎませんから」
ミズガルドは、少しだけ枢機卿の事を不思議そうな目で見つめていたが……。
やがてすぐに、改めて臣下の者達へと命令を下した。
この日、バーディア帝国皇帝の命令で。帝国軍の精鋭軍のミランダ領遠征への参加が決定された。
赤髪の若き帝国の女帝、ミズガルドが直接率いる帝国軍の最精鋭の人数は7万人。
そして、数千年の長きに渡って帝国の地下に封印をされていた『魔王遺物』が、今回のミランダ領への遠征に初めて使用される事となった。
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「……枢機卿様。あの魔王遺物を帝国などに使用させてしまって、本当によろしかったのでしょうか?」
黒い影をまとう枢機卿の周りに。同じく黒いローブを身にまとった複数の女性達が、周囲に集まっている。
枢機卿は現在、バーディア帝国の帝都の客間に滞在をしている。
賓客を持てなす際に使われている、ゲストハウスの豪華な客室の中で静かに椅子に腰掛けていた。
「あの『魔王遺物』は、帝国の皇帝に使わせるには、あまりに手に余る強力な兵器です。ですが………今回はこれで良いのです。コンビニの勇者に緑魔龍公爵を倒してもらう。そしてその後に、世界各国の騎士達が集う場所で我々が魔王遺物を操り、コンビニの勇者を抹殺します。魔王軍に残された戦力は、もはや黒魔龍公爵のみ。姿を消した紫魔龍公爵は、あの者の内向的な性格から自害をして果てたと我々は判断しました」
「なるほど。黒魔龍公爵のみであれば、我らの戦力のみでも倒せるとのご判断なのですね」
「………ええ。コンビニの勇者は早急に始末をした方が良いと判断しました。彼に魔王退治をさせてからでは、遅いのです。今回、ミランダの地で一気に全てを終わらせてしまいましょう」
黒い影に包まれた枢機卿は、静かに語る。
クルセイスを操り、世界各国の軍団を結集させた女神教は今回――。南の大国であるバーディア帝国をも動かし、魔王軍とコンビニの勇者の両勢力を、一気に滅ぼそうとしていた。
「それにしても、枢機卿様。帝国の地下に眠る無数の魔王遺物の封印を解いた、あの『不思議な液体』は一体、何なのでしょう? 今まで誰も入る事の出来なかった『魔王の谷』の底でそれを見つけたとの事でしたが?」
かつて、コンビニの勇者である秋ノ瀬彼方によって、魔王の谷の封印は解かれていた。
その為、今では誰もが谷底に降りる事が出来るようになっていたのである。
女神教徒達は、その魔王の谷の底で。封印されていた魔王遺物を動かす事の出来る、不思議な液体を大量に発見していたのだ。
「………別にあの『魔王遺物』は、封印されていた訳ではないのです」
「枢機卿様? それは一体どういう事なのでしょう?」
「魔王遺物を操る事のできる液体。あれは『ガソリン』と呼ばれている物です。この世界では馴染みのない物ですが、私はあの匂いがあまり好きではありませんでした。遠い昔、私の家の近くには『ガソリンスタンド』があって。私はいつも、あの強烈な匂いに頭を悩まされていましたからね………」
「枢機卿様?? 仰っている事の意味が、私達には分かりませんが……」
枢機卿の話す内容が分からない部下達は、その場で何度も瞬きを繰り返す。
「………良いのです。あなた達には分からずとも良いのです。遠い昔、今はもう帰る事の出来ない懐かしい土地での思い出なのです。きっと黒魔龍公爵を倒し、動物園の魔王を仕留められれば。私達の悲願は、きっと達成されるでしょうから………」
黒い影に包まれた枢機卿は、そのまま静かに顔を上げて天井を見つめる。
そしてその後は、何も部下達に語ることはなかった。




