第八話 魔物の襲撃
「ハイハイ~! こちらは異世界の森を探索中のコンビニの勇者で~す! まだ異世界生活約1ヶ月の新米ですが、なんと今は森で迷子になっていま~す!」
……えっ、当然ですよね?
だって森の地図なんて持ってないし。
そもそも、明りも何も持ってないですしね!
異世界の森の中を、深夜に1人で歩き回るなんて自殺行為ですよね~。まったく、有り得ないくらいにデンジャラスな状況ですよね~!
「ハ〜イ。では現場からのリポートはいったん終了してスタジオにお返ししまーす。スタジオの◯◯アナ〜? 後の進行はお任せしますね〜〜……!」
……………。
「――ハァ……」
いやさぁ……。
孤独なぼっち勇者の、痛い悪ふざけはこれくらいにしておくけどさ。
俺……今、割と真面目に困っているんだよ。
強盗犯だの、強姦魔だの、勝手な冤罪をいっぱい押し付けられて。
極悪犯罪者扱いで、グランデイル王国を追放されてしまうし。おまけに有り難い事に『無能の勇者』の称号まで、もれなくゲットしちゃうし。
さっきから、俺はとぼとぼと薄暗い森の中を1人で彷徨っている訳なんだけどさ。
「この森、明かりが全然無いし。マジで暗過ぎるだろ……」
辺り一面、全てが真っ暗。見渡す限り広がっているのは無限の闇。
これじゃあ本当に、何にも見えないって。
田舎のばあちゃん家の周りにある田んぼだって、これよりかはまだマシな方だった気がするな。
まあ、まだ時刻は深夜の4時くらいだし――。
日の出の時間までは、まだもう少しあるからな。しょうがないと言えば、しょうがないんだけどさ。
ざっと見渡す限り、周囲の視界に明かりと呼べるようなものは全くと言っていい程何も無い。道を照らす街灯だとか、自動販売機の明かりだとか、そんな便利なものは一切無い。
完全に夜の闇に支配された、暗黒の森の中。
一寸先の視界も、わずかな明かりも、未来への希望も。今の俺には全く見えてこないな。
おまけにこの森……。
そこら辺に生えている木の高さがマジで半端ない。
高過ぎる木の枝が、夜空を全部隠してしまうから。月明かりだって地面には届かない。つまりは今、俺は自分の歩いている方向が全く分からない状態だ。
「こんなの、俺に迷子になれって言っているようなものだろ?」
何でこの世界は、コンビニの勇者に対してこんなにも冷たいんだよ?
コンビニに何か恨みでもあるのかよ?
店員が箸を入れ忘れたとか、ストローが入ってなかったとか、注文したおでんに、だし汁をあまり入れてもらえなかったとかさ。
もしそれくらいの事で勝手に逆恨みしてるんなら、それは俺のせいじゃないから勘弁して欲しいんだが……。
こんな真夜中に、魔物がひしめく森の中を1人で歩き回るのが自殺行為だって、異世界初心者の俺にだって流石に分かるぞ。
俺だって、帰れるのなら後方にあるグランデイルの街の中に、今すぐにでも戻りたいさ。
でも、今や俺はグランデイル王国の重犯罪人だ。
もし兵隊に見つかったら、すぐにでも火あぶりにされかねない永久追放人の身分だし。
戻ってきたら極刑にするぞって、女王のクルセイスさんも散々脅してきたしな。
それを思うと……多少怖くても、この原生林のような樹海の更に奥へ奥へと、俺は意地でも前へ進んで行かないといけない状況って事か。
ハァ……。
まったく、溜息しか出てこないな。
もう、街を追い出されてから、一体どれくらい歩いたんだろう?
もしかしたら、まだほんの20分くらいなのかもしれない。
……でも、俺はもう完全に降参だった。
決して暗闇が怖いから、ってだけじゃないぞ。
どうやら俺は、何者かにつけられているらしい物音を、今……。背後に感じているからだ。
――ガサガサ。ゴソゴソ。
俺を尾行している追跡者は、気配を全く隠す気もないらしいな。
この様子だと、どうやらこれは人間の気配ではなさそうだ。
いくらなんでも、物音を立て過ぎている。ガサガサって音が何度も聞こえてくるし。パキポキと枝を踏みつける音だって普通に丸聞こえだ。
これはどうやら、噂の魔物とやらがおいでなさったのかもしれない。
俺は、すかさず目の前に『コンビニ』を出現させる。
急いで店の中に入り、自動ドアが開かないようガラス戸をしっかりと施錠。そのまま奥の事務所に駆け込み、すぐにパソコンを起動した。
モニターに表示されている監視カメラの映像を見ながら、俺はコンビニの外の様子を探る。
「うおおおっ!! 来てる、めっちゃ来てるぞ!!」
モニターに映し出された魔物の姿は――。
一言で表現するとしたら、それは黒い狼だった。
その体には分厚い筋肉が付き、瞳の色は暗闇の中でもしっかりと分かる程に、真っ赤に光り輝いている。
頭の先には2本の短い角。全身は真っ黒な毛並みに覆われていて、体を覆っている黒い毛先の一本一本がかなり長い。その見た目は、黒い毛むくじゃらな毛玉の塊のような姿にも見える。
コンビニの明りに照らし出された黒い狼達の姿は、いかにも肉食獣というオーラが全身から漂っていた。
「1、2、3、4…5…6……7………。おい、全部で7匹もいるじゃないかよ!」
漆黒の闇に包まれた森の中。
その中で、眩いばかりの明るさを放っているコンビニの照明。
その異質な光源に吸い寄せられるようにして、黒い魔物達が合計で7匹もコンビニの入り口前に集まって来ていた。
「こいつはまずいぞ! いったん明りは消した方がいいかもしれないな。ええっと。このコンビニ、電気を消すスイッチはどこに付いているんだ……?」
集まってきた魔物達は、コンビニの明りに群がっているのだと感じ。俺は慌てて店内の照明を消すスイッチを探した。
……だが、何故かそれを見つける事が出来なかった。
グランデイルの街にいた時は、俺はいつも街の隅っこにコンビニを出していたからな。
だから夜でも周囲に気を使う事は無かったし。店内の明りを消そうと思った事は、今まで一度もなかった。
だからこのコンビニに、実は消灯スイッチが付いていないという事実に、俺は今まで全然気付けなかった。
「オイオイオイ! 明りが消せないコンビニなんてあるのかよ? いや、たしかに24時間営業だからいつも店内は明るいけどさ。さすがに消灯スイッチくらいは普通、どこかに付いているものだろ……?」
俺は必死に事務所の中を探し続けた。
とりあえず今は魔物に囲まれて大ピンチなんだ。ここはボケとか、ど忘れとか、うっかりスキルなんて必要ない。何としてでも消灯スイッチを見つけ出さないと!
だが、無い……。
本当にスイッチを見つける事が出来なかった。
「おいおい。マジかよ……」
このコンビニ。
照明を消すスイッチが付いてないのかよ。
これって、実際のコンビニもそうだったりするのか? いや、流石にそれはないだろう。一度つけたらつけっ放しで、二度と消せない照明なんて存在する訳がない。そんなのは構造的な欠陥じゃないか。
多分、俺のこのコンビニにだけ……。
消灯スイッチは付いていなかったらしい。
理由は全く分からん。しいて言うなら、単に俺に対しての嫌がらせじゃないのか?
もしゲームマスターみたいな運営が何処かにいるとしたら。今回の森のイベントでは、その方が盛り上がるだろうとか。
そんな悪趣味な嗜好も凝らしてみました『てへっ☆』とかさ。それ以外の理由が全く思い浮かばんぞ。
そうこうしているうちに、監視カメラの映像に映る魔物の数は、いつの間にか20匹を越えていた。
群れを成す黒い毛むくじゃらの魔物達。その数は時間が経てば経つほどに増えていく。
コンビニ正面のガラス戸には、鋭い牙を見せびらかすように大口を開けた狼達が、無数に集まってきていた。
「もう、こいつは消灯スイッチを探すどころじゃないな……」
何ていうか、本当にヤバイ状況だ。絶体絶命の大ピンチと言ってもいい。
そして案の定というか、この場合はお約束とも言うべきなのか……。
黒い魔物達は、コンビニ正面のガラス戸に向けて、一斉に体当たりを開始し始めた。
それも20匹を越える大群での総当たり攻撃でだ!
”ドドーーーーン!!!”
強烈な一撃が決まり、コンビニの正面ガラスが哀れな悲鳴を上げる。
ガラス戸には次々と亀裂が入り、音を立ててその表面がひび割れていく。
これじゃあ、もう……後1分だって持ち堪える事は出来ないぞ。
俺は事務所の白い木製ドアに鍵をかけ。近くに置いてあった机をドアの前に移動させた。
付け焼き刃かもしれないが、少しでも補強しておかないとな。もし正面のガラス戸が破られたなら、俺が隠れていられる場所はもう、この事務所の中しかない。
外のガラス戸と、事務所の木製ドアとではどっちの方が強度が上なんだ? 全く分からん。だけど、もしこの白いドアが破られたなら俺の命はここで終わりだ。
無能な勇者の俺には、あんな無数の魔物達と果敢に戦う術なんて、何も持って無いんだからな。
ガシャーーーン!!!
とうとう、コンビニのガラス戸が叩き割られる。
割れたガラスが砕け散る、大きな音が店内の奥にまで鳴り響いてきた。
すかさず、もの凄い勢いで黒い魔物達が店内に侵入してくる。
監視カメラの映像には、黒い獣達が店内を自由に闊歩している姿がライブ映像で映し出された。
「くっそ……。ふざけんなよっ! こんな所で絶対にくたばってたまるかよ……!」
何が楽しくて、異世界で魔物に食い殺されるモブキャラ第一号になってやらなきゃいけないんだ!
アニメだとエンドロールに名前も乗らない、クラスメイトAとかって表記される悲しい役柄じゃないかよ。俺はそんなの真っ平ゴメンだからな!
息を殺して、俺はその場でじっと体を動かさないように静止する。
魔物達が音を探知して迫ってきているのか、匂いを嗅ぎ別けてこちらに迫ってきているのかは分からない。
もし後者だったのなら、流石にもうお手上げだ。
とにかくここは、絶対に動いちゃダメだ!
店内にいる魔物達に、奥で隠れている俺の存在がバレないようにしないと。
静かに監視カメラに映る映像だけを注視する。俺はその場にじっと耐えている事しか出来ない。
冷や汗が、額を静かに伝っていく。
極限の緊張感に耐えられず、全身に寒気と震えが同時に襲ってきた。身震いが止まらない。奥歯がガタガタと震える。心臓の鼓動が激しく脈打ち。高鳴りを抑えられない。
そっか……。まあ、それはそうだよな。
俺って今、命を失うかもしれない瀬戸際に立たされているんだな。
異世界にきて約1ヶ月。
安全なコンビニの中に篭っていたはずなのに、どうしてこんな事になってしまったんだろう。
モニターに映し出されている黒い獣達は、獲物を探すように店内をゆっくりと徘徊し始めている。
やがてその内の1匹が、商品陳列棚に並んでいる鮭おにぎりに気付いたらしい。
その魔物が鮭おにぎりに食らいつく。それを見た周囲の魔物達も、一斉におにぎりにかじり付き始めた。
グシャグシャグシャ。ハグハグハグ。
(うわぁ~。アイツ等……。透明の包装袋も取らずに、そのまま鮭おにぎりを食らってやがる)
魔物達のお目当ては、どうやら鮭おにぎりの中に入っている具の『焼き鮭』らしい。
やはり肉食なのか、昆布おにぎりの方には目もくれない。匂いか何かで、それを判断したのだろうか?
だとしたら、俺がここにいるのも嗅覚でバレたりするんじゃないのかな?
ガツガツガツガツ――!!
黒い毛玉の群れが、一斉に鮭おにぎりにがっつく光景は、なんともおぞましい。
獲物に群がるピラニアの群れのような凶暴さだ。
アマゾン川に落ちた草食動物が、無残に食い荒らされていく光景に似ているかもしれない。
俺はその光景がただただ、恐ろしかった。
もし、あいつらに襲われたりしたら……。
それこそ俺の体なんて、フライドチキンのように骨の髄まで綺麗にしゃぶり尽くされて、跡形もなくなってしまうんじゃないのか?
(くっそ! そのまま鮭おにぎりだけ食べて、とっとと外に出て行ってくれよ……!)
俺は息を殺しながら、監視カメラの映像を凝視し続けた。
だが、ここで俺は1つミスを犯してしまう――。
店内の隅の状況も確認してみようと、監視カメラの角度を変える為に、パソコンのマウスに手を伸ばしたのがマズかった。
――ガチャーーン!!
机の上の不安定な位置に置かれていたマウス。
それが俺の伸ばした手の甲に当たり、大きな音を立てて床に落ちてしまった。
(しまったッ……!!)
店内の黒い獣達は、事務所の中から聞こえてきた異音に、一斉に反応する。
口にしていた鮭おにぎりを吐き出すと、ゆっくりとこちらに向けて近寄ってきた。
(おいおい……! クソ、クソッ! マジで笑えねーぞ、これはッ!!)
俺は息を完全に止める。
心臓の鼓動さえも止めるつもりで、体をじっと静止させる。
ひたすら神様、仏様に祈りを捧げながら、置物の地蔵のように体を硬直させる。まさに祈るようにして、その場でじっと恐怖に耐え続けるしかない。
だけど、俺がこの異世界に来てから今の今まで。
俺の祈りが通じた事なんて、実は一度もなかったんだよな。
しょぼいスキルじゃありませんように、と祈ったら『コンビニ』の能力が当たってしまうし。
ただ静かに街で引き篭もっていただけなのに、クラスの中で『俺だけ』が追放されて、街の外に放り出されてしまうし。
今回だってそうだ……。
異世界の現実は、いつだって俺に対してだけ薄情過ぎる。
”ドーーーーーン!!!”
黒い魔物達が、一斉に俺の隠れている事務所のドアに体当たりをしてきやがった。
ミシミシと亀裂が刻まれ、悲鳴をあげる白いドア。
魔物達がドアに体当たりをするたびに、すさまじい轟音が部屋の中に何度も鳴り響いてくる。
「もうやめてくれよッ! なぁ、頼むよ!! 俺、絶対に美味しくなんて無いからさ! お願いだからやめてくれよッ!」
ちくしょう!! 何だって、俺だけこんな目に遭わなきゃいけないんだ。ふざけんなよ!!
俺は必死で事務所のドアを両手で押さえ続ける。
手先が震えて、痙攣を起こし始めている。
全身の穴という穴から、湧き出るようにして大量の汗が溢れ出てくる。
心拍数も急上昇して、完全に過呼吸状態になっているのが分かる。
このたった1枚のドアの壁が、今は俺の『生と死』を分ける最後の境界線だ。
これが突破されたら、俺はあの黒い獣達に骨の髄までしゃぶり尽くされて、晴れて立派な白骨死体の仲間入りをしてしまう。
――アレ? そっか。今時は白骨のアンデッドになってからが本番の異世界小説とかもあったりするよな。
って、バーカ!!
俺はそんな展開は今は全然求めてないからな。
そういうのは、別のネット小説の中でやってくれよ!
ドーーーン!!!
ドーーーン!!!
「くそくそくそ、くそおおおおおぉぉーーーっ! もう止めてくれよおおおおぉーーっ!!」
あれ、なんか汗かと思ったら涙も出てきたぞ。
正直、俺……今……。無性に母さんに会いたい。
泣きながら飛びついて、笑顔で抱きしめられたい。
こんな異世界で、誰にも気付かれずに1人で孤独に死んでいくなんて……。
「くそっ! 何か、何かないのかよ!! コンビニの能力って、本当にコレだけなのかよ!」
金森の能力、『水妖術師』みたいに、大量の水が出せたなら。こんな黒い魔物の群れなんて、一気に押し流すことが出来ただろうに!
杉田の能力、『火炎術師』みたいに炎が出せたなら、黒い魔物達を一気に焼き尽くす事だって出来たろうに!
それなのに、それなのに……。
何で、何で俺には……。
「『コンビニの勇者』には、何も戦う能力が無いんだよおおおぉ――!!」
クソっ!
今更、泣き叫んでも何も始まらないか。
俺はドアを両手で押さえながら、必死に辺りを見渡してみる。
ここで喚いたって誰も助けにはきてはくれない。
ネット小説特有のご都合主義なんて、ここでは決して起きないらしい。それを俺はイヤという程に理解したんだ。
ならば事務所の中に、まだ何か使えそうなモノがないかを探すんだ。武器とか、そういった類のモノでなくても別にいい。
何かそう――この瞬間に、俺の身を守ることが出来る物なら何でもいい!
その為に有用な物ならば、俺は何だって使うぞ! 別に格好良いアイテムじゃなくたって構わない。
床に吐き捨てられたガムだろうと。汚いトイレットペーパーの切れ端だろうと。俺の命が助かるのなら、何だって使ってやるさ!
すると――。
必死に室内を見回す俺の目に、事務所の奥に置いてあったあるモノが映った。
現実世界ではよく見慣れたその特徴的な形。学校やスーパーにだって必ず置いてある。お馴染みの赤い物体。
「あれは――そうか、消火器か! よし、アレなら何とか使えるかもしれないぞ!」
俺は急いで部屋の奥にあった消火器を手に取った。
元の世界では一度も使った事なんてなかったけどな。
でも、使い方くらいはなんとなくだけど俺にも分かる。今は説明書なんて見ているヒマは無い。ここはぶっつけ本番で成功させるしかない!
「多分、この黄色いピンみたいのを外せばいいんだろ? ――よし、いくぜッ!!」
事務所のドアの下には、ほんの僅かだが小さな隙間が空いている。
俺はその小さな隙間に消火器のホースの先端、ノズル部分を滑り込ませる。
「この黒豚野郎共っ! これでも、食らいやがれええぇえええええっ!!!」
””ブシューーーーーーッ!!””
消火器の白い粉塵が、ノズルから勢いよく放たれた。
ドアの向こうで、キャンキャンと悲鳴のような鳴き声が複数聞こえてくる。
その様子で、消火器攻撃に効果があった事が室内からでも確認出来た。
後ろのパソコンに表示されている監視カメラの映像には、魔物達が白い粉塵を正面からまともに浴びた姿が映っている。咽返すように苦しみ、その場で暴れながらじりじりと後退している。
「よし……いいぞ!! そのままどこかに行っちまえよッ! オラオラああああぁぁッッ!!」
俺はノズルを掴む手に力を入れて、連続で何度も消火器の粉塵を発射し続ける。
どうだ苦しいか?
白い粉を浴び続けるのはつらいか?
「……ならそのまま、もがき苦しんで窒息死しちまえよ――ッ!! オラああぁぁっ!!」
しばらくすると、ドアの向こう側から魔物達の音がピタリと聞こえなくなった。
俺は消火器のレバーを掴むのをいったん止める。
ドアに耳を当てて、しばらく店内の様子を窺ってみる。
すると――。
ドアに向けて。
先程よりも、更に強烈な勢いを加えて。
再び黒い魔物達が、一斉に体当たり攻撃を決行してきた。
”ズドドーーーン!!!”
その再度の衝撃が、かなり強烈だったのか。
木製の白いドアの上部分には、無数の亀裂が刻み込まれる。きっとあと数回も突撃されたなら、完全にこのドアは崩壊してしまうだろう。
「くっそ……! お前等いい加減にしろよな! こっちにもう来んなよ! どこかに行っちまえよ!!」
俺は再び消火器のレバーを全開で握りしめる。
勢いよく噴射された白い粉塵が、もう一度ドア前に押し寄せて来ていた魔物達を一斉に押し返していく。
『ブギィィィーーィ!! グギュゥゥゥー!!』
鳴り響く魔物達の咆哮と、呻き声。
「ざまあああみやがれえええッ! 調子に乗って、またこっちに来ようとするからだ! このまま、お前等を白い粉まみれにしてやるからな。覚悟しやがれよッ!!」
俺は消火器のレバーを力強く握り続ける。
そのまま黒い魔物達を一気に蹴散らそうとした――その時だった。
プシュゥ――……。
なんとも情けない音が、消化器のノズルからこぼれ出る。
「えっ? お、おい……! いきなりどうしたんだよ!?」
突然、消火器からは白い粉が何も出なくなった。
「――ハアっ? 何だよコレ、不良品か!?」
いやいや、このタイミングで止まったらダメじゃんか。おいおい、マジで勘弁してくれよ……!
俺は何度レバーを強く握り締める。
だが、粉塵はもう何も出てこなかった。パスパス……って空気が漏れるような音しか聞こえてこない。
これって、もしかしてアレなのか?
もう白い粉を全部使い切って、中身がスッカラカンになっちゃったとか?
「えええっ――!? 消火器ってこんなに早く中身が無くなるのかよ? だって俺、全部でまだ30秒くらいしか使ってないんだぞ!? おい、ふざけんなよ! こっちは命がかかってるんだって!!」
消火器なんて、たしかに俺は元の世界では一度も使ったことは無かったけどさ。こんなにも一瞬で、中身が無くなってしまうものだったのかよ。
俺は必死にレバーを握り続けてみたが、全然駄目だ。
すかしっ屁くらいの残りカスさえ、もう出てきやしない。
どうやら消火器は、元々こういうものだったらしいな。
下の赤いタンクみないな部分がけっこう大きいから。もっと5~6分くらいは、白い粉を出し続けられるものだと俺は勝手に思っていたよ……。
「あっはっはッ………!」
チーン!
ハイ、俺終了~~!
これでもう、本当に万事休すだ。
完全な詰みって奴だ。
もう俺に抵抗の手段なんて、何も残っちゃいない。
後は骨の髄までアイツ等にしゃぶられて、肉片一つ残らない綺麗な骸骨にして貰うだけだ。
生命の循環。食物連鎖。弱肉強食。弱い生き物は強い生き物に食われる、ただそれだけのことだ。
別に俺だけが特別って訳じゃない。
そんなこと言ったら、俺が毎日食べてた鮭おにぎりの具の『鮭』だって、俺なんかには食われたくなかったろうしな。
「あっはっは。本当に俺が異世界で一番最初の脱落者になっちまうのかよ……。異世界でチート無双どころか、最初に魔物に食われて死ぬなんて。マジで俺ってただのモブキャラ第一号だったんだな……」
おまけに俺がここで死んだ事は、きっとクラスの連中の誰にも伝わらないだろう。
そもそもこんな森に俺が1人でいるなんて、誰も思いもしないだろうしな。
人知れず、誰にも気付かれることもなく。
コンビニの勇者は異世界の森の中で行方不明となる。
あーあ……。
一度くらいは、異世界で無双してみたかったぜ。
今更ながらに、何とも言えないような後悔が胸に込み上げてきた。
俺はこんな所で死んでしまうけれど……。
両親には本当に申し訳なかったと思う。元の世界じゃ親孝行の一つもしてやれなかったな。
まあ、俺が死んだ所で他に悲しむ人間なんているのかな……?
「そういえば、玉木には妹想いのお姉ちゃんがいるって言ってたっけな……」
こんな土壇場で、何で俺は玉木の事なんて考えてるんだろう? コンビニから逃がした玉木の顔が突然、俺の脳裏に浮かんできた。アイツ、ちゃんと無事に逃げれたのかな?
それとも、アイツは……。玉木だけは……。
俺がここで死んだと後で知ったら。
泣いてくれたり、するのだろうか?
最後に見た玉木の泣き顔を思い出して。
……ふと、そんなことを考えてしまった。
別に恋人でも、お互いの家に遊びにいくような親しい仲でも何でもないのにな。
どうして俺は玉木のことなんて、死ぬ直前で思い出しちまったんだろうな。不思議だよな。でも、そっか。そういえば、中学の時はよく一緒に遊んでたりもしたっけな……。
「ハァ〜〜。生きたまま肉をかじられるのって、きっと痛いんだろうなぁ。だって意識がハッキリしている状態で食われるんだものな……」
ゾンビ映画とかだと、割とよく見る定番の光景ではあるけどさ。実際に今から俺がそういう目に遭うなんて、何だか想像もつかないよな。
ハラワタをザクザク牙で切り裂かれて。きっとかなりグロテスクな食われ方をするんだろうな。
途中であまりの痛さで絶命するとか。本当に俺が一番勘弁して欲しかった、最悪な死に方だぜ。
俺は静かに目をつむり、覚悟を決める。
なにせ、もうやれる事は全て終えたのだから。
せめて抵抗せずに、おいしく食べられてやるのも敗者の礼儀ってもんだ。
静かに、そして穏やかに。
落ち着いて人生の最期を迎えようじゃないか。
享年17歳か。
長いようでけっこう短い、呆気ない人生だったな。
………………。
うん、後は静かに最期を迎えるだけだ。
俺はもう、充分にやる事はやったし。
………………。
えっと。その……?
俺の体をムシャムシャと食べ尽くす、お食事タイムはまだなんですかね?
痛いのは、早めに終えて欲しいんですけど。
………………。
………………。
「……っていうか、いい加減に俺の死に際の独白、長過ぎじゃないか? 誰かツッコミくらい入れてこいよ!」
さすがに俺も、違和感を覚えたぞ。
だって、俺……。
さっきから全然死なないし。
「アレ? これって一体どうなってんだ?」
そういえば、消火器の中身が無くなってから。
事務所のドアへ体当たりしてくる、魔物達の攻撃音がピタリと止んでいるな。
それどころか、今はドアの外から何も音が聞こえてこない。コンビニの中はビックリするくらいの静寂に包まれている。
何だ、何だ?
これは、一体どうなってるんだ?
俺は慌ててパソコンの監視カメラの映像を覗いてみた。
そこには――。
黒い魔物達の姿は1匹たりとも映っていなかった。
店内を荒々しく汚された形跡は生々しく残っているが、魔物達の姿が全然見当たらない。
どこかに隠れていることも考慮して、俺は監視カメラの角度を変えて、店内をくまなく探してみる。
――けれど、本当に魔物の姿は跡形もなく。完全に店内から消え失せていた。
「……こいつは一体、何がどうなっているんだ?」
俺は、恐る恐る事務所のドアを開けてみた。
すると、コンビニのガラス戸から眩しいばかりの朝陽が。強烈な勢いで店内に差し込んできていた。
その光のあまりの眩しさに、俺は思わず目を閉じてしまう。
どうやら、もう朝になっていたらしい。
店内の時計を見ると、時刻は朝の5時30分を過ぎていた。
後で監視カメラの映像を巻き戻して見れば、魔物達が消えた謎は解明するのかもしれないが――。
とりあえず……。
「どうやら俺、助かったみたいだな……」
もしかしたら、魔物達は太陽の光に弱かったとか?
そういうオチだったりするのだろうか?
コンビニの中には、横から強烈な太陽の斜光が差し込んできている。この眩しいくらいに神々しい光が、俺を救ってくれた救世主にきっと違いない。
『――ピンポーン! コンビニの勇者のレベルが上がりました』
………は?
突然、脳内に鳴り響いた謎の効果音と、小さなアナウンス声に俺は驚く。
「これって、もしかして……?」
まさかレベルアップした――とかなのか?
しかもこのタイミングでかよっ!?
「――能力確認!」
俺はすかさず、自分自身の身に起きた変化を確認すべく。
この世界の言語を店内で叫んでみた。
名前:秋ノ瀬 彼方 (アキノセ カナタ)
年齢:17歳
職業:異世界の勇者レベル2
スキル:『コンビニ』……レベル2
体力値:6
筋力値:6
敏捷値:4
魔力値:0
幸運値:5
習得魔法:なし
習得技能:なし
称号:無能の勇者
――コンビニの商品レベルが2になりました。
――コンビニの耐久レベルが2になりました。
『商品』
ツナマヨおにぎり 明太子おにぎり
BLTサンドイッチ
コーラ
美味しい水
が、追加されました。
『耐久設備』
消火栓
火災警報器
スプリンクラーヘッド
防火シャッター
が、追加されました。
「ええ~っと……」
何だか、色々と俺のコンビニには新機能が追加されたようだ。
これは敵からコンビニを防衛したことで、レベルが上がった――という認識でいいんだよな?
「う~ん、イマイチ仕組みがよく分からんなぁ」
別に敵を倒した訳でもないのに、突如レベルが上がるという謎。まあ、助かったんだし、別にそれはいいか。
俺は疲れてもう全身がクタクタだったので、少し休憩をとることにした。
とにかく助かったのなら、もうそれでいい。どうせ、深く考えてもよく分からないんだし。新しい追加商品やら耐久設備とやらを吟味するのは、後にしよう。
よくよく考えたら俺は昨晩からずっと徹夜で、まだ一睡もしていなかったんだっけ。
昨日の夕方には倉持達が俺のコンビニに突然やって来て。
その後は、深夜に玉木がやって来て。続けて女王のクルセイスさん達が、俺のコンビニを襲撃して。
そして……そのまま街を追放されて。俺は森の中をずっと彷徨っていた訳だしな。
命が助かった事への安堵感ももちろんあった。
コンビニのレベルが上がった事への喜びも、もちろんある。
だけど、それ以上に。今は睡魔の方が遥かに勝っていた。緊張から解き放たれた安堵感が、睡眠薬のように俺の体を睡魔に誘う。
「悪いけど、もう眠くて死にそうだなんだ。魔物達が去ったのなら。ほんの少しだけでいいから、このまま眠らせてくれ……」
寝ている間に、また魔物に襲われたらそれこそ本末転倒な気もするけどな。
まあ、多分これだけ明るい日の光が差しているんだ。
絶対じゃないけれど。魔物達も、もうコンビニには近寄ってはこないだろう。
悪いが今は、そういう事にさせて貰う。
不用意に寝て死んだのなら俺の責任でいい。もう目蓋が重過ぎて、意識が保てそうにないんだ。
だけど、このまま眠りにつく前に。
一言だけ、今の率直な感想を言ってもいいかな?
「よっしゃあああぁぁぁ!! ツナマヨおにぎりは俺の大好物だぜえええぇぇ! ひゃっほおおおっ! やったぜえぇーーっ!!」