第七十六話 幕間②――女神教の枢機卿
異世界から召喚された31名の勇者達のうち。2軍の勇者である8名が、命を落とした。
その直接の実行犯である女王クルセイスは、グランデイル王国に帰還する馬車の中で上機嫌に座っている。
そんなクルセイスの目の前に……突然、黒い影を全身にまとった人物が姿を現した。
その人物を目にしたクルセイスは、馬車の中で立ち上がると。丁寧にゆっくりと頭を下げる。
「――これは、枢機卿様。このような場所にわざわざ足をお運び頂くなんて、光栄の至りに存じます!」
クルセイスを運ぶ、密室の馬車の中。
その中には、いつの間にか……真っ暗で不気味な影を身にまとう黒髪の女性が座り込んでいた。
その女性は、先程まで馬車の中には居なかった。
それが突然、クルセイスが顔を上げた時には正面の椅子に座り込み。向かい合うようにして腰掛けていたのである。
「………今のあなたは『潜在者』の内面を持つクルセイスの方ですか? それともグランデイル王国女王のクルセイスの方でしょうか?」
枢機卿と呼ばれた黒い女性は、かすれるような小さな声で、クルセイスにそう問いかけた。
「えっ? 私はグランデイル王国の女王であるクルセイスです。それ以外の何者でもありませんが……。枢機卿様、それは一体どういう意味なのでしょうか?」
クルセイスは黒い女性の質問の意図が分からずに、困惑の表情を浮かべる。
だが、黒い影に覆われた女性はそんなクルセイスの様子に、全く興味が無さそうに声をかけた。
「………表層に出ている『見せかけの人格』に話す事は何もありません。すぐに潜在意識の中にいる、本当のあなたを呼び出して下さい」
「潜在意識の中? 枢機卿様、それは一体なんの事で……ぅぅ……!?」
途端、クルセイスの様子が急に変わり始める。
馬車の中で突然黙り込むと。まるで頭痛に耐えるかのように頭を抱えて。しばらくの間、そのまま無言の状態が続いた。
そして……。
再びクルセイスが、ゆっくりと顔を上げると。
「これはこれは、枢機卿様。普段は魔王領の奥にある女神教の総本部にいらっしゃる事が多いと聞いていましたのに。このような場所に姿を現されるなんて、とても珍しいですね。一体どうされたのでしょうか? フフフ」
クルセイスの様子は、先程までとは明らかに変わっていた。
自信に満ち溢れた言動、そして他者に対して高圧的な態度を取る尊大な雰囲気。
このクルセイスは普段、グランデイル王国の若き女王として、周囲の人々から慕われている様子とは明らかに異なるものだ。
グランデイル王国の女王――クルセイスは、この世界では珍しい『遺伝能力』を持つ能力者であった。
遺伝能力とは、この世界の過去に存在した異世界の勇者の血を引く子孫が、ごく稀な確率で特殊な能力を持った状態で、生まれてくる可能性があると言われているものだ。
クルセイスは『潜在者』の能力を持つ遺伝能力者で、普段の表面的な意識の下に――潜在的な別の『人格』を隠し持っている。
それは、二重人格とは少し違う。
他者に見つからないように、本来の潜在意識を精神の内側に深く沈めているような状態なのである。その為、倉持が使える上級魔法『鑑定』でも、その潜在意識下のステータスまでは見る事が出来なかった。
また『共有』の遺伝能力を持つ、ドリシア王国の女王ククリアの能力をもってしても。クルセイスの本当の記憶にはアクセスする事が出来ない。
それ程までに精神の深い底の深淵に、クルセイスの潜在者としての本当の意識は沈められていたのである。
「………私が人間領に足を運ぶのは、約1年ぶりになりますね。しばらくの間、私は女神アスティア様の心を鎮めるために封印の部屋に篭っていましたから。今日は召喚された異世界の勇者達の、その後の状況を確認しに来ました。報告のあった『不死者』の勇者の様子はどうですか? そして、新たな無限の勇者候補は見つけられたのですか?」
枢機卿と呼ばれた黒い女性の姿は、どこか虚ろな蜃気楼のように不安定な姿をしている。
黒い影が朧げに輪郭を形成しているが……。それは他者から見ると、とても分かりづらい姿であった。
そこに確かに存在しているのに、ハッキリとはその姿を見る事は出来ない。そんな不思議な影を身にまとう、若い女性が、今……クルセイスの前に座っている。
「ご安心下さい、枢機卿様。我々にとっての悲願である『不死』の能力を所有している『不死者』の勇者につきましては、現在も経過観察を続けています。彼は多少、性格に難が有りましたので……私が少しだけ矯正をしておきました。そして無限の能力を持つ勇者もちゃんと見つけ出す事が出来ました。現在はその者を利用して、動物園の魔王を倒す計画をしている所です」
「………ほう。無限の勇者を、今回の召喚した勇者達の中からも見つけ出す事が出来たのですね。それはとても良い事ですよ、クルセイス。それで、その無限の能力を持つ勇者とは一体、どのような能力を持つ者なのでしょうか?」
枢機卿の問いかけに対して、クルセイスは自信満々に答える。
「ええ。それが当初は期待外れの無能と判断をした、3軍の勇者達の中に実は存在していたのです。その者は『コンビニ』という名の能力を所有しています。何でもそれは、異世界に存在する便利なお店の名前のようなのですが……。まさかそのような、訳の分からない能力を持つ者が『無限』の能力を有していただなんて。本当に予想外の事でした、フフフ」
クルセイスはそれが、さも愉快な事であるかのように。枢機卿の前でクスクスと笑ってみせた。
だが、『コンビニ』――という名前を聞いた枢機卿は、その言葉を聞いた途端に。
――急に、表情を青ざめさせる。
「………そんなバカな!? コンビニですって!? 本当にその者の能力は、あの『コンビニ』だというのですか? それは間違いないのですか、クルセイス?」
突然、声が裏返ったかのように驚きの悲鳴を場所の中であげる枢機卿。
クルセイスも、そのような慌てた様子の枢機卿を見るのは初めての事だった。
謎の多い女神教の中で、『魔女候補生』達を統括する立場にもある枢機卿は、組織の中で大幹部と言っても良いくらい上位の肩書きを持つ存在である。
その枢機卿が、クルセイスの前で怯える子供のように体を揺らしながら震えている。
「――枢機卿様? 一体どうなされたのですか? 『コンビニの勇者』に一体何かあるというのでしょう?」
「………クルセイス。その者に、早急に現在の魔王を倒させて下さい。今の魔王は、私達にも手が出せないくらいに強大な存在になってしまっています。『魔王種子』を回収する為には、どうしても異世界の勇者に今の魔王を倒して貰う必要があります………」
「ええ。それは大丈夫です。現在もコンビニの勇者を精神的に追い詰めて、魔王を倒させるように裏で入念な準備を進めていた所ですので」
「………分かりました。ですが、魔王を倒した後にコンビニの勇者を決して新たな魔王に成長させてはなりません。コンビニの勇者が現在の魔王を倒し次第、我々女神教の総力を上げてその者を抹殺します。各地にいる『魔王を狩る者』と、『魔女候補生』達全てを動員しようと思います。あなたもその準備を進めておいて下さいね」
「魔女候補生達を全て動員するですって? そんなッ!? それでは私の立場は、一体……!」
今度は珍しく、クルセイスの方が動揺する。
クルセイスにとっては、自分以外の他の『魔女候補生』達が集められるという事は、どうしても許せない事だった。
グランデイル王国の女王という立場から、異世界の勇者の召喚にも成功し。世界中の国々にも影響力がある立場であるクルセイスは、その貢献度からも、女神教の中で最も次の『魔女』に選ばれる可能性が高い魔女候補生として扱われていた。
それなのに、他の魔女候補生達もここに集められるだなんて……。
それは最有力の魔女候補生であるクルセイスの立場からしたら、不快でしかなかった。
「………心配はいりません。あなたの貢献と忠誠心は、女神アスティア様も高く評価をしています。このまま無事に魔王を倒す事が出来れば………。きっとあなたは、新しい魔女に選ばれる事でしょう。私達と同じ『不老の一族』に加わる事もきっとあなたになら出来ます」
「それは本当でしょうか? フフ……ありがとうございます! 枢機卿様の口から、直接そのようなお話が聞けて、私もホッとしました。そうでないと、何の為にこれまで忠誠を尽くして頑張ってきたのか、分からなくなってしまいますからね」
機嫌を取り戻したクルセイスは、心底嬉しそうに子供のような笑顔を浮かべる。
新たな『魔女』を選定する女神教の幹部の中で、目の前の枢機卿は、最も上位の存在と言って良い。
その枢機卿の口から、お墨付きを貰えたのなら。
次の魔女に認定されるのは、ほぼ間違いない事だろう……と、クルセイスには思えたからだ。
「………ですが、クルセイス。これからは全ての出来事を包み隠さず私に報告して下さい。これまでの事と、これから行動する全ての内容をです。それ程にコンビニの勇者の件は、我々女神教の中でも慎重に事を進めないといけない内容なのです。その事を、どうか忘れないで下さいね」
「畏まりました、枢機卿様。では、当面はコンビニの勇者に魔王を倒させて、不死者の勇者はこのまま経過を観察する、という事で良いでしょうか?」
「それで大丈夫です。コンビニの勇者には魔王を早期に倒して貰います。その者がまだ完全に成長する前の早い段階で、魔王と戦わせるようにして下さい。そして、不死者の勇者は決して死なせないように、ちゃんとその様子を観察して私に報告をして下さい。………良いですね。その2つの事は必ず守って下さいね、クルセイス?」
「お任せ下さい、枢機卿様! 全ては永遠なる女神アスティア様の為に……! ああ、私は必ず全てを成し遂げて偉大な魔女となり、永遠にアスティア様にお仕えする事をお約束いたしますわ!」
馬車の中に座っていた枢機卿の姿が、少しずつ薄れて透明になっていく。
やがてその姿は完全に空気と同色になり、その場から完全に見えなくなってしまった。
枢機卿がいなくなった事を知ったクルセイスは、『ふぅ〜』っと、まるで学校の先生が教室から出て行った事を確認して安堵する、学生のような表情を浮かべる。
「……なるほど。どうやら『コンビニの勇者』は女神教の上層部にとっては、少し訳ありの存在のようですね。まあ、私は枢機卿様に言われた通りに、今はちゃんと事を進めるとしましょう。そうですね、コンビニの勇者に早めに魔王を倒して貰うには……」
クルセイスはしばらく思案を重ねて。そして、小声で恐ろしい言葉を呟きながらクスリと笑う。
「フフフ。コンビニの勇者と近しい友達を利用して、その者達を残酷に殺してあげる……なんてのも良いかもしれませんね。その方が1番手っ取り早そうですし。フフ、それはとても楽しそうなイベントになりそうですね!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「――枢機卿様。クルセイスの件は、アレで本当によろしかったのでしょうか?」
クルセイスが乗る馬車が遥か遠くに見える、高い丘の上で――。
黒い影をまとった枢機卿と、その周囲には黒いマントに覆われた数人の部下達がその場に立っていた。
「クルセイスは、グランデイル王国の女王という重要な立場を持っています。なので今後も、我々に協力をして貰いましょう。ですがクルセイスには、少し自由を与え過ぎました。コンビニの勇者の件は至急、アスティア様に報告しないといけません。五千年前に、我々と戦った忌まわしき魔王の能力を持つ者が、まさかこの時代に再び現れるとは………。その者に関しては、これから最も警戒をしないといけないでしょう」
「では、いかが致しますか? そのコンビニの勇者にもこれからは監視をつける事に致しますか?」
「………ハイ。コンビニの勇者とクルセイス。そして不死者の勇者にも監視をつけて下さい。我々は既に魔王種子を9つ回収しています。あと1つ魔王種子を回収出来れば、アスティア様の悲願はきっと達成出来るはずです。ですが未来の為に、保険は付けておくにこした事はないですからね………」
「畏まりました。監視の者を直ちに派遣する事に致します。『魔王領』と『エルフ領』、『禁断の地』に近い場所にいる『魔王を狩る者』達にも声を掛ける事に致します。ですが、そうすると動物園の魔王と戦う人員に、戦力が偏り過ぎてしまう事になりますが、よろしいのですか?」
枢機卿は少しだけ、頭の中で思案を巡らせる時間をとり。沈黙をする。
そして、ゆっくりと顔を上げると――。
「動物園の魔王は、その力が強大になり過ぎました。実質魔王軍の戦力は、その全てを現在は黒魔龍公爵が支配しています。我々が100年戦い続けても勝てなかった4魔龍公爵ですが………。そのうちの1人は、異世界の勇者によって倒されたと聞きました。おそらくそれも、新しいコンビニの勇者の力によってなのでしょうけれど」
枢機卿とその取り巻きの女性達は、クルセイスの乗る馬車が完全に見えなくなったのを確認すると。踵を返して、後方へと歩き出す。
「………今回、魔王軍の戦力が落ちた事はチャンスだと思っています。これを機に、我々女神教も黒魔龍公爵に対して総攻撃をかけましょう。コンビニの勇者と同時に攻撃をかける事で、動物園の魔王を倒し、最後の魔王種子を回収するのです。そしてその後は、全ての戦力を持ってコンビニの勇者を殺害します。五千年前の悪夢を決して再現させてはなりません。『コンビニ』は、この世界には絶対に存在させてはならない、呪われた能力ですからね………」




