第六十二話 コンビニの地下での戦い
コンビニの進路に、傷ついた親子が倒れていた。
着ている服もボロボロで、2人とも傷だらけだ。
意識はかろうじてあるが、息も絶え絶えな危ない状況で、怪我をしている箇所から出血もしている。
外は冷たい小雨も降り始めてきているし、このまま、親子を外に放置する訳にはいかないだろう。早くコンビニの中に連れていかないと。
「ティーナ! 急いでコンビニの中に2人を入れてあげよう。玉木は温かいお湯を用意しておいてくれ!」
「ハイ、分かりました……彼方様!」
俺とティーナはコンビニの外に急いで駆け出す。
そして倒れている母親と娘を担いで、コンビニの中へ連れ込んだ。
そこにコンビニの屋上から、アイリーンが降りてきた。
「――店長? その親子は一体……?」
「え、アイリーン? そこの道にこの親子が怪我をして倒れていたんだ。出血もしているし、体温もかなり低い。早く店の中に入れて手当をしてあげないと!」
俺は少しだけ、アイリーンの反応に違和感を感じた。
屋上にいたアイリーンなら、俺達よりも先にコンビニの進路に倒れていた親子に気付けたはずだ。
それがまるで今、初めて親子の存在に気付いたような反応をしたからだ。
俺達はコンビニの事務所の簡易ベッドの上に、いったん2人を寝かせる。
母親の見た目は30歳くらいだろうか? 長い黒髪の女性で、着ている服の肩口部分が裂けている。怪我をした傷口からは結構な量の出血もしていた。
娘の方の年齢は、7歳くらいに見えた。
ショートカットの黒髪が可愛い女の子だが、母親と同じように怪我をしている。小さなお腹のあたりから、大量の血が服に染み出しているのが分かった。
「か、彼方く〜ん! ど、どうしょう〜……? 私、回復魔法みたいなのは使えないし、包帯を巻いても2人とも全然血が止まらないよ〜!」
「しばらくは安静にして、体を休めてもらうしかないな。でも事務所の簡易ベッドじゃ、親子が2人で体を休めるには狭すぎるし……。そうだ! いったん地下のコンビニホテルにまで2人を運ぼう。レイチェルさんならきっと、良い手当の方法を知っているかもしれない」
俺とティーナは再び、それぞれ母親と娘を背負ってコンビニの倉庫に向かう。そして急いで地下へと繋がるエレベーターの中に入った。
「玉木、アイリーン! 2人は地上でコンビニの周囲の警戒を続けてくれ。俺とティーナは、コンビニホテルにこの親子を連れて行くから!」
「畏まりました、店長!」
「彼方くん、しっかりね! 後でちゃんとこっちにも連絡をしてね!」
倉庫のエレベーターの扉が、ガチャーンと音を立てて閉まる。
俺はすかさず『B2』のボタンを押して、地下2階にあるコンビニホテルへと向かった。
時刻はまだ朝方だし、クラスのみんなもコンビニホテルのそれぞれの部屋でくつろいでいる時間だろう。
”ガシャーーーン!!”
エレベーターがすぐに地下2階に到着する。
エレベーターの扉が開くと、目の前にはレイチェルさんが立っていた。
灰色の制服と帽子を着た、上品な雰囲気が漂うコンビニホテルの支配人。
レイチェルさんなら適切な医療知識や、もしかしたら回復魔法のような事も出来るかもしれない。そう期待をして、俺とティーナは親子をそれぞれ担ぎながら、レイチェルさんの側へと駆け寄る。
「レイチェルさん、良かった……。大変なんだ、外に怪我をした親子が倒れていて……!」
「――総支配人様。たしかに今は、大変な事態のようです。その親子を私に見せて下さいますか?」
レイチェルさんが、俺が背負っている母親の方にゆっくりと近づいていく。
これで母親は助かる。良かった……。
俺が安心して、ホッと安堵の息を漏らすと。
怪我をしている母親に無言で近づいたレイチェルさんは、いきなり――。
”ズバシューーッ!!”
傷付いた母親の首元を、手に持っていたナイフで一気に真横に切り裂いた。
「ええっ……!? レイチェルさん、一体何をするんだッ!!」
俺も、ティーナも……。今、目の前でレイチェルさんが何をしたのかが、まるで理解出来なかった。
だって、そうだろう……?
救助をしようと、ここまで必死に連れてきた親子の母親を……。レイチェルさんは、手に持っていたナイフでいきなり切り殺してしまったんだぞ。
しかもレイチェルさんは、そんな事は全く気にも止めずに。
自身が殺害した母親の体を片手で持ち上げると。その場にポイっとゴミのように放り捨てた。
そして今度は、ティーナが背負っている幼い娘の方に近づいていく。
まるでレイチェルさんは、感情を何も持たない機械のように。再び手にしたナイフを、その小さな女の子に向けて振り下ろそうとした。
だが、その瞬間に――。
「クキャャャアアーーーーッ!!」
ティーナが背負っていた女の子が突然、目を覚ました。
そして、口から長い舌のようなモノを伸ばして。
ナイフを振り下ろそうとしていたレイチェルさんに対して、反撃を加えてくる。
「――チッ……!」
レイチェルさんは、黒髪の女の子の口から伸びた、長い舌による攻撃を……寸前で避けてみせた。
そしてそのまま手に持っていたナイフで、長く伸びた女の子の舌を素早く切断する。
「グギャァアアーーーーーッッ!?」
ティーナの背にいた女の子は、絶叫しながらその場で飛び上がった。
ホテルの廊下の天井に張り付いた女の子は、人間のものとは思えないような高速移動で……。一瞬にして、エレベーターの中に逃げ込んでいく。
その動きはまるで、ホラー映画に出てくる悪魔に取り憑かれた少女のようにも見えた。
エレベーターの中に逃げた女の子の全身は、その場で急に溶け出し。緑色の液体のような状態に変化する。
そしてグロテスクな液体は、エレベーターの隙間に染み込むかのようにして、少女の姿は完全に消失してしまった。
俺とティーナは、あまりにも一瞬の出来事に。
一体この場で何が起こったのか……すぐには理解出来なかった。
だが、レイチェルさんが最初にナイフで殺害した母親の体が緑色の液体に変わり始め。
やがてその場で蒸発をしてしまったのを見て。ようやく事態を全て把握する。
「何て事なんだ……。あの親子は魔物だったのか……」
「総支配人様、これは緊急事態です。コンビニホテルおよび、コンビニの地下階層に敵の侵入を許してしまいました。先程逃してしまった敵は現在、地下の全ての階層で急速に魔物を増殖させつつあります」
「魔物の増殖だって!? まさか、そんな事が……!」
「これは一撃で敵を仕留めきれなかった私のミスです。そして、外でコンビニの守護をしていながら、敵の侵入を許してしまったアイリーンの責任は大きいでしょう。彼女には私から後で叱責をしておきますので、どうかお許し頂けると幸いです」
レイチェルさんが、丁寧に俺に対して頭を下げる。
いやいや、それはアイリーンのミスどころか……。
全部、俺のせいじゃないか。
なにせあの親子を不用心にも、コンビニの地下深くにまで……この俺が連れてきてしまったんだからな。
その時、腕につけているスマートウォッチから緊急の通知音が鳴り響いた。
『か、彼方く〜〜ん!! 大変よ〜〜!!』
スマートウォッチには、地上の事務所にいる玉木から緊急のメールが送られてきていた。
『――玉木か!? どうした、一体何があったんだ?』
俺はすかさず玉木に返信をする。
『大変なのよ〜! コンビニ戦車の周りにたくさんの緑色のゾンビがうろついているのよ〜!』
『なんだって!? ゾンビが……!?』
『そうなのよ〜〜! ゾンビ映画も真っ青なくらいに大量のゾンビ達にコンビニが囲まれてちゃっているのよ〜! アイリーンさんと一緒に、私もガトリング砲で迎撃はしているけれど……。数が多すぎてもう手に負えないの〜! コンビニの外は一面ゾンビの海よ〜! ゾンビの大海原なのよ〜〜!』
ちょっと、玉木が何を言っているかよく分からないが……。
とにかく外は、大ピンチみたいだな。
一応コンビニには合金性の鋼鉄シャッターがあるから耐え凌ぐ事は可能だろう。相手が本当にゾンビだというなら、数は多くても、個体としては決して強くはないタイプの魔物のはずだ。
その時――。
”ウイーーーーーン!!”
”ウイーーーーーン!!”
突然、コンビニホテルの階層全体に、サイレンのような警戒音が大きく鳴り響いた。
「――総支配人様。その『ゾンビ』なのですが、どうやら大量増殖するタイプの魔物のようです。……先程、コンビニホテル内に侵入をした魔物が、おそらく敵の親玉だったのでしょう。私の体内センサーによりますと、コンビニの地下5階――地下駐車場にゾンビが約1000体。地下4階の映画館には約700体。地下3階の温泉施設には既に、約1300体のゾンビが出現しているのを確認しました。緊急事態ですのでコンビニの地下階層全体に警報を鳴らし、厳戒態勢をしかせて頂きます」
「……えっ、もうそんなにゾンビが増えちゃっているんですか!? 地下には元々人間なんて誰もいないのに。そんなにも早くゾンビが増殖をするなんて……」
「おそらくは、ゾンビと言っても総支配人様の世界で知られているようなタイプのものとは種類が違うようです。人間に噛み付いて増殖をするタイプではなく。アメーバーのように、勝手に無限増殖をするタイプの魔物なのでしょう」
何なんだよ、ソレ……。
そっちの方がよっぽどタチが悪いじゃないか。
噛み付いて増殖するゾンビの方が、絶対的な個体数は限られているが。細菌のように無限増殖されたら、ひとたまりもないぞ。
いくらコンビニの地下階層が広くても、あっという間にゾンビに埋め尽くされてしまうかもしれない。
「そ、そうだ……クラスのみんなは? みんながゾンビに襲われたら大変だ!!」
俺が慌てて、クラスのみんなの安否を確認しようとすると。
レイチェルさんが落ち着いて、現在のコンビニの地下階層にいるみんなの状況を教えてくれた。
「クラスの皆様は、ほとんどの方がホテルの個室でまだお休みになられていましたので……。さきほど強制オートロックをかけて、それぞれ室内に隔離をさせて頂きました。コンビニホテルの個室は、その一つ一つが私の管理する異空間となっていますので、敵の侵入を許す事はないでしょう。ですが、小笠原様、野々原様、藤枝様の3名様だけは現在、地下3階層の温泉施設に滞在されていますので、とても危険な状態です」
「アイツら、朝っぱらから優雅に温泉になんて浸かっていやがったのかよ……。たしか温泉施設にも、ゾンビは大量増殖をしているんですよね?」
「ハイ。温泉施設には現在1350体のゾンビがいます。およそ1分で、10体は増殖をしている計算になります。念のために温泉施設に配置をしていました守護機兵2体を現在、護衛に向かわせていますが……戦力としては不十分でしょう」
それはマジでヤバいぐらいに、絶望的だな。
1分で10体……。10分で100体も増殖をするゾンビが大量にいる温泉エリアで、3人を守ってくれる存在がコンビニガード2体だけだなんて。
3人娘達、マジで大ピンチじゃないかよ。
「――総支配人様、コレをお持ち下さい!」
レイチェルさんが、俺とティーナのそれぞれに何かを投げてくれた。
俺とティーナはそれをバシッ! と空中で受け取る。
それはよく見ると、コンビニで発注が出来る量産型の『剣』だった。
「総支配人様はエレベーターに乗って、地下3階層の温泉施設にいるお三方を救出に行って下さい! 敵は個体ベースではあまり強くない魔物ですので、アイリーンがいなくても心配はいらないでしょう」
「分かりました! でも、レイチェルさんはこれからどうするんですか?」
「私はこの地下2階。コンビニホテルの中に侵入したゾンビの殲滅と、他の全ての地下階層に侵入をしたゾンビ達を全滅させます。そして敵を大量増殖させている元凶――おそらく魔王軍の4魔龍公爵の1人でしょうが……先ほど討ち漏らした敵を始末してきます」
「そんな……! さっきの小さな黒髪の女の子が、魔王軍の4魔龍公爵だったという事なんですか?」
「ええ。アイリーンの不始末は、上司である私が後処理をするのが役目ですので。――さあ、総支配人様。時間がありません。すぐにご友人様達をお救いに向かって下さい!」
俺とティーナがエレベーターに乗り込むと。
レイチェルさんの見つめるコンビニホテルの廊下の奥に、大量のゾンビ達が迫ってきているのが見えた。
既にこの地下2階層にも、大量のゾンビが発生していたらしい。
「分かりました……レイチェルさんすみません! ホテルに残っているみんなを、よろしくお願いします!」
俺とティーナは剣を手にして。急いで地下3階層の温泉エリアに向かう。
今は時間が惜しい。手遅れになってしまったら大変な事になるぞ。
今、この瞬間にも……3人娘達がゾンビに襲われて、食われてしまっているのかもしれないのだからッ!
”ウイーーーーーン!”
エレベーターが音を立てて、下の階層に向けて降下をしていく。
その音を背後で聞いたコンビニホテル支配人のレイチェルは、手にしていた小型のナイフを足元に落とした。
そのナイフは、ホテルに滞在する客人に提供する為の朝食の準備に使っていた物であった。
今回のゾンビの襲撃が、いかにレイチェルにとっても想定外のものであったのかが分かる。
こういった外敵の侵入は、本来はコンビニの守護騎士であるアイリーンが未然に防ぐべきものだ。
それをまさか、コンビニホテルの内部にまで侵入を許してしまうとは、何たる大失態なのだろう。
「……どうやらアイリーンには、後でたっぷりと教育をし直さないといけないようですね」
レイチェルは、小声でそう小さく呟いた。
コンビニの地下階層全体を統べる彼女は、コンビニの施設全体の最後の守護神でもある。
その彼女が戦闘に参加をするという事自体が、本来はあり得ない事だ。
だからコンビニの『地下帝国』にあっては――今は絶対に起きてはならない、緊急事態なのである。
ホテルの廊下の奥から、ゾンビの群れが押し寄せてくる。
その外見は人間の姿をしてはいるが……皮膚の色が全て緑色に染まっていた。
ゾンビ達はまるで体全体が溶けかかっているかのような、見るもおぞましい醜悪な外見をしている。
レイチェルはそのゾンビの群れに向かって、ゆっくりと自身の左手を掲げた。
眩いばかりに輝く、白い閃光が……。
ゾンビ達の群れに掲げた、レイチェルの細く白い左手の中に収束をされていくと――、
「――『重力圧縮領域』――!」
押し寄せてきたゾンビ達が、一斉に目には見えない空気の断層に押し潰されていくかのように。
その体をホテルの廊下の床に沈ませていく……。
そして――。
”グチャーーーーーン!!”
その全ての個体が一瞬にして、ただの緑色の液体となり果て。ホテルの廊下の上で溶けてしまった。
緑色のゾンビ達が溶けて、不気味な液体に染まってしまった廊下の上を歩きながら、レイチェルは小さく嘆息をする。
「……ハァ。これでは、後のお掃除が大変な事になってしまいそうですね。絶対にアイリーンにも手伝わせますからね、覚えておきなさいよ」
小さく頭を振った後で。レイチェルは手にマイクのようなものを握り――。それを口元に近づける。
そして、コンビニホテル全体に響き渡るアナウンスを、そのマイクを使用して行った。
『――ただいまコンビニホテルの廊下では害虫の駆除を行っております。これは定期的に行われるメンテナンスの一つですので、ホテルに滞在されている皆様にはご不便をおかけして大変申し訳ございませんが、どうかご安心して下さい。害虫の駆除が終わり次第、各個室のドアは開く事が出来るようになりますので、それまでどうかお部屋の中でゆっくりとくつろいでお待ち頂けると幸いです。――この度は、ご不便をおかけして大変申し訳ございませんでした』
アナウンスを終えたレイチェルは、静かに目を閉じた。
コンビニの地下階層全体の様子を、その体の中にあるセンサーで探っているのだ。
「地下駐車場に待機をさせていたコンビニガード98体が、どうやら苦戦をしているようですね。先ほどの4魔龍公爵はどうやら、地下5階の駐車場にいるという訳ですか」
そう呟くと、レイチェルは静かにエレベーターの方へと向かう。
既に彼方とティーナを地下3階に送り届けたエレベーターは、地下2階のコンビニホテルエリアに戻ってきていた。
レイチェルはそのエレベーターに無言で乗り込むと。
扉の横にある『B5』のボタンをそっと押す。
”ウイーーーーーン”
コンビニの守護神である、レイチェルを乗せたエレベーターは、静かに地下5階層に向けて降下していった。