第五十四話 グランデイル王国への帰還
薄暗い地下室に、ポタリ、ポタリ……と。
小さな赤い雫が、床に滴る音が聞こえてくる。
「うぅ………。ハァ……ハァ………」
息も絶え絶えに、『不死者』の勇者である倉持悠都が、全身を震わせながら小さく薄目を開けると……。
目の前には、白いドレスを返り血で真っ赤に染め上げた、美しい殺人鬼が立っていた。
「……あら、良かった! 倉持様。やっぱりまだ生きていらっしゃったんですね。本当に5回も私に殺されて、それでもまたちゃんと息を吹き返されるなんて。『不死者』の能力って、本当に素晴らしいんですね!」
手に持つ血で真っ赤に染まった銀色のナイフを、クルクルと回しながら。グランデイル王国女王のクルセイスがニッコリと笑う。
「う……。うぅぅ………」
倉持はもはや何も言い返せない。
叫べる限りの絶叫も、悲鳴も、涙も。
許しを乞う謝罪の言葉さえも――。
その全てを、倉持は完全に吐き尽くした。
体から溢れ出す赤い血も。一滴も残らないくらいに、搾り取られて。体中の臓器も抉り出され、弄ばれ。もはや魂さえ奪い取られたような、『無』の感覚しか倉持の体には残っていない。
この女は倉持の意識がまだある状態で、彼の臓物を切り裂き。それを目の前で、楽しそうに見せつけてきた。
切り裂いた腸を死ぬ寸前の自分の首に、マフラーのようにぐるぐると巻き付け。そのまま首を絞めて殺すという恐ろしい蛮行さえも、笑いながらこの女は楽しんだ。
そんな狂気の宴を、5回も味わった倉持の精神と魂は……。
今、ここで完全に死んでしまったと言ってもいい。
だからもうここに残る倉持の体は、ただの抜け殻の状態でしかない。
何も考えられない。
何も逆らえない。
何も言い返せない。
だから後は何でも、彼女のいう事を聞くだけしか出来ない。
そう――。
倉持はもう、完全にクルセイスの意のままに動く操り人形へと生まれ変わったのだ。
「死んだ後にちゃんとバラバラになった手足や、切り取られた臓器が復元していくなんて、本当に神秘的な光景でした。私、倉持様から抉り出した心臓をここに5つも綺麗に並べているんですよ! これって本当に素敵な事ですよね。だって自分の心臓を集めてコレクションに出来るんですから。ちゃんと記念になるように、後で可愛い容器に入れて倉持様にお渡ししますね!」
「……あぅ。は……ぃ……」
倉持の抜け殻が、ちゃんと小さく返事をした事にクルセイスは満足気に頷く。
これで、この男はもう自分の言いなりに動くしか出来ないだろう。
後は倉持を上手に使って、どのようにしてあの自由奔放なコンビニの勇者を、自分達の目的に沿うように誘導するかだけを考えればいい。
クルセイスは、これからの楽しい予定を思い浮かべながら、ニッコリと微笑んだ。
「それにしてもあなたの能力には本当に期待をしていたのに……。実に残念でした。『不死』の能力だなんて、まさに私達、女神教が数千年以上も求め続けてきた究極の能力でしたのにね。まさかそれが有限の回数制限付きで。その後、全く成長をしないなんて本当に残念です。あなたが私達が本当に求める能力を持った勇者であったらと、とっても期待をしていたのですよ、倉持様?」
クルセイスは、もはや意識のない抜け殻の倉持の体に、笑いながら話しかける。
「でも、倉持様が自分だけは『特別な存在』なんだ……って勘違いしてしまったのも仕方のない事だったと思います。だって、あなただけは本当は最初から『元の世界に帰れる可能性』があったのですものね!」
「ぅ………ぅ………」
意識の朦朧としている倉持を顔を、優しく撫でながら、クルセイスがその頬に小さく口付けをする。
「あなたの悪い所は、元の世界に帰る方法を自分だけが知っていて、それをお友達のみんなには内緒にしようとした事。……そう、自分だけの秘密にしておきたかったんですよね? 元の世界に帰る為には『死ぬ』必要があるんだって、みんなには言えなかったから」
倉持の抜け殻は何も答えない。
ただ、無言で沈黙をし続けるだけだ。
「フフフ。でも、残念〜! もう帰れなくなっちゃいましたね! グランデイル王国の地下にある『召喚戻し』のゲートを使って異世界に渡るには『命』を失う必要がある。でもあなただけは5回分の命のストックがあったのだから、その気になればいつでも帰るチャンスがあったのです。けれどあなたは帰らなかった。きっとこの世界で魔法の力をたくさん習得して、ついでに魔王も倒して『不老』の能力を手に入れてから元の世界に帰りたかったんでしょうね。ああ、それなのに本当にごめんなさいね……。私がその野望を全てあなたから奪ってしまって」
クルセイスは手にしていたナイフを机に置いて、倉持の顔を両手で優しく掴み上げる。
「あなたの罪はお友達みんなに隠し事をしていた事。あなた達、異世界人はもう、元の世界では『死んだ事』になっている事実をあなたは知っていた。だって異世界を渡る時には必ず命を落としてしまうのだから。そして自分だけが元の世界に帰れる可能性がある事を知っていたから、特別な存在だと思って思い上がってしまったんですよね?」
抜け殻の倉持の耳元で、クルセイスが吐息をかけるように優しく囁く。
「でも、あなたはもう元の世界には帰れない。だからこれからは私に協力をしなさい。予定通り、あなた達異世界の勇者が今の魔王を倒してくれたらそれで良いのです。そうすれば私達『魔王を狩る者』が、『魔王種子』を魔王から回収します。女神様も今は、それをこそ望んでいらっしゃるようですから」
「………は……ぃ………」
抜け殻の倉持が小さく頷いた。
その様子を見て、クルセイスは満面の笑みを浮かべる。
血に染まった白いドレスを脱ぎ、別の服に着替えを始めると、『うーん……」と、腕を組みながら小さく呟く。
「もっとも。命を犠牲にしたからといって、希望の世界に帰れるとは限らないのですけどね……。まあ、その辺りの事はこれからゆっくりと考えていく事にしましょう。後はあのコンビニの勇者にどうやってやる気を出してもらうかですね。彼に早く今の魔王を倒してもらうには――そうですね。何人かのお友達を残酷な方法で殺して復讐に燃えてもらう、というアイデアも良いかもですね!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ねえ〜、今日も本当に暇じゃん〜! 下手をすると、私達このままお婆ちゃんになるまで、ここにいるのかなぁ〜?」
「えー、そんなの絶対にやだよー! こんなショッピングモールも無いような所で、オシャレもせずに死に絶えるのだけは絶対にイヤだー!」
「ホントにそれよね。異世界で化粧も出来ずに、死ぬのなんて絶対にゴメンだわ。ねえ、そういえば聞いた? 1軍の杉田くん、自分の屋敷で働いているメイドの女の子と結婚をして、子供も作ったんだって!」
「「ええっ〜〜! それ本当なの!?」」
グランデイル王国の城下街に残る3軍の3人娘達が、昼間から大声で雑談話に花を咲かせている。
ここはグランデイル王国、王都の城下街。
場所はいつものお気に入りの喫茶店。
街で何もやる事がない彼女達は、ここで1日中暇を潰すのが毎日の日課だ。
「ねえねえ、それってセクハラにならないの? だって杉田くんは1軍だから貴族の称号を持っているんでしょう? お金持ちだからって、自分の屋敷に仕えているメイドさんに手を出すなんて、完全にアウトじゃん!」
「うーん、まあ、これが霧島とか川崎とかなら、アウトだと思うけどー。杉田は割と純情そうだし……たぶん、アイツ童貞でしょう? だからきっとそんな事する勇気はないんじゃないのかなぁー?」
「じゃあ、2人は本当に純愛で結ばれたって事? きゃあ〜! 何ソレ何ソレ! やっばいじゃん! これだから童貞は自分に言い寄ってくる可愛い子が現れると、すぐに鼻の下を伸ばすからダメなのよね〜! 私達だってこの街に多少はイケメンがいたとしても、絶対に手は出さないわよね! だってやっぱり異世界の人なんだし!」
「あっ、でも……街のパン屋で働いている若いイケメンなら私、OKかなー! あの人すっごくカッコ良いし」
「ああっ!! ずる〜い! あのイケメンは私も狙っているんだから〜! 抜け駆けはやめてよね〜」
「ちょっとー! 異世界の男には手を出さないルールじゃなかったの? やめときなさいよ!」
「大丈夫、大丈夫、イケメンとデザートは別腹だから。イケメンな時点で全てが許されてしまうのよー」
まだ人々が働いている日中のお昼から3人娘は喫茶店にずっと入り浸っている。
元の世界ではまだ未成年だが、彼女達は今では平気でお酒やワインにも手を出していた。
別にそれはお酒の味が美味しいから、という訳でもない。
アルコール入りの飲み物でも飲んでいないと、やってられないというのが彼女達の本音だった。
もう、かれこれこの異世界に来てから半年以上は経つ。
それなのに、何も変化が無く。
こんな退屈な街で、昼間から酒浸りになってしまう日々を過ごす事しか出来ない。
そういえば、やっと王宮にいる1軍や2軍のクラスメイト達が、魔王軍との戦いに出発をしたみたいだが――。その後、何か大きな戦果はあったのだろうか?
仮に何かあったのだとしても、いつものように自分達3軍のメンバーには、何も知らせてもらえないのだろう。それくらいに自分達は全てにおいて、蚊帳の外なのだ。
やる事もなく、楽しみもなく、すべき事もなく。
ただこのまま、何もせずに歳をとっていく。
そんな悪夢だけは本当にゴメンである。
最近は、本当に3人でこの街を抜け出て、異世界探索の自由な旅に出ようかと真剣に相談し合っているくらいだった。
そんな彼女達の過ごす、喫茶店の店内が急に慌ただしくなった。
突然、何人かの客が店内に駆け込んできたかと思うと。何やら大声で騒ぎ出し、それを聞いた店内の客達が慌てて店の外に飛び出していく。
気付けば喫茶店のマスターまで、店の外に出てしまっている。
店内に残るのは、3人娘だけになってしまっていた。
「……えっ、な、何なのよ!? 何か外であったのかしら?」
「分からないけど。みんな外に何かを見に行ったみたいね! 私達も行ってみましょうよ!」
「うん、行きましょう! 一体、何かしらね!」
3人娘は、突然起こった新しい『変化』にワクワクするように。お店の外に嬉しそうに駆け出して行く。
喫茶店の外には、大勢の人だかりが出来ていた。
グランデイルの城下街に住む、大勢の人々が一斉に大通りに繰り出してきている。
これから、何か大きな祭りでも始まるのだろうか?
3人娘が不思議そうに、店の外を見回すと……。その理由は、『空』から突然降ってきた。
「あれは何かしら? 紙? 広告のチラシ? えっ、でもこの異世界で広告なんてあり得るの?」
空からは大量の紙が降ってきている。
よく見ると、まるで自分達の世界にあったドローンのような、小型のラジコンヘリのような機械が空中を飛んでいる。
そのドローンによく似た無人航空機が、何台もグランデイル王国の空を自由に飛び交っていた。
そのドローン達が上空でばら撒いている、黄色い広告のチラシのような紙には――こう書かれていた。
『――伝説の地竜『カディス』を撃退した異世界の勇者。
アッサム要塞攻略戦で、魔王軍の4魔龍公爵の1人、『赤魔龍公爵』を打ち倒した最強の勇者。
あの伝説の『コンビニの勇者』がなんと、本日限定でグランデイル王国に緊急凱旋! さあ、サインを貰うなら今しかない! check it out!』
3人娘は空から大量に降ってきている、その広告のチラシを見て。口をポカーンと開けて唖然とした。
「……な、何なのよ! この超ダッサい広告のビラは!?」
「ねえ? コンビニの勇者って彼方くんの事なのー? 彼方くんがこの街に戻ってくるって事なのかな?」
「わ、分からないわよ!! で、でもこの大量のチラシ……どういう事なの? これって明らかにコピー機で印刷をされたものじゃん? この異世界でそんな事が出来るの〜? それに空を飛んでいるアレも! 絶対にアレ、私達の世界にあるドローンよね?」
3人娘が、何が何やら全く分からずに。
全員で周囲を見回しながらおどおどしていると。
”ドカーーーーーーーン!!!”
突然、上空で巨大な爆発音が鳴り響いた。
これには、大通りに飛び出していた全てのグランデイルの街の人々が一斉に驚いた。
今まで一度も聞いた事がないような、凄まじい爆発音。
それが突然、上空から轟いてきたのである。
3人娘と街の人々は一斉に空を見上げる。
そこには、巨大な黒い煙の雲が出来上がっていて。空中で何かが爆発したのだという事が分かった。
3人娘にはもはや今、一体何が起きているのか全く理解不能だった。
ただ、先程の爆発音や、空に残る黒い雲の塊が――。
まるで、自分達の元いた世界にあった、『ミサイル』などによる大きな爆発の痕跡に似ているな……とは薄々感じていた。
しかし、ここは異世界だ。
元の世界なら、ともかく。
空をミサイルが飛び交うような出来事が起こる訳もない。
もっとも元いた世界の空でも、戦争でもなければそんな事は滅多に起こらないのだが……。
空で起きた大きな爆発は、どうやらただ鳴り響いただけで、何かを攻撃する目的があった訳ではないようだ。
ただ、花火のようにソレを爆発させて、街の人々を驚かそうとしただけなのかもしれない。
「おーーーい!! みんな、揃っているっすかーー?」
そんな3人娘の所に駆けつけてくる1人の男がいた。
彼女達と同じ3軍メンバーであり、『裁縫師』の能力を持つ桂木真二である。
「桂木くんじゃない! ねえねえ、コレは一体どういう事なのよー!? コンビニの勇者が凱旋するって……、まさか本当に彼方くんが戻って来たの?」
「俺も全然分からないっすよ〜〜!! ただ、アレを、アレを見て欲しいっス!!」
息を切らしながら、走ってきた桂木が大通りの向こう側からやって来る『何か』を指差す。
街の大通りに並ぶ全ての人達も、その見た事もない光景を驚愕の表情で見守っていた。
「ええっ!! 一体何なのよ、アレはーー!?」
3人娘も『ソレ』を見つけて、驚愕する。
それは、グランデイル城下街の正面ゲートを堂々と通過して…………。
街の大通りを黒い機械の兵隊達が大行進をしている。
その数は100を超えるだろうか?
規則正しく黒い槍を空に向けて掲げながら、大行進をする機械兵達。その黒い槍の先には『コンビニ』と書かれた黄色い旗が付けられていた。
そして、大量の機械兵達に守られるようにして。
まるで巨大な戦車のように、底に付いた大型のキャタピラーを稼働させながら……こちらに向けて、ゆっくりと移動をして来る『巨大な建物』が見えてくる。
そのよく見慣れた建物の屋上には、立派な青色の鎧を装着した女性が立っていた。
「ねえねえ、私……きっと夢を見ているのよね? なんか、コンビニが戦車みたいに移動しながら、こっちにやって来ているように見えるんだけど」
「残念だけど、私もきっと同じ夢を見ている気がするわ。だってアレ、どう見ても『コンビニ』に見えるもの……」
喫茶店前で腰を抜かして座り込む3人娘と、桂木真二の前に、キャタピラー付きの巨大なコンビニ戦車が停止する。
コンビニの屋上では、青い鎧の女性が周囲を警戒するように注意深く見回していた。
「店長、大丈夫です! この辺りは安全なようです!」
「――分かった。ありがとう、アイリーン」
巨大なコンビニ戦車の入り口の自動ドアが、”ウイーン”と音を立てて開く。
中から、外に出てきたのは……。
「よお! 桂木じゃないか! 元気だったか? ここに戻って来るのも本当に久しぶりだなー! みんな変わってないといいんだけどなぁー!」
そう、店内から堂々と姿を現したのは――。
コンビニの勇者である秋ノ瀬彼方、その人であった。