第四百六十三話 女神からの試練⑥
……もう、俺は何も見たくない。
両手を顔につけて自分の目を塞ぎ、現実から目を背け。俺は真っ暗な暗黒の闇で視界を閉ざしながら、直面する過酷な現実から心を逃亡させようとしていた。
目の前で何が起きたのかを、考えないようにして。
自分の犯した『罪』を認める事からも逃げ出して。
何もかもを『無かった』事にする為に、俺は両目を閉じて。束の間の静寂に浸かって、自暴自棄になった心の隙間に逃げ込むように現実逃避をしている。
少しでも目を開くと、そこには恐ろしい『地獄のような凄惨な光景』が広がっている事を俺は知っていた。
俺がさっき、うっかり石につまずいて床に倒れ込んでしまったせいで……。フロアの隅に集めておいた石像の群れが、まるでドミノ倒しのように順番に倒れていき、その全てが完全に『壊れて』しまった。
それがただの石像だったなら、俺の心は何も罪の意識に苛まれる事は無かっただろう。
でも、そこに置いてあったのはただの石像ではなく。壊れる瞬間に、元の人間の姿に戻るという……生きた生身の人間によって作られた石像だった。
脆くも崩れ落ちた石像の群れは、壊れる寸前に。この世のものとは思えない、地獄の亡者のような怨嗟の悲鳴を上げて。苦しみに悶えるかのような唸り声を叫びながら崩れていった。
後に残されたのは、バラバラになった石像の破片ではなく。バラバラに飛び散った、挽き肉のような赤い人間の生肉と血の塊だけだった。
そう――俺は100人近い人数の、自分と深い関わりのあった知人達を全員、バラバラの赤い肉片とミンチの海の姿に変えてしまったんだ。
「……………」
緑色の壁に囲まれた、この広大なフロアには俺以外の人間は誰もいない。
だからこの広い空間は今、静寂に包み込まれていた。
ここでは、誰も俺の罪を責めたりはしない。
多くの人間がバラバラに砕けて、細かな肉片になり飛び散って死んでいったにも関わらず。
俺は静かに両目を閉じて、その場に座り込み。自分の犯した罪の光景を見ないようにして、試練と向き合う事から逃げ続けていた。
「ハハハッ。むしろ……誰かこのクソ馬鹿野郎である俺を、思いっきり叱ってくれよ。『――この、人殺し野郎ッ!』って、俺の事を強く罵ってくれよな!」
情けない独り言を呟いてみても、やっぱり誰も返事をしてくれる事は無かった。
どれだけ時間が経っても、俺はこの広大なフロアの中で一人きりだった。
こんなに酷くてグロい光景を見せつけられたのは、何度目だったっけかな……?
確か迷いの森の中で、繰り返し仮想夢を見させられていた時に。コンビニの地下シェルターで仲間がバラバラに体を切り刻まれて、赤い血が部屋全体に広がっている光景を見せられた時もあったよな。
それ以前だと……魔王領にいた時に、巨大コンビニ要塞に乗って俺を迎えに来た敵のレイチェルが、罪の無い人々をコンビニから大量に地上に落下させて。全員をまとめて殺した光景を見せられた時もあったのを思いだした。
それらは今、思い出しただけでも……本当に全て吐き気のする酷いグロ光景だったと思うぜ。
でも、今回は……違うんだよ。
この俺がみんなを……この手で直接、全員殺してしまったんだからな!
俺が目を開けたくない。現実から目を背けていたいと思う気持ちには、他にも理由があった。
俺が壊してしまった100体近い石像の群れの中に、もしかしたら……俺と近しいクラスメイトや、仲間の石像も混ざっていたりしたのだろうか?
石像が倒れる時に、聞こえてきたあの100人近い人々の絶望と恐怖の叫び声が、今も俺の耳の奥にこびり付いて離れない。
あの声の中に、クラスメイトの桂木や小笠原達も混ざっていたのだろうか?
それを確かめるのが、あまりにも怖すぎて。現実を知るのが恐ろしくて。俺は冷たい床の上に座り込んで、ずっと目を開ける事が出来ずにいた。
もし……目を開けて、視界に入れてしまったら。
俺の目の前で、バラバラの赤い肉片に変わり果ててしまったクラスメイトの死体を見つけてしまったなら。
俺はきっと、二度と立ち直れない精神的なトラウマと、罪の意識をこれから一生背負い続ける事になるだろうと理解していたからだ。
……もう、どれくらい現実から目を背けて。この広大なフロアのど真ん中に一人で座り込み、俺は目を閉じ続けていたのだろう。
限界だった……。もう、流石に前を向いて歩き出さないといけないだろう。
俺はその場から、立ち上がると。吐き気がするのを必死に耐えながら。赤いミンチの海と化してしまった人々の様子を確認する事にした。
床に飛び散った死体の山を調べてみて、俺の心が少しだけ救われたのは……。俺がさっきドミノ倒しにしてしまった石像の群れの中に、クラスメイトの石像は混ざっていなかったという事実が分かった事だった。
命の価値に優劣をつけてしまっているようで、心が痛むけれど。それでも俺にとって、一番近しい存在である同級生達が死んでいない事が確認出来て。
俺は心が完全に崩壊してしまうのを、かろうじて崖の上から落ちる半歩寸前の所で、ギリギリ食い止められたのは確かだった。
改めて気持ちが落ち着いてきた所で、俺はこの第2の試練の内容を改めて考えてみる。
「……立て札に書かれていた、第2の試練の指示通りに行動するとしたら。今の俺にとって、最愛の存在となっているはずの『朝霧冷夏』の石像を除いて。このフロアに置いてある他の石像は全て破壊しないといけない事になる」
つまり遅かれ早かれ……俺は、ここに置かれている1000体近い石像を全て破壊しないといけないらしい。
破壊というと、まだ聞こえは良いが。結局は、朝霧以外の全員を『皆殺し』にしろ――と、言っているようなものだ。
「本当に、俺にこんな事をさせるのが……女神の試練だというのだろうか? たった一人の最愛の人を救う為に、他の全ての仲間の犠牲を乗り越えろとでも言いたいのか?」
……だとしたら、そんなのはクソ喰らえだな。
もちろん、俺の現在の恋人設定が『朝霧』になっているから、やる気が起きない……って、訳じゃないぞ。
例え立て札の近くに置いてあった石像が『ティーナ』だったとしても。ティーナを救う為に、クラスのみんなを犠牲にするなんて事を俺は正当化したくない。
そしてティーナだって、そんな残虐行為をする俺を望まないはずなんだ。
もっと、真剣に考えろ……この第2の試練の真の意味を探り出すんだ。
そもそも論だが、俺は前回の第1の試練を本当に突破したのかさえ、実はよく分かっていない。
何となく、生き延びる事が出来て。俺は朝霧と一緒に次のステージへ進めたから『試練をクリアした』と勝手に思い込んでいたけれど。この試練に、本当の意味での『正解』は用意されているのだろうか?
どうも俺は、女神アスティアの用意したこの試練の意図を疑っているらしい。
……多分だが、この試練には正解なんて用意されていないんだと思う。
与えられた極限状態の状況の中で、俺がどんな答えを導き出して行動をするのか。最愛の人を第一優先にして、助け出すのか? それとも仲間を全員救う為に、行動するのか?
その時に与えられた選択肢から、俺が何を選び出したのかを……探っているような気がするんだ。
女神がどんなサディスティックな試練を俺に課そうが、別に知った事じゃないが……。
俺が一番懸念しているのは、この試練の会場に呼び出された俺の仲間や親しい知人達が『本物』なのかどうか……という事についてだった。
仮に、ここで石像にされているみんなが本物だとしたら。全員を破壊して殺害しないと、試練を突破出来ないなんて答えは、とてもじゃないが正気とは思えない。
もしかしたら、立て札には俺の罪が許される……という文字が刻まれていたけど。ちゃんと正解のくじを引きさえすれば、殺してしまった仲間も後で蘇らす事が出来るという意味なのだろうか?
「――クソッ! 何が正解なのか、全く俺には分からないぞ! そもそも最初からこの第2の試練は、おかしかったんだ。最愛の人を探し出せといいながら、朝霧の石像は立て札のすぐ近くに置いてあったし。探すもなにも、答えは一番近くに置いてあるようなものじゃないかよ!」
俺は誰もいない緑色のフロアのど真ん中で、叫び声を上げて。女神の試練への不満を露わにする。
「問題を作るのなら、ちゃんと謎を解かせるヒントくらい置いておけよな! それとも朝霧の石像を俺のすぐ近くに置いて、仲間の石像を壊せるか葛藤する俺の様子を見て楽しんでいるだけ……なんて事はないだろうな? もしそうだとしたら、これからは女神アスティアをあのクルセイス、ロジエッタのどS姉妹の仲間に加えて、サディティック3姉妹として同列に扱ってやるからな!」
俺は緑色のフロアのど真ん中に置かれた、立て札の近くに歩み寄り。
まるで子供のように癇癪を起こして叫んでしまう。
突然だ……なにせ今から俺は、この意味不明な試練を突破する為に。大切な仲間達の形をした石像を、全て破壊していかないといけないんだからな。
「そこまでして、仲間達を全員を殺害してまで守り切らないといけないのが、あの朝霧冷夏だなんて……。ハハ、本当にマジで笑えないジョークだよな? おまけに朝霧の奴、心なしか少し笑っているような表情で石像になんかなりやがって……」
俺は半狂乱になりかけた心持ちで、ゆっくりと朝霧の石像の前に近寄っていった。
この朝霧の石像、たった一つだけを残して。俺は今から、破壊すれば元の人間の姿に戻って死に絶える仲間の石像を全て破壊しないといけない。
全てが終わるまで、俺の精神が正常な状態を保てれば良いけれど。
もし全部終わった後で朝霧が『クスクス……。彼方くん、お疲れ様』なんて、いつもの怪しい笑い方で、俺の事をからかってきやがったなら。
今度こそ俺は自暴自棄になって、朝霧の奴に本気で襲いかかってしまいそうで怖い。
まぁ、あの手この手で俺を性的に誘惑しようとしてきた朝霧の事だ。それはそれで、俺の暴走を歓迎して受け入れようとしてくるのかもしれないけどな……。
俺はいったん、朝霧の石像をフロアの隅に移動させようとして。石像を両手でゆっくりと持ち上げようとしたその時だった――。
「――えっ……!?」
目の前に置いてある、朝霧冷夏の石像に。俺はある一つの『違和感』がある事に気付いてしまう。
それは本当に、ついつい見落としてしまいがちな。まるで針の穴に糸を通すくらいに、常人なら絶対に気付けないであろう程の小さな違和感だった。
……どうしてそれに気付けたんだ? と、誰かに後で聞かれたなら。俺はきっと自信満々なドヤ顔をして、こう答えただろうよ。
そう――それは、この俺が……。
「まだ女性と深い体の付き合いをした事が無い、真の『童貞戦士』だったからという事だぜ! ふぁ〜〜っはっはっは〜! 童貞をこじらせた究極エロ戦士でもある、コンビニの勇者の能力を甘くみるなよなッ!!」
もう……残業6時間明けの、早朝帰りが確定してヤバいテンションになっている、ブラック会社勤務のサラリーマンのように。俺の気分は今、超絶ハイテンションになり果てていた。
今ならきっと『コォーーッ』と呼吸法を変えて、体から炎を出して寒い氷の中で演舞だって俺は踊れるかもしれないぞ。
ハハッ……だって、そうだろう? こんなにも簡単な事に何で今まで気付かなかったんだろうって、自分のアホさ加減を、思わず笑わずにはいられなかったからだ。
俺は本物と寸分違わない、精巧な造形で出来ている朝霧冷夏の石像の前に立つ。
この石像は本物の人間の肌感、細かな毛穴やホクロの位置さえも分かるくらいの、完璧な質感で出来ているけれど。だからこそ……俺は目の前に置かれた朝霧の石像にある『違和感』に気付く事が出来た。
俺はさっき、第1の試練が終わったタイミングで。ふざけた態度を取ってきた朝霧に対して激昂し、朝霧の体を冷たい床の上に、思いっきり強く押し倒してしまったのをよく憶えてる。
その時に……俺はしっかり、この目で直接『見て』いるんだ。
朝霧の着ていた黄色いドレスの胸元が大きくはだけて、中にある朝霧の左胸の上の方に――『小さなホクロ』があった事をな!
なのに、この立て札の前に置かれている石像の朝霧には、その胸の小さなホクロが無い。つまりはこの石像は、『偽物』って事なんだ。
俺が熟成された聖なる童貞戦士だったからこそ、獲得していた驚異的な千里眼能力を誰か褒めてくれよな。
これが女性経験豊富な、普通の物語のイケメン主人公なら絶対に見落としていたと思うぞ。
だが……この俺は、絶対に見落としたりなんてしない。なにせ変態を極めし真なる童貞戦士だからな!
朝霧の左胸の上には、小さなホクロがある。
この視覚情報だけで、ご飯3杯は食べれてしまう。そんな真の童貞戦士であるこの俺だからこそ……一瞬のわずかな視覚情報さえも見落としたりはしなかった。
脳裏に焼き付けて、後でこっそりと部屋で楽しむ為の……オホン! いやいや、絶対の記憶情報として脳内ハードディスクの俺専用フォルダに焼き付けて、何重にも上書き保存しておいたんだからな。
だから間違いない。立て札の前にこれみよがしに最初から置かれていた朝霧の石像は偽物だったんだ。本物はどこか別の所に置かれているに違いない。
一度ジグソーパズルのピースがカチッとハマると、俺の脳内では全てのヒントが次々と結び合わさって、シナジー効果を生み出していく。
――そうだよ! だからこの偽物の朝霧の石像は、最初から立て札のすぐ近くに置いてあったんだ。最愛の人の身体的特徴を見逃すような奴には、この試練を突破する資格は無いと言わんばかりにな。
いいや、それ所じゃないぞ。もし、この偽物の朝霧像を本物だと信じて。うっかり他の全ての石像をまとめて破壊でもしてしまっていたら……。
この中に紛れている『本物の朝霧』の石像をも、俺は破壊してしまう可能性があった訳か。まさに、女神が用意したトラップにまんまと引っかかる所だったぜ。
立て札には、最初からこう記されていた。
『ここに置いてある全ての石像の中から、あなたが一番大切な人だと思う人物の石像を見つけ出せ』ってな。
だから一番最初から、分かりやすい位置にあった偽物はガン無視して。この緑色の壁に囲まれたフロアに置かれた1000体近くある石像の中から、本物の朝霧の石像を探し出さないといけないんだ。
――大丈夫、ヒントは十分にある。
1000体近い石像の群れを、一つ一つ精査した時に。俺は既に『違和感』を感じていたからな。
それは、この大量に置かれた石像達の中に。なぜか、フードを被って顔を隠していたり。一体誰なのかが、すぐには判別出来ないような形になっていた石像が、僅かに存在していた事を俺は憶えていた。
「その中にきっと……本物の朝霧冷夏の石像が隠されているに違いない!」
俺はすぐに、残された石像の群れの中に再び入り込み。急いで顔がフードで隠れて、識別出来ないようになっていた石像を探し出す事にする。
もしも、さっきの俺の『うっかりドミノ倒し』で、本物の朝霧の石像が破壊されてしまっていたら。マジでシャレにならなかったけどな。
俺は捜索を開始して、ほんの数十分ほどで……。おそらく朝霧本人だと思われる、お目当ての石像を見つけ出す事に成功した。
「――見つけたぞ! この石像には、左胸の上の部分に小さなホクロがあるし。背丈も体型も、髪の雰囲気も全てが朝霧の特徴と完全に一致している。この石像が、本物の朝霧冷夏なんだ……!」
俺の目の前に置かれた石像には、顔にフードのようなものが被されていて。その表情全体が確認出来ないようになっていた。
服の上にもローブを着ているし。確かに一見しただけでは……それが、朝霧冷夏だとは気付かないと思う。
でも、今の俺になら分かる。間違いない……この石像こそが、この試練においては俺の『最愛の人』として認定されている朝霧冷夏本人なんだ。
俺は本物の朝霧冷夏の石像を両手で担ぎ上げると、そのまま朝霧の石像を抱えたまま。
思いっきり硬い地面を蹴って、フロア全体が見渡せる空中に大ジャンプをした。
そして、空中で大きく深呼吸をして――。
両肩に浮かぶ銀色の守護衛星に、最大出力のツインレーザー砲のエネルギー充填を開始する。
「第2の試練の立て札には、全ての石像を破壊すれば、俺の犯した罪は許されると書いてあった。俺はその言葉を信じる事にするからな! もし、間違っていたなら……マジで俺はお前を絶対に許さないぞ、女神アスティア!」
大声で絶叫した後で、俺は真下に立ち並ぶ残り900体近くある石像の群れに向けて。
一気に、高出力のツインレーザー砲をぶっ放した。
””ズドドドドーーーーーーーン!!!””
フロア全体を覆っていた、1000体近くある石像達は……高熱を伴うツインレーザー砲の火力によって全て吹き飛ばされ。一瞬にして蒸発して消え失せる。
例えほんの一瞬とはいえ……ここにある石像は破壊される寸前に人間の姿に戻る事を考えると。俺の心は強い罪悪感に苛まれてしまうが。
だからこそ俺は、最大出力のエネルギー砲を一気に発射させて。全ての石像が苦しまずに、ここから一瞬で消滅するようにと最大限の努力をした。
フロア全体に置かれていた、無数の石像が消滅し。
気付いた時には――俺の視界は、再び真っ白な濃霧の中に包み込まれていく。
……意識が戻った時には、どこか別の場所で。俺の頭はいつの間にかに、柔らかい朝霧の膝枕の上に固定されている事に気付いた。
俺は慌ててその場から飛び起きると、キョロキョロと周囲を見回して。現在の状況確認をしようと試みる。
「あ、朝霧……!? お前がここにいるって事は、俺は第2の試練を突破する事が出来たのか?」
慌てふためく俺とは、対照的に。朝霧はいつも通りの冷静さと、怪しい笑みをこぼしながらクスクスと目覚めたばかりの俺の顔を見て笑うと。
まるでさっきまでの事が何も無かったかのように、眉ひとつ動かさない平坦な顔つきで、俺に向けて話しかけてきやがった。
「――おめでとう、彼方くん。これで第2の試練もクリアね。女神の試練はあと一つだけよ。私達で力を合わせて、残りの試練も頑張りましょうね」
俺に向けて白く細い手を伸ばしながら、親愛の意を示す握手を求めてくる朝霧。
俺はそんな朝霧の手に応じる事なく。思わず目の前に座っていた朝霧冷夏から、距離を取ってしまった。
「ウフフ。どうしたのかしら、彼方くん? 私の顔に何かついていたの? それとも、何か不思議に思う事でもあったのかしらね……クスクス」
朝霧の握手を拒否したのは、単に俺の精神がまだ動揺していたから……という理由だけでは無かった。
俺には心底……目の前にいる、朝霧冷夏という女の存在が『怖かった』んだ。
朝霧は、この女神の試練の内容は『何も知らない』と言っていたけれど。それは、本当なのだろうか?
さっきの第2の試練が突破出来たのは、俺が朝霧の胸にあった小さなホクロの位置を憶えていたからだ。
でもだからこそ、この試練が始まった時に……。朝霧は執拗に俺との体の接触を求めてきたのではないのか? と、思えてしまった。
俺に朝霧の体を求めるように誘導して、実際に襲わせて。服を脱がせれば、朝霧の体の身体的特徴を俺はこの目で視認する事になる。
実際に、それがあったからこそ。俺は立て札の前に置かれた朝霧の石像が、偽物である事に気付く事が出来た。
もしも、朝霧が今回の女神の試練で『上書き挿入』の能力を使わなかったとしたら。
仮にこの女神の試練の本当のヒロイン役が、ティーナか玉木だったとしたら。
それでも俺は、第2の試練を何とか突破する事が出来たと思う。
ティーナはいつもコンビニの中で、俺にラッキースケベ攻撃をしてきていたから。俺はティーナの体の特徴を熟知しているし。
玉木は、以前に帝国領の地下にあった魔道研究所で、枢機卿と入れ替わりをした時に下着姿になっていたのをしっかりと俺はこの目で見ているからな。
つまり身体的特徴が全く分からない、朝霧冷夏がヒロイン役になっている今回の第2の試練についてだけは……俺は試練を攻略する為の事前情報が皆無だった事になる。
もし、それを知っていて。朝霧はわざと、俺に自分の体を求めさせようとしていたのだとしたら……。
やはり朝霧は、この女神の試練の事も含めて。この世界で起きる全ての事を『知っている』のではないだろうか?
今の俺にとっては、女神アスティアよりも。もしかしたらコンビニの大魔王と、魔王に仕えるレイチェルの最強コンビよりも……『叙事詩』の能力を持つ、朝霧の方が怖い存在に思えてしまっていた。
それはいつか……朝霧が、俺や俺の大切な仲間達を幸せな結末には導こうとしないで。
別の何か良からぬ方向に、俺を誘導しようとしているんじゃないかと感じて。本能的に恐怖を抱いてしまったからだと思う。
もしも……目の前にいる朝霧がいつか『敵』になってしまうような事があるとしたら。
その時に――俺は、この物語を自由に外から支配する事が出来る朝霧に勝つ事など出来るのだろうか……?
そんな俺の怯える心を見透かすように、朝霧はいつも通り楽しそうに笑ってみせていた。
「……ウフフ。どうしたの、彼方くん? さぁ、第3の試練を受けに行きましょう。きっとこのフロアを抜ければ、女神が用意した最後の試練が私達を待ち受けているはずよ。クスクス……」




