第四百五十三話 太古の昔に存在した恋人達①
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
遠くの方から、鳥のさえずりが聞こえてくる。
心が癒されるような、緩やかに流れる小川の水流の音もかすかに俺の耳には聞こえてきていた。
……ここは一体、どこなのだろうか?
うっすらと目を開けてみると。陽光の木漏れ日が、生い茂る木々の葉っぱの間を縫うようにして。大地に眩しく降り注いできているのが分かった。
「もしかしてここは、森の中……なのか? 俺はどうして、森の中なんかで寝ていたんだろう?」
首を軽くふってみても。直前までの行動が何も思い出せない。ひどい頭痛もするし、頭の中の記憶が混濁して。かなり曖昧になっているらしい。
どうして森の中にいて、そして今まで何をしていたのかの記憶を、俺は何一つ思い出す事が出来なかった。
「――ん? そもそも『俺』って一体何者なんだ? 参ったな……どうやら自分の名前さえ、思い出せなくなっているみたいだぞ」
キョロキョロと自分の体を見回してみると。俺の腕には、見慣れない時計【スマートウォッチ?】が付いていて。全身には、季節外れの黒いロングコートを着ているらしい事も分かった。
きっと転んで頭を強く打ってしまったのだろう。そのせいで、一時的な記憶喪失になっているのかもしれない。
でも、こうして森の中にいるって事は……自然散策のウォーキングでもしていたのだろうか? それにしては、着ている衣服が少し派手すぎる気もするけど。
俺は少しだけ前に進もうとして、足を動かすと。
足元がフラフラとふらついて、危なく目の前の地面に倒れかかってしまった。
「おいおい。たったの1、2歩、歩いただけでこの調子なのかよ。マジで寝ている間に、変な薬とかをこっそり体に打たれたりしてないだろうな……」
それでも何とか気合いを入れて。両足をゆっくりと交互に動かしながら、俺は少しずつ森の中を歩いて前に進んでいく。
すると――ぼんやりとした視界の先に。俺の足元からじっとこっちを見上げてきている、不思議な生物の姿が見えてきた。
「――ペィペィ、ペィペィ!」
黄色い大きなカエルが、俺の足元で踊り回るようにぐるぐると飛び跳ねていた。
何だ、このカエル……? 色が黄色いし、体は大きいし。しかも人間のおっさんみたいな声をしてるし。
そもそも鳴き声も、スマホの電子決済みたいな変な言葉で鳴いてるみたいだし。
――ん? スマホの電子決済だって?
それって……一体何だっけか?
まだ記憶が曖昧過ぎて、自分の頭の中に蓄えられた情報にうまくアクセス出来ない。そもそも俺は自分が何者なのかさえも、まだ思い出す事が出来なかった。
「――どうしたの、コウペイ? そんな所で大きな声で鳴いたりして?」
突然、森の茂みの奥から一人の少女が出てきた。
俺はその少女の外見を一目見て。思わず呼吸するのを忘れてしまうくらいに驚いて、全身を硬直させてしまう。
とても――綺麗な女の子だった。
なんていうか、その姿は森の景色に同化するように溶け込んでいて。透き通るような透明感のある、とても美しい顔立ちをした少女だった。
髪の色は澄んだ青空のように透き通る水色で、全身には白いローブのような服を着ている。
えっと……この子は、一体誰なんだろう?
どんなに、記憶の奥底に眠っている情報にアクセスをしようとしても。何一つ思い出せなかった。
という事は……俺はこの少女と会うのは、これが初めてという事なるのかな?
でも例え……この綺麗な少女と出会うのが、これが初めてだったとしても。きっと今ここにいる俺と、目の前にいる少女は何かしらの『縁』で繋がっているんじゃないかと思えた。
理由は全く分からないけど、確かにそう感じるんだ。
きっと今の俺がこの世界に存在しているのは、この美しい少女の存在が強く影響をしているに違いない。
そう……もしかしたら、この少女がこれから遥かなる年月をかけて。
遠い未来の世界で、俺をこの世界に召喚して呼び寄せる。その全ての『きっかけ』を作り出した存在なのかもしれない……って俺の心にはなぜか思えていた。
……ん? 召喚して呼び寄せる? それは何だっけ?
頭の中に激しい痛みが走って、やっぱり重要な事は何一つとして思い出す事が出来ない。
痛む頭を手で押さえながら、呆然として森の中に突っ立っている俺の事を見つけると。水色の髪の少女は、俺のすぐ目の前にまで走り寄ってきて。
足元で『ペィペィ』と鳴き続けている、不思議な黄色いカエルを両手で優しく拾い上げてみせた。
「もう……本当にごめんなさいね。うちのコウペイは、森の中に人が迷い込んだのを見つけると、すぐに興奮して大声で鳴き続けちゃうんです。この森に外部から人間がやって来る事なんて、ほとんど無いものだから……」
「――コウペイ? その人間のおっさんのように変な声で鳴く黄色いカエルの名前は……『コウペイ』というんですか?」
しまった……初対面の人なのに、いきなりその人が大切にしているかもしれないカエルの事を、おっさん声をしている変なカエルと呼び捨ててしまった。
流石にそれは、無神経だったかもしれない。
俺は慌てて少女に対して頭を下げて、深く反省する。
もしかしたら水色の髪の少女は、俺の言葉に傷付いて。不機嫌になってしまっただろうか?
そんな心配をしていた俺の顔を、水色の髪の少女がマジマジと近くから覗き込んできて。
そしていきなりお腹を両手で押さえながら、その場で飛び跳ねながら大笑いを始めた。
「ア〜っハッハッハ〜! ねぇ、コウペイ? この人、あなたの鳴き声がおっさんの声に聞こえるんだって! 面白いね! 私と全く同じ感想を、この人も思ったみたいよ。やっぱりそうよね、あなたの鳴き声って全然カエルの声に聞こえないんだもの。そうよ、やっぱり人間のおっさんの声によく似ているのよ!」
水色の髪の少女は、黄色いカエルのコウペイの体をぷにぷにと指先でつつきながら、子供のようにずっと笑い続けている。
まるで森の妖精のように、清楚な顔立ちをしていた少女が、あまりにも明るい陽キャの雰囲気を出した事に俺は思わず驚いてしまう。
こ、この子って、こんな感じの子なんだ……。
見た目の清楚さとは裏腹に、少女は明るく人懐っこい社交的な性格をしているらしかった。
でも、笑っているその顔も本当に綺麗で、心から素敵だと思える魅力のある子なのは間違いない。
「――で、コウペイにすっごく懐かれているお兄さんは一体、何者なのかしら? 見た事もない不思議な黒い服を着ているみたいだけど。それが最近の流行りなの? 私、ここしばらく人間の里には降りて無いから、最新ファッションが分からないのよ。あなたは、どこの出身なの?」
「えっ、えっ、俺の出身だって……? ええっと、確か俺の生まれた場所は『日本』って名前の地名だったと思うんだけど。実は記憶を一時的に失っているみたいで、まだよく思い出せないないんだ……」
「日本? ふーん、聞いた事がない場所から来たのね。私もコウペイも300年くらい、この迷いの森の中に籠っているから。外の世界の変化がよく分からないの。でも、どうやら私の知らない新しい地名の街が出来たみたいね」
「ええっ!? 300年間、森に籠っているだって? それって、どういう事なんだ? だって君の外見はとても若く見えるし。どう見ても16〜7歳くらいにしか、見えないけど……」
俺の言葉を聞いた水色の髪の少女は、手の中にいるコウペイと一緒に愉快そうに笑ってみせた。
「アハハ。そうよね、やっぱり不思議よね? でも、300年生き続けているのは本当なのよ。だって、私もコウペイも同じ『不老』の寿命を持つ、永遠に歳を取らない仲間同士なんですもの」
「永遠に歳を取らない……? それは、どういう仕組みなんだ。まさか吸血鬼とかって訳じゃ無いんだろう?」
俺の問いかけに対して、少女は不思議そうに首を傾げて返答をする。
「うーん、その『吸血鬼』って言葉はよく分からないけれど。私もコウペイも、そういう不思議な魔法をかけられているの。この世の理を無視して、生き物を不老の存在に変える。そんな奇跡の魔法をかける事が出来る、凄い人がこの森の中にはいるのよ」
「奇跡の魔法を扱える、凄い人……?」
「……あっ、噂をすれば! ちょうどここに来てくれたみたいよ。ナイト〜! こっちこっち〜!」
水色の髪の少女が俺の背後に向けて、大きく手を振ると。森の奥の方から、一人の若い男がこちらに向けてゆっくりと歩いてきていた。
俺は後ろを振り返って、その若い男の姿を見て。思わず何度もその場で瞬きを繰り返してしまう。
金色の長い髪を伸ばした男の顔は、きっと俺がこの世界で見てきた中で……最も美しい、まるで美術館に飾られている彫刻のように端正な顔立ちをした人物だった。
世の中にはこれほどまでに美しく、綺麗な顔立ちをした人間がいるのだと、思わずゴクリと唾を飲み込んでしまったくらいだ。
白い肌には一点の染みも、穢れも無い。遠目で見れば、女性にも見えてしまうくらいに中世的な外見を持つその青年は、まさに完成された『美』だけが集まって構成された芸術品のような存在である事だけは間違いなかった。
水色の髪の少女が手招きをして迎え入れた若い男は、まるで太陽のように爽やかな笑顔を俺に見せて。ニコリと微笑みながら、こちらに手を振ってやって来る。
「遅れてゴメンね、アスティア! 森の奥で素敵なココルコの木がたくさん生えている場所を見つけたんだ。そこでココの実もいっぱい取れたから、あとで一緒に食べようね! ……で、そちらに立っている見慣れない人は、アスティアの知り合いなのかい?」
金色の髪の青年は、俺の事を珍しいものを見つけたような、不思議そうな顔色で見つめてくる。
「ううん。今、初めて知り合ったの。彼は『日本』っていう場所からここにやってきて、森の中で迷子になっちゃったんだって。あと、なぜか記憶も失っているみたいで、自分の事がよく思い出せないみたいなの。ねぇ、ナイト? あなたの不思議な魔法で、彼の記憶を呼び起こしてあげれないかしら?」
「記憶が無いだって……? それは、本当に大変だね。分かった、僕が何とかしてみせるよ! アスティア、君は先に小屋に戻って収穫したココの実をしまってきてくれないかな? コウペイも、アスティアと一緒について行って欲しい」
「分かったわ、ナイト! じゃあ、先に小屋に戻っているから。その人の事をよろしくお願いね!」
「ペィペィ、ペィペィ!」
アスティアと呼ばれた水色の髪の少女と、黄色いカエルのコウペイが森の奥に向かって歩いていく。
そして、草木の生い茂る森の中には『ナイト』と少女に呼ばれていた不思議な青年と、記憶を失っている俺の2人だけが取り残されてしまった。
「改めまして、こんにちわ。不思議な迷い人さん。僕の名前はナイトです。どうか、よろしくお願いします」
爽やか笑顔の好青年が、俺に白い手を差し出して握手を求めてきた。
「あーあー、えーと……俺は自分の名前がまだ思い出せない状態だけど、こちらこそよろしくお願いします」
俺はナイトが差し出した手を握り返し、その場で深々と頭を下げて会釈した。
「そんなに緊張しなくても、大丈夫だからね。僕にも、今の君が不安に思う気持ちがよく分かるよ。実は僕も記憶を失っていて、名前も含めて自分自身の素性が何一つ思い出せていないんだ」
「あなたも自分の記憶を……? でも、さっき自分の名前は『ナイト』と言っていたみたいだけど……?」
「アスティアが、僕に名前が何も無いと呼びづらいからって。とりあえずの名前をつけてくれたんだ。何でも、この世界では騎士の事を『ナイト』と呼ぶらしいけど。彼女にとって僕は、自分の事を助けてくれた騎士様だから『ナイト』って呼ぶ事にするって言っててね」
金髪の好青年の話する内容を聞いて――。
俺の頭の中には不思議な既視感というか。どこかで聞いた事があるような名前だな……という感想が湧いてきた。
アスティア……。ナイト……。俺はどこかで、この2人の名前を聞いた事があるのかもしれない。でも何度、頭の中の記憶にアクセスをしようとしても。その名前をしっかりと思い出す事が出来なかった。
「さっきの水色の髪をした女性――アスティアさんが、俺に自分は歳を取らない『不老の存在』なんだって言っていたんだけど。もしかして……あなたも同じ不老の存在だったりするんですか?」
「――不老の存在? ああ、時間の経過による肉体の劣化についての現象だね。そうだよ、僕の周囲に流れる時間は『無限』だから。歳を取るという概念自体が僕には存在しない。もっと言うなら『死』という概念さえも存在しないんだ。でも、それは僕にとっては当然の事で。逆に時間の経過によって、いつか肉体が消滅してしまう君達の方が、僕には不思議な事なんだよ」
衝撃的な内容の話を、ナイトと呼ばれた青年は至極当たり前のようにサラサラと俺に話してくる。
「……だからね。僕は大好きなアスティアに特別な魔法をかけて、僕と同じように時間には縛られない『不老の存在』になって貰ったんだ。その時に足元でたまたま地面で寝ていたコウペイにも、不老の魔法が一緒にかかっちゃったんだけどね」
金髪の青年はクスクスと笑い。さらりと、自分の行う奇跡の魔法の効果を当然の事のように話してくる。
彼は自分という存在が、どれだけこの世界にとって規格外であり。奇跡のような『特異な存在』である事があまり理解出来ていないようだった。
ナイトの話をわずかに聞いただけで、俺には目の前にいる金髪の青年が、俺達の世界には本来あり得ないはずの存在ある――という事が、確信出来てしまった。
そんな俺の内心の戸惑いを察したのか、ナイトはクスクスと笑いながら、俺に問いかけてくる。
「……でも、とうやら君も僕と同じような『不思議な存在』みたいだね。だって君はこの世界の『未来』からここにやって来ているんだろう――秋ノ瀬彼方くん?」
「えっ? えっ? 俺が未来から来ただって? それに今、俺の名前を『アキノセ・カナタ』って呼んだのか?」
「うん。僕の視界には、この世界に存在する全ての生命の『時間の流れ』が見えているんだよ。例えば、あそこに存在している立派な樹木も、あと220年も経つと枯れ果ててしまうんだ。この世界の全ての生命には『時間の経過』という、絶対に覆せない縛りが存在しているからね。でも、その時間の流れが君からはなぜか感じられなかった。だから君は、もっと遠い未来の世界から不思議な力を使ってここにやって来ている……って僕には分かったんだ」
「俺が未来の世界からやって来ている? それは一体、どれくらい先の未来からなのか、ナイトさんには正確に分かったりするんですか?」
俺の問いかけに、ナイトは初めて首を傾げると。少しだけ困ったような顔色をする。
「ゴメンね……。そこまで正確には僕にも見えなかったんだ。でも本当に、ずっとずっと遠い先の未来から君がここに来ているのは間違いないよ。全てじゃないけれど、君の周囲に流れている僅かな時間のズレを探知した感じだと……。きっと君は、この世界の時間単位で1万年くらい先の未来からここに来ていると思う。時間探知をした時に、君の名前の情報だけは僕にも知る事が出来たんだ」
「俺は今から、1万年も先の未来からやって来ているというのかよ。そんな事が……」
美しい金髪の青年ナイトは、俺の手を取りながらクスリと笑う。そして改めて真剣な表情に戻ると。今度は逆に俺に対して質問をしてきた。
「彼方くん、僕からも君に聞きたい事があるんだ。僕は君と同じで、自分自身の存在についての記憶を一切忘れてしまっているんだ。だから未来から来ている君になら、僕が何者なのかが分かるんじゃないのかな? もし、君の知っている事で分かる事があるのなら、ぜひそれを僕に教えて欲しい。僕は一体、何者なんだろう……?」
真顔で顔を近づけて俺の目を見つめてくるナイトの顔は、本当に真剣そのものだった。
だから俺も、自分が思った事を正直に彼に伝えてあげるべきだと思った。
まだ俺の記憶は曖昧なままで、せっかく自分の名前が『秋ノ瀬彼方』だと教えて貰えても。どうして自分がここにいるのかについては、何一つ分かっていなかったけど……。
それでも、俺と同じように自分自身の存在が分からずに。思い出せない自分の本当の記憶に囚われて、苦しんでいるナイトの苦悩は理解出来る気がしたからだった。
「ナイトさん。俺はこの世界の事を全て知っている訳じゃないけれど。それでも分かる事もある。だから正直に言おうと思う。きっとあなたは……この世界の住人では無いのだと俺は思う」
「僕がこの世界の住人じゃないだって? それじゃあ、僕は一体……『何者』だというんだい?」
俺は真っ直ぐにナイトの目を見つめて。いったん深呼吸をした。
そして今、心の中で直感的に思った事をそのまま正直に彼に伝えてしまった。
後に……俺のその行為が、この世界の未来にどんなに過酷な結末を与えてしまうのかなんて。
この時の俺には――到底理解出来るはずも無かったからだった。
「……多分だけど、俺の住んでいた元の世界では……あなたのような人の事をこう呼んでいたんだ。奇跡のような魔法を幾つも使いこなし、この世界のルールには縛られない、一次元高い場所からこの世界に住む人々を見下ろしているような存在。そんな存在を――俺達はそう、『神様』と呼んでいるんだよ」




