第四百七話 2回目の仮想夢の世界?
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ここは、どこだ……?」
不思議な空間の中に、俺の意識は漂っていた。
まるで水の上に、プカプカと浮かんでいる浮き輪のような感覚がする。
子供頃によく遊んだ近所のプール施設で、流れるプールの水の上を、ゆっくりと下流に向かって流されていくような感覚に近いのかもしれないな。
――何だろう? 前にも似たような体験をした覚えがあった気がするけど。それは、いつだったかな……?
真っ暗な闇に包まれた空間の中で、不思議な浮遊感だけが感じられる閉ざされた世界。
耳の奥に、どこかから水が流れ込んでくるような音が聞こえてくる。
この水の音は一体、何の音で。どこに向かって、何が流れ込んでいるのだろうか?
もしここが、俺の『潜在的な意識』の中を現す空間なのだとしたら。そこに今……誰かが、何かを流しこんでいる最中なのかもしれないな。
……そんな事を延々と、俺は真っ暗な空間の中で一人で自問自答していると。
遠くの方から、よく聞き慣れた声が聞こえてきた。
「……彼方くん、彼方くん、お願いだから起きてよ〜!」
「起きるのにゃ〜、大好きお兄さん! これでも食べて元気を出すのにゃ〜!」
『――むごおおぉぉッッ!?』
口の中に強制的に侵入してくる、謎の異物感。
そのあまりに痛さと、不快感に耐えかねて。俺は不思議な夢の空間の中から慌てて飛び起きた。
「うひえぇぇ……! ペッペッペッ!!」
舌の上に、めちゃくちゃ硬い金属の苦い味が染み込んだ唾液が付いていた。
「……一体、何なんだよコレは!? 俺の口の中に、何を放りこんだんだよ!?」
口の中に無理やり詰め込まれた物を、俺は急いで外に吐き出す。そしてそれが何なのかを確認すると。
外のラベル部分が唾液で溶けて、銀色のアルミ部分が露出した『サバ缶』である事が分かった。
どうやら寝ている俺の口に、誰かが無理やりサバ缶を中身ではなく。缶の状態のまま強引に押し込んだらしい。
「コラァァッ!! フィート!! 絶対にお前だろ!? 人の口の中に、サバ缶を1缶丸ごと放り込みやがって!」
「ぶにゃあ〜! 美味しいサバ缶を缶のまま口の中に入れてあげれば、サバを食べたい大好きお兄さんが、缶を噛み砕こうとして起きると思ったのにゃ〜! 結果、あたいの作戦は大成功だったから、感謝しろなのにゃ〜!」
舌に残る金属の味が染みた唾液を、全て吐き出し。俺はようやく自分が深い眠りについていた事を理解した。
起きてすぐに紗和乃達から話を聞くと、俺はこの武器庫の中で、3時間近くも寝こんでいたらしい。
頭上から落ちてきた鉄球の直撃を食らった俺は、幸いにも体に外傷は無かった。
おそらくコンビニ店長服の無敵ガード機能が発動して、天井から鉄球が降ってくるという『罠』に、まんまと引っかかった俺の体を守ってくれたのだろう。
だが……俺が今、感じている『違和感』の正体は、その事についてじゃないんだ。
鉄球の直撃を受けた俺は、その場で意識を失い。何と3時間もこの倉庫の中で寝込んでいたらしい。
俺の様子を心配した紗和乃や、偵察を終えて戻ってきた玉木、フィートが声をかけても俺は全く起きなかった。
つまり――この『3時間』の間は、コンビニの勇者の俺は、みんなが無理やり起こそうとしても。全く目覚める事のない、深い眠りの中に沈み込んでいたんだ。
「もう……! 敵地のど真ん中に侵入しているのに、不用意にも一人で外に飛び出して。しかも、トラップに引っかかって鉄球の下敷きになるなんて、本当に無様で間抜けな勇者よね。彼方くんの着ている服に、無敵ガード機能が無かったら、一発でゲームオーバーだったんだから、少しは反省しなさいよね!」
紗和乃に、きつーく叱られてしまう俺。
でも……注意された俺の意識は、完全に上の空だった。
正直、みんなの声は全然俺の耳には届いていない。
だってこの俺が、3時間もスヤスヤと寝込んでいたなんて。そんなバカな事が、あり得るはずが無いからだ。
まさか、これは……?
朝霧が再び俺に仕掛けた『仮想夢』の世界なのか?
そう――俺は以前に、これと『全く同じ現象』を経験して、ククリアに相談した事があった。
コンビニ店長服の無敵ガードに守られている俺が、丸々2日間もカラム城の中で寝込んでしまうのはおかしいと。あの時の俺は、信頼できるククリアに相談をしたのを憶えている。
そしてそれから何度も、絶望に染まった最悪な未来をシュミレート体験させられる羽目になったんだ。
だけど今回は、俺が寝ていた時間は3時間だけだった。
前回、丸々2日間寝込んで起きなかった時に比べると。その睡眠時間は、あまりにも短い。だから勘違いという可能性もあるかもしれない。でも、俺の頭の中の疑念は簡単には消えそうになかった。
「……玉木。ちょっと俺のほっぺたを、指で思いっきりつねってくれないか?」
「ええっ? どうしたのよ、彼方くん? 別にいいけど『暗殺者』のレベルの上がって、腕力が強くなった私が思いっきりつねったら、彼方くんのほっぺに穴が空いちゃうかもしれないよ〜!?」
「それは嫌だから、やめておこう。じゃあ、フィート。ちょっと俺の頬を軽く叩いてみてくれないか?」
俺は尻尾をフリフリしてる、可愛いもふもふ猫娘を手招きして。自分の近くにまで呼び寄せる。
「にゃ〜〜ん! そんなのお安いご用なのにゃ〜! いっくのにゃ〜! もっとサバ缶を気前よく、あたいによこしやがれビンタなのにゃ〜〜っ!!」
”パチーーーン!!”
結構、良い感じの高音が倉庫内に鳴り響いた。
それでも、俺は意識は当然のごとくしっかりしていて。夢の中から覚めるというような事は無かった。少しだけほっぺたが赤くなって、じんわりしてるけどな……。
「やっぱり起きないか……。という事は、これは現実なのか?」
「彼方くん、どうしたの? 何か様子がおかしいみたいだけど。不思議な事でもあったの?」
俺の異変を察した紗和乃が、心配そうに尋ねてきた。
「いや……大丈夫、何でもないんだ。それよりも俺が寝込んでいた時の事を教えて欲しい。玉木やフィートがここにいるって事は、王宮の偵察から無事に戻って来たって事なんだよな?」
俺は心の中で感じていた違和感を、とりあえず封印する事にした。
ここにククリアがいてくれたなら、真っ先に相談したかったけど。仮想夢の事情を知らない紗和乃や玉木に、俺が以前に見た『仮想夢』の事を、一から相談するのは時間が足りなさ過ぎるからな。
そう、俺は鉄球の罠にかかった後――3時間も目を覚まさなかったという事実をみんなから聞いて。
真っ先に今、目の前に広がる世界が朝霧が用意した『仮想夢』の世界なんじゃないかと疑ってしまったんだ。
なにせ直前に、朝霧の格好をした黄色いドレスを着た女の後ろ姿を目撃したし。
この武器庫に入ったのも、怪しげな黄色い蝶が中に舞い込んだのを目撃したからだった。
だけど肝心な、朝霧本人を顔を見た訳ではない。
全ては俺の……勘違いなのか?
いいや、ここまでお膳立てが揃い過ぎた偶然が、立て続けに連続で起きる方がどうかしてるよな。
この感覚は久しぶりだけど、相変わらず仮想夢ってのは、意地の悪い仕組みになっていると痛感してしまう。
俺が死ねば巻き戻るとか、俺の大切な仲間が失われた時点でスタート地点に戻るとか。そういった保証が、朝霧の仮想夢には一切無いからだ。
もしかしたら、全て俺の勘違いで。この世界が、現実の世界であるという可能性が普通にあり得る。
そしてその事を確かめる為に、ここで俺が自殺をしたりしたら。それが『事実』として、現実の世界で確定されてしまうのだ。
ここが夢の中の世界なのか、現実なのかを見極める方法は全く無い。
何かが起きて俺が再び夢から覚めたら、それはやっぱり仮想夢だったんだと理解する以外に、確かめる術が無い。
どちらにしても、ここは慎重に行動をするべきだ。
必ず『何か』が起きてる。それだけはきっと、この不穏な空気の流れる場所で、唯一確かな事実なのだから。
「……パティは、まだ戻って来ていないのか?」
俺は仲間の中に、うちのチョコミントの騎士が居ない事を玉木に尋ねてみた。
「うん。私もフィートちゃんも、王宮内の偵察を終えて戻って来たんだけど。まだパティさんだけは、王都から戻って来ていないみたいなの〜!」
「そうなのか。流石に……遅過ぎるよな。どこかで油を売って遊んでいるとしても、帰りがここまで遅くなるのはおかしい気がする。……そうだ、玉木! 肝心な地下に繋がる入り口を見つける事は出来たのか?」
俺の問いかけに対して玉木は力強く頷くと。親指を立てて、にっこりと微笑んでみせた。
「ふっふ〜ん! 見つけたよ〜、彼方くん! ほら、私達2年3組のみんながこの世界に初めて召喚された部屋があったでしょう? あそこも地下にある大部屋の一つなんだけど。そこから少し進んだ所に、鉄格子で閉ざされた怪しい隠し階段を見つけたの〜! ティーナちゃんの反応もその奥から感じるし、間違いないと思うわ!」
「そうか。ありがとう、玉木! これでやっと、ティーナを救出に向かう事が出来るな!」
「うんうん。早くティーナちゃんを助けに行こうよ〜、彼方くん! 私、ティーナちゃんの為に好物のBLTサンドも持ってきたから、早くティーナちゃんに食べさせてあげたいよ〜!」
紗和乃も、玉木も、急いでティーナ救出の為の準備に取り掛かり始めた。
フィートも、しばらくサバ缶が食べれなくなりそうだからと。サバ缶を3缶も開けて、一気に好物のサバを口の中に放り込み始める。
……気になる事は、あまりにも多い。
でも、ティーナの安否を思うと。もはや一刻の時間の猶予も無いのは確かだった。
外は既に夕方になっている。俺が3時間も寝込んでいたせいで、王宮の外の騎士達が王宮の中に戻り始めていた。
王宮内にいる騎士達の数が増えると、隠密行動がしずらくなってしまう。
クソッ……。パティはなぜ戻ってこないんだ?
流石に王都のどここで、チョコミントをこっそり食べているだけじゃ、ここまで帰還が遅くなる事は無いはずだ。
だとしたら、パティの身にも『何か』が起きてる?
だけど、この状況下では探しようが無い。今から王都に探しに行くなんて事は出来ないし、その間にもティーナの身に危険が迫ってしまうかもしれない。
もう、ここは覚悟を決めて。
みんなと、地下に向かうしかないだろう!
心の奥のモヤモヤは、解消されないけれど。
本当にこの世界が仮想夢の中だとしたら。たったの3時間だけで、俺の脳内に未来予測のシュミレーション情報をどれだけ詰め込めたのだろう?
前回の俺は、カラム城の中で2日間寝込んでいた。
その間に朝霧が俺の脳内に、この世界の未来情報をこっそりとインストールさせていた。
それで俺は、約5日間にも渡る未来シュミレーションの仮想世界を体験する事が出来たんだ。仮想夢の世界は、この世界の情報を完全に再現した、まさに本物と同じ世界観をリアルに体験出来る世界だった。
それが、今回はたったの3時間しか無かった。
それだと……俺は一体、どれだけの仮想世界の情報がインストールされた事になるんだ? 一日分か、それとも半日分だけなのか?
それとも朝霧の『叙事詩』としての能力がレベルアップして。短期間で俺の脳内に、大量の未来情報をインストール出来るようになったのか?
だとしたら、何でその事を知らせてくれないんだ?
もしかしたら、それが出来ないくらいに。朝霧も切羽詰まった緊急事態が突然、俺の未来に訪れたのだろうか?
正直な所、何も分からない……。俺が3時間も寝込んでいたのは、やっぱりただの偶然で。今回の件に、朝霧は全くの無関係という事さえあり得るからな。
ここに、ククリアがいてくれたなら――。
俺は今、無性にククリアと話したかった。そして、仮想夢の事を彼女に相談したかった。
「彼方くん、行っくよ〜! 姿を隠せない紗和ちゃんと、彼方くんの為に、グランデイルの騎士の鎧を2着分持ってきたから、これに着替えて出発してね〜!」
準備の良い玉木が、俺と紗和乃の分の鎧を持ってきてくれたようだ。
「さ、紗希ちゃん? この銀色の鎧はどうしたの? もしかして、グランデイルの騎士を◯◯しちゃったの? キャアー! 聞きたくないー! 小さなアリも踏み潰せなかった心優しい私の紗希ちゃんが、立派な暗殺者をしてる姿なんて想像したくないー! 私の親友が遠くに旅立っていくのを見たくないー!」
現実逃避を始めた紗和乃が、両耳を塞いでワナワナと首を振り続けている。
「紗和ちゃん、大丈夫だよ〜! この鎧は近くの倉庫に置いてあったものだから。私はいつまでも、紗和ちゃんの親友だからね〜!」
「ううっ、紗希ちゃん〜〜!」
玉木と紗和乃の親友コンビが、ガシッとお互いの体を強く抱きしめ合う。
こんな殺伐とした場所でも、美しい百合を見せて貰えて。少しだけ俺の心はリラックスが出来た気がする。
けれど、俺はまだ心の引っ掛かりを抱えたまま。
玉木やみんなと一緒に、グランデイル城の地下の最深部へと向かって突き進んで行く事となった。




