第四百三話 幕間 カディス饅頭
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「さあ、いらっしゃい〜! カディナ名物の『カディス饅頭』だよ〜! カディナの壁外区に遊びに来たなら、まずはコレ! コレを食べないとカディナ観光は始まらないよ〜!」
明らかに商売慣れをしていない、軽薄そうな外見をした優男が、大声で壁外区にいる住人達に向けて呼びかける。
カディナの街の外にある、スラムのような雰囲気を持つ大きな街。通称――『壁外区』。
ここは城塞都市カディナに日雇いの仕事を求めて、世界中のあちこちから流れてきた浮浪者達が多く暮らす、治安の悪い巨大居住区と化している場所だ。
そんな街の大通りに、見慣れない新参の行商人3人組が立ち並び。彼らは屋台のような移動式の荷車を設置して『カディス饅頭』の露店販売をしていた。
だが、その風貌の怪しさからか。
今の所……誰一人として。その屋台の周りに、街の人達が集まってくる様子は無かった。
「ハァ……。全く、そんなに大声を出して本当に大丈夫なの? うちと杉田くんは、グランデイル王国に1軍の勇者として所属していた事もあるから、敵の騎士達に素性がバレるかもしれないのよ?」
屋台の周囲の警備役をしている『剣術使い』の雪咲が、呆れて溜め息を漏らす。
「だ〜か〜ら、こうしてバッチリ変装もしてるんじゃないかよ! どうせ短期間だけのバイトみたいなもんなんだし。大丈夫、大丈夫、バレないって!」
能天気に笑う杉田は現在、黒い鼻のチョビ髭に、黒い丸メガネを装着して。なぜか頭には『モヒカン』の髪型をしたカツラを被っている。
そして雪咲は、彼女のトレードマークであるボロボロに破れた制服の上に、魔術師のような黒マントを全身に羽織り、背中に隠した剣が外からは見えないようにしていた。
ただ一人。移動式の屋台の中で調理を続けている『料理人』の琴美さくらだけは、普段通りの格好のままだった。
はたから見れば、彼らは奇抜で怪しい格好をした3人組の行商人の姿に見えたのは、間違いないだろう。
城塞都市カディナは、現在グランデイル軍によって占拠されている。その為、壁の中には多くのグランデイル軍の騎士達が常駐している。
その為、杉田達は警備が比較的手薄になっている壁外区にまずは侵入し。
そこで変装をしながら、カディナ名物の『カディス饅頭』を屋台で販売するという行商人のフリをして、街の中に潜入していた。
『料理人』のさくらは、元々3軍の勇者だ。だから彼女の顔は、あまり世間には知られていない。しかも引っ込み思案な彼女は、グランデイル王国の王都にいた時間のほとんどを、宿屋の中で引き篭もって過ごしていた。
その為今回は、さくらは変装をしなくても大丈夫と杉田は判断した。だが、1軍の勇者であった杉田と雪咲は、そうはいかない。
とりあえず2人だけは変装をして、万が一にもその正体が気付かれないように工夫をしてから、彼らは壁外区に潜入を果たしたのである。
怪しさ全開の格好で話し合う、杉田と雪咲の2人をよそに。引っ込み思案な琴美さくらは、一生懸命に屋台の中で名物の『カディス饅頭』を大量に作り続けていた。
「それにしても、来たばかりの街で名物料理をすぐに作れちゃうなんて、本当にさくらは凄いわね!」
「……わたしぃ、ほとんどの料理は見ただけで、一瞬でレシピが分かるんです。だから、すぐにお料理が作れちゃうんですぅ。も、もちろん異世界のスキルのおかげなんですけどぉ……」
「さすがは、俺のさくらだ! さくらは生活担当大臣であるこの俺が共和国で手塩にかけて、大切に育てあげたんだからな! 異論は認めないぞ!」
「ハイハイハイ、やっぱりエロエロ魔人は永遠にそこで黙っててね! それにアンタの格好が怪し過ぎるせいで、誰も名物のカディス饅頭を買いに来ないじゃないのよ!」
「ハァ〜? お前だって全身真っ黒なマントを被りやがって。どうみたって、それじゃ怪しいオーラ全開の詐欺占い師だぞ? せめてビキニアーマーぐらい着て、さくらの屋台の客寄せと売上に貢献しろよな!」
「ハイ、それコンプラ違反だから〜! 今時の異世界舞台の物語には、衣装にも規制が入るんだからね。ちゃんと新しい異世界観のアップデートくらいしときなさいよね、このエロエロ魔人っ!」
そんな謎の言い合いを始めた、怪しい3人組が経営する移動式屋台の近くに。
壁外区に住む、一人の若い男が近付いてきた。
「あのぉ〜、そのカディス饅頭いくらですか? 仕事終わりで小腹が空いたから、一つ買いたいんですけど……」
「うおっしゃ〜〜っ!! ハイ、毎度ありぃ〜〜! カディナ名物のカディス饅頭は、お一つ銅貨一枚です〜!」
チョビ髭杉田が興奮して口調で、屋台に寄ってきた若い男に、出来立てのカディス饅頭を白い紙に包んで渡す。
「やっす……!? なんか怪しい材料とか入れてないっすよね、ソレ? まあ、とりあえず欲しいんで下さい!」
男は杉田から手渡された、カディス饅頭を受け取り。
ホクホクの白い湯気の立つ、名物の饅頭をパクりと口の中に頬張る若い男。
そして――。彼はその場で大口を開けると。この世に彼が生を受けてから発した言葉の中で、最も大きな音量の声を上げて大絶叫した。
「うんめええええぇぇぇぇっっ!!?? 何だ、このカディス饅頭!? 中に入ってる『あんこ』の甘みが段違いだし、この世の全ての料理の中でも、ダントツで最強に美味過ぎる饅頭じゃないかよぉぉぉ〜〜!!!」
カディス饅頭は、かつてカディナの街を4年に一度だけ襲ってきたという、伝説の地竜『カディス』の形を型取った名物饅頭だ。
その中には異世界製のいわゆる『あんこ』が詰められていて。ほのかな甘みを感じられる、家庭的な味の饅頭として人気があった。
カディス討伐後に、商魂たくましいザリル達の一味が、観光客目当てで作成したと言われているカディス饅頭。
当事者であるザリル達は、現在は壁外区を去ってコンビニ共和国に移住してしまったが……。
その名物であるカディス饅頭だけは、今もこの地の『ご当地グルメ』として引き継がれていた。
『料理人』の琴美さくらが作ったカディス饅頭を食べた若者は、美味しいモノを食べて満ち足りた表情を浮かべながら、嬉しそうに街の中へと戻っていく。
そんな彼の姿を見送ったチョビ髭杉田は、黒メガネを指先で持ち上げ。ニヤリと含み笑いを漏らした。
「フッ……これでもう、この街は落ちたな。あと2日もしないうちに、この壁外区だけでなく。壁の中のカディナの街の全ての住民達も、さくらの拡散料理の前にひれ伏すであろう、クックック……」
「ハイハイ、悪い魔王みたいな顔で笑わないの。でもこれで、今回の作戦の『最初の一歩』は開始出来たみたいね。後は予定通り、壁外区とカディナの街が陥落するまで、ここでカディス饅頭の販売をし続ける事にしましょう!」
雪咲は、勝ち誇った顔をする杉田に呆れつつ。改めて琴美さくらの持つ恐ろしいスキルの権能に恐怖する。
コンビニ共和国で、レストラン『さくら亭』を経営する『料理人』のさくらは、驚異的なスピードで自身の持つスキルのレベルアップを遂げていた。
そんな琴美さくらが取得した、新しい能力の一つに『拡散料理レシピ』がある。
それは、さくらがそのスキルを使用して作った料理を食べた人間は……。魅惑的で甘美な料理の味が忘れられなくなり。自分の友人、家族、親戚に至るまで、全ての知り合いに、さくらの料理を美味しさを必死に伝えようと拡散し。驚異的なスピードで増殖する『バブル』のように、料理の評判が一気に拡散されていくのだ。
まるでウイルスのように、人伝いに拡散されたさくらの料理の情報は街中に広がり。わずか数時間足らずで、街全体の人々が店に押し寄せる事になると言われている。
そうなれば人々はもう、さくらの料理を食べたくて、食べたくて。それを食べなければ生きていけない程の、末期中毒症状を引き起こすであろう。
「――おっ? さっそく客の『第一波』がおいでなさったみたいだぞ!」
チョビ髭の杉田が目を凝らすと。大通りの向かい側から、必死な形相でこちらに走ってくる一団が見えた。
その人数は、合計で10人ほど……。おそらく先ほど、さくらの作ったカディス饅頭を食べた若い男の家族と友人達が、評判を聞いてここに押し寄せて来たのだろう。
「す、すいません……! そのカディス饅頭、俺にもくれませんか? 友人が、ここのカディス饅頭がめちゃくちゃ美味かったって教えてくれたんです!」
「ハイ、饅頭1個で銅貨1枚だよ! 毎度ありぃ〜!」
「わ、私も……カディス饅頭を5個下さい! 息子が絶賛していたから、親戚の子供達にも食べさせてあげたいんです!」
「ハイ、銅貨5枚ですね! 毎度ありぃ〜! 焼きたてのカディス饅頭だよ〜。熱いから気をつけて食べてね〜!」
「僕はカディス饅頭10個下さい!! 仕事先の仲間にも配ってあげたいんです! ここのカディス饅頭は美味しいって評判みたいだから……!」
「ハイ、10個ですね〜! さくら〜、追加でカディス饅頭10個焼けるか〜? ……って、もう焼き終えてるの? 作るの早すぎない!?」
「……私ぃ、料理を作る時だけ、身体速度が光速を超える仕様になっているんですぅ。前に詩織ちゃんが、料理を作ってる時のさくらは、アイリーンさんの光速剣技をもかわす事が出来るって、言ってたしぃ……」
驚きの表情で、隣にいる雪咲をマジマジと見つめるチョビ髭杉田。
杉田に見つめられた雪咲は、首をコクリと振り。
『それはマジよ……』という目線を送って、さくらの話を肯定してみせた。
「くわぁ〜! そいつはすげーな。つまりこの世界で最も最強の剣士は、包丁を持たせて料理を作ってる時のさくらだったという訳なのかよ〜」
杉田が驚きの声をあげてる間にも、さくらは光速スピードでカディス饅頭を量産していく。
そして、それに負けないくらいのスピードで。屋台の周囲には、さくらの作るカディス饅頭を求める壁外区の住人達の大波が押し寄せて来ていた。
杉田と雪咲は知らなかったが、かってこの壁外区でコンビニの勇者である秋ノ瀬彼方が、新規でコンビニをオープンさせた時――。
壁外区の街が始まって以来の、大行列の記録が作られた事があった。
今回の琴美さくらによるカディス饅頭の露店販売は、もしかしたらその時のコンビニ新規オープンを上回るかもしれない勢いで、客の行列が大増殖をしていた。
ゾンビのように死に物狂いの表情で、街のあちこちからカディス饅頭を求めて湧いて出てくる住人達。
その様子を見て、予想以上の効果を発揮しているさくらの『拡散料理レシピ』の能力の凄さに驚き。チョビ髭杉田は、慌てて雪咲に指示を出した。
「……ゆ、雪咲! 急いでコンビニにいる3人娘達と連絡を取ってくれ! コンビニ支店からじゃんじゃんカディス饅頭の材料をよこしてくれってな! この勢いだと、あと20分くらいで……屋台のカディス饅頭は全部完売してしまうかもしれないからな!」
「了解よ! 私も後で屋台を手伝うから、それまで杉田くんとさくらで、何とか店を持たせておいてよね!」
「おう、任せとけって! 共和国の生活クレーム相談の客が押し寄せるよりも、こっちの方がまだ気が楽だからな。そっちも饅頭の材料が売り切れる前に、早く追加の材料を持って来てくれよな!」
黒マントを全身に羽織った雪咲が、疾風の速さで壁外区の大通りを駆けていく。
彼女の向かった先は、壁外区の中にこっそりと建てられているコンビニ支店だ。
カディナ攻略組に参加しているアイリーンが、カプセルを用いて建設したコンビニ支店は……今は街の人達に気付かれないように。店をすっぽりと覆う、巨大な白いテントの中に包んで隠されている。
そしてその中で待機している3人娘達が、事務所のパソコンでカディス饅頭の材料を大量発注していた。
「ヤバ〜〜! 偵察ドローンで壁外区の様子を観察していたけど、完全にさくらの屋台は街の人達に取り囲まれちゃってるじゃん〜!」
「うわぁー、これじゃあ、まんまゾンビ映画よねー。もうそろそろ追加の支援物資を送った方が、良いんじゃないかなー?」
「そうね、連絡係の雪咲さんがまだ来てないけど。発注したカディス饅頭の材料をすぐに屋台に送り届けましょう。街で暴動でも起きたら、グランデイル軍に怪しまれちゃうしね」
商品を無限発注出来るコンビニの中とは違い、琴美さくらの屋台では材料の無限補充は出来ない。
その為、壁外区の奥にこっそりと建てたコンビニの事務所で発注した材料を、さくらのいる屋台にまで運び届ける必要があった。
「さぁ、クマのぬいぐるみ工作兵さん達! 地下通路からさくらの屋台にまで、新鮮な材料を送り届けて頂戴ね!」
『ぬいぐるみ』の勇者である小笠原麻衣子の指示を受け。小さなスプーンを持つ、クマのぬいぐるみ軍団が、壁外区の地下に掘った隠し通路の中を進んでいく。
そしてコンビニで発注したカディス饅頭の材料を、さくらの屋台の真下にまで運んでいった。
今や一万匹を超える、様々な大きさのクマのぬいぐるみを一度に操れるようになった小笠原は、ドリシア王国女王のククリアが操る『小型土竜』達と同じように。
地下に数百メートルに及ぶ輸送用の隠し通路を掘り。さくらの屋台の真下にも穴を開け、そこまで物資を送り届ける専用通路を既に確保していた。
「みゆき先輩、小笠原先輩、有紀先輩ーー! もう、さくらの屋台の物資が底を付きそうなんです! 追加の材料発注をお願いしますー!!」
壁外区の外にあるコンビニの店内に、慌てた表情の雪咲が走って駆け込んできた。
「あら、雪咲さん。もう大丈夫よ! 既に追加の支援物資は地下通路から、さくらのいる屋台に送り届け始めているとこだから」
「流石は、小笠原先輩ですね! 本当にありがとうございます!」
「後は……どれくらいの時間で、さくらのカディス饅頭の評判がカディナの壁の中にまで広がるかよね」
小笠原達と、雪咲は、空中ドローンからの偵察映像を見て。壁外区の中に出来た、さくらの屋台に群がる住人達の大行列の様子を見守っている。
壁外区の住人達は、カディナの壁の中の街に出稼ぎに行っている者がほとんどだ。
壁外区から、街の中にいるカディナ市民達にもカディス饅頭の評判が広がり。そして街を占拠しているグランデイル軍の騎士達にまで、さくら特製の饅頭の噂が広がっていくのは時間の問題だろう。
そして、おそらくこのペースだと……。
杉田や小笠原達の予想より、遥かに早く。わずか2日足らずで、カディナと壁外区の街は『料理人』であるさくらの能力によって陥落するのでは……と、思えてしまうのだった。