第三百七十二話 コンビニから逃走する魔王
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「かにぃ〜? 枢機卿様ぁ〜〜っ! エクレア様とオペラ様がようやく戻ってきたみたいですかにぃ〜!」
それぞれの全身が色鮮やかな『紅白』カラーに染まっている、魔女候補生のカニ姉妹達が双眼鏡らしきものを片手に持ち。ケラケラと腹を抱えて笑い合う。
ここはバーティア帝国西側の、山岳地帯の中心部。
この場所には、女神教のリーダーである枢機卿と。彼女を迎えに魔王領から飛竜に乗って飛んできた、女神教の応援部隊が集結を果たしていた。
地底竜がいると噂されている洞窟から、無事に帰還を果たし。
洞窟の外で待機しているはずの、味方である不老の魔女2名の姿が見当たらなかった枢機卿は……彼女達の存在を無視して。
さっさと魔王領にある、パルサールの塔からの迎えの部隊と合流を果たすべく。あらかじめ決められていた合流ポイントである、西の山岳地帯の頂上に1人だけでやって来ていた。
そして、そこで女神教の増援部隊と合流し。しばらくその場で待ち続ける事、おおよそ数時間――。
ようやく姿を消していた不老の魔女2人組が、この場に遅れて姿を現したのである。
「す、枢機卿様ーーっ!! 遅れてしまい、本当に申し訳ございませんっ……!」
「大変、申し訳ありませぬ。どうか、我らの失態をお許し下さいませ……!」
女神教の幹部である不老の魔女2人が、上司である枢機卿の前から勝手に姿を消し。
あまつさえ、あらかじめ決められていた集合場所にも大遅刻をしてノコノコとやって来たのだ。
これは女神教の規律の上でも、あり得ない程の大失態と言えただろう。
それを知っているからこそ、魔女候補生であるカニ姉妹達はクスクスと互いに笑い合う。
きっと不老の魔女であるエクレアとオペラは、激怒した枢機卿によって大きな罰を受けるに違いないからだ。
「………それで、森の中で肝心のコンビニは見つけられたのですか?」
枢機卿に小さな声で問われた魔女達は、深く頭を下げながら。その場でなぜか、狼狽した様子をみせた。
「そ、それが……実は……」
歯切れの悪いオペラの言葉を遮るように。
額から大量の冷や汗を流したエクレアが、必死の弁明を枢機卿に対して始めた。
「――す、枢機卿様っ! コンビニを見つける前に、私達は正体不明の『緑色の騎士』の襲撃を突然、受けてしまったのですっ! しかも、そいつは今までに出会った事もないような、めちゃくちゃに強い奴だったんですっ……!」
「………緑色の騎士、ですか………?」
頭を深く下げて弁明をするエクレアの言葉を聞いた枢機卿は、少しだけ考え込むような仕草をとった。
エクレアとオペラにとっては、まさに今が正念場だ。
動物園の魔王が持つ魔王種子を取り逃がし。更には、この地においても……枢機卿からコンビニを探せと命じられたにも関わらず。
謎の騎士の襲撃を受けて、森から遥かに遠い場所にまで弾き飛ばされてしまった2名の魔女達。
彼女達は上司である枢機卿を守るという、護衛の大役も果たす事が出来ず。
立て続けに大失態を重ねてしまった魔女達は、今回こそは……自分達は許して貰う事が出来ずに。
枢機卿から厳しい罰を与えられる事を覚悟して、この地に急いで駆けつけてきたのである。
だから、2人はゴクリと深く唾を飲み込み。
ただ必死に頭を下げて、残忍な枢機卿の許しと慈悲を請う事しか出来なかった。
頭を下げ続けてるエクレアとオペラの様子を静かに見つめていた枢機卿は、突然……何かを思い出したかのように。
小さく口を開いて、彼女の部下である魔女達に話しかけた。
「………なるほど。それはきっと『パティ』さんですね。それならば、仕方がないでしょう。あなた達2人では、コンビニスイーツの神であるパティさんには到底敵わないでしょうから。よって、今回のあなた達の罪は不問とします」
黒いローブに包まれた枢機卿は、その場でクスりと微笑んでみせた。
青ざめた表情を浮かべていたエクレアと、オペラは互いに顔を見合わせて。自分達の失態が許された事に、思わずホッとして互いに安堵しあう。
逆に不機嫌な顔つきに変わったのは、枢機卿の後方に控えていた双子のカニ姉妹達だった。
彼女達は今回のエクレアとオペラの大失態で、きっと不老の魔女である2名は枢機卿によって処罰され。魔女の証明である『魔王種子』を剥奪される事を心から期待していたからだ。
エクレアとオペラの2人が失脚すれば、次の魔女に選ばれるのは、きっと自分達に違いない……と。そう、双子のカニ姉妹達は期待をしていた。
それが、思い通りにはならず。タラバとズワイの2名は、心の底からガッカリした表情を浮かべている。
「………エクレア。オペラ。もし、次にその緑色の騎士と遭遇する事があったなら。少し距離を取りながら、全力で20分間ほど逃げ回りなさい。時間が経てば、パティさんはエネルギー源であるチョコミント切れを起こして、すぐにコンビニの中に引き篭もるでしょうから」
「は、ハイ……20分間逃げ回るのですか? それに、チョコミント切れを起こす……?」
エクレアとオペラは再び、互いの顔を見合わせて何度も瞬きをする。
正直な所、枢機卿が何を言っているのか2人にはサッパリだったからだ。
だが……自分達が失態を責められて、罰せられるという危機を回避出来た事だけは理解した。
なぜ、今回ばかりは……あの残忍な性格をしている事で有名な枢機卿が自分達を許してくれたのか。その理由は分からないが、ローブの下からわずかに見える枢機卿の口元が少しだけ微笑んでいるように見えた。
もしかしたら、何か枢機卿を上機嫌にさせるような出来事が洞窟の中であったのかも知れない……と、エクレアとオペラは推測する。
そしてそのおかげで、自分達は命拾いが出来た事を心の底から感謝した。
「でもでも〜、肝心な魔王種子をゲット出来ず。うちらはこれからどうするんですかにぃ〜? 枢機卿様〜?」
双子のカニ姉妹の1人。全身が赤い肌の色をしているタラバが枢機卿に対して問いかける。
「既に、忘却の魔王であるシエルスタと、カステリナの魔王種子は失われています。私達はその報告も兼ねて、一度………パルサールの塔に帰還する事にします」
「枢機卿様〜? それでは10個目の魔王種子探しはどうするんですかにぃ〜? まさか女神様に、見つからなかったと報告するのかにぃ〜?」
カニ姉妹の1人。全身が真っ白な肌色をしているズワイの言う事はもっともだった。
そもそも枢機卿達は、この地に最後の魔王種子を求めてやって来たのだ。それなのに肝心な忘却の魔王達が死亡していて。
その魔王種子を回収出来なかったなどという、情けない報告を女神アスティアにするつもりなのだろうか?
女神教を総べるリーダーである枢機卿が、そのような結果を受け入れて。おめおめと女神の元に帰るとは、彼女達には到底思えなかったからである。
部下であるカニ姉妹達に今後の行動を問われた枢機卿は、クスクス……と小さな笑い声を漏らす。
その笑い方は、彼女の部下達がよく知っている……普段通りの、冷徹で残忍な枢機卿の笑い方そのものであるように感じられた。
「………女神教は、この世界に現存している全ての『魔王種子』の在処を把握している訳ではありません。忘却の魔王達のように、周辺に名の知れた魔王達ならいざ知らず。私達の把握していない所で、人知れず魔王化をした無限の勇者も必ず存在している事でしょう」
異世界から召喚された勇者達の中で、『無限』の能力を持つ勇者のみが、レベル100の上限を突破する事で不老の寿命を持つ『魔王』へと成長する。
それらを組織的に管理して。勇者の育成から、魔王となった後の討伐までの全てをこなしている女神教であっても……。手に負えなかったり、その存在を見失ってしまうようなレアケースも確かに存在した。
その一つが、魔王領で魔王同士が同盟を組み。
女神教に対して組織的な反抗を試みる為に、『魔王同盟』を結んでいた忘却の魔王達なのである。
そして、その力があまりにも圧倒的過ぎて……。女神教にも手に負えなかったのが、100年前から戦争状態に突入していた『動物園の魔王』である冬馬このはと、その配下である黒魔龍公爵達でもあった。
「この世界で魔王と化した異世界の勇者の中には、もちろん自身の手で自殺をして死亡したものも存在するでしょうが………。歴史の陰に隠れて、人知れずひっそりと、どこかで生き延びている魔王も少なからず存在しているはずです」
「で、ですが……枢機卿様っ! そのような者を探し出すのは、困難なのでは無いでしょうか? 存在さえも定かではない、この世界の片隅に隠れて生き延びている魔王を探し出すなんて、本当に出来るのでしょうか?」
エクレアにそう問いかけられた枢機卿は、黒いローブの下で、ニヤリと笑ってみせる。
「………ふふふ。いるではないですか? 私達女神教の監視体制から隠れて。こっそりとグランデイル城の地下に巣を作って生き延び、不老の存在となっていた『大物』の存在が………」
「えっ、それは……まさか!?」
驚愕の表情を浮かべるエクレア。彼女にも、枢機卿が一体誰の事を言っているのかが、頭の中で瞬時に理解出来たからである。
「そうです。グランデイル王国の地下に巣食い、あのクルセイスを陰から操っていると評判の『白アリの女王様』がいるではないですか。うふふふ………」
枢機卿は山の上から見える広大な景色を見つめ。
周囲の者達にも聞こえないような小さな声で、そっと呟いた。
「この私にさえ、その存在を悟らせずに。グランデイル城の地下でこっそりと生き延びてきたという、大物に会いに行く事にしましょう。もちろんその途中で、あのクルセイスは当然出てくるでしょうから。これは女神教とグランデイル王国との、大きな戦争になるでしょうね………」
枢機卿は小さな吐息を漏らし。
その場でゆっくりと振り返り、彼女の部下達に対して指示を出す。
「あなた達も、それぞれの部隊をまとめておいて下さいね。グランデイル王国には、私達の先輩にあたる『薔薇の魔女』もいますから。これから不老の魔女同士の戦いが起きるのは、必然でしょうからね」
「――畏まりました、枢機卿様!」
「了解です、かにぃ〜! 枢機卿様!」
「イェイ、イエイ、イェイーっ! 必ずや今回の失態を返上してみせますわ、枢機卿様っ!」
山の上に集結した女神教の一団は、全員が飛竜に飛び乗り。魔王領にある女神教の総本部――パルサールの塔へと向かって飛び立っていく。
大空の上から、真下の景色を見渡し。
部下達に囲まれた枢機卿は、誰にも聞こえないように小さな声で呟いた。
「………それにしても、この世界で再び大きな動乱が起きれば、北の禁断の地に潜むコンビニの大魔王と、あの女は動きだすのかしら? それともやっぱり、彼らの目的は新しく召喚された彼方くんであって。私の存在なんて、眼中にもないのかしらね? この5000年間、ずっとそうだったように………」
頬を伝っていく風が、実に心地良い。
この世界の景色を、私はもう………どれだけ長い事、1人だけで見続けてきたのだろうか?
「見ていなさい、レイチェル。もし次に動き出したなら、私は必ず『私の彼方くん』を救い出してみせるから。この5000年にも渡る、長い私達の戦いの歴史を………今度こそ、必ず終わらせてあげるわ!」
バーディア帝国にやって来た女神教の一団は、結局……。その存在を誰にも悟られる事なく。
彼女達の本拠地である、魔王領にあるパルサールの塔へと帰還をしていくのであった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「うおおぉーーい、パティ!! あんなに巨大なプリンを大量に空から降らせて。俺達がいる洞窟を崩壊させるなんて、一体どういうつもりなんだよ!!」
地下の魔導研究所から無事にコンビニに帰還を果たした俺は、真っ先にコンビニの事務所の床に寝転がっていた『引き篭もり』を見つけ。
店の中にあるチョコミント食品を全て没収して、問い詰める事にした。
「あぅ〜〜、違うんですぅ〜! コンビニマスタ〜様ぁ〜! コンビニに不審な訪問販売者と、宗教勧誘者が近づいて来てたんですぅ〜! だから、このパティめがわざわざコンビニの外に出向いて、不審者達を大リーグの歴史に残るくらいの特大ホームランで吹っ飛ばしてきたのですぅ〜〜!」
「ほう〜、そうか。そうか。それで、その特大ホームランとやらをしたついでに、空から巨大プリンを大量に落として。俺達がいる洞窟も木っ端微塵に吹っ飛ばしてくれちゃったという訳なんだな?」
俺からの質問に対して、チョコミントカラーのポニーテールをぶるんぶるんと振り回しながら。パティは嬉しそうに即答をしてきた。
「ハイ! そうなんです〜〜☆」
「――よし、チョコミント没収〜!! しばらくは、俺の許可無しで勝手にコンビニのチョコミント商品を発注する事は禁止にするからな!」
「そんなぁぁぁ〜〜! コンビニマスター☆様〜、どうか、どうか、それだけはお許しをですぅ〜!」
パティが涙目になって懇願してくるが、今回はちゃんとけじめをつける事にする。
なにせ、マジで洞窟の崩落は洒落にならないくらいにヤバかったからな。おまけに、貴重な女神アスティアの痕跡が残る、地下の魔導研究所まで土に埋もれて破壊されてしまった。
まだまだ俺達は、太古の昔にこの世界に存在したアスティアという女性について。知るべき事は山のようにあったというのに……。
それを、このチョコミント狂いのパティときたら……。全て台無しにしてしまったんだからな。
「彼方様。ですが……パティさんの仰っている、コンビニへの訪問者とは一体どなただったのでしょうか?」
頭に血が昇ってしまっている俺をなだめるように。
冷静な思考の出来ているティーナが、優しい声で俺に問いかけてきた。
「うーん。それは確かにな……。こんな森の中でコンビニに近づいてくるような人物なんて、怪しさ全開だしな。パティ、お前が吹っ飛ばしたという怪しい人物達は、一体どんな奴らだったんだ?」
コンビニの床にグデ〜っと寝そべり。
すっかり不貞腐れてしまったコンビニスイーツの神は『え〜〜っ、よく憶えないですぅ〜!』と、やる気の無い適当な返事を返してきた。
ふぅ……。この様子じゃ、パティから詳しく事情を聞くのはもう、難しそうだな。
俺はすぐに、事務所の床にある地下への扉を開けて。コンビニの地下シェルターにいるククリアに、俺達が不在事のコンビニの様子について聞いてみる事にした。
「おーい、ククリア。今、コンビニに戻ったけど、少し話を聞いてもいいかな?」
「……………」
地下シェルターの中からの返事は無かった。
おかしい……。あまりにも室内が静か過ぎる。
俺はすぐに、地下シェルターの『異変』を感じ取った。
元々、この地下シェルターには嫌な想い出があったからな。仮想夢の中で、この部屋の中は真っ赤な血に染まっていて。
多くの仲間達のバラバラ死体が転がっているのを目撃するという、強烈なトラウマを俺の脳裏に焼き付けてきた場所だった。
だから俺は、いつもと様子が違う地下シェルターの異変にすぐに気付く事が出来た。
「……ククリア? いるのか?」
やはり返事は返ってこない。
室内の照明はついたままだ。だから、ここには確かにククリアと簡易ベッドの上で眠りについている『冬馬このは』がいたはずなんだ。
――ハッ!?
俺はある事に気付き。慌てて、シェルターの奥にある簡易ベッドの方に駆け寄る。そして、このおかしな異変の正体に気付いた。
「そんな……いないぞ! ここで眠りについていたはずの、冬馬このはがいない……!」
すぐさま俺は、地下シェルターから上の事務所に戻り。俺達が不在の時に、唯一コンビニの中にいたパティに、ククリアがどこに消えてしまったのかを尋ねてみた。
「――パティ!! 地下シェルターにいたはずのククリアは、一体どこに行ってしまったんだ!?」
大声で呼びかけられたパティは、床の上に敷いた布団の上で体を一回転させると。
「ええっと〜、ククリアさんならついさっき。コンビニから外に飛び出していった『白い髪の女性』を追っかけて、慌てて外に飛び出していきましたよ〜☆」
「……なっ、なんだって……!」
脳天気な声で返事をしてきたパティの顔色とは対照的に。
俺はこの世の終わりかと思えるくらいに、顔面蒼白な表情を浮かべて。大量の冷や汗を、全身から溢れ出してしまう。
「そんなまさか……。動物園の魔王である『冬馬このは』が、このタイミングで、とうとう300年の眠りから目覚めたっていうのかよ……!」