第三百六十三話 枢機卿と皇帝の会談
「グッ……! 貴様のような邪悪な魔女に、彼方の居場所は絶対に教えてなどやらぬわ……!」
バーディア帝国皇帝のミズガルドは、必死に抵抗の意思を示し。全身に力を込めて拘束を解こうとする。
だが……それが不可能だという事を、ミズガルド自身が誰よりも強く理解していた。
宮殿の寝室の床に、体を押さえつけられ。左右の手を、それぞれ異なる不老の魔女達の手によって拘束されている今の状況は……皇帝ミズガルドにとって、まさに絶体絶命な状況だった。
グランデイル軍の親衛隊長である、不老の魔女のロジエッタにも匹敵する、女神教が誇る最強の武闘派の魔女達がここには3人も勢揃いしている。
しかもそのうちの一人は、女神教を束ねる実質的なリーダーである、あの枢機卿なのだ。
強力な能力を所持している異世界の勇者でもなく。遺伝能力を所持している訳でもないミズガルドには、ここにいる魔女達に逆らう事など到底不可能だった。
「………皇帝陛下、私はあまり手荒な事をしたくはありません。ですが、私の部下達は力の加減を調節するのが苦手なのです。ここは早く、コンビニの勇者の居場所を私達に教えて頂いた方が良いと思いますよ………」
寝室の中央に置かれた長椅子に腰掛けながら、黒いローブに覆われた枢機卿は、静かにミズガルドに対して呼びかける。
だが、気高きバーディア帝国の皇帝であるミズガルドには、決してそのような脅しは通じない。
まして、ミズガルドが最も想いを寄せているコンビニの勇者の彼方の情報を魔女達に流すなど……。誇り高き騎士でもある彼女にとっては、絶対にあり得ない事だ。
「フン……! この私が大切な彼方の情報を、みすみす敵の手に渡すとでも思うの? そんな事をするくらいなら、迷わずこの場で私は『死』を選ばせて貰う事にするわ、この邪悪な魔女達め!」
「…………?」
皇帝ミズガルドの、強い意思の込められた宣言を聞いた枢機卿は、不思議そうに首を横に傾げていた。
そして訝しげな目線で、床に押さえつけられた皇帝の顔を見下ろす。
「………皇帝陛下? 少し、雰囲気が変わられましたね。私の知っている陛下は、もっと燃えるような覇気を周囲に撒き散らす、凶暴で手に負えない獅子のようなお方でした。ですが今の陛下からは、以前とは少しだけ異なる、優しい雰囲気が感じられます」
枢機卿の言葉を聞いたミズガルドは、両手を魔女達に押さえつけられながらも。その場で『クックック……』と、大きな含み笑いを漏らした。
そして大胆不敵な表情で、女神教の指導者である枢機卿に対して問いかける。
「ふっふっふ。我の雰囲気が変わっただと? それは間違いなく、コンビニの勇者である彼方のおかげであろうな。だが、我などよりも。遥かに雰囲気が変化したのは貴様の方ではないのか、枢機卿よ!」
ミズガルドは顔を上げて、睨みつけるように黒いローブの奥に隠れている、枢機卿の顔を覗き込もうとした。
だが、全身が空気に溶け込み。その姿が陽炎のように虚っている枢機卿の顔は、残念ながら真下から見上げても、その中身をしっかりと確認する事は出来なかった。
「女神教の実質的な指導者である、枢機卿。……いや、5000年前にこの世界に召喚された、暗殺者の勇者である『玉木紗希』よ! 我の知っている本当のそなたは、人に優しく、周囲の人々に明るい笑顔を振り撒く、慈愛に満ちた存在であった事を知っているぞ!」
ミズガルドは断罪をするように、枢機卿に対して大きな叫び声を上げた。
――対する枢機卿は、その場でしばらくの間……無言を貫き続けていた。
そしてしばらくして、枢機卿は何かに納得をしたように。重い口をゆっくりと開き、皇帝ミズガルドに話しかける。
「………ほう。皇帝陛下は私の本当の名前を知っているのですね。なるほど、私の話を彼方くんから聞いているという訳ですか。そしてこの世界に存在するもう1人の暗殺者の勇者とも、既に直接会っているという訳なのですね………」
枢機卿はおかしそうに、クスクスと口に手を当てて笑い始める。
そんな枢機卿と、皇帝ミズガルドとのやり取りを、不思議そうな表情で見つめていたのは……。
ミズガルドの体を床に押さえつけている、不老の魔女のオペラとエクレアの2人の方だった。
彼女達は、女神教のリーダーである枢機卿の『本当の名前』を実は知らなかったのである。
枢機卿の本名が、『玉木紗希』という名前である事。彼女達はそのような話は、今まで一度も枢機卿本人から聞かされた事が無かった。
女神教を統べる枢機卿は、不老の魔女であるオペラとエクレアにとって、生まれた時からずっと『枢機卿』であり。
女神アスティアから魔王種子を与えられ、不老の存在となった後も、一度も知らされる事のなかった驚きの事実であった。
なのでオペラとエクレアは、お互いの目を見合わせ。その場で不思議そうに、皇帝と枢機卿の話にじっと聞き耳を立てている事しかできないでいた。
「………新しくこの世界に召喚された彼方くんが、私の事をどのように陛下に話したのかは、大変興味があります。ですが、私達にはもう時間があまり無いのです。これ以上、コンビニの勇者とすれ違ってしまう訳にはいきませんので」
枢機卿は黒いローブの中に片手を入れると、その中から怪しい輝きを放つ『漆黒の王冠』を取り出した。
そしてその黒い王冠を、ミズガルドの頭上にそっと置くようにして被せる。
「――!? な、何なのだ、これは……!? う、うぐあああぁぁぁーーーッ!?」
黒い王冠を頭上に被せられたミズガルドは、口から白い泡を吹き出し、その場で激しく苦しみ始めた。
まるで何か、絶対に口に含んではいけない劇薬の毒物を体に取り込んでしまったかのように。
ミズガルドは魔女達に押さえつけられている両手を除く、全身の全てをバタバタと振り乱し。激しく痙攣をしながら暴れ狂い、最後には突然――パタっと、床にうつ伏せになり大人しくなった。
……しばらくして、ミズガルドは寝起きのような虚な目線で枢機卿を見上げると。
意識があるのか分からない、とろーんとした目つきで枢機卿の姿を見つめ始める。
そんな生きる屍のような状態と化した、朦朧とした様子のミズガルドの顔の前に。
枢機卿は黒いローブの中から、小さな『何か』を取り出して見せ。それをミズガルドの目の前で、そっと手からぶら下げてみせた。
「………私の持つ、この『猫のキーホルダー』を用いて索敵追跡を使用しても。今の彼方くんの居場所を探し出す事は出来ませんでした。やはり新しく召喚された彼方くんは、私の彼方くんとは違う、別の存在という事になるのでしょうね………」
枢機卿が手からぶら下げている、小さな物体は……既に原型を全く留めていないくらいに、ボロボロに薄汚れてしまっていた。
それは目を凝らして、近くからよーく見つめてみると。かろうじて、元は猫の形をしたキーホルダーであった事が分かる程にまで薄汚れてしまっている。
「さあ、皇帝陛下。私に教えて下さい………。あなたの大切なコンビニの勇者の彼方くんは今、この世界のどこにいるのでしょうか?」
「ううっ……うっ、そ、それは……」
ミズガルドは呻くようにして、口を魚のようにパクパクと震わせながら、枢機卿の目をじっと見つめ続ける。
「うふふ………抵抗をしても無駄ですよ? この支配の王冠には、必ず相手の隠している秘密を1つだけ聞き出す事の出来る能力があるのです。しかもその内容を聞き出した後には、尋問者である私達の事をあなたは全て忘れてしまうのですから」
枢機卿はミズガルドの前に出した猫のキーホルダーを、再び大切そうに黒いローブの中にしまい込む。
彼女にとって、そのボロボロになった猫のキーホルダーの存在は……5000年もの長い歳月を確かにこの異世界で1人で生き抜いてきたという、証明でもあった。
「――か、彼方は今……帝国領の西にある『地底竜が住むと噂されている洞窟』にいる。今から2日前に、カラム城からそこに向かって出発して行ったわ……」
「………そうですか。教えて頂き、本当にありがとうございます、皇帝陛下」
枢機卿は床に倒れ込んだミズガルドの頭上から、黒い王冠をすぐに取り上げた。
そして、急いで長椅子から立ち上がると。
彼女の部下である、2人の武闘派の魔女達に対して指示を出す。
「もう、時間がありません………。私達も急いでコンビニの勇者が向かったという、西の洞窟に向かう事にしましょう」
枢機卿は皇帝の寝室の壁に飾られていた、帝国領全体の地形が書き記されている大きな地図を、無言で見つめ始める。
そしてミズガルドから聞き出した、『地底竜が住むと噂されている西の洞窟』の位置にバツ印をつけると。
彼女の部下である、不老の魔女達に向けて問いかけた。
「………ここから、この西の洞窟に辿り着くまでには、どの程度の時間が必要ですか?」
枢機卿からの問いかけに、真っ先に返答をしたのは女神教の序列7位の魔女、エクレアである。
「――枢機卿様っ! その距離でしたら私の使役する高速飛竜に乗れば、おおよそ6時間もあれば辿り着けると思いますっ!」
「………では、3時間で辿り着けるようにしなさい。飛竜は全て乗り潰して構いません。3時間以内に辿り着けかった時は、私が貴女の首を切り落として、貴女の持つ魔王種子を別の有望な魔女候補生に手渡します。それで、良いですね………エクレア?」
「は……ハイっ!! 必ずや3時間以内に、その洞窟に辿り着いてみせます! どうか私にお任せ下さい、す、枢機卿様っ!!」
魔女のエクレアは、首筋から大量の冷や汗を流し。彼女の上司である枢機卿に即答した。
エクレアは枢機卿の言葉が本気であり。
例え1分でも洞窟への到着が遅れてしまった時は、自分の首は瞬時に枢機卿によって、切り落とされてしまう事をよく理解していたからだ。
「――枢機卿様、この女はこのままにしておいて良いのですか?」
長身で銀髪の魔女であるオペラが、槍を皇帝ミズガルドの首に突きつけながら、枢機卿に問いかける。
「………ええ。帝国の皇帝陛下は殺してはなりません。大国は乱れている状態よりも、1人の王によって統治されている方が私達には都合が良いですからね。後で必要があれば皇帝を洗脳して、女神教に従順な下僕として再利用する事にしましょう」
枢機卿は、自身の部下である2人の魔女達を近くに呼び寄せると――。
彼女達3人の魔女の姿は、音を全く立てる事もなく。
一瞬にして、皇帝の寝室から跡形も無く消え去ってしまった。
誰も居ない寝室に、1人だけ残され。
呼吸を乱しながら、床の上に倒れ込んでいたミズガルドは……。数分後にようやく正気を取り戻して、床から起き上がる事が出来た。
「……ううっ、頭が割れるように痛い。これは、一体どういう事なのだ……?」
目覚めてすぐに、ミズガルドは自身の頭を必死に両手で押さえつける。
まるで硬い鈍器で殴られたかのように、後頭部がギンギンと痛みの悲鳴を上げていた。
朦朧とした意識の中で、ミズガルドはなぜ自分が寝室の床の上に倒れていたのかを……どうしても、思い出す事が出来なかった。
――もしかして、不注意から足を踏み外して、床の上に転んでしまったのだろうか?
そしてその時に、後頭部を強く打ちつけてしまったのかもしれない。
だが、優れた剣術使いとしても有名なミズガルドは、今までに一度もそのような経験をした事が無かった。
まさか自分が不注意で床に転んで倒れ込み。更には後頭部を強打するという間抜けをしでかした事実が、どうしてもミズガルドには納得がいかなかった。
そんな、皇帝ミズガルドの元に。
“”バターーーーーーン!!!””
寝室の扉を勢いよく開け放つ、大きな物音が聞こえてきた。
「――おいッ! 帝国の皇帝さんよ、大丈夫かッ?」
皇帝のいる寝室の扉を勢いよく開き。
室内に慌てて駆け込んできたのは、コンビニの勇者に仕える花嫁騎士のセーリスだ。
帝都ロストテリアに、『回復術師』である香苗美花と共にやって来たセーリス。
彼女は帝都で、怪我や病気の人々を治療する為の診療所を開いている香苗の為に、その護衛を務める役割が与えられていた。
だが……突如として、帝都にあるグレイナゲット宮殿から、邪悪なオーラを複数感じ取った為。
セーリスは急いで皇帝の身に危険が及んでいないかを確認する為に、ここに駆けつけたのだった。
「大丈夫だ、我の身には何も起きていない……。ただ疲労からであろうか……。床の上で転んで頭を打ち、少しだけ意識を失っていたようだ」
「転んで頭を打って、意識を失っていただって? そいつは、いつものアンタらしくねーな。他に何か気付いた事とかはねーのかよ? 部屋が荒らされているとか、そういう変化は何も無いのか?」
まだ直前の記憶がよく思い出せずに、少し混乱しているミズガルドは、勢いよく質問攻めをしてくるセーリスの様子に戸惑いながらも。
頭を手で押さえながら、ゆっくりと寝室の中を見回してみる。そして、ふと……ある事に気付いた。
「壁に飾られていた、地図がない……」
「――ハァ? 地図って何の事だよ?」
ミズガルドは、寝室の壁に向かって指を差した。
そこには大きな額縁が飾られていて。本当なら何か巨大な絵画でも、その中に飾られていたのかもしれない。
……だが、今はその額縁の中には何も無く。ただぽっかりと、何も無いスペースが空いているだけだった。
どうやら、ミズガルドが床に転んでしまい。
そのショックで、ちょっとだけ意識を失っている間に……。何者かが、皇帝の寝室に侵入し。壁に飾られていた帝国領の全体図を描いた、『巨大地図』だけを奪い去っていったという事らしかった。
寝室の中にいるミズガルドも、セーリスも。
それが一体、何の目的の為なのかが分からずに、困惑してしまう。
だが、セーリスが感じたという邪悪な気配が確かなら。皇帝の寝室には間違いなく何者かが侵入をしていたに違いない。
ミズガルドは、失ってしまった自身の記憶を最後までは思い出す事は出来なかったが……。
帝都の防衛体制を強化するようにと、部下達に指示を与え。コンビニの守護者であるセーリスと共に、最大限の警戒体制をとり、敵の侵入に備える事にした。