第三百五十三話 勇者レイモンドの剣
まだ半分寝起きのような、瞼が重いおぼろげな視界の中で……。
俺は視界の中に、とてつもないイケメン姿の美青年が映り込んだ事に驚き、慌てて目を覚ました。
長い悪夢を連続で見続けていたような気もするけれど……。そんな最悪で陰鬱な気持ちも、一気に目が覚めて吹っ飛んだ。
目の前にいる青髪の青年は、俺が今までに見てきたどんなアイドルや、俳優、声優。そして2次元創作物の中に登場するイケメン主人公達よりも、遥かに格好の良い美青年だったからだ。
これじゃ、あの残念イケメンサイコパスの倉持が、遥か遠くに霞んで見えてしまうくらいだぞ。
今、俺の目の前にいるのは本物のイケメン様だ。
こんなにも極上な美青年が、まさかこの世に存在するものなのかと……。思わずゴクリと、息と唾を両方一気に飲み込んじまったくらいだった。
「無限の勇者、レイモンドだって? それじゃあ、お前があのカステリナの恋人の『勇者レイモンド』だというのかよ?」
「……ん? そうか、君は虚無の空間の中で僕についての過去の記憶も覗いてきたんだね! それなら、話しは早そうだ。良かった」
青髪イケメン勇者様がニッコリと、こちらを見て優しく微笑んできた。
その爽やか笑顔には、男の俺でも思わずキュン死してしまいそうになるくらいの眩しさがある。
今更だけど、本当はこういう選ばれたイケメン種が物語の主人公役を務めるべきなんだろうな。
俺みたいに中途半端で、しかも『コンビニの勇者』なんてイロモノな肩書き持ちなんかじゃなくてさ。勇者と言えば、やっぱり『剣』を装備しているイメージもあるんだし。
俺が持ち前の嫉妬スキルを発動して、心の中でブツブツと誰もリポストしない、陰鬱な呟きを一人で唱えあげていると……。
「――そうかな? 僕はそうは思わないよ、彼方くん。君は十分に格好良いと僕は思う。だからもっと自信を持っていいと思うけどな」
「……って、ゲゲッ!? もしかして俺の心の中が読めるのかよ? やめてくれよ! 顔面偏差値の低い嫉妬男の醜い底辺感情を、イケメン様に全て覗かれちまうなんて……。恥ずかしいを飛び越えて、完全な黒歴史にしかならないじゃないかよ!」
顔を真っ赤にして、イケメンに厳重抗議をする俺。
『ゴメンゴメン……』と、レイモンドは照れ笑いを浮かべながら謝ってきた。
ああ……そんな照れ顔もやっぱり格好良いな。
もう何だか、これくらいに身分が違う『天上人』過ぎると、嫉妬で怒る気持ちも失せてきた気がする。
「ふふ。でもね、僕は彼方くんの心の中が読める訳じゃないんだよ。正確には『僕』という精神体が今、彼方くんの心に中に入って直接話しかけている状態なんだ。だから彼方くんの考えている事が、僕にも分かるという訳なのさ」
「精神体だって? それじゃあ、お前の体は……一体どうしたんだよ?」
俺の問いかけに、レイモンドは少しだけ遠い目をしながら答えてくれた。
「僕の体はもう、とっくに滅んでしまったのさ。なにせこの虚無の空間の中を、2000年以上も彷徨っていたからね。だから僕はもう、この世には存在しない幽霊で、体はとっくの昔に朽ちて消失してしまったのさ」
体が滅びただって……?
――という事は今、俺の目の前にいるように見えるレイモンドの姿は、俺の心が見ている『幻想』みたいなもの……って事なのか?
だけど無限の勇者であるレイモンドは、『魔王』になった訳ではないはず。
不老の命を手に入れた訳ではない無限の勇者が、死してもなお、精神体としてこの世界で生き続けるという事が本当に出来るのだろうか?
俺は訝しげな表情で、目の前にいるイケメン勇者の姿をマジマジと観察してしまう。
「……ふふ。その答えはね、僕の持つ能力に秘密があるのさ。僕は無限に聖なる光を剣に灯し続ける事が出来る『白銀剣』の能力を持つ勇者だ。体が朽ちても、僕の意思が込められた光だけは……この暗黒の虚無の空間にあっても消える事なく、無限に白い光を放ち続けているという訳なんだ」
「無限に聖なる光を剣に灯す事が出来るだって……? じゃあ、レイモンドの意思が光の剣に無限に灯り続けているから、こうして俺に話しかける事も出来ているという事なのか?」
「そうだね、そういう解釈で良いと思うよ。例え無限に闇を広げ続ける、カステリナの虚無の空間の中であっても。僕の白銀剣の光は決して消し去る事は出来ない。巨大な闇は光を包み込み隠す事は出来ても、完全に消滅させる事は出来ないからね」
なるほど。そういう事なのか。
きっと白銀剣の勇者であるレイモンドは、虚無の魔王となったカステリナに殺されてしまった訳では無かったんだ。
生きたまま、今の俺と同じように。この暗黒の空間の中にその体ごと飲み込まれてしまったのだろう。
そして長い年月をこの虚無の空間の中で過ごすうちに、既に肉体は朽ちて滅びてしまったけれど。
その精神だけは、無限に光を灯す事の出来る能力によって守られていたという事なのかもしれない。
「僕はね、長い間……ずっとずっと君の事をここで待ち続けていたんだよ、彼方くん」
「俺を待っていたって、お前は俺の事をずっと前から知っていたという事なのか?」
俺の問いかけに、レイモンドは口に手を当ててクスクスと笑ってみせた。
「ううん。コンビニの勇者の彼方くんの事を知ったのは、つい最近の事さ。この虚無の空間の中には、外から色々な情報が流れ込んでくるからね。この世界に蔓延る絶望の感情や、この世界の過去に起きた虚無の出来事の記憶なんかも、時々流れ込んできたりもするんだ」
「じゃあ何で……俺の事を待っていたなんて、今言ったんだよ?」
レイモンドは、真っ直ぐに俺の目を見つめてきて。 そして改めて真剣な表情でこう告げてきた。
「僕はね……。この僕と同じように、生きたままこの虚無の空間の中に取り込まれた、『無限の勇者』をずっと待っていたんだ」
「………?」
一瞬だけ、レイモンド発した言葉が意味する内容が、俺には理解出来なかった。
生きたまま虚無の空間に取り込まれた、無限の勇者を待っていただって?
でもこのままだと俺も……レイモンドと同じように。無限に広がる虚無の空間の中で、いつかは体が朽ちて、滅びてしまうだけなんじゃないのか?
「僕は『白銀剣』の能力を君に託したいと思っているんだよ、彼方くん。この光の剣があれば、きっと君は無限の闇を切り裂き、ここから外の世界に脱出する事も出来るはずだ」
レイモンドからのあまりにも突然な提案に、俺は思わず困惑してしまう。
「白銀剣を俺に託すって……。そんな事が本当に出来るのか? 異世界の勇者の能力を、他人に譲渡するなんて事が可能なのかよ?」
「僕の体はもう、この世界には存在しない。でも、この無限に聖なる光を灯し続ける白銀剣だけが、この世界に残されている状態だからね。だから僕の意思が君への能力の譲渡を望めば、それはきっと可能になるはずだよ」
「そういうものなのか? だけどそれで、本当にお前は良いのかよ?」
もし、それが本当なら――。
今、目の前に存在するレイモンドの意思は、俺に能力を譲渡する事で消え去ってしまうのではないだろうか?
それにレイモンドは、この白銀剣を用いて。無限に広がるカステリナの虚無の空間を切り裂き、もっと早くに外に脱出する事だって出来たはずだ。
それなのにどうして、体が朽ちて消滅してしまうまで。レイモンドはこの闇の世界の中に留まり続けたのだろうか?
俺の心の中を直接覗く事の出来るレイモンドは、俺の頭の中に浮かんだ疑問に対して、無言で遠くを見つめながら返答をしてきた。
「……僕はね、ずっとカステリナのそばにいてあげたかったんだよ。どんなに虚無の闇が広がり続けようとも、彼女の心の中に僕は寄り添い続けたいと思ったんだ。そうすればいつかカステリナが、僕の事を思い出してくれるんじゃないかと信じてね」
床に腰を下ろして、静かに虚無の空間を見つめ続けるレイモンド。
その視線はどことなく儚げで、寂しそうにも見えた。
「でも、残念だけど。僕の体はもう朽ちて消え去ってしまった。カステリナの心の闇は、本来の彼女の記憶を失ったまま、今も無限に広がり続けている。だからこの白銀剣の光を君に託したいんだ、彼方くん。この聖なる光を使って、カステリナの心の闇を止めて欲しい。そして永遠の孤独の中にいる彼女を、闇の中から救い出してあげて欲しいんだ」
レイモンドが右手をそっと伸ばし。
俺の右手を掴んで、力強く握りしめてきた。
その瞬間――俺の体の中で、まるで松明の炎が直接燃え盛るかのように。
不思議な力が外から入り込んでくるのが、ダイレクトに伝わってきた。
「――僕の白銀剣は、形を持たない剣だからね。君の心が願えば、自由にその手の中に出現をするはずだよ。君は武器を扱う事にあまり慣れていないみたいだけど、僕の白銀剣はきっと扱いやすいから大丈夫だと思う」
俺はレイモンドの前で、右の手の平をゆっくりと広げてみせると……。
手の上に、白い光の炎がスッと湧き上がった。
白銀剣は形を持たない光の剣。
レイモンドの説明通り、無限の聖なる光のエネルギーは、剣以外のあらゆる形にも変形する事が可能らしい。
やがて、白銀剣の譲渡に関する、一通りの説明を終えたレイモンドの体が……。
ゆっくりと白い霧のように、その姿を少しずつ俺の目の前から蒸発させていく。
元々レイモンドの肉体は、既にこの世界には存在していなかった。だからレイモンドの意思が俺にその能力を託し終えて、目の前に存在する『幻想』が消えかかっているというのが本当なのかもしれない。
無限の光を灯す白銀剣の勇者の意思は、今は白い光の剣と共に。
コンビニの勇者である、この俺の体の中に吸収されていくのが分かった。
レイモンドは、消えゆくその最後の瞬間に……。
俺の心に向けて、静かに言葉を語りかけてきた。
「彼方くん、最後にお願いがあるんだ。カステリナに伝えて欲しい。僕はずっとカステリナの心の中にいたんだよ……って。そして彼女の、本当の記憶を思い出させてあげて欲しいんだ。本来の彼女は、他者の優しさや幸せの感情を無限に増幅させる事の出来る、心の優しい『心の勇者』だったのだから……」
俺の手を握っていたレイモンドの手が、白い砂粒となって消滅してしまう。
だけど、レイモンドの意思は完全に消え去ってしまった訳じゃない。
今の俺には、それがよく分かった。
だって白銀剣の勇者であるレイモンドの意思は、確かにこの俺の体の中に今――引き継がれたのだから。
俺はこの虚無の空間から外に出て、カステリナの暴走を止めてあげないといけない。
そして彼女の無限の孤独と闇を、白い温かな光で……包み込んでみせる。
それが無限の勇者レイモンドの意思であり。
彼の最後の願いでもあったのだから――。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ここは、迷いの森の中の最深部。
近接戦闘で猛特攻を仕掛けてきたコンビニの勇者の体を、丸ごと黒い闇の空間の中に飲み込み。
しばらくの間……虚無の魔王であるカステリナは、自分の本来の目的を忘れてしまったかのように。
車椅子の上に乗って空中に浮かびながら、その場からじっと動こうとはしなかった。
だが……やがて、何かを思い出したように。
ようやく体を動かし始めると、ゆっくりと闇のオーラをまといながら。女神の泉のある方角に向けて、空中移動を開始した。
『……た、大変なのにゃ〜〜!? 大好きお兄さんが、アイツの体の中に飲み込まれてしまったのにゃ〜! 急いでみんなに知らせないとなのにゃ〜!』
その様子を遠くの木の上から見ていた、小さなもふもふ猫のフィートは、顔を真っ青にして。
急いで女神の泉に残っている、他の仲間達の元に向けて駆け出していった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「――うむ。どうやら敵は全員、死に絶えたようだな」
長剣を真っ直ぐに構えたミズガルドが、ようやく警戒態勢を解き。女神の泉の周囲を歩きながら、周辺の様子をくまなく見回していく。
先ほどまで、女神の泉にはおびただしい数の屍兵達が襲いかかってきていた。
上空に出現した黒い太陽の光を浴び、全員即死して死に絶えたはずのグランデイル軍の魔法戦士達。
そんな彼らが突然、体をゾンビのように動かし。女神の泉に残るコンビニメンバー達に向かって、まるで意思を持っているかのように、武器を振り上げて襲いかかってきていたのである。
泉の周囲に残されたククリアや玉木、そしてミズガルド達が奮戦をするも……流石に多勢に無勢。
女神の泉の中心部にまで、少しずつ敵に追い詰められていき。このままでは味方は全滅してしまう……という寸前の所にまで、敵に迫られていた。
だが……そこに、コンビニの守護騎士であるアイリーンが加勢にきてくれた事で、戦況は何とか均衡を保つ事が出来た。
アイリーンは虚無の魔王との戦いで片腕を失っていたが……。コンビニの守護者として、黄金剣を振り払い。無数に押し寄せるアンデット兵達の猛攻を退けていく。
おかげで、玉木達は何とか女神の泉の防衛ラインを死守する事に成功したのである。
そしてそれから、しばらくの時間が経ち。
突然、無数のアンデット兵達は全員バタバタとドミノ倒しのように、地面に倒れていった。
戦況の急な変化に戸惑いながらも、コンビニメンバー達は最後まで誰一人として犠牲を出す事なく。
無事に最後まで、耐え切る事に成功したのである。
「ふぅ〜〜、疲れたぁ〜! でも、グランデイル軍のアンデット兵達がみんな動かなくなったって事は、やっぱり彼方くんが敵の親玉を倒してくれたって事でいいんだよね? 良かったぁ〜!」
安堵の表情を浮かべて、その場に力尽きてパタリと座り込む玉木。
女神の泉を取り囲んだグランデイル軍の屍兵の数は、ゆうに数千を超えていた。
救援に駆けつけてくれたアイリーンも、片腕を失っていて負傷中。
そしてもう一人の守護者である、花嫁騎士のセーリスは、重傷を負って現在も意識不明。
そんな状況下で、ククリアやミズガルド以上に。
女神の泉の周辺の戦場で、みんなを守る為に最も大活躍をしたのは、『暗殺者』の勇者である玉木であった事は間違いなかった。
だからここに残る全てのメンバー達は……。
自分達を守る為に、一騎当千の活躍をしてくれた玉木に心から感謝をしていた。
「そうですね……。店長の元には、コンビニの最後の守護者である、パティが加勢をしてくれていましたから。きっと2人で、虚無の魔王を無事に倒す事に成功したのだと思います」
アイリーンが最大の功労者である玉木の問いかけに、優しく微笑みながら返事をした。
「……だとしたら、もうすぐコンビニの勇者殿はこちらに戻ってきてくれるのでしょうか? もしそうなら、ティーナさんの事を早くコンビニの勇者殿にもお伝えをしないといけませんね」
ククリアは女神の泉の中央部付近に寝かせてある、ティーナと冬馬このはの体を見つめながら、嬉しそうにそう呟いた。
女神の泉の中央部には現在、ティーナと冬馬このはの体が横たえられている。
そしてそれぞれの体の上には、全身をすっぽりと覆う白い大きな布が被されていた。
「……うん! きっと彼方くん大喜びすると思うな〜。だから早く戻ってきてくれないかな〜。彼方くんが喜んで笑ってくれる顔を早く見たいもの〜!」
戦闘が全て終わった安堵感からか、心底安心した笑顔でみんなに笑いかける玉木。
そしてその気持ちは、ここに残る全員が共通して持っているものだった。
彼方が虚無の魔王と戦っている間に。
女神の泉に残るメンバー達の間には、喜ぶべき――ある『大きな変化』が起きていた。
その嬉しいニュースを知ったならば、きっとコンビニの勇者の彼方は、大喜びをして飛び上がるに違いないのだ。
だからみんなは、一刻も早く彼方との再会を果たしたいという想いを強く持っていた。
だが……そんな束の間の休息を楽しんでいたコンビニメンバー達の中で――。
唯一アイリーンだけが、その場に立ち上がり。
突然、片手で黄金剣を構えて。森の奥を鋭く凝視しながら警戒態勢を取り始めた。
「……どうしたんですか、アイリーンさん?」
玉木がアイリーンに向けて、話しかける。
対するアイリーンの顔は、まるで幽霊でも見たかのように真っ青になっていた。
その額からは、大量の冷や汗が湧き出てきている。
「こ、この気配はまさか……!? いけません、玉木様!! そこから、すぐに離れて下さいッ!!」
アイリーンが大急ぎで大地を駆ける。
そして全力で、地面の上に腰掛けていた玉木の体を遠くにまで弾き飛ばした。
「えっ、アイリーンさん!? ………ハッ!?」
玉木だけでなく、その場にいた全てのメンバー達が一斉に驚愕の表情を浮かべる。
それは、玉木を弾き飛ばしたアイリーンの体が……。宙にぷら〜んと、浮いていたからだ。
アイリーンの体の腹部には、黒い包丁の先っぽが貫通をしていた。
何も無い透明な場所から、黒い包丁だけが姿を現し。コンビニの守護騎士の体を背後から突き刺して、宙に無理矢理その体を吊り上げている。
「これは、まさか……!?」
ククリアは思わず大声を上げて、ブルブルとその場で体を震わせてしまう。
ククリアは事前に、彼方から聞いて知っていた。
別空間に姿を消して、見えない場所から突然襲いかかってくる恐るべき敵の正体を……。
黒い包丁で体を貫かれたアイリーンの背後の空間から……暗黒の霧が発生し。
その中から車椅子に乗った黒髪の少女が――静かにその姿を現そうとしていた。