第三百五十話 カステリナとの一騎打ち
魔王領に隠れ住む、忘却の魔王の最後の一人。
人々の絶望の感情を飲み込み続ける『虚無の魔王』、カステリナがこちらに向かって飛んできた。
白いドレスを着た長い黒髪の少女。その顔には黒い目隠しの布が巻かれ、車椅子に腰掛けて空中を浮遊移動しながらカステリナは俺に迫って来る。
「……ん、どういうつもりだ? 異空間に姿を消さず、正面から突進してくるつもりなのか?」
仮想夢の中でカステリナは、常に自身の本体を異空間に隠しながら攻撃を加えてきていた。
だから俺は、姿の見えない敵との戦いに何度も苦戦を強いられてきた訳だが……。まさか本体の姿を見せたまま、堂々とこちらに突進をしてくるなんて、全くの想定外だった。
接近してくるカステリナの周囲に渦巻く、暗黒の瘴気の中から、もの凄い数の黒い包丁が一斉に飛び出してくる。
それらの包丁による攻撃を、俺は硬化させたロングコートを振り回し。回し蹴りを何度も繰り出しながら、全て防ぎきってみせた。
「チッ……! 思ってたよりも数が多いな。おまけに飛んでくる包丁は、普通の硬さじゃないぞ」
カステリナの生み出す黒い包丁は、尋常じゃないくらいに鋭い刃の切れ味を持っていた。
こちらも全力で蹴り飛ばすつもりで、渾身の力を込めた回し蹴りを放たないと。
カステリナの黒い包丁はコンビニ店長専用ロングコートを易々と貫き、貫通してしまう程の凄まじい威力を持っている。
無数に飛び掛かってくる包丁の群れを、全て弾き返した時には――。車椅子に乗った黒髪の少女は、俺のすぐ目の前にまで迫ってきていた。
そして接近してくるカステリナの周囲から、今度は数十本を超える黒く長い不気味な手が伸びてきて、こちらに向けて襲いかかってくる。
それらの黒い手の先には、全て黒い包丁が握られていた。
「クッ……ダメだッ!! これじゃあ、流石に防ぎきれないッ!」
俺はギリギリのタイミングで、突進してくるカステリナの攻撃を真横にジャンプをしてかわしてみせる。
今――多分、合計20本くらいの黒い手が、カステリナの本体から飛び出してきていたと思う。
流石にあんな阿修羅像のように、無数の手に握られた包丁による攻撃を迎え撃つのは無理だ。
だとしたらやはり、アイツを倒すには遠距離からの攻撃を加えるしかないだろうな。
それもフルパワーの『ツインレーザー砲』を、奴の正面から直撃させるしかない。
「…………」
車椅子に乗る少女は、全く喋る気配が無かった。
そもそも『アリス』という別の体を得た虚無の魔王は、一時的に作りあげられた仮の人格を持っていたに過ぎない。
暗黒渓谷の魔王シエルスタの体を貰ったカステリナが、行動の自由を得る為のみに生み出した、偽りの人格が『アリス』と言ってもいいだろう。
本来の虚無の魔王――カステリナには、もう『心の勇者』の時の人格は失われている。
過去の記憶を全て忘れ、自分が何者なのかさえ分かっていない悲しい境遇を秘めた魔王。
暴走する魔王として、絶望に染まった人々の記憶と心をひたすらに喰らい続け。恐ろしい『虚無の感情』の集合体である、化け物と成り果てているんだ。
だからカステリナは本能的に、自分が欲しいと願う獲物の『心』を奪いに来ているだけで。そこに明確な意思や感情は無いと断言する事が出来た。
しかも女神教の拷問によって、両目をくり抜かれてしまっているカステリナは、視界が全く見えていない。だから攻撃の精度はアリスの体を持っていた時よりも、遥かに落ちているはずだ。
「……にしては、めっちゃ正確に包丁を俺のいる方に向けて投げてきているけどな。遠路はるばる帝国領にまで追っかけてくる程、俺にご執心なのはマジで勘弁して欲しいぜ。俺なんかの何がいいのか知らないが、どうせ付きまとわれるなら、金髪の可愛い女の子とか、茶色いポニーテールのクラスメイトだけにしてくれよな!」
まあ、普通に考えて。包丁片手に執拗に追い回してくるような狂乱ストーカー女は、マジでごめん被りたい所だけどな。
でも、この異世界にはストーカー被害を相談出来る警察なんていないから、自分自身の力だけでこの問題を解決をしないといけないのも分かっている。
空中浮遊をする車椅子の少女に向けて、俺は両肩に浮かぶ銀色の守護衛星の照準を向けた。
異空間に姿を消していないのなら、俺にはかえって好都合だ。
カステリナの進行方向を先読みして狙いを定めれば、正確にビーム砲を直撃させる事が出来るはずだからな。
「よーーし、行っくぞおぉぉぉーーー!! これでも喰らいやがれッ!! 『青双龍波動砲』ーーッ!!」
””ズドドーーーーーーーーン!!!””
聖なる青いビーム砲は、一直線にカステリナの本体に向かっていき。そして虚無の魔王の体に直撃すると思われた、その瞬間に――。
「なっ………!?」
突如、カステリナの正面の空間に開いた『黒い穴』によって。俺の放った2本のレーザー砲は、全て飲み込まれてしまった。
まさか俺のツインレーザー砲を全部、あの黒い渦みたいな穴が吸収してしまったっていうのかよ……。
カステリナは、自らの体を異空間に消すのではなく。敵の攻撃を異空間に吸い込ませるやり方に、攻撃方法をシフトしてきたのか?
――クソッ! ならどうやって戦えばいい?
最強の威力を込めたレーザー砲が、全て黒い渦に吸収されてかき消されてしまったんだぞ?
かといって、接近戦に持ち込もうにも……。
数十本を超える黒い手に阻まれて、まともに近づく事さえ出来ないっていうのに……!
「ハァ、ハァ、ハァ………」
考えろ……。必死に考えるんだ!
俺は荒くなった呼吸を必死に抑え、高鳴る鼓動と心拍数を制御する為に、冷静になろうと試みる。
待て? 何かおかしいぞ……。
どうして、こんなにも胸が高鳴っているんだ?
まるでフルマラソンを全力で走り切ったかのように、全身から冷や汗が湧き出てきて止まらない。どんどん早まっていく呼吸のペースも、一向に収まる気配が無い。
この時の俺は、カステリナとの対決に夢中になり。
自分の呼吸が大きく乱れている事に、気付くのが完全に遅れてしまっていた。
冷静に考えてみれば分かる事だ。
まだ、大したダメージを負った訳でもなく。体に負荷のかかるような、大技を連続で繰り出した訳でもないというのに……。
それなのに、俺の体は既に『限界』を迎えようとしていたのだから。
まるで砂漠の中に放り出されて。3日間も水を一滴も接種していないくらいの瀕死の状態にまで、俺の体は追い込まれていた。
そして、気付いた時には――。
””パリーーーーーン!!””
俺が着用しているコンビニ店長専用服が、突然……緑色の光を放ち。ガラスが割れるように、何かが弾けて砕け散るような音が鳴り響かせた。
「なっ……!? まさか、これは? コンビニ店長服の自動防御機能が、1回分消費されてしまったという事なのか?」
――という事は、俺の体は『死に至る』ほどのダメージを既に受けていたという事なのか?
一体、何をされたというんだ?
いつ攻撃を受けた? 敵の包丁による攻撃は、全てギリギリのタイミングでかわしてみせたはず。
……そしてようやく、気付く。
それは、俺の眼球に……まるで注射針を刺しこんだかのような、大きな痛みが走ったからだ。
クソッ、そういう事なのか……!
カステリナの体を長時間見続けていたせいで、俺の体はいつの間にか、一度命を落としてしまう程のダメージを、肉体に蓄積させてしまっていたのか。
おそらくそれを、コンビニ店長服の自動防御機能が守ってくれたのだろう。
「クソっ……!」
残っている店長服の無敵ガードは、後2回か……。
例え黒い太陽の形となり、即死効果のある黒い光を地上に一斉に放ってこなくても。カステリナの本体はその姿を見ている者の命を、緩やかに落とさせてしまう程に『有害』なんだ。
こうなったらもう、長時間の戦闘は無理だ。
一気に短期決戦をかけないと、すぐに俺の命はカステリナに吸いとられてしまう。
仮想夢の時は、異空間に姿を消して移動してくるカステリナの姿が見えない事に苦戦をしたっていうのに……。
今度はやっと姿を見せてくれたと思ったら。目をつぶって戦わなければ、こちらの命が落とされてしまう危険があるだなんて、全く意味が無いじゃないか。
見えない敵と戦う方が楽なのか。
それとも、視界に入れ続けたら自分が死んでしまう可能性のある敵を見ない為に。こちらがずっと目を閉じながら戦わないといけない方が良いのか。
そのどちらがマシなのかなんて、とても選べるはずもない。
そんなのはどっちも同じ意味になってしまう。空間に姿を消せば見えないし、本体を現したなら、見てはいけないんなんて、手の打ちようがないぞ……!
だが、まだ自分の目をしっかりと開いて戦える方が良かった気もする。異空間に姿を消している時は、フィートの視界を借りて、敵の気配を感じ取る事も出来たからな。
今は姿が見えない時よりも……もっとタチが悪くなっているのは間違いなかった。
そして、ここにいるのが俺一人だけで。本当に良かったと改めて思う。
もし、みんながここに来てしまったら……。
それこそ本当に一瞬で、全員が殺されてしまう。カステリナによって、仲間が一気に全滅させられてしまう事だってあり得ただろう。
「クッ……!! 迷ってる暇はもう無いな。ここはもう、一気に勝負をつけにいくしかない!!」
女神の泉を襲っていたアンデット兵達が消失したのなら。俺の事を心配したみんなが、ここに駆けつけて来てしまう可能性がある。
つまりは、コンビニ店長服の無敵ガード機能の残数が尽きて俺の命が失われる前に……。
そして、みんながここに駆けつけてしまうよりも前に、俺は必ずカステリナとの戦いに一人で決着をつけないといけないんだ!
こいつは、マジで絶望的な状況だな。
もう、さっき放ったばかりのセルリアン・ツインレーザー砲のチャージを待つ時間なんて無い。
ここからは、虚無の魔王に出来る限り接近をして。決死の覚悟で肉弾戦を挑むしかないんだ!
「うおおおおおぉぉぉぉぉーーーーッ!!!」
俺はカステリナの正面に向かって飛び込んでいく。
黒い包丁を持つ、無数の黒い手が暗黒の瘴気からニョキニョキとキノコのように生えてくる。
その一本一本の手と、俺の回し蹴り、そして硬化したロングコートが空中で火花を散らしてぶつかり合った。
カステリナの周囲から伸びてくる黒い手は、どんなに強烈な蹴りを喰らわせても、切り落とす事が出来なかった。
まるで煙のように、スッ……と貫通してしまうだけだ。それなのに、しっかりと黒い手の先には鋭利な包丁が物理的に握られていて、俺の首を切り落とそうと四方八方から凶器を振り回して襲ってくる。
「……ちっくしょう、このチート野郎がああぁぁ!!」
たった2本だけしかない俺の足と、ロングコートだけじゃ、とても無数に生えてくるカステリナの『黒い手』による攻撃を防ぎきれない。
でも、今……この場でやるしかないんだ!!
ここで引いたら、またコンビニ店長服の無敵ガード機能が減らされてしまう。
カステリナの本体を視界に入れているだけで、やがて『死』に至るのなら。まだ無敵ガードの残数が残っているうちに、本体にとどめを刺さないと後が無い。
もう、とっくに俺の退路は断たれているんだ。
背水の陣で挑む、コンビニの勇者の怒涛の攻撃を必ず虚無の魔王の体にぶち当ててやる。
既にカステリナの周囲の黒い瘴気の中から生えてくる無数の手の数は、50本を超えていた。
せめて俺に、パティのようにリーチの長い槍のような武器があったなら。いや、剣でも構わないぞ。
流石に武闘スタイルの足技だけで、敵の懐に切り込むのは無理がある。
くそ! 今更ながらに、武器を使わずに格闘家スタイルの戦闘ばかりしてきた事を後悔するなんてな……!
でも、もうそんな事は言ってられない。最後までこの命が尽きる前に、やり遂げるしかないんだ!!
あと少しで……本体に届く。
車椅子に座るカステリナの頭部に、俺の渾身の『かかと落とし』を直撃させてやる事が出来るんだ。
その時――。
数十本を超える黒い手が、俺の背後に回り込むようにして長く伸縮して伸びてきた。
突進攻撃に特化していた俺の無防備な背中を、無数の黒い手に握られた包丁が一斉に襲いかかってくる。
”“――グサ、グサ、グサ、グサ!!””
「うぐああぁぁぁぁーーーッッ!?」
とっさに広げたロングコートの厚い装甲を突き破り。
包丁の刃先が背中の皮膚の中にまで届き、俺はあまりの痛さに絶叫する。
”パリーーーーーーーーーン!!”
また緑色の光が、俺の全身から発せられた。
俺の体に突き刺さっていた黒い包丁が、一斉に音を立てて粉々に砕かれていく。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
どうやら、2回目の無敵ガード機能が緊急発動したらしいな。これで残された残数は、あと1回だけになってしまった訳か……。
でも、カステリナの黒い手に握られていた包丁が全て砕けたのは好都合だ。
この一瞬が――俺の最後の攻撃チャンスになるのは間違いない。
もう、ここを逃したなら……。
2度とカステリナを倒すチャンスは、訪れはしないだろう。
破裂しそうな程の、目の充血を堪えて。
あまりの痛みで、眼球が内側から弾け飛びそうになるのも、必死に我慢してみせる。
俺の視界がまた破壊されてしまう前に、この一撃で全てを……終わらせてみせるッ!!
「うおおおおおおぉぉぉーーーッ!!」
渾身の力を込めて、右足を振り上げた。
そして一気に、車椅子に乗る黒髪の少女に接近をすると。俺は持てる全ての力を込めて――。
全身全霊の『かかと落とし』を、カステリナの頭部に向けて振り下ろした。
これで――全てが終わる。
長かった虚無の魔王との戦いに、とうとう決着をつけられる!
俺は振り下ろした右足を高速で加速させ。
車椅子に腰掛けている、目隠しをした少女の顔を俺は至近距離から見つめて――。
「……………」
気付いた時には……。
カステリナの目の前に出現した真っ暗な『黒い渦』の中に、体ごと飲み込まれてしまっていた。
まるで、いきなり宇宙空間の中に放り込まれてしまったかのように。
俺の体は、何も見えない暗黒の空間の中を……ひたすら底に向けて『落とされて』いく。
そんな……?
まさかさっき、ツインレーザー砲を吸収した時のように。俺の体ごと黒い渦の中に吸い込んだというのか?
だとしたら、俺の体はどこに落ちていってしまうんだ?
カステリナの開いた暗黒の空間の中は、一体どこに繋がっているのだろう。
真っ暗な深淵の闇の中を、俺はひたすら底に向けて落ち続ける。
体を動かす事が出来ない。
もはや意識を保ち続ける事さえ、困難だった。
このままだと、俺は……俺自身を保てなくなるかもしれない。
目を閉じても、開けていても。
見渡す限り目の前に広がっているのは、真っ暗な闇に包まれた無限の『暗黒空間』だ。
そこが宇宙空間なら、まだ小さな星の輝きを覗き見る事も出来たかもしれない。
でもこの暗黒の世界の中には、光の輝きは何も見えなかった。ひたすらに闇が無限に広がっているだけだ。
ここは、一体どこなんだ……?
次第に、俺の意識も記憶も、深い闇の中に溶け込んでいくように感じてしまう。
俺が俺自身である事を自覚する事さえ、あやふやになり。何も考える事が出来なくなっていく。
――ようやく、暗い暗黒の闇を突き抜けると。
俺の体は……どこか見知らぬ土地の地面に叩き落とされていた。
「いててて……。ここは? どこかの街の中なのか?」
ゆっくりと目を開けてみると。俺の目の前には、もの凄い数の群衆が溢れていた。
どうやらここは大きな街の広場らしい。ここにはおそらく、10万人近い大勢の人々が集い。全員が大きな声を上げて、何かに熱狂をしているようだった。
これは、一体何の集会なのだろう?
まるで怪しげな宗教の催し物のように、広場に集まった全員が、何かを見つめながら口々に大きな声を上げて叫んでいる。
例えサーカスや音楽のライブショーが行われていたのだとしても。ここまで、群衆を熱狂させる事は出来ないはずだ。
それにここに集まっている人々の表情や、その叫び声は、どこか激しい『怒り』に満ち溢れているように感じられる。
「すまない……前を通してくれないか!」
俺は熱狂的な叫び声を上げる群衆の波を掻き分け、広場の中心部がよく見える位置へと進んでいく。
ここに集まる人達が、一体に何に夢中になっているのか。何に対して、これほどまでに怒りの感情を込めた叫び声を上げているのか……。それが俺には、どうしても気になったからだ。
やっと、人の波をかき分けて前に進み。
俺は広場に集まる大勢の群衆が見つめている、『ある人物』を遠くから見つめて……。
思わず言葉を失ってしまう。
「そんな!? アレはまさか……玉木なのか?」
10万人を超える大群衆の中心にいたのは……。
黒い仮面を被った怪しげな男達に囲まれ。白い磔台に手足を縛られて拘束されている、俺がよく見知っているクラスメイト。
『暗殺者』の勇者の――玉木紗希が磔台に体を固定され。大勢の群衆から石を投げつけられながら、口汚い罵声を浴びせられていた。