第三百二十九話 朝霧へのクイズ
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
月明かりに照らされた、薄暗いカラム城の夜。
城の中にいる多くの人々が寝静まる、深夜の時間帯。
そんな夜遅くの時間にも関わらず。城の屋上には、たった1人で夜空を見上げ。ずっと誰かを待っているような男の人影が、月明かりにポツンと照らし出されていた。
男は寒い夜空の下で防寒具を着て、彼の能力によって生み出される『コンビニ』から持参してきた、肉まんとホットコーヒーをビニール袋に入れて立っていた。
「ふぅ〜……」
男の口から出る吐息には、白い色が付いている。
深夜の外の寒さは、流石に黒いロングコートだけでは防ぎきれない。首元にマフラーを巻いて、温かい缶コーヒーを持ってきたのは正解だった。
温かいコーヒーを口に含みながら、じっと夜空を見上げ続けていた男の元に。
ようやく……後方から若い女性の声がかけられる。
「……うふふ。こんな所で、一体何をしているのかしら、彼方くん?」
カラム城の最上階に立つ男に声をかけたのは、黄色いチューリップのように、鮮やかな色合いのドレスを着た若い女性だった。
「ようやく来たか……。遅いぞ、朝霧! 俺の体感だと、約30秒の遅刻だぜ!」
手に持っていた缶コーヒーを一度床の上に置き。
コンビニの勇者である秋ノ瀬彼方は、声をかけてきた女の方に向き直る。
「うふふ。何を基準に私が遅刻者扱いされたのか分からないのだけれど……。その様子だと、どうやら私がここに現れる事を彼方くんは『先に』知っていたみたいね」
喉元に指を当てて、『叙事詩』の勇者である朝霧冷夏が、ニヤリと笑いながら彼方に声をかけた。
「――まあな。だから、お前の分の肉まんと缶コーヒーも用意しておいた。どうだ、お前もコンビニの肉まんを食べるか?」
「あら、コンビニの肉まんなんて久しぶりね。肉まんって、冬場にたまらなく食べたくなる時があるのよね。でも、せっかくだけど今は要らないわ。今の私という存在は正確には、ここに『居る』訳じゃないの。本のページをめくって、物語に登場する主人公を見物に来ているだけなのだから。うふふ、その辺りの説明はいるかしら?」
「いらねーよ! もうとっくに全部知っているからな」
ビニール袋から肉まんを1つ取り出した彼方は、それを豪快に……クラスメイトであり、『叙事詩』の勇者でもある朝霧冷夏の目の前で頬張ってみせた。
突然現れた自分の存在に驚きもせず。まるでよく見知った、旧知の親友と話すかのように振る舞う彼方を、怪訝な顔色を浮かべて朝霧は見つめる。
「ふーん……。だいぶ手慣れた感じで私と会話をするのね。どうやらもう、私が用意をした『仮想夢』の事は知っていて。既に何回か夢の中の世界を体験してきた、という感じなのかしら?」
「――2回だ。お前とここで話すのは、俺にとっては今回が3回目の事になるな」
朝霧からの質問に、遠い目をしながら彼方は無感情に返事をした。
「私と会うのが3回目? 素晴らしいわ! 私にとっても彼方くんの頭にどれだけこの世界の情報をインストール出来たのかは分からなかったから、既に2回もこの世界の未来をシュミレート体験出来たのなら、上出来よ。どう? 私がプレゼントしてあげた未来体験は、存分に楽しんで頂けたかしら?」
嬉しそうに目を輝かせながら聞いてくる、朝霧。
彼方の予想した通り。仮想夢を他者に見させるという能力は、どうやら朝霧本人にとってもその効果はまだ未知数という事になるらしい。
「そうだな……まあ、しいていうなら60点かな? お前がもし監修と脚本をしているなら、もっとハーレム要素をいれるべきだし、ラッキースケベな展開だって不足しているぞ。知ってるか? 今時の異世界の物語はシリアス展開だけじゃ飽きられるんだぜ? せめて3人娘達の温泉ハーレム回くらい入れておけよな。スポンサーも低視聴率過ぎると、尻尾を巻いて逃げちまうぞ!」
「うふふ。それは残念ね。私の入浴シーンで良ければ、無理やり入れてあげても良いのだけど……。彼方くんはきっと、物語の読み手である私には干渉出来ないだろうしね。それにこの世界で紡がれる物語にスポンサーなんて存在はいないの。ただ『私』という、絶対的な存在の読み手である『読者』がいるだけなのよ」
朝霧は上機嫌そうに笑い。彼方との会話を存分に楽しんでいる様子が見てとれた。
普段は外から見ているだけの物語の登場人物に、それもメインストーリーを歩む、朝霧にとっての最大の推しメンである彼方に話しかけられる事が、この上なく彼女にとっては嬉しいのだろう。
「それなら物語の先の展開を知っているお前に、ぜひ聞きたい所だな。俺はもう既に2回、仮想夢の世界を体験してきた訳だが……。夢の中で登場したお前は、仮想夢を俺が見れるのはせいぜい、1〜2回が限界だろうとも言っていた。それは間違いないのか? 俺が今いるこの世界は、本物の現実世界という認識でいいんだな?」
彼方の質問に対して、朝霧は意地悪そうな表情を浮かべて、ニヤリと笑い出す。
その表情はまるで、近所に住む子供達に嘘をついては楽しむ、イタズラ好きのお姉さんのようでもあった。
「……さあ、それはどうかしらね? 夢の中に登場した私が、何を彼方くんに言ったのかは知らないけれど。仮想夢が見られるのは数回だけ……なんて、別に確定している訳じゃないわ。それこそ彼方くんは、終わりの無い仮想夢を無限に見続けるのかもしれない。だって今ここにいる私だって、彼方くんの見ている夢の中に登場する朝霧冷夏なのかもしれないのだから」
衝撃的な朝霧の発言を受けて、彼方は目を見開いて驚愕するかと思われたのだが……。
当の彼方自身は、全く同じる事なく。手に持つ肉まんを、口の中に頬張り続けている。
「そっか……なるほどな。それは良かった。俺みたいな無能な主人公の物語でも、お前が満足してくれているのなら、飽きるまで永遠に俺の物語をそばで見続けているといいさ。俺はそれでも全然、構わないぜ」
素っ気なく返答する彼方の様子に。
朝霧は眉根を寄せて、睨みつけるように彼方を凝視して訝しむ。
「あまり動揺をしないのね、彼方くん? あなたは永遠に目覚めない、終わりのない仮想夢を見続けていて。この先もずっと、無限ループを味わうかもしれないというのに……。それでもあなたは平気だというの?」
彼方はゆっくりと夜空を見上げ。
手に持っていたコンビニの肉まんを、最後までペロリと食べきってみせて。
その場で1人、おかしそうに笑い始めた。
「――朝霧。俺からお前に1つ、クイズを出してもいいかな?」
突然の彼方からの提案に、朝霧は再び顎に指を当てて。不思議そうな顔色を浮かべ何度も瞬きをする。
でも、その目の色は……不快そうでは無かった。
むしろ逆だ。自分でも予想外な展開を与えられて。ワクワクが抑えられない、子供のような目の輝きをしている。
「彼方くんから、私にクイズ? うふふ。一体、何かしら? 楽しみね、クスクス……」
本を読んでいた読者が、突然……物語の登場人物から出題をされるという、不思議体験に驚き。
朝霧は心の底から楽しそうだった。
そんな朝霧の目の前で、彼方はジャンプをして。カラム城の屋上にある塀の上に飛び乗ってみせた。
「――質問だ。俺がもし、このカラム城の屋上から飛び落りて、そのまま地面に真っ逆さまに落ちたなら……。俺は死ぬのか、それとも死なないか? どっちだ?」
「……? 質問の意味がよく分からないわ。彼方くんは、コンビニ店長専用服の無敵ガード機能を持っているでしょう? 合計で3回分は、例え自殺をしたとしても生きながらえる事が出来るはずよ」
朝霧が答えた模範解答な内容に、彼方は肩をすくめて呆れてみせた。
やれやれ、それだからお前はダメなんだぜ……と、上から目線の表情で朝霧を見下ろし。意地悪くニヤニヤと笑ってみせる。
「本当にそう思うのか……朝霧? 仮想夢を2回経験してきた俺は、お前の知らない未知の体験を経験してきた物語の主人公様なんだぜ? 既にこの世界の未来を知っている俺は、お前の予想もつかないような、謎の行動をとる可能性だってあるかもしれないぞ?」
「謎の行動? 何なのかしら、それは……?」
焦らすような口ぶりの彼方に、明らかに朝霧はイラつき始めていた。
「ちなみに俺は、お前がここに現れるまでの間に……ナイフで自分の心臓を3回分貫いておいた。もちろんコンビニ店長服の無敵防御機能で、全てガードされちまったけどな。だから実はもう、無敵ガード機能は全て使いきっていて、俺の命の残機は残ってないんだ」
「なっ……そんな訳がないわ! 私はこの世界の未来を先に『読んでいる』読者なのよ。あなたがそんな行動を取っていない事は、物語の先の展開を読んで既に知っているの。だからふざけた冗談を言っても、無駄よ!」
先ほどまでニヤニヤと笑みを浮かべていた朝霧が、激昂するように怒鳴りだす。
その表情からは完全に余裕が失われていた。
――当然だ。
この世界の未来から過去までの、全てを『読んで』いるはずの朝霧にとって。
自分の知り得ない未来の展開など存在するはずがない。
そう。この世界の未来は、全て自分の手の中で転がされていないといけない。それが出来るのが『叙事詩』の勇者である朝霧だけが持つ特権なのだから。
それなのに、目の前にいる彼方から『お前が知らない物語の展開もあるんだぞ!』と、告げられてしまったのだ。
それはお気に入りの映画を、既に10回以上も繰り返し見てきた熱烈な映画ファンに対して。
『お前はそんな所も見落としていたのか?』と、その映画をまだほんの1〜2回しか見ていない、にわかファンに告げられてしまったくらいの屈辱が、今の朝霧にはあるに違いない。
「本当に自信を持ってそう断言出来るのか、朝霧? 夢の中のお前は、俺にこう言っていたぜ。俺は本当は魔王領で、コンビニの大魔王に体を奪われて死ぬ運命だったとな。そんな俺の運命を、読者であるお前が無理やり物語に『干渉』をして。強引に捻じ曲げてくれたってな」
朝霧は思わず口を閉じて、その場で黙り込む。
彼方は既に、この場で朝霧とかわす会話はこれが3回目となる。
だから『叙事詩』の能力を持つ朝霧がどのような存在で。どのような能力を使い、何を考えて行動しているのかを、彼方なりに先に分析しておいたのだ。
今、ここにいる朝霧は……。基本的には『秋ノ瀬彼方が紡ぐ物語』の大ファンで、その物語を間近で見学したいと欲する熱烈なストーカーと言ってもよい。
だからずっとコンビニの勇者の紡ぐ物語が、読みたくて読みたくて。彼方の行動を追いかけ回している、偏執的な考えを持った奴だ。
そんなコンビニの勇者の大ファンでもあり。この世界の先の展開を知っている読者でもある朝霧が、どうしても許せなかった事がある。
それは彼方が、過去にこの世界を支配したコンビニの大魔王である、もう一人の秋ノ瀬彼方に体を奪われ。
この世界と、そして他の異世界や、彼方達の故郷である日本も含めて。全ての世界をめちゃくちゃに破壊して回るという、壮絶なバッドエンドを迎える物語の未来の顛末だった。
実際にはそれが、この物語の本当の未来の結末だったらしいのだが……。
彼方にとってはありがたい事に。ここにいる、神様視点を持つ朝霧は、覚醒した自分の能力を用いて物語の中の登場人物に干渉をする事が可能となり。
彼女にとって望む未来の結末になるように、物語の未来の展開を『変えて』くれたらしい。
理由は、その方が面白いから。そして新しい自身の能力を試してみたかったから……と、仮想夢の中に登場した朝霧は彼方に話してくれた。
だが、本当の理由は違うのだろうと彼方は思う。
朝霧は自分の推しキャラである大切な彼方が、太古の悪魔であるコンビニの大魔王に体を奪われて。その体の一部となり、この世界を破壊するという……バッドエンドな結末に、読者として納得がいっていなかったんだ。
だから例え、無理をしてでも。物語の結末を強引に変えようとした。この世界という物語の未来を、自分の手で変えようと足掻いた。
ただの神様気取りの読者であるだけなら、そのまま黙って物語を観覧席から眺めていればいい。
――でも、朝霧はそうはしなかった。
座席から飛び上がって、勝手に劇場の舞台裏に忍び込み。
控え室で出番を待っていた舞台俳優に、未来の演劇の台本を勝手にみせて、話の筋書きを変えようと企んだのだ。
それが、コンビニの守護者であるアイリーンに声をかけ。魔王領で出会った、あの灰色ドレスのレイチェルさんに彼方が捕まらないようにと、未来を変化させた1番の理由なのだろう。
「――つまり今の俺は、物語の筋書きを、ただなぞるだけの『確定された行動を取る』単純な主人公では既になくなっているはずだ。だからお前は、俺に仮想夢を見せて。未来の展開を先に俺に伝えて、自分の願う展開になるようにと再び干渉したんだろう? その結果、この俺が予想外な行動を取り、未来が変わる事に期待を込めてな!」
「…………」
彼方の言葉を聞いた朝霧は、無言で押し黙っている。
その顔には、何かを伝えたくても、決して伝えられずに我慢をしている。まるで許されない相手に、片想いをしている女性のような表情が見え隠れしていた。
「もし……ここがまだ仮想夢の世界だったなら。俺が城の最上階から地面に落ちても、大丈夫なはずだよな? お前がそれを保証してくれるのなら、ここから飛び降りても……俺はまたティーナが起こしてくれる、柔らかいベッドの上で目覚めるはずだ。だってここは、まだ夢の中のはずなんだからな」
彼方には不思議な自信があった。
朝霧にとって熱烈な推しメンでもあり。物語の主人公である彼方が、万が一にでも目の前で死ぬかもしれない可能性を……朝霧はきっと耐えられるはずがないと。
彼方は、体の半分以上を塀の外に乗り出して。
本当に城の最上階から、本気で地面に落ちるような体勢を取る。
「――待ってッ!!」
激しく呼吸を乱した朝霧が、慌てて大声を出して彼方を呼び止めた。
「分かったわ! 私の負けよ、彼方くん。確かに仮想夢は決して『無限』ではないわ。でも、それが2回きりで本当に終わるとは、私にだって断言出来ないの。だってここにいる私も、もしかしたら彼方くんの見ている仮想夢の中で構成された『私』なのかもしれないのだから」
朝霧の言葉を聞いた彼方は、いったん飛び降りる動作を止めて。
体を朝霧の方に向けて、静かに笑ってみせた。
「そうかよ。でも、お前のその焦りようが見れたなら、俺は満足だぜ。なにせ俺はお前の大切な推しメンだからな。こんな所で死ぬ訳にはいかないし、俺には守るべき大切な仲間達がいる。だから読者であるお前を飽きさせないように、自分の命を大切にしながらこれからも生きさせて貰う事にするよ。――今はそれで良いだろう、朝霧?」
片目でウインクをして微笑みかける彼方に。
朝霧はため息のような白い吐息を漏らして、肯定してみせた。
「ええ……今はそれで充分よ。彼方くんには、これからも生き続けて貰わないと私が困るの。そして私の望む物語の理想の最後を迎えるまで、私をずっと楽しませ続けて貰わないとね」
彼方はビニール袋の中から肉まんを取り出すと。
それを朝霧に向かって、ポイっと放り投げてみせた。
真っ暗な夜空に放たれた白い肉まんが、放物線の曲線を描いて流れ星のように流れていく。
そして朝霧は――自分に向けて投げられた白い肉まんを、その手で確かに『キャッチ』してみせた。
彼方から肉まんを受け取った朝霧の姿は、次第に周囲の空気と同化して。透明な姿へと変わっていく。
どうやら、もう……時間らしい。
朝霧は彼方と会話が出来る、制限時間を迎えてしまったようだ。
「じゃあな、朝霧! 俺がこれから紡ぐ新しい物語を楽しみにしていてくれよな! それとお前には本当に感謝してるよ。あんな初見殺しな最悪の未来を、いきなり味合わされたなら……。俺は本当に詰んで終わってしまう所だった。お前の見せてくれた仮想夢のおかげで、ちゃんと対策を練る時間を与えて貰ったからな!」
次第に存在が消えかかっている朝霧は、不敵に笑いながら彼方に向けて話しかける。
「うふふ。それでこそ『私の』彼方くんだわ。私は絶対にあなたから離れないし、あなたを逃がさない。あなたの苦悩も、不幸も、全てが私を楽しませてくれる最高の快楽なの。あのティーナという女の子にも、玉木さんにも、彼方くんは絶対に渡さないわ。あなたという存在が紡ぐ物語は、全てこの私だけのモノなの。だから読者である私を飽きさせないと約束をしてね」
「――ああ、任せとけよ! 俺はもう絶対に負けたりしない。仲間を死なせたりもしない。俺がこれから起こす未来の反撃作戦を、ハラハラして読むといいぜ。コンビニの勇者が歩む、最高の物語をこれからお前に味合わせてやる。だから、楽しみにしてるんだな!」
彼方から貰った肉まんを大切そうに握りしめながら。
黄色いドレスを着た朝霧は、全身の3分の2以上が既に消失をしている。
「私は彼方くんの紡ぐ物語を、これからも楽しみに見させて貰うわ。きっと私はまたあなたに会いにくる。その時を楽しみにしていてね。そして思わぬ所でまた『目を覚ます』事がないように。これからはせいぜい覚悟して生きる事ね……うふふ」
その言葉を、最後に――。
『叙事詩』の勇者である朝霧冷夏は、完全に夜の闇に同化して消え去ってしまった。
後には、コンビニの勇者の彼方だけが残されている。
彼方は再び夜空を見上げて。
拳を力強く握りしめながら、小さく声を漏らした。
「安心しろよ、朝霧。俺は必ずお前の望む未来に辿り着いてみせるさ。後は……俺の送ったメッセージを、共和国のレイチェルさんが、ちゃんと受け取ってくれているといいんだけどな……」