第三百二十四話 黒い予感
「――フィート、敵の様子はどうだ? 俺達の後を追ってきている気配はありそうか?」
シールドドローンを重ね合わせて作った、飛行ドローンに乗りながら。俺はフィートの体を両腕で抱えて、真っ直ぐにカラム城を目指している。
「うーん、少し気配が遠くなった気がするのにゃ〜。森にいた時は一定の距離感を保って、あたい達の後をついて来てる感じがしたんだけど……。今は気配が離れた気がするのにゃ〜」
「……という事は、敵は俺達の追撃をいったん諦めたという事なのかな?」
「それは分からないのにゃ。油断させといて、一気に猛スピードで追いかけてくるなんて事も十分にあり得るのにゃ! 敵は次元間移動が出来るから、離れた距離にいても安心は出来ないのにゃ〜!」
そうだな、フィートの言う通りだ。
実際にコンビニ支店のあった女神の泉から、グランデイル軍と遭遇した森の奥まで。敵は瞬時に高速移動をしている。だから少なくとも、この飛行ドローンよりも敵は速く動けると考えた方が良いだろう。
「フィート、敵の特徴で他に気付いた事はあるか?」
俺の腕の中で、体を丸めてぬくぬくとしているコンビニ猫のフィートに尋ねてみた。
「あるのにゃ〜! それもとっておきの情報なのにゃ〜。今回は特別にサバ缶無しで、お兄さんに無料で情報提供をしてあげるのにゃ〜!」
フィートが腕を組み、俺の目を見上げながらドヤ顔を浮かべている。
よしよしと、俺はフィートの頭を優しく撫でながら。フィートが発見したという、とっておきの情報を教えて貰う事にした。
自慢の猫耳を左右に揺らし、フィートは大きな目を輝かせながら口を開いた。
「それはズバリ――敵の正体は『黒髪の女』なのにゃ!」
「えっ、黒髪の女……だって!? でも、どうしてそんな事が分かったんだ?」
「敵は姿が見えない時は、別次元の空間を移動している時なのにゃ〜。でもこちらに攻撃をしかけてくる、ほんの一瞬だけ。敵は空間の扉を少しだけ開けて、攻撃をしてくるから、本体がチラリと見える時があったのにゃ〜!」
「その時に見えた敵の正体が、『黒髪の女』だったというのか?」
「本当にチラリとしか見えてないから、輪郭とか表情とか、細かい部分までは見えなかったのにゃ〜。でも、黒くて長い髪の女だったのは間違いないにゃ。それと……敵は多分、目が見えていないようなのにゃ!」
目が見えていないだって……?
それじゃ、正体不明の敵は――盲目の人間だという事なのか。
「あたいも敵の正体をもっと探る為に、攻撃をギリギリのタイミングで避けるように工夫していたのにゃ。その時に感じたのは……敵の攻撃は僅かだけど、標的の位置を正確に捉えられず『ズレている』事が分かったのにゃ〜。だから敵は、こちらのおおまかな位置しか掴めていない状態で、攻撃をしてきているのにゃ〜!」
今まで存在の全てが正体不明だった敵について、次々と新情報をもたらしてくれるフィート。
そんなもふもふ娘の予想外な分析能力に、俺は思わず感心してしまう。
「凄いじゃないか、フィート。いや、マジで! あのギリギリの攻防の中で、敵の事をそこまで分析出来ていたなんて、本当に凄いぞ!」
「ふふーん、コンビニ猫の性能を甘く見ちゃダメなのにゃ〜! 大好きお兄さんの寝起きの顔を見るだけで、その日にあたいがどれだけサバ缶を貰えるのかを、予想する事だって出来るのにゃ〜! コンビニ店長の機嫌を誰よりもしっかりと熟知して、気持ちよくモフらせてあげる。それがコンビニ猫の重要な日課なのにゃ〜!」
うーん。それはあまり要らない変態性能のような……。
ちょっと、もふもふ娘をコンビニ仕様に育て過ぎてしまった気がするな。今後は深く反省する事にしよう。
こんな会話をもし、ティーナに聞かれたら。
きっと俺は事務所で、ティーナのお叱りを永遠に受け続けてしまうだろう。
多分、『彼方様! フィートさんに変な事ばかり教え込まないで下さいね!』って言われる気がする。そういえばティーナは、俺がもふもふ娘のフィートに入れ込んでいる事に少しだけ嫉妬していたっけ。
そのせいで、しばらくはティーナもコンビニの中で猫耳を付けてくれたから。コンビニの中が一時的に、もふもふハーレムになるという夢のような空間が実現出来た時もあったっけな。
でも、そのティーナはもういない。
話しかける事も、あの天使の笑顔をもう一度見る事も、俺には出来ないんだ。
「お兄さん……泣いてるのかにゃ? 大丈夫かにゃ? あたいの事、ちょっとだけモフってもいいのにゃ!」
「もう十分にモフらせて貰ったから平気だよ。それにもう少しでカラム城に着く。ちゃんと着地の準備をしておけよ、フィート」
「にゃにゃにゃ〜! 了解なのにゃ〜〜!」
そう、もう少しでカラム城に辿り着く。
女神の泉に向かう時は大人数だったから。こうやって飛行ドローンに乗って、目的地まで向かうという事は出来なかった。
でも今はあの時に比べて、味方の人数がだいぶ減ってしまったからな……。フィート1人だけなら、俺が抱えながら飛行ドローンを操作すれば、空からカラム城への帰路に着く事も可能だ。
コンビニ支店1号店のキャタピラーで移動をするよりも。空からの移動ならもっと速く、カラム城に帰還する事が出来るだろう。
それにしても、さっきのフィートの分析だけど。
正体不明の敵は、盲目の女性の可能性があるだって……?
そしてフィートが一瞬だけ見る事が出来たという、敵の外見は長い黒髪の女性だったらしい。当然だけどそれは、フィートが今までに出会った事がない女性だろう。
もし、俺達もよく知っている顔見知りの人物だったなら。フィートは当然、その正体に気付くはずだからな。
もふもふ娘のフィートがまだ出会った事の無い、そして盲目の可能性があるという長い黒髪の女性。
俺は過去に出会ったこの世界の人物達の中から、該当するような候補を頭の中で絞り込んでみる。
そんな特徴の人物に、どこかで俺は出会った事があっただろうか?
思考を巡らせていくなかで。俺の頭には、ある一つの推測が浮かび上がってきた。
その人物とは出会ったというより。本当に一瞬だけ、顔を合わせた程度でしかなかったけれど。
もしかしたら、そいつの正体は……。
「お、お兄さん! た、大変なのにゃ〜〜!?」
フィートが急に全身の毛をざわつかせて。俺の腕の中で震え上がる。
「どうしたんだ、フィート!? 何か感じたのか?」
「か、感じたのにゃ〜! この雰囲気は例の『敵』なのにゃ〜!! 敵はあたい達の後を追ってきているんじゃなくて。今向かっているカラム城の方角から、邪悪な気配をビンビンと放っているのにゃ〜!!」
「なんだって!? それじゃあ、まさか……!」
クッソ……。やられたッ……!!
敵は先回りをして。俺達よりも早く、ミズガルドの待つカラム城に向かっていたというのかよ。
あそこには城主のカラムさんはじめ、大勢の人達が残っている。敵が俺を殺す事を目的とせず、絶望をさせて身動きが取れなくする事を考えているのなら……。
カラム城にいるミズガルドや、城に残る多くの人達の命を無差別に奪おうとする可能性は十分にある。
もちろん俺も、その可能性を全く考慮しなかった訳では無かった。
むしろだからこそ、いち早くカラム城に戻り。ミズガルドに城の中にいる人達を急いで外に逃すように、伝えて貰おうと思っていた所だったのに……。まさか、既に先回りをしているなんて!
野郎……本当に、どこまでもコンビニの勇者の周辺にいる人々を殺害して、俺をとことん精神的に追い詰めていくつもりのようだな。
もし俺がコンビニ共和国に帰っていれば、きっとそこにも付いてきて、クラスメイトや共和国内にいる沢山の住人達を、全員殺害しようとしてきたに違いない。
もう、こんな事は絶対に終わらせないと。
でないとアイツは、永遠に俺の後を追いかけてくるぞ。
ティーナを失い。絶望を乗り越えた俺を更なる闇に落とす為に、敵はもっと酷い惨劇を巻き起こしてくる可能性だってあるだろう。
そうなればコンビニの勇者の周囲にいる人々は全員、不幸になる。みんなが殺害されてしまう。
額から冷や汗を流す俺に、フィートが尋ねてきた。
「でも、どうしてあたい達の向かう場所を特定出来たのかにゃ〜!? まるで次にどこに向かうかを、事前に知っていたみたいな動きなのにゃ〜!?」
フィートは慌てた様子を見せているが、俺はその点に関してはあまり動揺しなかった。
敵はククリアやアリスが指に付けていた、記憶の指輪をわざわざ奪っていったくらいだからな。きっと始めから俺達の内部事情について相当詳しかったのだろう。
そしてカラム城に先回りが出来るという事は……。城の場所も事前に知っていたという事になる。
「……だとしたら、敵は最初からコンビニのメンバーの中に紛れていたのか? いや、それならフィートが邪悪な気配をもっとハッキリとした形で感知出来たはず。他に可能性があるとしたら、何か霊的な形で誰かの体の中に憑依していたとかだろうか……?」
「大好きお兄さん、ど、どうするのにゃ〜! もしかしたらもう、城に残っている人達に沢山の犠牲者が出ているかもしれないのにゃ〜!」
フィートは声を震わせながら、俺に心配そうに問いかけてきた。
「ああ……。既に城の中にいる人達に、犠牲が出てしまっている可能性はあるだろうな。早くみんなを避難させないと大変な事になるぞ! フィート、少しドローンのスピードを上げるぞ。しっかり俺の体につかまっていろよ!」
「了解なのにゃ〜! 城のみんなを大至急、外に避難させるのにゃ〜!」
……ミズガルドは、ちゃんと無事でいてくれているだろうか?
敵が俺達の内部事情に詳しいなら、城の人々を統率する皇帝であり、凄腕の剣士でもあるミズガルドを真っ先に狙う可能性がある。
これ以上の犠牲者は、もう絶対に出したくない。
俺の事を知ってくれている、この世界の大切な仲間達をもう……俺は二度と失いたくはない。
全身の黒い染みが、また少しだけ広がったのを感じた。
大切なティーナを失い。俺はもう、絶望の底に落ちるような事は二度と無いと確信していたけれど。この調子で、この世界に残された俺の仲間達を、順番に敵に殺害されてしまうような事があったなら……。
さすがの俺も、再び心を闇に飲みこまれてしまう可能性もあるだろうな。
だからこんな惨劇はもう、ここで終わらせないと。
本当は共和国に戻って、レイチェルさんや3人娘達の力を借りたいと思っていたけれど……。もう、ここが限界かもしれない。俺は必ず敵との決着をここでつけてやる!
「大好きお兄さん、お城が見えてきたのにゃ〜!、城から煙が上がってるのにゃ〜!?」
俺の目にも、カラム城から黒煙が何本も立ち上っているのが確認出来た。おそらく城の内部で火が燃えているのだろう。
「フィート、城の最上階にドローンから飛び降りる! しっかり俺の体につかまっておけよ!」
「まっかせろぉ〜、なのにゃ〜! 猫は高い所からの着地も、お手のものなのにゃ!」
もふもふのフィートの体を大切に抱きしめながら、俺はドローンから城の最上階へと着地を果たす。
城の中からは、既に嫌な匂いが漂ってきている。
この匂いの感じは……血に染まったコンビニの地下シェルターの時と全く同じだ。人間の死体から流れ出した、大量の血液から染み出してくる独特の匂い。すでに相当数の犠牲者が城の中で出ているに違いない。
急がないと! まずは全力でミズガルドを探すんだ。
「あたいが先行するにゃ! お兄さんはあたいの後についてくるのにゃ!」
「了解だ、頼む、フィートッ!!」
敵の気配を事前に察知出来る、優秀な猫耳レーダーを持つフィートが螺旋階段を一気に下に駆け降りていく。
階段を降りた先の廊下で、真っ先に視界に飛び込んできたのは……。
積み重なるように、床に倒れ込み。
全身を切り刻まれて殺害されている、カラム城に残っていた人々の死体の山だった。
「クッソ……許さないぞ、絶対に許さないからなッ! 必ずコンビニの勇者が、直接お前を倒してやる!」
俺とフィートはダッシュで廊下の先を目指す。
生存者はいるのか? ミズガルドは無事なのだろうか?
流血に染まった城の床は滑りやすく、どうしても俺達の進行を遅くさせてしまう。
「ミズガルドーーーッ!! 俺だーー!! 彼方だ!! どこにいるんだーー!!」
大声で呼びかけてみても、城の中からの反応は無かった。
カラム城には、約1万人近い数のミズガルド派の騎士達が残っていたはずだ。まさか……その騎士達や家族達など、全ての人々がもう、敵に殺されてしまったんじゃないだろうな?
廊下に積み重なる人々の死体の山を見て、俺は思わず全身が震えがるのを感じた。
こんなにも残酷に、人をゴミのように扱うなんて。
一体、何なんだよ、この悪魔は……。
何が目的なんだ? 俺をとことん追い詰めるという目的の為だけに、こんなに恐ろしい所業まで、平気でやってのけるというのかよ。
そんな存在は、まさに悪魔としかいいようがない。
――ダメだ、やはり必ず仕留めないと! 俺を慕ってくれるコンビニ共和国のみんなや、この世界の全ての人々に。これ以上の不幸をばら撒く訳にはいかない。
しばらく経ったが、肝心のミズガルドからの返事はなかった。
もしかしたら、ミズガルドはもう……。
「大好きお兄さん、危ないのにゃ! 敵が斜め上方向から、お兄さんを目掛けて襲ってくるにゃ〜!」
「――えっ!?」
斜め上の方向って、それは右か? それとも左か?
俺は咄嗟の判断が出来ずに。一瞬だけ回避行動が遅れてしまう。
フィートと違って、俺には敵の気配は全く分からない。
後方に退くべきか、真横に飛んで避けるのかの判断が出来ずに。黒いロングコートの防御力だけで攻撃を防ごうと、その場で正面を向いて覚悟を決める事にする。
その時――カラム城の廊下に、大きな金属音が鳴り響く。
一瞬だけど……赤い火花が俺のすぐ目の前で激しく飛び散ったのが確認出来た。
俺の顔のすぐ近くには、横から伸びてきた銀色の長剣が空間に固定されている。
「――彼方、大丈夫? 怪我はない? ここは私が防ぐから、彼方はいったん後方に下がっていてね!」
それは、俺がよく聞き慣れた女性の声だった。
鮮やかに伸びた真っ赤な長髪をなびかせて。銀色の剣を構えた女騎士が、敵の攻撃を寸前の所でガードしてくれていた。
「ミズガルド……! 良かった。生きていてくれたのか!」
そう、俺の目の前には――。
バーディア帝国の女皇帝であり。そしてコンビニの勇者の盟友でもあり。
俺の身を守ると騎士としての誓いも立ててくれた、ミズガルド・フォン・バーディアが、銀色の剣を構えて俺の身を守ってくれていた。