第三百二十一話 森の中の逃走
””ドゴーーーーーーン!!””
再度、コンビニの地下シェルター内に、激しい振動と大きな轟音が響き渡る。
この振動の強さは、魔王の谷で遭遇した黒ヘビよりも遥かに凄まじいぞ。後、1〜2回ほどの衝突でシェルターの中は完全にペシャンコにされてしまうだろう。
もう対策を考えているような時間は無い。今すぐにここから全員で脱出をしないと、マジでヤバい事になる!
「ティーナ、フィート! 地下シェルターから脱出しよう。このままここに残ってたら、部屋ごと敵に押し潰されてしまう!」
「ハイ……分かりました、彼方様!」
「外に出たら、あたいの後に付いてくるのにゃ〜! 敵の姿は見えないけど、あたいの猫耳センサーで敵が攻撃してくる方向を事前に察知してみせるにゃ〜!」
「頼む、フィート! お前だけが今、一番の頼りなんだ。シェルターを出たら先行して前に進んで欲しい!」
「まっかせろなのにゃ〜、大好きお兄さん! コンビニ猫のあたいが、お兄さんとティーナたんを絶対に守り切ってみせるのにゃ〜!」
駆けるようにして、もふもふ猫娘のフィートが地下シェルターの出入り口へと向かう。
そして、コンビニの事務所に繋がる扉を開けて。一気にシェルターの外に飛び出した。
「ティーナ、俺達も行こう!」
俺は体調の悪そうなティーナを抱きかかえて。先にシェルターから出たフィートの後に続いて、コンビニの事務所へと移動をする。
相変わらず暗闇に包まれている事務所の中で、先行しているフィートの叫び声が聞こえてきた。
「大好きお兄さん、こっちにくるのにゃ〜! 今、コンビニの外には敵が居ないから安全なのにゃ〜!」
既にフィートはコンビニの外に出ていた。俺とティーナも急いでフィートの後を追う。
この中で唯一、正体不明の敵の存在を知覚出来るのはフィートだけだ。もしもフィートから離れてしまったら。俺達は大量のサメが泳ぐ海に、救命ボート無しで放り出されるくらいに、危険な状態に晒されてしまうだろう。
コンビニの外に出てみると。確かに敵の気配は何も感じられなかった。辺りには、物音一つしない静寂が広がっている。
敵は今、次元移動をして別の空間にあるコンビニの地下シェルターを攻撃している。だから、すぐにはこちらの世界に戻っては来れないのだろう。
「……でも、きっとすぐに俺達がシェルターの外に出た事に気付いてまた襲ってくるはずだ。黒ヘビの時も、元の世界に戻ってくるのに、そう時間はかからなかったからな」
魔王の谷で黒ヘビと遭遇した時は、大量のガス缶と着火剤をコンビニの中に詰めて。コンビニを即席の爆薬庫に仕立てて、黒ヘビをコンビニごと爆発させて倒した。
だけど今回は、その時と同じにはいかないだろう。
なにせ、敵の情報が余りにも少な過ぎる。俺達はまだ、敵の正体さえ分かっていない。
真犯人はフィートでは無かった。でも奴は、なぜか俺達の内部の情報を知っていて。殺害した者の『記憶の指輪』を回収しながら襲ってきている。
だとしたら一体、誰が襲ってきているというんだ?
まだ敵の正体の糸口すら分かっていないなんて。これじゃあ、対策のしようもない……。
なあ、朝霧……頼むよ! もう、この世界は2回目の仮想夢の世界なんだと確定させてくれよ。次の世界はある、やり直しは出来るんだと、俺を安心させてくれよ!
もし次があるのなら、俺は次の世界のティーナやみんなの為に。今から命懸けで敵に飛びかかって、それこそ命を落としたとしても、敵の正体を必ず暴き出してみせる。
でも今の俺には、まだ大切なティーナが残されている。だからそんな自暴自棄な事は決して出来っこない!
「――おい、朝霞! 聞こえているんだろ? 俺をもう一度だけ、また仮想夢の世界から目覚めさせてくれ。これがまた『夢の中の世界』なんだと俺に答えてくれよ!」
「……彼方様、大丈夫ですか?」
俺が泣きながら、空に向かって吠えているのを見て。ティーナが心配そうに、俺の手を強く握ってくれる。
ああ、やっぱり温かいな。ティーナの手は……。
俺には出来ないんだよ。このティーナの手の温もりが、仮想夢じゃなくて本物なのだとしたら。
それを犠牲にして、あるかどうかも分からない『次の世界』に全てを託して、敵に特攻するなんて。そんな一か八かの博打が打てる訳が無いじゃないかよ……!
だって、ここにいるティーナは本物かもしれないんだぞ? 俺の夢の中で作られた妄想のティーナだと、どうやって決めつけられるんだ?
今、目の前にいるティーナの命を放り投げて。自暴自棄な突撃をして、俺が命を落として。のうのうと今度は未来のティーナとよろしくやるから……なんて選択肢をこの俺が選べる訳がない。
「クッソ……! 異世界小説のループものの主人公達は、目の前に存在する大切な人の命を何だと思っていやがるんだよ。そんなのゲームのリセットボタンみたいに、ホイホイと放り投げて『次』に向かえる訳がないだろ! 少なくともこの俺には、そんなのは絶対に無理だッ!」
俺は朝霧が見せる――『仮想夢の世界』の余りの恐ろしさに、改めて全身が震え上がってしまう。
目の前にいる大切な人物や、恋人が……。いくらでもやり直せる無限の世界の中の、ただの可能性の一つにしか見えなくなってしまうなんて。
おまけにこの世界が、現実かどうなのかさえ。全く判断がつかないときた。
現実世界でブラック会社の辛さや、イジメの蔓延る学校生活に耐えかねて。僕には『次の世界がある』なんて信じて、トラックに飛び込むような奴は狂人だ。
そんなのは、もうとっくに精神がイカれちまってるヤバい奴の思考だ。
少なくとも、この俺には……。
今、目の前にいる大切なティーナの命を放り投げて、前に進む道を選ぶなんて事は出来っこないんだよ。
「ティーナ、俺の手を取るんだ! フィートの後についていくぞ! フィートは見えない敵の攻撃を事前に察知出来る。だからフィートの後ろにいるのが一番安全だ!」
俺はティーナの、か細い手を全力で握りしめる。
そして再び、お姫様抱っこをするようにして。
ティーナの体を全身で抱きかかえた。
レベル32のコンビニの勇者と、一般人の体力しか持たないティーナでは、基礎能力値が違い過ぎる。
俺がティーナを抱えて走った方が速い。高速移動で迫ってくる敵の動きを回避するには、これしかないだろう。
「大好きお兄さん、敵が戻ってきたのにゃ〜! 来るにゃ〜、来るにゃ〜! 正面斜め左の、11時方向からこっちに向かって突進してきてるのにゃ〜!」
猫耳をレーダーのように立てて。周囲の様子を注意深く伺っているフィートが突然、大声で叫んだ。
俺はフィートの指示を頼りに、敵が来る方角とは逆方向に向けて大地を蹴り、体をジャンプさせる。
””ドゴーーーーーーン!!””
俺とフィートがギリギリ回避してよけた地面の場所に、長さ5メートルにも及ぶ巨大な亀裂が生じる。
もし、あのままそこに立っていたなら。俺達はきっと、体を真っ二つに切り裂かれてしまっていたに違いない。
どうやら敵の攻撃は、対象を『切り裂く』系の攻撃が多いようだ。しかもその攻撃は、同時に複数の凶器を使用して行っているらしい。
一体、アレは何なんだろう? チラッと風を切る風圧から感じ取れたのは……まるで大量のナイフのようにも見えたけど。
仮想夢の中でも、そして今回も……。
仲間達の体がバラバラに引き裂かれているのは、きっと敵が大量の凶器を使用しているからだろう。
「大好きお兄さん、次の攻撃がくるにゃ〜! あたいから離れるのにゃ〜〜!」
フィートが両手で俺の体を横に押し飛ばし。
自身は華麗な身体能力で、木の上に大ジャンプをして敵の攻撃をかわした。
””ズシャーーーーーン!!!””
フィートが着地をした大きな木が、その根本から横に切り裂かれ。重力に引っ張られるようにして横に倒れる。
身体能力値の高いもふもふ猫娘のフィートは、華麗に着地を決めて。優れたバランス感覚ですぐに体勢を整える。
だが……今の攻撃で、俺とフィートは敵の『目的』に気付いてしまう。それを察したフィートが、先に大声で俺達に呼びかけてきた。
「――大好きお兄さん! 敵は確実に『あたい』を狙ってきているのにゃ! だから、お兄さんとティーナたんは、今のうちならここから逃げられるのにゃ! 囮の役はあたいが引き受けるから、早く森の外に逃げるにゃ〜!!」
「バカを言うなッ! ここにお前だけを置いて逃げれる訳がないだろう! 俺はさっき……お前の事を犯人だと疑ってしまったクソ野郎なんだぞッ! それなのに、またお前を裏切るような事を出来る訳がないじゃないか! 俺達と一緒に逃げよう、フィート!」
「それは、ダメにゃ〜〜!! よーく聞くんだにゃ〜、あたいの超絶大好きお兄さん! あたいは盗賊団の首領だったから、リーダーとして部下を切り捨てるような判断も経験してきたからよく分かるのにゃ。正直に言うけど、あたいにとって今のお兄さん達は足手まといなのにゃ〜!」
「………クッ!」
凄みのある低い声で叫んできたフィートの気迫に、俺は思わず押されてしまう。
だが、フィートの言いたい事は良く分かるんだ。
今のフィートは全身の五感をフル活用して、全力で見えない敵の攻撃を回避している。だから、一瞬の油断も命取りになる。
そんな時に、敵の攻撃の方向が分からず。ただフィートの指示に従って、周囲を右往左往するだけの俺とティーナの面倒まではみきれないのだろう。
「あたいが全力で敵を惹きつければ、十分な時間が稼げるにゃ〜! 大丈夫、お兄さん達が森から逃げるだけの時間を確保したら、あたいも遠くに逃げてちゃんと生き延びてみせるにゃ〜!」
「でも、フィート……! お前はさっきの地下シェルターで、ティーナを守る為に怪我をしているじゃないか。そんな状態で俺達を逃した後で、更に生き延びるなんて絶対に無理に決まってる!」
””ドゴーーーーーン!!!””
再びフィートの立っていた大地に、亀裂が入った。
俺と会話をしながら、フィートはその攻撃を紙一重のタイミングでかわしている。
そして目からは大粒の涙を浮かべ、必死に俺に対して呼びかけてきた。
「――あたいは大丈夫なのにゃ〜! あたいは大好きお兄さんに拾われた『コンビニ猫』なのにゃ〜!」
「フィート……」
敵の攻撃を回避しつつ。フィートは溢れんばかりの大声で感情の全てを爆発させるように、俺に訴えかけてきた。
「あたいは、ずっと一人ぼっちだった。獣人になれるこの能力も昔から大嫌いだった。だから人前では極力、獣人にならないようにしてきたんだ。でも、あたいは女だし。盗賊団の中で生き残るには、獣人の力に頼るしかなかった。そうしないと、この世界では生き残れなかったんだ!」
涙声のフィートは、猫の言葉ではなく。元の一人の女の子としての言葉に戻っていた。
「でも、こんな姿のあたいを……お兄さんは素の感情のままで受け入れてくれた。だからコンビニはあたいにとって、本当に居心地が良かったんだ。コンビニの仲間の一員になれた事が心から嬉しかった。ここはあたいがずっと探し求めていた『家』だったんだ。あたいはコンビニの勇者様に仕える『コンビニ猫』としてずっと生きていきたいと思ったんだ。もふもふ、もふもふと叫ぶ変態お兄さんにモフられて、あたいはぬくぬくとお婆ちゃんになるまで、お兄さんに甘やかされて、可愛がられて、暖かいコンビニの中で、最期までみんなに看取られて生きていくのが、あたいの夢になっていたんだよ!」
「フィート……。だったら、なおさら俺はお前を一人だけにして置いていけないよ。俺は……」
「――だから、あたいの超絶大好きお兄さんは、ティーナたんと絶対に幸せになって欲しいのにゃ! コンビニ猫は、コンビニに取り憑いた邪霊を退ける為に全力で頑張るのにゃ! あたいは絶対にお兄さんの元に向かうから。あたいの事を信じて欲しいのにゃ、大好きお兄さん!」
もう何度目かも分からないくらいに、フィートに迫る敵の攻撃を……華麗なジャンプで避けてみせる。
でも、もしこれ以上……。俺とティーナがここに残り続けて。フィートの感情を揺さぶってしまったなら、本当にフィートは敵の攻撃を回避する事が出来ずに、殺されてしまうかもしれない。
それだけは、絶対にダメだ。俺がフィートの足を引っ張るような事だけはしてはいけない……!
「フィート……後で、必ず合流をして来いよ! 俺達は森の南側に向かうからな! 必ず合流をして、またコンビニの中でサバ缶をたらふく食べて。暖かいエアコンにあたって、一生、俺の前でぬくぬくと外の世界の危険なんて何も分からないくらいに、野生の心を忘れたコンビニ猫として一緒に暮らしていこうな!」
「まっかせるのにゃ〜! 言われなくても、大好きお兄さんの膝の上で丸くなって。冬でも暖かい快適なコンビニの中で、ずうずうしくご飯の催促をするコンビニ猫として、あたいは暮らしていくのにゃ〜〜! 朝、昼、夜に、必ずあたいの為にサバ缶を用意しておいて欲しいのにゃ〜、大好きお兄さん!」
「おう、任せておけよ!! 一生お前をぬくぬくと何不自由ない生活をさせて、だらしなくダラダラした毎日をコンビニの中で過ごさせてやる! 運動不足で多少デブっても、俺は平気な顔をしてモフり続けるから、覚悟しておけよな!」
「ハァ……それは、まさに楽園なのにゃ〜! さあ、早く行くのにゃ〜! 大好きお兄さん、ティーナたん!」
俺はティーナの体を抱えたまま、必死に大地を蹴る。
途中、コンビニ支店1号店はカプセルに戻して回収しておいた。ラプトルとククリアが守ろうとした冬馬このはの体を、あのままにはしておけない。
森の中を全速力で駆け抜ける俺の後を、敵はどうやら追っては来ないようだ。やはり敵は、俺という獲物をメインディッシュとして最後まで取っておきたいようだ。
まずは、俺の仲間達を順番に殺して。
最後に絶望をして、完全に闇堕ちして調理済みになった俺を、美味しく食べたいのだろう。
だからフィートを完全に始末するまでは、絶対に俺とティーナの後を追ってこない事を俺は知っている。
知っていて、それなのに俺は……大切なフィートを置いて全力で森の中を駆けている。
「彼方様……大丈夫ですか?」
俺が目から大粒の涙を流していることに気付いたティーナが、心配そうに声をかけてくる。
「ああ、大丈夫だよ。ティーナ……。俺は、大丈夫だから……2人で絶対に生き延びような!」
俺は大丈夫なんだ。俺だけは最後に残される事を知っているから、大丈夫なんだ。
敵は手負いのフィートを始末したら、今度はティーナを狙ってくるだろう。そして全ての希望を砕いて、俺を絶望で真っ黒に染めようと追い詰めてくる。
それを知っていながら、結局……こんな状況にまで追い詰められてしまったのか。
――どうすれば、良かった?
――俺に何が出来た?
最初から、みんなと全力で逃げれば良かったのか?
なあ……俺はもう、こんな世界では生きたくはないと、本当は心が折れかかっているんだよ。
信頼しているククリアもいない。
倉持や、名取や、アリスもまたアイツに殺されてしまった。禁断の地にいるコンビニの大魔王と戦う為の、最後の希望。冬馬このはさえも、敵に殺されてしまっている。
そして、あんなにも俺の事を大切に思ってくれていたフィートの心を俺は疑い、傷付けてしまった……。
しかもそれでもフィートは、俺の為に命を賭けて敵と戦おうとしてくれている。
そんな……みんなの犠牲を受け入れて。
俺はこの世界で、まだ生き続けないといけないのか。
仮想夢なんて、見せて欲しくはなかった。
ifの世界なんて要らない。でないと……今、生きている世界を放り捨てたい衝動に駆られてしまう。
俺がまだ、この世界で生き続けているのは――。
両腕に抱えているティーナが、まだ俺の前で生き続けているからだ。そうでなかったら、とっくに絶望をして。この世界の神様である朝霧に、俺は情けなく土下座をして願うだろうよ。
『お願いだから――もう一度、やり直しをせて下さい!』ってな。
でももし、次が無いのなら。今が本物の現実世界なら。俺はククリアやフィート、倉持達を失ったこの世界でこれからも生き続けないといけない。
だから、もう……絶対にティーナだけは失う訳にはいかないんだ。
頼むから、この世界から俺の最後の希望を奪わないで欲しい!
「ハァ……ハァ……ハァ……」
どれくらい時間、森の中を走り続けただろう?
フィートと別れてから、30分近くは経ったかもしれない。森の西には、クルセイスの率いるグランデイル軍が待ち受けている。
だから、俺は森の南側に向けて走り続けた。
途中、迷いの森を抜けて。更に別の森の中に俺達は深く入り込んでいた。みんなを殺した正体不明の敵は、今の所……まだ俺達を追ってくる気配は無い。
「彼方様……あそこに小さな小屋があります! いったん、あそこに隠れましょう」
ティーナが小声で、そう呼びかけてくれた。
俺はきっと無心で走り続けていたんだろうな。全身からは大量の冷や汗を流していて、激しく呼吸を乱していた。
そうだな……。休息が必要なのは間違いない。
体力的にも、精神的にも、俺はとっくに限界を超えていた。
俺とティーナは、森の中にポツン建つ木造の小さな小屋の中に入り。そこで、しばらく休憩を取ることした。
小屋に入ってすぐに座り込んだ俺に、ティーナはそっと尋ねてくる。
「彼方様、教えて下さい……。彼方様は私に隠し事をしていますよね? ここが――『夢の中の世界』かもしれないとは、一体どういう意味なのですか?」