第三十一話 幕間――グランデイル王国にて②
謁見の間に姿を現したのは――雪咲詩織。
彼女は倉持と同じ異世界の勇者であり、『剣術使い』の能力を持つ勇者である。
「僕は盗み聞きは良くないと思いますよ、詩織さん」
黄金の王座に座る倉持が、その場から姿勢を崩さずに話しかけた。
まるで王族の一員のように、豪華な衣装を身にまとう倉持とは違い。『剣術使い』の能力者である雪咲は、未だにこの世界に召喚された時に着ていた、学生服をずっと着用し続けている。
もっとも、黒いスカートや制服のあちこちに細かい穴が開き。既に見た目はボロボロになっている事と、その背中には自分の背丈を遥かに超える大きな長剣を背負っている所は、元の制服のデザインとはだいぶ異なっていた。
「別に……。うちは何も聞いてなんていないよ。だってたった今、ここに来たばかりだもの。それとも、何かうちに聞かれては困るような事でも、ここで話していたの?」
雪咲が倉持を一直線に見つめる。
倉持も、しばらくニヤニヤ顔を浮かべて。同級生である雪咲詩織を見つめ続けた。
そして――。
「……まあ、別にいいでしょう。僕も、誰かに聞かれて困るような事は、何も話していませんでしたしね」
そう言って、雪咲への興味を失ったかのように。倉持は一度視線を外してみせる。
「――あ、そういえば雪咲さんの能力。たしか『無音』でしたっけ? 自らの気配を周囲から完全に消してしまえるという能力。それ、ホントに凄いですよね! そばに立っていても、誰もあなたの存在に気づけないなんて、本当に驚きです!」
倉持は、ホール中央に立つ雪咲を再び見つめると。
学校にいた時と同じように、委員長モードの穏和な笑顔を見せた。
「それはあなたの持つ能力なの? 人の能力を盗み見るのが『不死者』の能力という訳? もしそうならコソ泥みたいにイヤらしい能力を持つ勇者なのね」
「――いえいえ。別に、僕の能力という訳ではありませんよ。僕が使える上級魔法の一つに『鑑定』という魔法があるんですよ。それは自分以外の他の人の能力を覗き見る事が出来るんです」
クスクスと倉持は笑うが、雪咲は全く無表情のままだ。その表情は、どちらかと言えば倉持に対して、軽蔑の視線を送っているかのようにさえ感じられた。
だが、倉持はそれを全く気にしていない。
元々、雪咲詩織は学校のクラスにいた時も、おおよそ協調性というものを全く持たない生徒であった。
自分が好きなFPSゲームや、ネットの対戦ゲームの話題にしか興味を示さない。クラスの他の女子達や、男子生徒達との会話にも参加をする事は決してない。
だから、いつも授業が終わればスマホをいじっているか、体調不良を訴えて。いつの間にか速攻で帰宅をしているという事の多い女生徒であった。
倉持はその事を知っているので、雪咲に対して安心感を抱いている。
たとえ先程の会話が、雪咲に聞かれていたとしても。
雪咲がそれを他者に話したり、自分に対して反攻的な態度をとって、他の仲間と集団で逆らうような事はしてこないだろう。
おそらく彼女は、そういった人との繋がり全般が『面倒くさい』と考えるタイプの人間なのだ。
その場で沈黙している雪咲に、再び倉持が話しかけた。
「雪咲さんは、もう少しみんなと一緒に行動をされた方が僕は良いと思いますよ。僕達は共に異世界に召喚されてきたクラスの仲間じゃないですか? 共に行動をすれば、一人でいるよりも得られる結果は多いでしょうしね」
「ごめん。うちはそういうのに全く興味がないの。だから、他のみんながどこでどうしていようと、うちには関係ないわ」
視線を下に落とし、雪咲は倉持の顔を見ずに答える。
「そうですか……。それは残念ですね。でも、少しは協調性というものも意識をしておいて欲しいですね。つい先日も、リザードマンの生息する沼にお一人だけで行かれましたよね? あれは、ただ偵察に行くだけという話になっていたはずです。それなのにそのまま単独で、リザードマンを全て殲滅させるなんて……。もしそこで命を落としていたら、どうするつもりだったんですか? 仲間のいない状況では、回復もして貰えなかったでしょうに」
「……うちが命を落としたとして、それが倉持くんに何か関係があるの?」
「もちろんありますよ! 僕はクラス委員長です。みんなの安全を最優先に考えるのは当然の事じゃないですか!」
「………………ププッ」
雪咲が突然、小さく声を吹き出して笑う。
それは以前の学校生活では、誰にも見せた事のない表情であった。
だが、倉持はその雪咲の意外な一面が見られた事に対して、驚きよりも不快感を露わにする。
雪咲の笑った顔は、自分の発言を小馬鹿にしているように感じられたからだ。
「倉持くんは、うちらクラスメイトみんなの安否を気遣ってくれてたんだね。ふふ、でもうちは大丈夫だから。みんなと違って、一人で十分やってけるくらいに強いから安心してね!」
その発言には……。今さっき同じクラスメイトの『秋ノ瀬彼方』に対して『殺せ』と命令をしておいて。何を白々しい、という皮肉のメッセージが含まれているように、倉持には感じられた。
やはり、彼女は先程の会話を全て聞いていたのではないだろうか……?
「そうですか……。ですが、グランデイルに所属する貴族の一員として命令違反は困ります。今後はぜひ、身勝手な行動は慎んで欲しいものですね」
倉持の忠告に対して、雪咲はウンザリという表情で肩をすくめる。
「この世界に来てから、もう半年も経つというのに――毎日毎日、王宮で訓練ばかり。うちには、その方が遥かに異常だと思っているのだけれど、倉持くんはそうは思わないの?」
雪咲詩織は勇者育成プログラムで行われる戦闘訓練に、強い不満を抱いていた。
訓練は王国が用意をした、弱いオークなどの低級な魔物との戦闘ばかり。
そんなものとばかり戦っていてはいつまで経ってもレベルを上げる事が出来ない。元々、名のあるソロのプロゲーマーとして活躍していた彼女は、もっと強い魔物と戦い、早く自身のレベルを上げたいという願望があった。
「勇者育成プログラムを長引かせているのは、僕がみんなの安全を最優先に考えているからです。この世界はゲームの世界ではありません。全てが現実なのです。もし、敵と戦い負けてしまえば。それはすなわち『死』を意味します。死んでしまった者は決して蘇りません。ゲームと違ってリセットボタンはありませんからね。僕は委員長として、クラスのみんなの安全を最優先に考えているだけです。魔王を倒し、全員がちゃんと元の世界に帰れるように……とね」
「そう……。倉持くんはそんな風に考えていたんだね。うちはてっきり、倉持くんはもっと別の事を恐れているから、勇者育成プログラムを、ダラダラと長引かせているんだと思っていたよ」
「別の事? 一体それは何でしょう。実に興味がありますね。僕が一体、何を恐れていると言うのでしょうか?」
倉持は雪咲の発言に対して興味を持つ。
王座の上で両手を組みながら、上から目線で尋ねた。
対する雪咲は、そんな倉持に対して。嘆息混じりに渋々と答える。
「……倉持くんは、たった5回しかない『不死者』の能力の蘇生回数を、魔物と戦って無駄に失ってしまうのを恐れているんでしょう? 他のみんなとは違って、死んでも生き返る事が出来るのに――。みんなよりも遥かに、倉持くんは『死』を恐れているように感じられるんだけど」
「なっ……!?」
先程まで余裕いっぱいに微笑んでいた倉持が、驚愕して目を見開く。
王座から飛び起きて、雪咲を睨みつけた。
「すぐに最前線に飛び込めば、強い魔物との戦いで、うっかり死んでしまう事もあるかもしれないものね。高い能力を最初から持っているのに、倉持くんはそんなに命を落とす事が怖いのかしら? それとも単に臆病なだけなの? うちにはその辺りの事情が全く理解出来ないんだけれど」
「……な、何を言うかと思えばッ!! 僕が命を失う事を恐れているだって!? 他の無能な能力しか持たない、みんなとは違い。5回も蘇生出来る、偉大な能力を持つこの僕が!? そんな訳がないじゃないか! 僕には能力の低い人間達には理解の出来ない、崇高な目的がある。こんなくだらない異世界で無駄に命を消費してしまうなんて、絶対に有り得ない! いずれ戻る元の世界で、僕はやり遂げないといけない事が沢山あるんだ。だから慎重にレベルアップを重ねてから、行動をしたいと願うのは当然の事じゃないか。そしてそれこそが、能力の低い、役立たずなクラスのみんなを守る事にも繋がっているんだぞ!!」
呼吸を乱しながら、語気を強めて話す倉持。
そんな委員長の様子を、雪咲は白い目で見つめながらずっと軽く聞き流していた。
それは倉持がやはり自身の死を恐れて、勇者育成プログラムを長引かせていた、という事に確信を得たという事と。
その結果を聞いてもなお、雪咲は心底、自分以外の他人の行動に興味がないという両方の反応が含まれていた。
「ふーん。うちにはよく分からないけれど、倉持くんにも色々と考えがあるみたいだね。でも、うちはもっとレベルを上げて早く魔王と戦ってみたいよ。だから悪いけれど、これからも1人で好きに行動をさせて貰う事にするね!」
そのまま雪咲は、倉持をおいて謁見の間を去っていこうとする。
去り際に、一度だけ立ち止まり。
後ろを振り返らずに。雪咲は倉持に尋ねてみた。
「――そう言えば、倉持くんや他の選抜組のメンバーのレベルって……今、どれくらいなの?」
不快感を隠せない倉持は、渋々といった口調で小さく返事をする。
「……僕や、金森くん達は、大体平均レベルが3に上昇しています。それぞれに追加の特殊スキルも増えて、みんな半年前よりもだいぶ強くなっています」
「ふーん、そうなんだ。ちなみにうちは今、レベル5だから。たぶんソロでやっている方が、やっぱり効率が良いと思うんだよね。だからうちは、これからも一人で行動をさせて貰うね!」
そう言って雪咲の姿は再び、謁見の間から見えなくなる。
それは音も立てずに、静かに存在そのものがその場から消失したかのようであった。
謁見の間に残された倉持が、『チッ……』と舌打ちをした。
同じクラスメイトである雪咲詩織に対して。
嫌悪感を露わにした顔で、床を蹴り上げ。大きな音をホール全体に響かせる。
すると、謁見の間に足音を立てて。
ゆっくりと入ってくる……1人の男が現れた。
その男は、『水妖術師』の能力を持つ異世界の勇者――金森準であった。
「あれあれ〜! どうしたんですか〜、委員長〜? なんだか少〜し、荒れているみたいじゃないですかぁ?」
金森がうすら笑いを浮かべながら、軽薄そうな声で倉持に声をかける。
「……ああ、金森くんですか。ちょっとね。少しばかり不愉快な事が立て続けに起こってしまいましてね」
「不愉快な事? 何かあったんですか?」
倉持は一度、深く息を吐いてから答える。
「実は生きていたみたいなんですよ、彼方くん。西にあるカディナ地方という場所で、コンビニの勇者の生存が確認されましてね……」
「ええーーっ!? あのコンビニくんが、まだ生きてたんですかぁ? 凄ーい、結構しぶといんですね! 実に面白いなぁ〜〜! コンビニを出すだけの能力で、どうやってあの森の中を生き抜いたんだろう? 彼、めっちゃ運でも良かったんですかね?」
「それが、どうやら彼方くんの側には、うちの副委員長も一緒にいるみたいなんです。訓練から逃げ出した後――。どうやら彼女は彼方くんの後を追ったみたいですね」
「副委員長が? あー、なるほどーー! 副委員長、よく訓練をサボってコンビニに行っていたみたいですもんねー。きっとコンビニくんを探して、今頃二人でまたダラダラと中で過ごしているんじゃないですか〜?」
金森がケラケラと笑う。
金森にとっては、彼方の事も。副委員長の玉木の事も。あまり興味はないようだった。
「うん。僕もきっとそうだと思うのだけど。でも放ってはおけないよ。まあ……彼方くんは別にいらないけれど、副委員長は選抜組に選ばれるくらいに、優秀な能力を持っているからね。きっとこれからの魔王との戦いには、絶対に必要になると思うんだ」
「うーーん……そうですねぇ〜。無能なコンビニくんはともかく、副委員長はまあ、必要かもしれないですねぇ〜」
「そこでだけど、金森くん。『結界師』の美雪さんを連れて、副委員長を連れ戻しに行ってくれないかな? 『暗殺者』の能力者である副委員長は、自分の姿を消したり隠れる事が得意だから、美雪さんを一緒に連れて行けば大丈夫だと思うんだ」
「え〜〜! 僕がですか〜? 面倒くさそうな事は、本当はしたくないんですけどぉ……」
渋る金森に、倉持が提案をする。
「そうだね。実は、コンビニの勇者の彼方くんにはグランデイル王国として、別に討伐軍が編成されているんだけど……。もし、金森くんの方が先に、彼方くんを見つけたのなら。君の好きなように、彼を始末しちゃっても構わないよ。女王様を不安にさせない為にも、彼方くんには生きていて貰っては困るんだ。最後に始末さえしてくれれば、方法は金森くんの好きなやり方で良いから」
倉持の提案聞いた、金森準は一瞬だけ目を白黒させて固まる。
――だか、やがて再び根暗なニヤケ顔を取り戻した。
その笑みは先ほどよりも、さらに陰湿で邪悪そうな笑い方が増している。
「なるほどぉ! 分っかりました〜! だって委員長のお願いですものねぇ〜、それじゃあ仕方がないです。副委員長の側にコンビニくんいると良いなぁ〜。そしたら色んな事をして遊べるから。僕……すっごく楽しみになってきたなぁ〜!」
金森は満面の笑みを浮かべて、倉持の元を去った。
新しいオモチャを与えられて喜ぶ彼は、一刻も早く副委員長捜索の任務につく事を快諾したのである。
そして謁見の間には、再び倉持と女王のクルセイスだけが取り残される。
「――ん………」
先ほどまで、寝息を立てていたクルセイスが静かに目を覚ました。
ゆっくりとその青い瞳を開くと、心配そうに見つめる倉持の顔が目の前に映る。
「女王様、お体は大丈夫ですか?」
「倉持様……。私は一体……ここで何を?」
「うん。政務の後で、きっと疲れが出たんだろうね。急に意識を失って倒れてしまったから、僕がここで介抱していたんだ」
クルセイスが体を起こすと。その手は倉持によって強く握られていた事に気づいて、顔を紅潮させる。
「そんな、倉持様のお手をわずらわせてしまうなんて。私、何て申し訳ない事を……」
「いいんだよ。別に気にしないで! それよりも、さっきは急に意識を失ってしまったけれど。政務の最後のお話は、どこまで憶えているのか……分かる?」
「――最後のお話………? ああっ、そうです!! たしかコンビニの勇者様がご無事であるとの報が……」
慌てて飛び起きそうになったクルセイスの体を、倉持が静かに押さえ込む。
そしてクルセイスの額に自らの右手を当てて、ゆっくりと語りかけた。
「――いいかい? よく、聞いてね。コンビニの勇者は、魔王と内通をして街で悪さを働いていた邪悪な勇者だったんだ。だから、君がこの街から追放をしたんだよね? そうでしょう?」
「えっ……。ええっと……そ、そうですね。コンビニの勇者は数々の悪事を働いた、悪い……勇者、でした……」
「その邪悪な勇者が、まだ生きているという報せが入ったから、僕は調査団を送る事にしたんだ。もし、また彼がそこで悪さをしているようなら、魔王に与する勇者を放ってはおけない。みんなの為にも、彼を討伐しないといけない。君も、それには賛成という事で良いよね?」
「――は……ハイ……。私も、コンビニの勇者を討伐する事に賛成致します。魔王の味方をする勇者は……生かしていてはいけません!」
「うん。そうだよね! 大丈夫。今、君は正しい決断をしたよ。僕の言う事をちゃんと聞いてくれれば、きっと魔王は倒せるからね!」
「……ハイ、倉持様の言う事に、私はこれからもちゃんと従って参ります――」
倉持は、クルセイスの額に当てていた手をゆっくりと離す。
そして、小さく息を漏らした。
「うーん……。もう少し『魅了』の魔法のレベルを上げないと、完全には操れないみたいだね。僕ももっとレベルを上げていかないといけないな……」
倉持は自身の手を強く握り。その手の上に口づけをするクルセイスの姿を見つめながら……そう、呟いた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
グランデイル王国の王宮から、少し離れた薔薇の庭園。
その美しい薔薇庭園の中を一人。
『剣術使い』の勇者である雪咲詩織が立っていた。
「ふーん……。彼方くん生きていたんだね」
青い薔薇の花びらを、手の上でもて遊びながら雪咲がそう呟く。
「『伝説の地竜』退治かあ……」
手に掴んでいた花びらを、雪咲は突然――。
空に向けて大きく放り投げた。
雪咲はその場で、嬉しそうに大きな叫び声をあげる。
「ヤッバ〜〜!! 何ソレ何ソレ〜〜!? 『伝説の地竜』だなんて、突発のイベクエみたいで超面白そうじゃーーん! うちもそのクエストに参加したかったよ〜〜! だってめっちゃ経験値とか貰えそうじゃん! 彼方くん、今……レベルいくつなんだろう? うちと同じかそれ以上だったりするかなぁ? だって『伝説の地竜』なんでしょう? そんなの、絶対に凄い経験値をゲット出来るに決まってるものっ!」
興奮を隠しきれない様子で、雪崎はその場で何度も何度も飛び上がる!
「かああぁぁーーっ! どうしよう! レアアイテムとかドロップしてたら、うちと差をつけられちゃうじゃん! 彼方くんに先を越されてたらめっちゃ悔しいよ〜!! やっぱ王国から離れた方がレベルアップには効率が良いのかなぁ? 何か先の攻略情報とかあったら教えて欲しいけれど、うーん。どこかで彼方くんに会えないのかなぁ〜。拠点を失うのは、戦略的にも不利になりそうだし。どうしようか、ホントに迷うな〜!」
薔薇庭園の中で一人、悶えるように飛び跳ねている雪咲の姿は……。
きっと普段の学園生活では、絶対に見られないくらいにとても楽しそうだった。
まるでRPGゲームのような異世界生活を、心から満喫しているゲーマーの女の子がそこにいるだけだった。