第二百九十九話 目覚めの既視感
ベッドの上で意識を失ってしまった俺が、再び目を覚ました時には――。
目の前には、ティーナとアリスの2人が俺のそばに付いていくれた。
アリスは必死に治療魔法を俺にかけていて。ティーナは心配そうに、俺の手をずっとベッドの隣の椅子に座りながら、握り続けてくれたらしい。
「ううっ、ティーナ……?」
「彼方様! 良かった、目を覚まされたのですね!」
嬉しそうに全力で俺の体に飛びつき。力強く俺の全身を抱きしめてくれるティーナ。
その隣にいるアリスも、額から汗を流しながら安堵の息を漏らしていた。
「……俺は、また眠ってしまったのか?」
「ハイ。彼方様は先ほど一度目を覚まされた後、急に全身から大量の冷や汗を流されて、再び意識を失ってしまいました。ですので、本当に心配をしたんですよ!」
「そうなのか。心配をかけて本当にすまない……。もう大丈夫だから、ありがとう!」
「お礼は寝ている彼方様の体に、ヒーリング魔法をずっとかけ続けてくれたアリス様に言って下さいね! 彼方様がうなされていたので、アリス様は休まずに精神を落ちつかせる効果のある、心療魔法を施してくれていたのですから」
精神を落ち着かせる効果のある、ヒーリング魔法だって?
……そうか。それで俺の精神状態がさっき目覚めた時より、幾分かはマシになっているという訳なのか。
俺はベッドの横にいるアリスの顔を見る。そして深く頭を下げて、アリスにもお礼を言った。
「アリスにも心配をかけてすまなかった。本当にありがとう」
「そんな……とんでもないです! 森で盗賊達に襲われていた所を、コンビニの勇者様に助けて頂いたのは、私の方なのですから。私は勇者様には、本当に感謝してもしたりないくらいなのです!」
顔を赤くして、首を左右に振り続ける黒髪のアリス。
ティーナに負けないくらいの美人なのに。本当に謙虚で礼儀正しい性格をしているんだな……と、俺は改めて思った。
俺はティーナとアリスの顔を交互に見つめて、そしてにこやかに微笑んで見せる。
その様子見て、2人はやっと安心してくれたらしい。きっと、俺が元の安定した精神状態に戻ったと思ってくれたんだろう。
……だが、俺の心の中は、まだ嵐が渦巻いているかのように。不安と焦燥感が、脳の中で激しく入り乱れていた。今はそれを決して表に出さないように、必死に押さえ付けているだけだ。
ティーナとアリスの顔をこうして至近距離から見るつめるだけで……。
俺は切断された2人の生首の事を思い出して、思わず吐き出してしまいそうになる。
でも、それをギリギリ我慢出来ているのは……。
おそらくアリスがかけてくれた、ヒーリング魔法のおかげなのだろう。
きっとアリスの魔法には現代医療でいう、抗うつ剤や精神安定剤のような効き目があるのかもしれない。本当はとっくに発狂をして、今にも暴れ出しそうになってもおかしくない精神状態が緩和され。
自分でも不思議なくらいに、静かな心の落ち着きが保たれているように感じられた。
おかげで少しだけ冷静に、今の自分が置かれている謎の状況を見つめる事が出来そうだ。
ここはバーディア帝国領の中にある、カラム城の寝室である事は間違いない。
問題なのは、俺の目の前に――首を切断されて殺されたはずのアリスとティーナが、生きて側にいてくれる事だ。
そして、先ほど目を覚ました時の状況から察するに……。
俺はカラム城の中に潜んでいた、ライオン兵の生き残りを追ってドローンで外に飛び出し。森で盗賊に襲われていたアリスを助けた後、なぜかそのまま意識を失い。
この寝室の中で丸々2日間寝込んでいた……という過去の場面に『戻ってきた』らしい。
そう、俺は過去の時間に『戻ってきた』んだ。
仲間が全員、正体不明の敵に虐殺されてしまった地獄のような未来から。
みんながまだ生きていてくれる、過去の世界へと戻ってきた……という認識で本当に良いのだろうか?
だとしたら俺は、もう一度やり直せるチャンスを貰えたという事なのだろうか?
分からない。でも、一体……誰が何の為に?
それとも俺が経験してきた現実は、全て幻だったとでもいうのか?
――いや、それだけはあり得ない。
あんなにリアルな体験をしてきて、全部夢でした。全て幻でしたという事は絶対にあり得ない。
だって俺はついさっき……ティーナの切断された首を見せられて、意識を失ったばかりなんだぞ?
あの時、木に吊るされていた倉持の死体を見つけて。
俺は背後から『誰か』に声をかけられた。それが誰の声だったのかは……なぜか、よく思い出せない。
そいつに何て声をかけられたのかも、よく憶えていなかった。でもそれは本当に恐ろしい声だった事だけは理解している。
そして最後に、倒れている俺の目の前に……。
切断された『ティーナの首』が置かれたのを確認して。俺の意識はそこで闇の底に落ちていくように、消失してしまったんだ。
その後、意識を取り戻し。
目を覚ましたら、ティーナが側にいてくれた。
どうやら、アリスも生きているようだし。ここは本当に女神の泉に出発する前の状況に戻ったらしい。
時間がループしているというのか?
それとも『巻き戻し』が発生したのか? これは誰かの能力の影響によるものなのか?
クソッ、何も分からない……! 本当に何もかも、今の俺には全く分からない事ばかりだった。
「彼方様、私、何か栄養になる物を持って参りますね! 心配をしている皆様にも、彼方様が無事に目を覚まされた事を伝えて参ります!」
ティーナが嬉しそうに、寝室のドアから外に出ていく。
俺の記憶通りならきっと。ティーナは自分の好物でもあるBLTサンドとミルクティーを組み合わせた『ティーナセット』を、ここに待ってきてくれるのだろう。
部屋には、俺とアリスの2人だけが取り残された。
「アリス……確か君は、回復魔法を使いこなす事が出来て。西の地で記憶喪失となり、失ってしまった自分の記憶の手掛かりを探す為に、この帝国領にまでわざわざやって来たって事でいいんだよな?」
「――えっ? どうして、それを……? 私、コンビニの勇者様に、私の生い立ちについてを、話しましたでしょうか?」
キョトンとした顔で、不思議そうに俺の事を見つめているアリス。
……うん、どうやら俺が経験してきた未来の世界で得た情報は、幻想という訳ではないらしい。
俺は自分の経験してきた記憶を必死に考察しようと。頭の脳細胞をフルスピードで巡らせていると。
ドタドタドタ……! と、騒がしい足音を響かせて。
勢いよく寝室の扉を開けて。俺のよく見知っているメンバー達が、心配そうな顔を浮かべて一斉に部屋の中に入ってきた。
「彼方、大丈夫!? どこにも痛みはないの!?」
「コンビニの勇者殿、意識を取り戻されたのですね! 良かったです!」
寝室に入ってきたのは、ククリアとミズガルド。そしてフィートだった。
全員俺の事を心配して、急いでここに駆けつけて来てくれたらしい。
ああ……。ククリアとミズガルドが、まだ生きてくれているなんて!
俺の為に命を賭して戦ってくれた2人と、こうしてまた無事に再会出来た事が、俺は心の底から嬉しかった。
思わずまた両目から、熱い涙が溢れ落ちそうになる。
でも、それを俺は必死に堪えて。両手で目を何度も擦って誤魔化した。
「すまない、ミズガルド、ククリア……。俺はもうこの通り大丈夫だ。どうやら2人にも、心配をかけてしまったみたいだな」
俺は自分の記憶の中で、確か自分はこの時にこう言ったような気がすると思った言葉を発して。2人をいったん安心させる事にする。
「良かった……。本当に心配をしたんだよ。彼方はまだ起きたばかりだから、絶対に無理をしちゃダメだからね。しばらくは安静にして、ここでゆっくり休んでいていいんだからね」
心配症のミズガルドが、俺のそばに駆け寄ってきて。ギュ〜と俺の手を強く握ってくる。
きっと過去の俺なら、そんなミズガルドの好意に少しだけ戸惑ってしまったような気がしたけれど。
でも、今の俺は……。両手を強く握るミズガルドをグイと自分の体に引き寄せて。その細い体を全身で強く抱きしめていた。
「……えっ、か……彼方っ!?」
これには、一緒にいたククリアも、そしてフィートもビックリした顔を浮かべている。
当の本人のミズガルドも、まさか俺に抱きしめられるとは思わなかったのだろう。
顔を真っ赤にして、全身を硬直させながら。俺の腕の中で体を小動物のように小さく震わせていた。
「……ミズガルド、本当にありがとう。お前がいてくれたから、今の俺はここにいる事が出来たんだ。約束通り最後まで俺の事を守り通してくれて、俺の為に命を賭して戦ってくれて、本当にありがとう。俺はミズガルドから、人の生きる意味を教わった気がするんだ……」
「……えっ、えっ……彼方? う、うん。私は彼方の為なら、命を張ってでも戦うよ?」
俺が少しだけ泣いている事に気付いたミズガルドは、心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
俺はミズガルドの体をいったん解放して、その両手を再び強く握り直した。
「ゴホン……。コンビニの勇者殿。今は、この寝室にティーナさんがいないからまだ良かったですが。そのような浮わついた態度は、あまりボクは感心出来ませんね」
少しだけ説教をしたそうな顔をしているククリアの方にも、俺は向き直り。
そして、小さなククリアの体を……俺は全力で熱く抱きしめた。
「な、な……コンビニの勇者殿!? 一体、どうなされたのですか?」
俺にいきなり抱きしめられた事に、ククリアも激しく動揺したらしい。
ククリアが顔をこんなに真っ赤にしているのは、俺も初めて見たけれど……。
特に抵抗する事もなく。ククリアはその場で固まったまま、俺にギュッと抱きしめられ続けていた。
「ククリア……。最後まで俺の事を信頼してくれて、本当に嬉しかった。もし、君がいなかったなら。俺一人だけなら、最後まで戦い抜く事は出来なかった。共に戦うパートナーとして、こんなにも心強い味方はいなかった。本当にありがとう。そして最後まで守ってあげる事が出来なくて、本当にすまない……」
俺に抱きしめられたククリアは、頭に疑問符を幾つも浮かべながら。俺の挙動を不思議そうに、じっと観察しているようだった。
まあな。俺自身だって、いきなり何の理由も説明されずに。いきなり誰かに抱きしめられたなら、それは混乱すると思うさ。
でも、本当にミズガルドとククリアには、心から俺は感謝をしていた。
あの時に、もう死んでしまった2人に感謝の言葉をしっかりとかけられなかった分……。俺はどうしても、こうして生きて再会出来た2人に、心からお礼が言いたかったんだと思う。
「……うーん、変態お兄さんがとうとう、もふもふのあたいだけじゃなくて。若い女性に対して見境なく欲情するようになってしまったみたいだにゃ〜。これは本当に頭の打ちどころが悪かったのかもしれないにゃ。変態お兄さん、しっかり目を覚ますのにゃ! ほれ、存分にあたいをもふもふして、正気に戻ると良いのにゃ〜!」
ミズガルドと、ククリアを順番に抱きしめた俺に。
今度は、調子に乗ったもふもふ娘のフィートが、両手を広げて勢いよく俺に飛びかかってくる。
きっとそれは、フィートにとっては……。
いつもの悪ふざけの、延長のようなつもりだったのだろう。
たけどこの時の俺は、飛び込んで来たフィートを本能的に、思わず『避けて』しまった。
「えっ……!? ぎにゃあぁぁ〜〜!?」
飛び込んだ先で。俺に体を避けられてしまったフィートが、思いっきり壁に顔をぶつけてその場に倒れ込んだ。
「もう〜、何であたいの時だけ、避けるのにゃあ〜! 全くいつもの変態お兄さんなら、絶対に……?」
フィートが訝しげな表情を浮かべて、こちらを見ていた。
それはベッドの上にいた俺が……。少しだけ体を震わせて怯えていた事に気付いたからだろう。
俺はすぐに頭を下げて。その場でフィートに対して謝った。
「す、すまない……フィート! お前のもふもふタックルが結構スピードが速かったから、とっさに避けてしまったんだよ」
「ま、まぁ……あたいの動きは獣並みに俊敏だからにゃ〜! 変態お兄さんが、思わず体を震わせて避けてしまうのも当然なんだにゃ〜!」
フィートも、その場を取り繕うようにして笑ってみせてくれた。
でも、きっと……俺の行動に対する違和感には気付かれてしまったと思う。だって、俺の体は明らかにフィートを拒絶して。ベッドの上でずっと震えていたからだ。
その後……俺は寝室に戻ってきたティーナが持ってきてくれた『ティーナセット』の食事をとって。また少しだけ休む事にした。
俺の様子がまだおかしい事を察したみんなは、もう少しだけ。俺の事をそっと休ませておいた方が良いだろうと思ってくれたらしい。
ククリアだけは、俺に対して何かを言いたげにしていたみたいだったけど……。俺はククリアにもお願いをして。しばらく考え事をしたいと、寝室で一人きりで休ませて貰う事にした。
さっき俺が、フィートの事を本能的に避けてしまったのは……。
きっと、みんなが殺されてしまった地下シェルターの中で。フィートの死体だけが無かった事を、俺は怪しんでしまっていたからかもしれない。
アリスも、名取も、倉持さえも殺されてしまった未来の世界。
その中でフィートだけは、最後までその行方が分からなかった。
少なくとも、殺されてしまったメンバーは……俺にとって『敵』では無いと言えると思う。なぜなら彼らは、俺を狙う敵によって一緒に殺害されてしまった被害者なのだから。
だから俺は心のどこかで……。フィートの事を疑ってしまっていたのかもしれない。
あの時、フィートが暴れ出さなければ……。女神の泉でピンチになる事も無かった。あの時、フィートがもっと冷静でいてくれたなら、みんなを地下シェルターに避難させようという話にはならなかったはずだ。
もしかしたら、フィートは……。
――やめよう。
フィートがみんなを殺した犯人だという、確たる証拠がある訳ではない。
せめて、最後に俺に背後から声をかけてきた敵の声が思い出せたなら。ティーナの首を切断した奴が、最後に俺に何て言葉をかけてきたのかを、しっかりと思い出せたなら……。
クソッ……! どうして俺は一番大事な記憶を、思い出す事が出来ないのだろう。
俺は結局、自分が経験した未来の記憶の話をみんなに話す事が出来なかった。確かに鮮明に経験した出来事のはずなのに、俺自身もそれが一体……何だったのかをまだよく理解できていなかったからだ。
たが……それはもういいんだ。
分からない事はまだ、山のようにたくさんある。
だけど、きっと『ここ』にさえ来れば。それらは全て解決出来るであろう事を、今の俺は知っているからだ。
みんながもう寝静まっている深夜の時刻に。
カラム城の最上階に、俺は一人きりで立っていた。
「――よう、またここに来れば、お前に会えると思っていたよ……朝霧」
俺の記憶通りに、ここに現れたチューリップ色のドレスを着た魔女は……俺の第一声を聞くと――。
ふふふ……と意味深に、笑ってみせた。
「へぇー、その口ぶりだと……私とここで会うのは初めてじゃないという訳なのね? 彼方くん」
俺の目の前には、この世の全てを見通し。
過去も未来も見る事が出来るという、『叙事詩』の能力を持つ異世界の勇者……朝霧冷夏が立っていた。
「……ちなみに聞いてもいいかしら、彼方くん? 私が彼方くんとここで会うのは、彼方くんの記憶の中では、何回目の事になるのかしら? 2回目、それとも3回目くらいなのかしらね……? うふふふ」
薄暗い闇夜の中で。黄色いドレスから蛍光灯のような怪しげな光を放っている朝霧は、興味深そうに俺の事を見つめてきている。
どうやら、やっぱり俺の予想通り。
目の前にいるコイツは、全てを知っている……という事らしいな。
朝霧は俺の青白そうな顔色を見て。心底おかしそうに、指先を口に当ててクスクスと笑ってみせていた。