第二百八十話 フィートの暴走
女神の泉に中に、次々と落とされていく鎖で繋がれた無抵抗な村人達。
可哀想だが……今、ここから飛び出して。彼らを救いにいく事は出来ない。
女神の泉の周りには、夜月皇帝ミュラハイトの配下であるライオン兵が数千匹は勢揃いしている。
例え最強のコンビニの勇者の力を持ってしても、あれだけの数のライオン兵を全て相手にしたら、確実に負けてしまうだろう。
カラム城でたった数十人のライオン兵を相手にして時でさえも、苦戦したくらいだ。
それなのに、3000匹を超えるライオン兵達を一気に相手になんか出来るはずがない。
しかもここには、戦闘が得意ではないティーナや、フィートもいるんだ。例え異世界の勇者である倉持や名取、そして紫魔龍公爵の力を持つククリアの協力を得ても……。
おそらく5分も持たずに、コンビニチームは全滅させられてしまうだろう。
せめて、ここにコンビニの守護者のアイリーンとセーリスがいてくれたなら。
あるいはコンビニ本店の戦力と、その中にいるレイチェルさんの協力があったなら。そして、コンビニ共和国の隠し兵器。カフェ大好き3人娘達による援護があったのなら、まだ何とか対処出来たかもしれない。
でも今は、あまりにもこちら側の戦力が低すぎた。
申し訳ないが、あそこで鎖に繋がれている村人達を今の俺達では救い出す事が出来ない。それどころか、もしここで少しでも音を立てて、敵にこちらの存在を気付かれてしまったら。
俺達は一瞬にして、数千匹を超えるライオン兵達に襲われて全滅してしまう可能性がある。
今の俺達は、まるで数千匹のサメの群れに囲まれ。誰も助けの来ない大海原のど真ん中に、ゴムボート1つだけで取り残されている状況と同じだからな。
少しでも油断をして、相手にこちらの存在を悟られてしまったなら……全てが終わってしまう。
だから倉持も、名取も。そしてもちろん、ティーナもククリアも。
この場では、決して音を立ててはいけないという事を本能的に理解していた。
村人達の事を救いたくても、救えない。そんな苦しい状態にある事を、ここにいる全員が理解して共有していると思っていた。
それなのに……。その事がまるで分かっていないメンバーが1人だけ俺達の中には混じっていた。
それは、猫耳をピンと尖らせ。全身の毛を逆立て、尻尾を太くさせながら振り回している、もふもふ猫娘のフィートだった。
「フシューーーッ!! 許さないッ!! 絶対に許さないッ!! アイツだけは、アイツだけは……あたいがこの手で必ず殺してやるんだッ!!」
「お、おい……フィート! どうしたんだ? そんなに大きな声で叫んだら、奴らに気付かれてしまうぞ!」
「うるさいッ!! あたいは全てを思い出したんだよ! まだあたいが小さかった頃の記憶を、全部思い出したんだッ! あたいはあの女神の泉の中に、あたいの両親と一緒に放り込まれたんだ……。お父さん、お母さんは命をかけて、あたいを泉の外に出して救い出してくれた。あたいはアイツらに追われながら、死に物狂いでこの森の中を走って逃げ延びんだ!」
何だって……!? フィートは昔の記憶を思い出したというのか!?
だが、それはあまりにもタイミングが悪過ぎた。
今はダメなんだ! 今、怒りで我を忘れた行動をフィートにされる訳にはいかないんだ。
怒りで興奮状態に陥り。本物の猫のように、全身の毛を逆立てているフィートには、俺の言葉は全く届きそうに無い。
自分の両親を殺されて。家族をバラバラに引き裂いた夜月皇帝への憎しみに支配されて、フィートは完全に理性を失いつつあった。
「待て、頼むから落ち着いてくれ、フィート! ここで敵に見つかったら、俺達は全てが終わってしまうんだぞ……!」
俺は、出来るだけ小声で。何とかなだめるようにして、フィートの耳元に呼びかけをしようとした。
だが――。
『ブシャアーーーーーッッ!!!』
……クソッ、遅かったか!!
両手から爪を鋭く伸ばしたフィートが、丘の上の茂みの中から一気に飛び出し。大跳躍をしながら、真下の女神の泉に向けて駆け出していく。
「コンビニの勇者殿……!」
「――分かってる! ここは俺に任せろッ!」
ククリアが思わず、叫び声を上げたのは理解出来る。
このままフィートを野に解き放ったりでもしたら。全てが終わってしまうだろう。
凶暴なサメの群がる海の中に、フィートだけが勝手に飛び込もうとしているだけでは収まらないんだ。
小さなボートに身を寄せて隠れている俺達も、敵に見つかって全員が捕捉されてしまう。
ここは何としても、全力で、俺の持てる全ての力を注ぎ込んででも……。俺はフィートの暴走を、食い止めないといけないんだ!
丘の上から飛び出して、女神の泉へと駆け降りようとするフィートを……俺はコンビニの勇者が持つ、全力の脚力で猛追走する。
呼吸を完全に止めて。時間が停止したような感覚が感じられた。……多分、今の俺は100メートルを3秒で駆け抜けるくらいの猛スピードで走っていたと思う。
茂みから飛び出した、怒りで我を忘れた猫娘を――。そのまま、後方からしっかりとキャッチする。
そして、力づくで押さえ込み。両腕でフィートの体を抱えながら、すぐさま元の茂みの中へとUターンした。
俺には、もちろんそんな特殊能力は無いが。感覚でいうと。マジで時間停止の能力を使って……茂みから飛び出した猫娘を、瞬時に回収して戻ってきたくらいの感覚がしたな。
俺はすぐに興奮状態のフィートの口を押さえ込み。叫び声をあげれないように、その口を両手で封じる。
「フシューーーッ!! フシューーーッ!!」
怒りの収まらないフィートは、なおも激しく激昂しながら俺の腕から脱出しようと、足をバタバタさせてもがき続ける。
うちの実家の子猫のミミも、流石にここまで暴れた事は無かったけど。悪いけど俺は愛猫を実家で飼っていた経験のある身なので、怒っている猫の扱い方も心得ている。
俺に完全に全身を押さえ込まれたフィートは、必死に抵抗を続けていたが……。
やがて、パタンと急に大人しくなって。
その場で、スヤスヤと寝息を立てて動かなくなった。
――ん? これは、一体どうしたんだろう?
いや、マジで俺は助かったけど……。
「僕が『睡眠』の魔法で彼女を眠らせたよ。彼方くん」
倉持が小声で俺に話しかけてきた。
「マジかよ、本当にありがとうな、倉持。超ファインプレイだよ!」
俺は小声で倉持に感謝の言葉を伝えて。その全身を熱く抱きしめる。
いや、本当に感謝してもしきれないくらいだ! マジで今、この瞬間だけなら俺はお前と添い寝をしてもいいくらいだぜ、倉持!
「そ、そんなに邪な視線で僕を見ないでくれるかな……彼方くん? 僕の後ろで美雪さんが、僕のお尻をつねろうと常に監視しているのだからね」
なぜか顔を真っ赤にした倉持が、照れるように小声で呟く。
……いや、それはマジで全然大丈夫だと思うぞ。
お前がもし、フィートに抱きつこうとしたら。ケツの皮を引きちぎられるくらいに、名取につねられるだろうけどな。
多分、俺とお前が万が一抱き合って寝たりでもしたら。名取はその様子を一晩中、興奮しながら見つめて、黙々とスケッチをしていると思うぞ。うん、俺には何となくそれが分かるんだ。
「……コンビニの勇者殿。マズイです! やはり、敵にこちらを気付かれたようです」
ククリアが慌てて、俺と倉持の間に入って警告をしてくる。
スヤスヤと眠っているフィートをそっと地面に横たわらせて。俺は急いで、女神の泉の様子を確認してみた。
流石に、大きな音を立て過ぎてしまったからな。
全力で、ほんの数秒も経たないうちに飛び出した猫娘を回収したから。こっちの存在までは見られなかったと思うけれど。泉の様子を丘の上から見下ろしてみると――。
女神の泉の周りにいる、夜月皇帝ミュラハイトとその取り巻き達は、何事も無かったかのように女神の泉を見つめ続けている。
どうやら俺達が起こした騒ぎの後は、周囲で太鼓を叩いているライオン兵達の音によってかき消されたらしい。つまり、フィートが丘から飛び出した音はそれほど目立たなかったようだ。
(……助かった。マジで、心臓が止まるかと思ったぜ……!)
だが、ククリアが指摘してくれたように。
泉の周辺にいる、ほんの一部のライオン兵達が丘の上から聞こえた物音に気付いたらしかった。
もともと獣人化したライオン兵達は、通常の人間よりも聴力が優れているのだろう。
こちらの様子を調べる為に。約10匹ほどのライオン兵達が、俺達が隠れている丘の茂みに向けて。ゆっくりと歩いて近づいてきていた。
「こいつは、ヤバいな……。目視で確認されたら、流石に『詰んで』しまうぞ。かといって、隠れる為にここに巨大なコンビニを出す訳にもいかないし」
俺やククリアだけなら、まだここから全力で逃げ出せる。
でも、足の遅いティーナや倉持、そして名取。更には魔法で眠らされているフィートを、連れて逃げるとなると。おそらく、すぐに敵に追いつかれてしまうだろう。
なにせ、あのライオン兵達は動きが異常に素早いからな。
「彼方様……」
ティーナが心配そうに、俺の手を握りしめてくる。
「クソ……一難去って、また一難かよ。これはマジでヤバい状況になってきたな……」
俺はこちらに向かって、ゆっくりと迫って来るライオン兵たちの姿を見つめる。
そして、冷や汗を流しながら。その場でゴクりと唾を飲み込む事しか出来ないでいた。