第二百七十九話 ライオン兵の量産
”ドンドンドンドンドンドン――”
”ドンドンドンドンドンドン――”
”ドンドンドンドンドンドン――”
”ドンドンドンドンドンドン――”
女神の泉をぐるりと取り囲む、無数のライオン兵達の打ち鳴らす太鼓のリズムが、どんどん早くなっていく。
数千匹を超えるであろう屈強なライオン兵達が、自らの分厚い筋肉の胸板を両手の拳で叩きながら。大きな雄叫びを上げて絶叫している。
そしてその激しい太鼓のリズムに、呼応するかのように。
泉の上に鎖で吊るされた20人ほどの男女が、ゆっくりと水面に落とされていく。
その光景はまるで、無数のワニが群がる池の中に、白いウサギを順番に沈めていくかのようだった。
「か、彼方様………!」
ティーナが俺の右手を掴んで、ギュッと握りしめてくる。その小さな手が、微かに震えているのが分かった。
クソッ……こんな残酷な光景を、ティーナに見せてしまう事になるなんて!
「これでは、まるで蛮族達による『生け贄を捧げる儀式』だね。流石の僕でも、これは……とても見れた光景ではないね」
倉持が名取の手を握りながら。
苦々しそうな目をして、そう呟いた。
俺も倉持に同感だな。こんなのは、とてもじゃないが普通の感覚を持った人間が見れたモノじゃない。ただの残酷ショーだ。
しかも、生きた人間を無理やり鎖で繋いで、女神の泉に強制的に落とすだなんて……。夜月皇帝は相当、頭のイカれた野郎みたいだな。
おそらく、あの泉に落とされた普通の人間は……。
夜月皇帝の配下となる、凶暴なライオン兵にされてしまうのだろう。
特定のスキルや、遺伝能力のある人間には能力アップの恩恵をもたらすと言われている女神の泉。
だが、何もスキルを持たない一般人の体にとっては、それはあまりにも危険な劇薬となってしまう。おそらく、強力過ぎる力が暴走をして。凶悪な力を持った獣人兵へと、強制的に体が変化してしまうんだ。
夜月皇帝は、女神の泉のその作用を利用して。自身の配下となる獣の兵隊を大量に作り出しているらしい。
俺は女神の泉の前で、偉そうに両腕を組み。黄金の椅子に腰掛けている若い男の姿を遠目で凝視した。
屈強なライオン頭の騎士達に囲まれた、若い男。
黄金の椅子の上にあぐらをかいて座っているのは、外見が大学生くらいの若さに見える、細身の男だった。
男の髪は、夜の月に照らされたように美しい漆黒の闇色をしている。瞳の色は怪しい色合いの紫。そして真っ黒な鎧の上に、ビックリするくらいに豪華な黄金のアクセサリーを大量に身に付けていた。
……正直、とても人の上に立つ者に相応しい格好とは思えないな。
漆黒の鎧の上に、まるでファッションショーのようにジャラジャラとした黄金の装飾品を無意味に、そして無価値に、大量に着飾っているだけだ。
まさに羞恥心のカケラも無い、アホのイキリ野郎がしそうな服装だと思った。
おそらくアイツが、バーディア帝国を影から操っているという――夜月皇帝。皇帝ミズガルドの皇祖父にあたる男、ミュラハイトで間違いないだろう。
外見からして、性格もきっとチャラチャラしたクソ野郎なんだろうな……という印象がする。
ミュラハイトが女神の泉のそばで、部下達に向けて、一体何を喋っているかを知りたかったけど。流石に距離が遠過ぎる。ここからでは、それを聞き取る事は出来なかった。まさか泉の近くにまで、コンビニの偵察ドローンを飛ばす訳にもいかないしな。
すると――。
ククリアが小声で、俺だけに聞こえるようにして話しかけてきた。
「コンビニの勇者殿、どうやら夜月皇帝は近隣の村々から攫ってきた帝国領に住む住民達を……あの泉の中に落とすように、部下の者達に命じているようです」
「ククリア……? 君には、あそこでミュラハイトが何を話しているのか、その内容が聞き取れるのか?」
「ハイ。ボクにはここからでも、夜月皇帝の話している内容を聞き取る事が出来ます。無限の勇者に仕える守護者は、遠くの会話を聞きとれるくらいに耳が良いのです。だから彼が何を話しているのかを、コンビニの勇者殿だけにお伝えさせて頂きますね」
そうか、うちのアイリーンも確かに耳が凄く良かったからな。
ミランダの戦闘では、俺と枢機卿の会話を遠くから聞き取っていたくらいだし。ククリアも動物園の勇者である、冬馬このはに仕えていた紫魔龍公爵の能力を引き継ぐ存在だ。だから人一倍、聴力が優れているのだろう。
「すまない、マジで助かるよ! あの男が話している内容を俺に教えてくれないか……!」
「分かりました。ですが、聞こえた会話の内容は、コンビニの勇者殿だけにお伝えします。それでよろしいですか?」
ククリアが言っているのは、他のメンバーには伝えずに。まず俺だけに、優先的にミュラハイトの話す会話の内容を教えるという事のようだ。
おそらくかなり過激な事を言っているであろう、ミュラハイトの話をみんなに伝えてしまい。ここにいる他のメンバーが、動揺してしまうのを防ぐという意味合いなのだろう。
「ああ、それで構わない。頼むよ!」
俺はククリアにお願いをして。女神の泉を取り囲んでいる夜月皇帝とライオン兵達の会話の様子を、離れた場所である、この丘の上からしばらく見守る事にした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「――オイ! 西の村から連れてきた獣人兵の『材料』はこれだけしかいないのか? たったの20人くらいしか、いねーじゃねぇかよ!」
「申し訳ございません……夜月皇帝様。既に帝国領南部の村々に住んでいた住人達は、全て狩り尽くしてしまったようです。もはや、この辺りには領民はほとんど残っていないと思われます」
「くぅぁあ〜、マジかよ……! ホントにお前らは使えねーよな。じゃあさっさと、北に行って人間狩りをしてこいよ! 帝国領の中央部付近には、無能な貴族達が治める土地と。まだまだそこに住む家畜のような『材料』共が、いっぱい群れているだろう?」
夜月皇帝ミュラハイトは、足元に跪く赤色の鎧を着た帝国兵の騎士の頭を……靴の裏で力強く踏み付けていた。
「し、しかし……夜月皇帝様! 中立を決め込んでいる帝国貴族達が支配する地域の住人達にまで手を出してしまいますと、我々に忠誠を誓っている各地の貴族達が、一斉に離反をする恐れもありますが……」
「――はぁ!? 今、お前……オレに対して何て言ったの? 何でオレが支配をしている帝国領で生かされている豚共が、飼い主であるオレのやる事に反抗なんてするんだよ? いいから、さっさと行ってこいよ。一番近い所にいる貴族領に数百人規模の獣人兵達を送って。そこに住む新鮮な『材料』共を、根こそぎかっさらってこい。最低、3000人はここに連れてこいよ!」
ミュラハイトは、目の前でずっと頭を下げている配下の騎士の後頭部を更に強く。グリグリと抉るようにして、硬い靴の足裏で踏み付けていく。
夜月皇帝の前に跪く騎士は、既に後頭部から大量の血が流れ出ていた。
しかし、それでも……。漆黒の鎧をまとった夜月皇帝ミュラハイトは、部下の騎士の頭を踏みつける行為をやめようとしない。
頭から大量の血が流れ出ても、痛みに必死に耐え続ける赤い騎士。
帝国を影から支配する、夜月皇帝の機嫌を少しでも損ねれば……。瞬時に殺害されてしまう事を、騎士はよく知っているからだ。
「……か、畏まりました! 必ずや、貴族達の領土に向かい。そこに住む住人達を大量に奪って参ります! どうか、どうか、この私にお任せ下さい、夜月皇帝様!」
「フン、最初から素直にそう言っとけばいいんだよ、余計な口を挟みやがって……! オラ! さっさと行ってこい、この犬野郎がッ!」
最後に夜月皇帝ミュラハイトは、配下の騎士の顔を思いっきり蹴り飛ばして。その場で高らかに笑い続けた。
おそらく彼に仕えるほとんどの騎士達が夜月皇帝に対して、心からの忠誠など誓ってはいないのだろう。
野蛮で冷酷な性格のミュラハイトに従うのは……ただ、彼が恐ろしいからだ。
決して歳を取らずに、若い外見を維持し続け。屈強なライオン頭の騎士達を無数に従えているミュラハイトの存在を、ここにいる誰もが恐怖している。
皇帝として、臣下の者達に心から敬われていた皇帝ミズガルドとは違い。
闇の皇帝であるミュラハイトにあるのは、恐怖による弾圧と支配のみであった。
彼に逆らえば、誰もが殺されてしまう。それも普通に殺害されるだけではない。
その者の家族も、友人も、恋人も。彼に逆らった全員が……惨たらしい拷問をかけられて、苦しみ悶えながら惨殺されてしまうのだ。
「……ミュラハイト様。ここに吊るされている『材料』を、全て女神の泉に投入してもよろしいですか?」
夜月皇帝の近くに立っていた、ライオン頭の騎士が彼にそう問いかける。
「ああ、さっさと放り込め。獣人兵達の人数は、まだまだ全然足りてないからな。やっと3万人揃ったくらいじゃ、まだグランデイルの白アリの女王退治は出来ないぞ。あっちはあっちで、白アリの卵を量産し続けているだろうしな」
「畏まりました。――さあ、お前達。獣人兵の『材料共』を泉の中に沈めるのだ!」
『『ウオオオオオォォォーーーーッ!!』』
ライオン頭の騎士の号令に従って、その周りにひしめいている獣人兵達が雄叫びを上げた。
女神の泉の周囲に集まっている3000匹を超える、ライオン頭の騎士達が一斉に咆哮を上げる。
そして女神の泉の上に、鎖で繋がれていた人間達が一斉に、泉の水面に向けて降ろされていく。
『や、やめてくれぇぇーーッ!!』
『お願いだ、助けてぇぇーー!! 』
『きゃあああぁぁーー!!』
『お母さん、お父さんー! 怖いよおおぉぉーー!』
「……それにしても、最近は獣人兵達の質が落ちてきたな。人間の姿に戻れない、理性を完全に失った兵の数が、余りにも増えてきたように感じるぞ?」
「申し訳ございません、ミュラハイト様。今のような大量生産体制を続けていましては、どうしても質が落ち続けてしまうのは仕方のない事と思います」
夜月皇帝に仕える、研究員のような白装束の部下達がそう進言する。女神の泉に落とされた人間は、過去の記憶を全て失い。獣と融合した凶暴な獣人へと変化する。しかし、それには個体差があった。
「なるほどな。まあ、それは仕方ないか。ちゃんと獣人化がすんだら、『魅了』の魔法をかけて、洗脳教育を施しておけよ。人間の姿に戻れない粗悪品は、最前線で敵と戦う切り込み部隊として活用する。人間の姿に戻れる獣人兵は、暗殺者として各地の貴族達の見張り役に回すんだ、分かったか?」
「畏まりました、ミュラハイト様。それで……帝国領で再び、勢力を取り戻しつつあるという、お孫のミズガルド様の件についてはいかが致しますか?」
自身の孫娘である、ミズガルドの事を問われたミュラハイトは……。それがさも愉快な事であるかのように、ワイングラスを片手に大笑いを始めた、
「ハッハッハッ! まさか、オレの孫娘がまだしぶとく生き残り続けて、ハイエナのように帝国領で暴れ回っているとはな! さすがはオレの遺伝子を僅かにでも、受け継いでいるだけあるな。グランデイルの小娘より劣ると思っていたが、なかなかにしぶといじゃないか!」
ミュラハイトは、女神の泉に次々と落とされていく、帝国領の村々で暮らしていた何の罪も無い人々の悲鳴を……心地よいBGMにしながら。
再び黄金の椅子に腰掛けて、鼻歌を口ずさみ始める。
「――よし、ミズガルドは見つけ次第、必ず生きたまま捕らえてオレの前に連れて来い! オレの孫娘はたしか、無能力者だったよな? 女神の泉の中に生きたまま放り込んで。ミズガルドがどんなに活きの良い、ライオン頭の獣人兵に変わり果てるのかを、この目で直接見届けてやるからな。ハッハッハッ――!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ククリアに、遠くにいる夜月皇達の会話を聞いて貰いながら。遠い丘の上から、女神泉周辺の様子を静かに見下ろしていた俺達の中で……突然、異変が起きた。
異変の原因は、もふもふ娘のフィートだった。
フィートは全身の毛を逆立てて。
『フシューーッ!!』と呼吸を荒くしながら、両手の爪を尖らせている。
そして、今にも敵に飛びかかっていきそうなくらい姿勢で、臨戦体制をとり始めていた。