第二百七十四話 カエルの森
明らかに様子がおかしいフィートに、俺は声をかけてみた。するとフィートは無表情のまま、あっけらかんとした返事をしてくる。
「別に何でもないよー。あたいはどうとも思ってないから、変態お兄さんも安心してねー!」
「……ああ、分かった」
ここ最近は、外見通りのエセ猫語ばかり話していたフィートの口調に元に戻っているな。
これはきっと、かなりご機嫌斜めなんだろう。俺は実家で子猫のミミを飼っていたから、猫の気持ちはよく分かるんだ。
フィートは、長い尻尾をベチンベチンと地面に叩きつけながら大きく横に振っている。耳も警戒してイカ耳になっているし、全身の毛も逆立っているように見えた。
目の前で生き絶えたあの老人の死が、そんなにフィートにはとっては悲しかったのだろうか?
それとも、あるいは……。
「コンビニの勇者殿、このままここにずっと居る訳にはいきません。女神の泉のある森に急ぎましょう」
ククリアが催促するように、俺に行動を促してきた。
「そうだな……ここでじっとしていて。もし、ライオン兵達に見つかってしまったら大変だ。急いで森を目指す事にしよう!」
ここにおじいさんの死体を置いていくのは、少しだけ気が引けてしまうけれど。
残念ながら、ゆっくりと埋葬をしている時間は無かった。土に埋めている姿を、敵に見つかってしまう訳にもいかないからな。
「じいさん……。あんたの無念は、必ず俺達が晴らしてやるからな!」
帝国領に住む人々を、欲望のままに蹂躙している夜月皇帝。自分が治めている国に住む人々を、道具としてしか見ていないようなクズ野郎だ。
すぐにでも権力の座から引き摺り下ろして、真の皇帝であるミズガルドに帝国の実権を取り戻してみせる。
俺はここまで移動手段として、全員を乗せてきたコンビニ支店1号店をいったんカプセルに戻した。
見た目の大きいコンビニは、その外見が目立ってしまう。それにコンビニ戦車のキャタピラー移動は、エンジン音や振動が大き過ぎるからな。
だから今後はもう、コンビニは移動手段として使用する事は出来ないだろう。これからは敵に気付かれずに移動する、隠密行動が必要になる。
その意味では、うちのコンビニ共和国の中で。もっとも隠密行動に適しているのは――『暗殺者』の能力を持つ玉木だったんだろうな、と思う。
『隠密』によって、透明状態になれる玉木は最強の隠密スキルを持っていると言っていい。
もし玉木が敵と直接戦えるような、優れた戦闘能力も兼ね揃えた戦士だったなら……。玉木は本当に最強の戦士に成っていたんじゃないのかな?
いや……あのもう一人の玉木である枢機卿が、女神教のリーダーをしているんだ。
もしかしたら、うちの玉木も。本当はもの凄い潜在能力を秘めていたりする……なんて事もあり得るのだろうか?
「……きゃっ!?」
街の後ろに広がっていた、緑色の森に入ろうとした途端に。
後方を歩いていたティーナが、突然、小さな声で悲鳴を上げた。
「どうしたんだ、ティーナ? 何かあったのか?」
「か、彼方様、足元にたくさんカエルが……」
……えっ、カエルだって? ティーナに言われて、俺も足元を見下ろしてみると。
そこには、確かに緑色をした小さなカエルがピョンピョンと飛び跳ねていた。それも1匹や2匹じゃない。数十匹はいるのか? 結構な数のカエルがこの辺りには生息しているらしい。
ふぅ〜〜っ、ビックリした。何だ、ただのカエルか。
ティーナは思わず声を上げてしまったけれど。もしかしたら、爬虫類とかが苦手だったのかな?
これくらいの大きさのカエルなら、まだ全然可愛いくらいだと思うけど。
「うぉぉああぁッ――!?」
「きゃあああぁぁ――!?」
今度は、前方で結界を張りながら歩いていた倉持と名取のコンビが同時に悲鳴を上げる。
何だよ……倉持達も実はカエルが苦手だったりしたのか?
日本でもこれくらいの大きさのカエルなら、沢山いたじゃないか。俺の田舎の婆ちゃんの家の近くの田んぼには、カエルが無数にぴょんぴょん飛び跳ねてたぞ。
「コンビニの勇者殿、これは………」
倉持達と一緒に、先頭を歩いていたククリアが、驚愕の声を上げる。
「えっ、ククリアもカエル苦手だったのか……って!? な、何なんだよコレは……!?」
”ゲコゲコゲコゲコゲコゲコ”
”ゲコゲコゲコゲコゲコゲコ”
”ゲコゲコゲコゲコゲコゲコ”
”ゲコゲコゲコゲコゲコゲコ”
”ゲコゲコゲコゲコゲコゲコ”
辺り一面……地面の上は、カエルだらけだった。
緑色の絨毯が敷かれているんじゃないかと思えるくらいに。森の地面は緑色のカエル達で溢れかえっていた。
小さなカエルが見渡す限り、元気にぴょんぴょんと周囲を飛び跳ねまくっている。
「うにゃあ〜! これじゃあ、歩くスペースもないくらいに、カエルがギッシリだにゃ〜!」
さっきまでイカ耳で尻尾を逆立ていたフィートが、元の猫口調に戻っていた。
どうやら、ようやく精神状態が落ち着いて。また元通りの、もふもふ娘に戻ってくれたらしい。でも、さっきのは一体何だったんだろうな?
怪我をしていた、あの老人の死を見てから。フィートは急に機嫌が悪くなったように俺には見えたけど……。
「――彼方様! ここはもしかして、伝説の『カエルの森』なのかもしれません……!」
「カエルの森? それは一体何なんだ、ティーナ?」
ティーナが驚きの顔を浮かべながら、俺の近くにまでやってくる。
地面にはぴょんぴょんと飛び跳ねるカエルで溢れ返っているからな。カエルを踏まないようにここまで来るのは、随分と大変そうだった。
「私、子供の頃に古い書物で読んだ事があるんです。遠い大陸の南の地には、緑色のカエルが沢山生息している不思議な森があるのだと。そしてその森は、別名『迷いの森』とも呼ばれていて。森の中に入った者を永遠に外には出してはくれない、不思議な空間になっているらしいのです」
ティーナの話を聞いたククリアも、この森についての知識を追加で教えてくれた。
「『迷いの森』ですか? なるほど。たしかにボクもその森の話は聞いた事があります。正確にはボクというよりも、この世界の謎を追っていたメリッサの記憶の方がですが……。その森に迷い込むと、下手をすると数ヶ月以上は同じ所をぐるぐると回ってしまい。外に出る事が出来なくなるという、不思議なおとぎ話があるらしいのです」
「それじゃあ、その迷いの森のど真ん中に。俺達が目指している目的地、『女神の泉』が存在しているという訳なのかよ……」
これはマジで参ったな。
でも、ある意味で納得も出来る話だった。
太古の昔から、それこそ女神アスティアがこの世界に降臨したと言われる時代から存在していた、奇跡の力を持つと言われる『女神の泉』。
そんな不思議な力を持つ泉の場所が、今まで誰にも発見されずにいたのは……つまりはそういう事なのだろう。
侵入者を迷わせる、この『迷いの森』の存在が、女神の泉の場所を今まで人々から隠していたんだ。
「どうやら、このカエルだらけの森の中に『女神の泉』が隠されているのは間違いなさそうだな。問題はどうやってこの森の中心部に入るか、という事か」
「えっと……コンビニの勇者様が持つ。空飛ぶ円盤に乗って、上空から森の中を探してみる、というのはどうでしょうか?」
後方に控えていたアリスが、空からドローンに乗って森の様子を探る事を提案してきた。
「うーん、それも一つの方法としては有りなんだけど……」
おそらくその手段は、この迷い森の中では通じない気がする。
きっと砂漠の魔王モンスーンに仕えていた、緑の神官ソシエラが支配していた『幻想の森』と、ここは同じような仕組みになっているのだろう。
例え偵察ドローンを空から飛ばしたとしても。
森の中の様子を探る事はきっと不可能だ。それが出来るなら、長い年月の中で……。それこそ飛竜に乗って上空から女神の泉に辿り着くような者がいても、おかしくなかったはずだからな。
きっと空からの索敵をカモフラージュするような、目に見えない結界がこの森の上空には張られている気がする。
「でもそれじゃあ〜、どうすんだにゃ〜!? こんな所で何日もカエルにまみれて、森の中を探索している余裕は無いにゃ〜! うっかり迷いの森の中に入って、数年近くも彷徨い続けるなんて真っ平ゴメンだにゃ〜〜!」
もふもふ娘が、にゃーにゃーと悲鳴のような可愛い鳴き声をあげる。
その通りだ。俺達には時間が無いんだ。倉持と名取には、それぞれ呪いのブレスレットによるタイムリミットがあるし。カラム城に残してきたミズガルドの事も心配だ。ここは何としても、この森に入る手段を考えないといけない。
せっかく夜月皇帝に見つからないように、ここまで隠密作戦でやって来たのに……。
まさか、女神の泉を前にして。こんな所で足止めを食ってしまうなんて。
沢山の緑色のカエル達に囲まれた地面の上で。俺達は、全員がそれぞれ頭を抱えて考え込んでしまう。
何か、この問題を打開出来るアイデアを考え出さないと……。そう、何か考えるんだ。迷いの森の中を、どうにかして迷わずに進む方法を……。
”ゲコゲコゲコゲコゲコ”
”ゲコゲコゲコゲコゲコ”
”ペィペィペィペィペィ”
”ゲコゲコゲコゲコゲコ”
”ゲコゲコゲコゲコゲコ”
「………ん?」
ゲコゲコと聞こえてくるカエルの鳴き声の中に。一匹だけ変な声が混ざっているな?
まるでおっさんが酔っぱらいながら、呟いているような。濁った声が混ざって聞こえてくる気がする。
俺は変な声のする方向に目を向けてみる。
すると――。
そこには、緑色のカエル達に混じって。
不自然なくらいに大きな姿をした。黄色い巨大なカエルの頭が付いている、下半身が人間のおっさんの姿をした変な『カエル人間』が、森の地面の上でダラ〜っと居眠りをしていた。