第二百五十四話 『叙事詩』の能力者
「お前は、本当にあの……朝霧冷夏なのか!?」
俺は目の前に立つ、黄色いチューリップ色のドレスを着た女に問いかける。
「――そうよ。久しぶり過ぎてもう、彼方くんに私の事は忘れられているのかと思ったけど。どうやら、ちゃんと憶えてくれてたみたいね。安心したわ」
夜の闇の中で、不自然なほど色鮮やかに。怪しげな黄色い光を周囲に放つ、朝霞。
服装は以前とは全然違うけれど、その綺麗な顔立ちを俺は見間違えたりはしない。
彼女は俺達、元2年3組のクラスメイトでもあり。
3軍の勇者として、グランデイルの王都で一緒に暮らしていたのだが……。ある日突然、消息不明となってしまい。今日まで行方が全く分からなかった朝霧冷夏が今、俺の目の前には立っていた。
「朝霧……お前、今まで一体どこにいたんだよ? お前がグランデイルの王都を突然離れて、行方不明扱いになっている事を、玉木は本当に心配していたんだぞ!」
朝霧に対して、俺は問い詰めるように話しかける。
本当に、一体どれくらいぶりなんだろうな?
下手をすると、1年半くらい俺は朝霧に会っていなかった気がする。
この世界に召喚されてから今に至るまで、俺と朝霧は全く接点を持つ事なく今まで過ごしてきた。
しかし、そんな俺の心配をよそに……。朝霧は全く悪びれる様子もなく。さっきからずっとニヤニヤと顔を紅潮させ、興奮した顔色を浮かべている。
「うーん、どこにいたのかと言われても……。私はずっと、彼方くんをすぐ近くから見ていたのよ? ううん、正確には近くで『読んで』いた――が正解かしらね。だって彼方くんがこの世界で紡ぐ最高の物語と、そしてこれから作り上げていく未来の物語を、私は常に彼方くんのすぐ近くの『特等席』で観測し続けてきたのだから」
朝霧が、両手を広げて満面の笑みを浮かべる。
その姿はまるで、黄色いチューリップが夜闇の中でスポットライトを浴びて、光輝いているかのようだった。
「えっと……?」
朝霧……すまんが、俺にはお前が一体何を言っているのか、さっぱり分からん。
正直に言って今の俺は、グランデイルの街で初めてあの妖怪倉持による『世界救済計画』の演説を聞かされた時くらいに、訳の分からない状態になっていた。
こいつは確かに、クラスの中でも見た目の可愛い女生徒だったと思う。
でも、学校の中ではずっと1人で読書ばかりしていて。他のクラスメイト達とは、ほとんど交流を待とうとしない変わり者だったのをよく憶えている。
俺自身も元の世界にいた時は、こうして朝霧と正面から会話をした事なんてほとんど無かった。
だからこうして、実際に直接話をしてみると。
やっぱりかなり不思議系の女の子なんだという事を、改めて実感してしまう。会話の成り立たなさが半端ないからな。
「朝霧、悪いが俺は今……お前の楽しい妄想話に付き合っている暇はないんだ。だから俺の質問にしっかりと答えてくれ。俺が今、お前に聞きたい事は2つだけだ。一つは、今まで一体お前はどこにいたのかという事。そしてもう一つは、この場に突然現れたのは、一体何が目的なのかという事だ」
黄色いチューリップ色のドレスを着た朝霧は、さっきからずっと俺の真剣な顔を見つめながら、クスクスと笑っていやがる。
久しぶりに再会した俺と話すのが、そんなに面白くて仕方ないのだろうか?
まさかこの異世界で、誰も話し相手もなく。ずっと今まで孤独で過ごしてきたんじゃないだろうな……。
俺はすぐに身構えて、警戒態勢をとった。
どう考えたとしても……。こんな所に突然、行方不明だった朝霧が都合よく出現するのは不自然だ。
ここは、元クラスメイトだからといって。朝霧との再会を手放しで喜ぶ訳にはいかない。むしろ何か危険な罠があるんじゃないかと、最大限に警戒すべき所だろう。
「……ふふふ、いいわ。彼方くんには全部答えてあげる。でも残念だけど、私が彼方くんと直接話せる時間は限られているの。それ以上はどれだけ長く話しても、彼方くんの脳が『私とここで会ったという記憶』を憶えている事が出来ないから。だから重要な事は、私から要点だけを絞って簡潔に説明させて貰うわね」
指先をチッチッと、左右に軽やかに揺らし。
朝霧は俺の目を見つめて、ニヤリと微笑んでみせた。
まだ警戒態勢を緩めていない俺は、その様子を黙って見つめる事しか出来ない。
「……じゃあ、まずは一つ目の質問からね。それはさっきも答えたけど、私はこの世界に来てからずっと、彼方くんの事を観察していたの。私の持つ能力『叙事詩』は、この世界で起きた全ての歴史や出来事、そしてこれから起こる未来を見通す事の出来る能力なの。だから私は初めから、彼方くんがこの世界を滅ぼした『魔王』である事も知っていたの。一応、誤解の無いように言い換えると、この世界を滅ぼしたのは、過去に召喚されたもう一人の彼方くんの方だけどね」
「――!? 待て待て! お前は今……一体、何を言ったんだ! お前は過去の俺が『魔王』である事を知っていただって? それもグランデイルの街にいた時から、その事を全て知っていたというのかよ!」
そんなバカな……と、朝霧の顔を俺は凝視する。
まだ俺達がグランデイルの街にいた時から、それも異世界の勇者が1軍や3軍の勇者に振り分けられた、あの一番最初の頃から。
こいつは大昔に存在した『コンビニの大魔王』の存在を、知っていたと言う。
それはつまり、異世界の勇者がどういう理由でこの世界に呼び出され。これからどういう事が起きるのかという事を、最初から全て知っていたという事になるじゃないかよ。
「――ええ、そうよ。私は最初から全て知っていたの。彼方くん、あなたが私達をこの世界に召喚させたのよ? 正確には、5000年前にこの世界に召喚されたコンビニの魔王の彼方くんが、今回の異世界召喚を引き起こしたの。私達2年3組のクラスメイト達全員は、その巻き添えをくらったのね。ああ……でも大丈夫よ。私は口が固いから、みんなにはその事は内緒にしておいてあげる。私は面白い世界に招待してくれた事を、本当に感謝してるしね」
片手で口元を押さえて、クスクス笑う朝霧。
俺は必死に朝霧の話した内容を、頭の中で整理しようとする。
みんなをこの世界に呼び出したのが俺だって?
いや、朝霧の話によると。5000年前にこの世界に召喚された過去の俺が、今回の異世界召喚の首謀者だという。
つまり、みんなはそれに巻き込まれてしまっただけだというのかよ?
水無月や、2軍のクラスメイト達が死亡したのも、元を辿れば、全部この俺……。コンビニの勇者である『秋ノ瀬彼方』のせいだというのか。そんな事が……クソッ! でも、その可能性は完全には否定出来ない。俺自身がどうして同じ人物がもう一度この世界に召喚されたのかを、ずっと疑問に思ってたくらいだからな。
ここにいる朝霧は、本当に俺の知っているクラスメイトの朝霧なのだろうか?
一人でこの世界を放浪しているうちに、何かの宗教や思想にハマって、妄言や虚言癖を持つような性格に変わってしまったんじゃないだろうな……。
いや、このタイミングで突然、俺の前に出現した朝霧を狂人者扱いする事は出来ない。
これは俺の直感が告げているんだ。
おそらく朝霧は、マジで『真実』を言っている気がする……ってな。
俺は出来るだけ、余分なツッコミはいれずに。
目の前にいる朝霧が事実を本当に話している、という前提に立ち。彼女の話を聞き続ける事にした。
もちろん、整合性の取れない怪しい話をしだしたら、それを全て真に受けるつもりは無い。
この世界の歴史を全て知っているという『叙事詩』の能力者から、俺の知らないこの世界の真実を聞き出す事が出来るのなら。それを出来るだけ多く引き出す方が得策だろう。
「……朝霧、大昔に存在したコンビニの大魔王であった俺が、もう一人の『俺』をこの世界に召喚した張本人というのなら、その目的は一体何なんだ?」
俺は探るようにして、朝霧に問いかける。
「それは簡単よ。コンビニの魔王は女神教との戦いで体に深い傷を負ってしまったの。……あっ、それはこの世界では現在『枢機卿』と呼ばれている、過去の玉木さんがつけた傷なんだけどね。呪いの効果によって、徐々に体が蝕まれて致命傷に至る傷を負ったコンビニの魔王は、このままでは消滅してしまう。それを回避する為にコンビニの守護者のリーダーであるレイチェルは、魔王の体と精神を分離させ、傷を負った体部分だけを『座標』を使って、元の世界の日本へ送り返したのよ」
「……………」
俺は無言で、政治家のように饒舌に語る朝霧の話を聞き続ける。
正直、口を挟みたい箇所は沢山あった。でもここは、一言一句たりとも朝霧の話を聞き逃したくない。
朝霧の口から紡がれる新情報を、俺は脳細胞をフル回転させて、集中しながら聞く事にする。
「――で、元の世界の日本で呪いの効果が弱まるまで、大魔王の体は保管をされていたの。玉木さんの呪いの効果は、なぜか日本では効果が薄れるものだったみたいね。そして魔王である彼方くんの体は、あの日……数学の授業を受けていた私達のクラスに突然入ってきたのよ。それはもう、みんなビックリしたわよ! もう一人の彼方くんがいきなり教室に入って来て、彼方くんが2人になっちゃったんだもの」
両手の先をひらひらと振って。まるで他人事のように、衝撃的な過去の事実を話し続ける朝霧。
「その結果、異世界に帰還する為の座標をあらかじめ体に刻まれていたコンビニの魔王の彼方くんの体と。今の彼方くんが教室で接触をして。この世界に再び、もう一人の『秋ノ瀬彼方』が召喚をされる事になったの。コンビニの魔王の彼方くんが、失ってしまった自分の体の代わりとして。新しい体を手に入れる為に、今の彼方くんはこの世界に呼び出されたって訳ね」
思わずゴクリと、大量の唾を俺は喉の奥に流し込む。
どうやら、朝霧の説明によると――。
異世界召喚が起きた前後の記憶は、クラスのみんなの脳から、なぜか消えてしまったらしい。
だから教室の中で起きた出来事を、俺もクラスのみんなも、誰一人として憶えてはいなかったとの事だ。もちろん全てを知っている朝霧は除いて……という訳だが。
「朝霧、どうやらお前の持つ『叙事詩』の能力は本物のようだな。コンビニの魔王、レイチェルさん、そして『座標』の事。全てこの世界の真実を知っていなければ知り得ない情報ばかりだ。決して本ばかり読んで、脳みそがお花畑になった妄想癖のある奴の創作話ではない事を、今の俺は十分に知っているからな」
「あら、ありがとう彼方くん。話が早くて助かるわ。でも時間がもうあまり無いから、私の方から彼方くんに伝えるべき内容は先に話させて貰うわね」
朝霧はニッコリと笑うと。
カラム城の最上階にある、塀の上に片足だけで立ってみせた。
このカラム城の高さは、地上30メートルくらいの高さがある。その上に、命綱も付けずに片足だけで立つなんて、常人なら絶対にマネ出来るような芸当じゃない。
これは、もしかして……。
今ここにいる朝霧は、幻影か何かだったりするのだろうか?
「たぶん、今……彼方くんが考えている事は正解よ。私は常に歴史の本を読むだけの『傍観者』に過ぎないの。私は物語の登場人物には干渉する事が出来ない。だから本来、私は彼方くんに直接話しかける事は出来ないのよ。例え話したとしても、その内容を彼方くんは憶えている事が出来ないわ」
「……じゃあ、俺が今ここでお前と話した内容も、時間が経てば全て忘れてしまうという事なのか?」
「ううん、それが少しだけなら大丈夫になったのよ! 嬉しい事に、私の『叙事詩』の能力もレベルアップをしたの!」
朝霧は要領よく、俺の前に姿を現した理由をかい摘みながら、丁寧に説明してくれた。
何でも叙事詩の能力は、この世界の歴史を全てを知る事の出来る能力で、それは過去も未来も全てが見通せるらしい。
もちろん遠い未来の全てまで、完全に無制限に見通せる訳では無いらしいのだが……。その辺りの仕組みは今の俺にはよく分からなかった。
そして朝霧は、壮大な叙事詩であるこの世界の歴史を……。登場人物達のすぐ間近で、観測をして『読む』事が出来る。
この世界で歴史的なイベントや事件が起きる現場に、最も近い場所から観劇する事の出来る観客として。リアルタイムでその様子を眺める事の出来る、特等席に朝霧は常に座っているという事だ。
今まで、俺がこの世界で経験してきたあらゆる出来事も。朝霧はいつも間近で、それを観客として『読んで』きたらしい。
ある意味、巨大テーマパークの中で、人気のアトラクションを楽しむ観光客のような感じなんだろうな。安全な席の上に座りながら、俺を巡る様々な歴史イベントをポップコーン片手に観劇しているようなものだ。
――だが、無敵とも思える朝霧の『叙事詩』の能力にも制約がある。
『叙事詩』の能力は、この世界で実際に起きている歴史に、外から干渉する事が出来ないのだ。
例えば目の前で、クラスメイトが殺されていたとしても。朝霧は、それを近くから観測する事だけしか出来ない。手を伸ばして劇中の『演者』に触れる事は出来ないし、話しかける事も出来ない。
つまり流れていく歴史の流れに対して、何も『干渉』する事の出来ない朝霧は、完全な無力者であると言っていい。
それはつまり、実は何の役にも立たない能力と言い換える事も出来るな。
未来や過去の歴史を知っていても、それ誰かにを伝える事も出来ない。自分の望まない展開が訪れたとしても、それに対して干渉する事も出来ない。
ただ、朝霧だけが一人で本を読んで。ニヤニヤと楽しむだけの、独りよがりな自己満足を満たせるだけの能力でしかない。
朝霧は過去にその能力を使って、少しだけ物語の登場人物に話しかけてみる事も試してみたらしい。
だが、朝霧が話した会話の内容を、話しかけられた相手側はやはり憶えている事が出来なかった。
つまり本来、歴史上……そこには『居なかった』はずの朝霧との会話は、全て強制的に無かった事にされてしまうのだ。
「……それなのに、それが少しだけ『大丈夫』になったってのは、どういう事なんだ?」
「ふふん、それはね。私もほんの少しだけなら、物語の登場人物に話しかけて、歴史に干渉をする事が出来るようになったという訳なの。それも全部、彼方くんのおかげなの。正確には彼方くんに仕える、あの青い髪のコンビニの守護騎士さんのおかげね」
「アイリーンのおかげだって? それは、一体どういう事なんだ?」
朝霧は嬉しそうに腰に手を当てて。
胸を大きく張って、真っ直ぐに俺を見つめてくる。
「……私はね。ずっと彼方くんが歩む歴史の物語を、ただ近くから読むだけの『読者』でしかなかったの。それでも十分過ぎるくらいに楽しいし、満足だったんだけどね。でも、もし可能なら……物語の主人公に干渉をしてみたい。自分の好きな物語の展開に変えたい、っていう『欲』も湧いてきてしまったのよ」