第二百五十三話 チューリップの魔女
「――そうか、やっぱりククリアもそう思ったのか」
俺はククリアの言葉を聞き。
自分の身に起きた緊急事態について、改めて危機感を感じてしまう。
「ハイ、コンビニの勇者殿の体は特殊な防護服により、おおよそ3回程度は致死性の高い攻撃を受けたとしても自動的に守られると聞いています。それが今回だけは、ドローンの墜落によって受けた衝撃で気を失い。丸々2日も寝込んでしまうというのは、明らかに不自然に感じます」
「そうなんだよな……。俺もその事をずっと疑問に思っていて、目覚めてからずっと違和感を感じていたんだ。俺の体はコンビニ店長専用服によって、常に守られているはずなのに。どうして今回だけ、そんなに深い眠りに落ちてしまったんだろう、ってな」
実は、うっすらとだが。俺はドローンから墜落した直前の記憶が少しずつ戻ってきていた。
そう……確かに俺はカラムの城から逃走したライオン兵達のリーダーを追って、飛行ドローンの上から追跡をしていた。
そして多分、森の中で盗賊の襲撃を受けていた黒髪で青い瞳の色をした少女を助けたんだと思う。
――でも、その直後の記憶がなぜか曖昧だ。
記憶の断片がチグハグにぶつかり合い、どうしても空白部分にピースがピタっとハマらない。
あのアリスという黒髪の女の子が、その時に俺が森で助け出した少女だったのだろうか?
なぜかいまいち、その事に自信が持てない。そしてきっと俺はアリスを助けた後、飛行ドローンに乗り、ティーナの待つこの城に戻ろうとしたのだろう。
その時に――俺の身に『何か』が起きたんだ。
そして俺とアリスを乗せた飛行ドローンは、空から地上に墜落をした。
おそらくその時に、発動したであろうコンビニ店長専用服の自動防御機能によって。俺も、アリスの体も、地上への墜落の衝撃から守られたはず。
「――でもその結果、アリスさんだけは意識を取り戻し。なぜかそのまま、ずっと目を覚まさなかったコンビニの勇者殿はアリスさんに背負われて、ここまで運ばれてくる事態になってしまったと……」
「自分の能力を過信する訳じゃないけれど、今までに俺は何度も命の危険に晒されてきたと思うんだ。一日に3回だけ身を守ってくれるコンビニ店長専用服の無敵ガード機能にも、数えきれないくらい助けられてきた。でも、今回のような事は初めてなんだ。コンビニの勇者が意識を2日間も失ってしまうなんて……。もしその間に、強力な敵が迫ってきたりでもしていたらとても防ぐ事は出来なかったと思う」
「そのような無防備状態になってしまうほどの『何か』を、コンビニの勇者殿は、今までに一度も経験した事が無かったという訳ですね。そしてその事に対して、強く違和感を感じていると……」
「ああ、きっと俺の身に何かが起きたのは間違いない。でもそれが何なのかを、まだ思い出せずにいるんだ。この不思議な感じは、いつか時間が経てば解決するものなのかな?」
俺の問いかけに、ククリアも思案するような顔を浮かべる。
そして悩みながらも。重い口を開いて、ククリアが現在考えている事を俺に伝えてくれた。
「コンビニの勇者殿の身に、何かが起きたのは間違いないとして。その結果、一時的に記憶の混濁が起こり、その意識は2日間も眠り続けてしまった。……これはボクの推測でしかないのですが、最強の能力を誇る『コンビニ』を上回るような能力は、この世界にはおそらく存在しないとボクは思っています」
ククリアは、それが決して冗談ではなく。
本当に畏敬の念を込めた真剣な表情で、俺に対して自身の考えを正直に伝えてくれた。
「ボクはこの世界に存在する、どのような者であったとしても。最強の『コンビニ』の能力を持つ、コンビニの勇者殿を凌ぐような存在はいないと考えているのです。それはおそらく、この世界に存在する女神アスティアに対しても同じでしょう」
「俺のコンビニの能力が、女神教が信仰する女神――アスティアの能力さえも上回るというのか?」
「ハイ。その事はもう、この世界の過去の歴史が証明しています。過去にコンビニの大魔王と女神教が正面からぶつかり合った際に、当時の女神教の勢力は大敗北を喫し、コンビニの魔王軍の前に敗退しています。もし、女神アスティアの能力がコンビニの大魔王を上回るのなら、決してそのような事態には陥らなかったでしょう」
過去にこの世界の全てを支配したという、コンビニの大魔王の能力。
つまりは灰色ドレスを着た、あの残酷バージョンのレイチェルさんを従える、過去のもう一人の俺の前に……女神アスティアは敗北を喫したという事になる。
「それで、その最強のコンビニの能力を持っているはずの俺が、2日間も昏睡してしまうような状態になるのはおかしいとククリアは言いたい訳か?」
「……端的に言うならば、その通りです。ボクが言いたいのは、おそらくコンビニの勇者殿の身に『何か』が起きた。ですがそれによって、コンビニの勇者殿の身に危害を与える事は出来なかった。その為、コンビニの勇者殿に『何か』を与えた存在、あるいは出来事は、しばらく様子を見る事にしたのではないかと思っています」
「別の方法……? 俺のコンビニ店長専用服の無敵ガードが破れなかったから、しばらくは俺の様子を見守る事にしたっていうのか? それは一体誰なんだ? まさかまた魔王領で会った、もう一人のレイチェルさんの仕業だったりするのか?」
俺は思わず語気を荒げてククリアに問いかけるが、ククリアは冷静に首を捻るだけだった。
「……おそらく今回の件に、北の禁断の地に潜むコンビニの大魔王の勢力は無関係だと思います。彼らはもう少し、コンビニの勇者殿の成長を、遠くから見守る事にしたのだと思いますので」
「ククリア、変な事を聞くかもしれないが……。あのアリスという黒髪の女の子が今回の件に関わっている、という可能性はあるかな?」
「アリスさんについてですか? 確かに、彼女は昏睡したコンビニの勇者殿の一番近くにいた当事者ではありますね。彼女はコンビニの勇者殿が何かの発作を起こして、ドローンから墜落したと証言していましたが……その真相は不明です。ボクも城にやって来た彼女の様子を観察してみましたが、何かしらの悪意を秘めている少女のようには思えませんでした」
ククリアの言葉を聞いて。
不思議と、どこかで俺は安心をしたような気がしてしまった。
「そうなのか。ククリアの目から見ても、アリスはやはり普通の女の子という訳なのか」
「コンビニの勇者殿は、あのアリスという少女に何か特別な違和感を感じているのですか?」
「あ、いや……。俺はまだ墜落の前後の記憶がまだ曖昧だからな。目覚めてすぐに、新しくみんなの輪に加わって仲良くしていた彼女の存在に、まだ上手く馴染めていないだけとは思うんだけどさ」
「そうですか。ですがその直感はもしかしたら、何かを暗示しているのかもしれません。コンビニの勇者殿、出来る限りあのアリスという少女について、迂闊に接近をし過ぎたり。2人きりになるという事は、避けた方が良いかもしれませんね」
ククリアは、少しだけ安心しかけていた俺に。
改めてアリスに対して、細心の注意をするようにと警告を促してきた。
「えっ……? さっきアリスには何もおかしな事はなかったって、ククリアが言ってくれたじゃないか」
「ボク達は身近に、グランデイル王国の女王である『クルセイス』という前例を既に体験しています。彼女はその表面的な姿の奥に、とんでもない裏の本性を隠していました」
「あのアリスも、クルセイスと同じように。裏の顔を隠している可能性があり得るという事なのか?」
「それは、分かりません。回復魔法を使用できる者は、この世界では本当に希少なのです。聖なる属性を持つ者でなければ、回復魔法は扱えないとさえいわれています。ですので彼女が何かしらの邪悪な一面を待っているという可能性は、ボクも低いとは思っています。ですが用心をするにこした事はないでしょう。コンビニの勇者殿が感じている直感は、まだ思い出せない失われた記憶からきている、警告なのかもしれませんから」
「――分かった。俺もあのアリスには、十分に注意をする事にするよ」
俺はククリアと心の中に抱えていた不信感を共有する事で、気持ちがスッと楽になったのを感じた。
2日間も寝込んでいて。目覚めてから、ずっと感じていた不思議な違和感。
そして、俺の身に起きている謎の現象……。
ククリアの言う通り、俺の身は最強のコンビニの能力によって常に守られている。だからこそ、この俺が無防備な状態で、2日間も昏睡してしまうなんて……。あり得ないような事が起きてしまったのは、絶対におかしいんだ。
これからまだ多くの出来事が起きる可能性を考えると、決してここで油断してはいけないだろうからな。
俺はククリアと話し合いを終えた後で。
それとなくティーナにも、俺が寝込んでいた時のアリスという女の子の様子を尋ねてみた。
ティーナが言うには、アリスは昏睡していた俺の体を城にまで運んできてくれて。
自分の持つ回復魔法を、必死に俺の体にかけ続けてくれたらしい。そんな献身的なアリスの様子からは、不審な点は何も見つけられなかったとの事だ。
社交的なアリスは、フィートや他のみんなともすぐに打ち解けている。アリス自身も、俺に命を助けて貰った恩を返したいと、進んでミズガルド陣営に加わり、みんなの手助けをしたいと申し出てくれたらしい。
うーん。何かそれだけを聞くと。
アリスには、どこにも不審な点はないように感じられてしまうな……。コンビニの勇者に命を救われた少女が、恩を返す為に俺のお世話をしてくれて。
みんなの役に立ちたいと仲間にも加わってくれている、ただそれだけのように感じられる。
そういえば、俺はどうして……。
目覚めて初めてアリスを見た時に『足の怪我はもう、大丈夫なのか?』と、彼女に聞いてしまったのだろう?
正直、自分自身でもあの時は、自分が何を言っているのかよく分からずにいた。
でも、もしかしたらそれは……。俺が感じている『何か』の違和感と直接繋がっているのかもしれない。
「……いけない、いけない。少し考え過ぎているのかもしれないな」
大きく深呼吸をして。
いったん頭を冷やす事にしよう。
俺はティーナと部屋で別れてから。
城のみんなが寝静まった深夜の時間帯に――。
1人だけ上手く寝付けずに、誰も居ない城の最上階へとやって来てしまった。
もともと2日間も俺は寝込んでいたんだ、あまり眠くないのは当然だった。
寒さもあるけれど、こうして城の最上階に立っていると。涼しい夜風が肌を優しくかすめていくのが感じられて、気持ちいい。
「やっぱり夜は、本当に静かだよな……」
俺は少しだけ、気持ちが落ち着いていくのを感じた。
カルツェン王国に向かった、アイリーンや玉木は無事なのだろうか? アルトラス連合領にいる3人娘達も……今頃、どうしているのだろう?
みんな、昔よりも遥かに強くなっているからな。だからきっと大丈夫だろうと、俺は信じているけれど。
でも、心のどこかでやっぱり不安が拭えなかった。
「俺が少し心配症過ぎるのかな? どうしても、目覚めてから、ずっと気持ちが落ち着かない気がする。一体、この感じは何なんだろう? まるで目覚めたのに、まだどこか夢を見ているかのような不思議なモヤモヤ感をずっと感じてしまう。やっぱりこれは、俺の体に何か異変が起きているからなのかな?」
俺はついつい、夜の暗闇の中で独り言を呟いてしまった。
ここはカラム城の最上階だ。
この時間帯にここにいるのは……今は俺だけだから。どうせ、誰も俺の独り言なんて聞いていないだろう。
それなのに――。
深夜の闇に紛れて。暗闇の中から、女の声が聞こえてくるのを感じた。
「――うふふ。まだ頭の中が、ぼんやりとしているようね、彼方くん? 私がその理由を教えてあげようか?」
「……誰だ!?」
俺は慌てて、後ろを振り返る。
そこには、暗闇の中に黄色いチューリップの花が咲いているのが見えた。いや、よく見ると……それは若い女性だった。
鮮やかな黄色いドレスを着た、若い女がそこには立っている。
そして、俺はその女の顔に見覚えがあった。
間違いない。もうかれこれ1年以上も顔を合わせた事は無かったけれど……。
そいつは、俺と同じ3軍の異世界の勇者で。
俺達2年3組のクラスメイトでもあった奴だ。
「――久しぶりね、彼方くん。私の事はちゃんと憶えてくれていたのかしら?」
俺の前に現れたのは、突然……グランデイルの王都をたった一人だけで離れ。
今までずっと行方不明扱いになっていた、俺達3軍のクラスメイトでもある女。
『叙事詩』の勇者の――朝霧冷夏だった。