第二百五十一話 目覚めの違和感
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「……彼方様! 彼方様! 大丈夫ですか? 私の声が聞こえますか?」
……ティーナの声が聞こえた気がする。
でも、どうしてだろう? ティーナの俺を呼ぶ声が、なぜか凄く遠くから聞こえてくる気がする。
俺は今、一体どこにいるのだろうか?
ティーナはいつだって、俺のそばにいてくれたはずなのに。
それなのに……どうしてこんなにもティーナの声が、遠くから聞こえてきてしまうんだ?
俺はいつの間にかティーナから離れた、どこか遠くの場所にまで一人でやって来てしまったのだろうか?
それとも――。まさか、ティーナが……!?
俺から離れて、どこか遠い場所に行ってしまおうとしているだろうか?
それだけは、絶対にイヤだ……!
ティーナ……頼むから、俺のそばから離れていかないでくれ!
「ティーナ……ッ!!」
俺はベッドの上から、慌てて飛び起きた。
「ハァ……ハァ……」
酷い悪夢にうなされていた気がする。
呼吸は限界まで乱れている。首筋からは、大量の冷や汗が流れ出ているのが分かった。
「彼方様……!? 良かった、起きられたのですね!」
目線を隣に移すと、そこにはティーナが座っていた。
俺の右手はベッドのそばにいるティーナに、そっと握られている。
重いまぶたを必死に動かし、瞬きを何度か繰り返す。そばにティーナがちゃんといてくれた事に、俺は心の底から安堵した。
「ティーナ……ここは、一体どこなんだ?」
「ここは帝国領にあるカラム様のお城の中ですよ、彼方様。彼方様は飛行ドローンの上から落ちて。ずっとここで、眠りにつかれていたのです」
「俺がドローンから落ちた? それは一体、いつの事なんだ?」
おかしい……まるで記憶が無いぞ。
俺がドローンから落ちてしまうなんて、今までにそんな事があっただろうか? どうして俺はそんな大事な事を、何も思い出せないのだろう。
慌てて問いかける俺の様子に、ティーナは目覚めたばかりの俺が、ドローン墜落時の事を何も憶えていない、という状況を察したようだった。
だから事態が分からず、混乱する俺に……。
ティーナは今までの出来事を、時系列を順序立てて一から丁寧に説明してくれた。
「彼方様は、夜月皇帝配下のライオン兵の後を追う為に、飛行ドローンに乗ってこの城から出発されました。ですが……途中で事故に遭い、城に帰還される途中で飛行ドローンごと、どうやら森の中に墜落されてしまったようなのです」
「事故……? 俺はシールドドローンから墜落をして、そのまま森の中で気絶していたという事なのか?」
「ハイ、それもかなり長い間、ここでお休みになられていました。実は彼方様がこの城に戻られてから、もう丸々2日間もお目覚めにならなかったのです。だから私はとても心配したんです。彼方様が目覚めて下さって、本当に嬉しいです!」
ティーナが目から大粒の涙を浮かべて、俺の顔を見つめてきている。
もしかしたらティーナは、俺がベッドで寝込んでいる間、ずっとそばにいて俺の手を握ってくれていたのかもしれないな。
「そうだったのか……。ありがとう、ティーナ。心配をかけてすまない」
俺は感謝の気持ちを込めて、ティーナの手を強く握りしめた。温かいティーナの手の感触が、俺の手に直接伝わってくる。
さっきの夢は、やはり幻だったんだ。
そうさ、ティーナが俺から遠くへ離れていってしまうなんて、あるはずが無いじゃないか。
それにしても……俺が丸々2日間も、ベッドの上から目覚めなかっただって?
ティーナの話を聞いて、俺は不思議な違和感を感じてしまう。だってそうだろう……? 俺にはコンビニ店長専用服があるんだぞ。
例えシールドドローンから墜落をしてたとしても、一日に3回だけは、俺の身を完全ガードしてくれるコンビニ店長専用服の自動防御機能が発動するはずだ。
俺はシールドドローンに乗って、空を自由に飛行出来る技術を獲得するまでに……。コンビニ共和国の中で何度も一人で飛行練習を繰り返した。そして、ドローンからの墜落経験だって沢山してきている。
でもその時だって、墜落のショックで意識を失うなんて事は一度たりとも無かったぞ。
それなのに……。今や、熟練の飛行技術をマスターしているはずの俺が、ドローンから墜落をして。しかも、丸々2日間も目覚めないなんて事が、本当に起こり得るのだろうか?
俺は、心配をしてくれたティーナを不安にさせない為にも。
頭の中によぎった不安は、顔には出さないようにしておく事にした。
そして自分の身に何が起きたのかを、墜落する直前の記憶にまで遡って何とか思い出そうとする。
でも……ダメだ……。
本当に何も思い出せない。何か記憶の中にある『大切なパーツ』の一部が、欠損してしまっているような気がする。
シールドドローンを飛行していた俺は、『何か』に遭遇したような気がするんだ。それなのに、その大切な何かが一切思い出せないなんて。こんな事、今までは絶対に無かったのに……。
「あっ、変態お兄さん! 良かった、目を覚ましたって聞いて。もう、あたいは本当に心配したんだからな!」
「コンビニの勇者様、本当に良かったです! お目覚めになられたのですね!」
寝室の扉を開けて、2人の少女が勢いよく俺のもとに駆け寄って来た。
1人は全身がもふもふの猫の毛で覆われている、元盗賊兼、もふもふ娘のフィートだ。
そして、もう1人は……。
「良かった、ティーナさん。どうやら傷の具合も大丈夫そうですね。この世界を救って下さる勇者様のお体に、少しでもお怪我や後遺症が残っていたらどうしようと、私は本当に心配で夜も眠れませんでしたから」
「アリスはホントに心配性だにゃ〜! 大丈夫だよ、この変態お兄さんは、いつも『もふもふ、もふもふ』ってあたいが言ってれば、ニンマリといやらしい顔を浮かべて、すり寄ってくる変人の勇者なんだからさぁ〜!」
「アリスさん、私からも心からお礼を述べさせて下さい。彼方様がこうして目を覚ましてくれたのも、きっとアリスさんの治癒魔法のおかげだと思いますから!」
ティーナともふもふ娘のフィートが、揃って黒髪で青い瞳をした少女に感謝の言葉をかける。
えっと……。
その黒髪の女の子は、一体誰なのだろう?
俺の全然知らない子が、みんなの中に混ざっているみたいだけど。
「……ティーナ、その黒髪の子は誰なんだ?」
俺が疑問に思った事を、ポツリと呟くと。
寝室にいる、俺以外のメンバーは揃って顔を見合わせ。全員で一斉に驚いたような表情を浮かべていた。
「……彼方様、やはりドローンから墜落された時の記憶が、まだ戻らないのですね」
「えっ……?」
目を点にして、呆然としている俺に。
ティーナとフィートが、俺の知らない黒髪の少女――『アリス』の事を俺に話してくれた。
何でもこのアリスという黒髪の少女は、ドローンから落ちて意識を失った俺の体を背負い、この城まで運んできてくれたらしいのだ。
オサームの息子であるカラムが治めるこの城から、俺は飛行ドローンに乗って、逃走するライオン兵を追って外へと飛び出した。
城の外に出た俺は、森の中に潜んでいたライオン兵を見つけだし。どつやらそいつを無事に仕留める事に成功したらしい。
そしてその帰り際に、森の中で盗賊達に襲撃されている行商人の馬車を発見した。そこで盗賊達の魔の手から救い出したのが、この黒髪の少女アリスだ。
俺は救出したアリスをドローンに乗せて、そのまま一緒に城へと帰還をしようとしたのだが……。
空中で突然、謎の発作を起こし。呼吸を乱して苦しみながら、意識を失ってしまったらしい。
そしてそのまま一緒に乗っていたアリスと共に、ドローンごと森の中に墜落してしまったという事だった。
幸い、コンビニ店長専用服の自動防御機能が発動し。俺も、アリスの体も、大きな怪我をする事は無かった。
だが……なぜか俺だけは、墜落現場でずっと目を覚まさなかった。
俺が盗賊達から救い出した少女、アリスはこの世界では珍しい回復魔法の使い手だったらしい。
アリスは自身の持つ治癒魔法を俺にかけながら、俺の体を背中に背負い。自分の命の恩人である勇者の体を一人で必死に担ぎながら、この城まで何とか俺を連れてきてくれたとの事だった。
「……そうか。そんな事があったのか。でも、どうしてだろう? 俺はそんなに大切な事を何も思い出せないなんて」
「もしかしたら墜落の衝撃で、脳に強い衝撃が加わってしまったのかもしれません。きっと軽い脳震盪のような状態になってしまったのでしょう。今は、思い出せないかもしれませんが……。時間が経つにつれて、ゆっくりと直前の記憶も回復してくると思います」
黒髪の少女、アリスが俺に丁寧に説明をしてくれた。
アリスは回復魔法が使えるだけあって、医療や医学についての知識もあるようだった。
脳震盪か……。確かにその可能性が強そうだな。ドローンから墜落した時に、もしかしたら頭の当たり所が少し悪かったのかもしれない。
もしこれで、コンビニ店長専用服の自動防御機能が無かったなら。きっと俺もアリスも即死をしていたに違いない。
でも、発作を起こしたというのは気になるな。それは何かの病気によるものなのだろうか?
異世界の勇者のチート能力でも、病気は防げないのだとしたら厄介だ。一度、回復術師の香苗に、しっかりと体を診てもらった方が良いかもしれないな。
どちらにしても、回復魔法の心得があるというアリスにすぐに応急手当をして貰わなければ、もっと酷い後遺症が残っていた可能性があった。
そう思うと、俺はまだハッキリとは記憶を思い出せないが……。
意識を失ってしまった俺の体を、ここまで運んで来てくれた黒髪の少女に、俺は感謝の言葉をかけるべきだと思った。
「ありがとう、アリス。どうやら俺は、君のおかげで助かったみたいだな」
「いいえ、私の方こそ。盗賊達に襲われていた危ないところを、コンビニの勇者様に助けて頂き、本当にありがとうございます」
「……でも、アリス。君は足を怪我しているのに、どうやって俺の体をこの城まで運んで来たんだ? 片足だけで俺の体を背負うなんて、大変だったろうに」
「えっ、足の怪我ですか? それは一体、何の事でしょうか……?」
「――彼方様?」
「んん? 変態お兄さん?」
みんなが俺の言葉に、驚いたような反応を浮かべている。
「……アレ、みんなどうしたんだ? 俺、何かおかしな事を言ったのか?」
「いやいや、おかしな事を言ったよ、変態お兄さん! アリスが足が怪我をしているって……それ、何の事なんだ?」
――!?
フィートに突っ込まれて、今度は俺自身が驚く。
そして、目線をゆっくりと。
アリスの足下に移動をさせると――。
アリスは『杖』を持っていなかった。
足を怪我しているような様子はまるでない、2本足でその場に普通に立っている。
俺達の間に、しばらく無言の時間が流れる。
俺の頭に残っているわずかな記憶の断片と、みんなの話す内容が噛み合わない。これは一体、どういう事なのだろう。
「……えっと、俺はまた、何かおかしな記憶違いをしたみたいだ。すまない、今のは忘れてくれ。たぶん本当に脳の回転がまだ上手く回ってないんだと思う」
「彼方様は、まだ目を覚まされたばかりですから。どうかゆっくりと、体を休めて頂いて大丈夫ですからね!」
「変態お兄さんもずっと働きづくめだったし〜。少しくらいはベッドでぐうたら、食っちゃ寝するくらいが丁度良いんじゃないのかにゃ〜?」
「ハイ、私もそう思います。勇者様はまだ一時的な記憶混濁を起こしている状況だと思います。それはしばらくすれば治るはずですから……これから、ゆっくりとリハビリをしていきましょう!」
ティーナ、フィート、アリスの3人が。
俺を元気付けようと、微笑みながら励ましの言葉をかけてくれた。
「そ、そうだよな……。うん、確かに少し疲れが出ちゃってたのかもしれないな。少し休めば、きっと良くなるような気がするよ」
「では、私は彼方様の食事をコンビニから持ってきますね! 彼方様、いつもの『ティーナセット』で大丈夫ですか?」
「ああ、ティーナ特製のコンビニランチで構わない。俺、今気付いたけど、めっちゃお腹を空いているみたいなんだ。きっと脳に栄養があまり回っていないような気もするし」
「そりゃ〜、2日間も丸々寝込んでいたんだからにゃ〜! 変態お兄さん、ご飯はちゃんとしっかり食べた方が良いと思うぜ〜!」
「そうですよ。例え寝ている間でも、体の細胞は常に栄養を欲しているのです。脳内にも栄養を回すのでしたら、甘い糖分が多く含まれたものを食べるのが良いと思います」
ティーナとフィート、そしてアリスが共に俺に心配の声をかけてくれた。
「分かりました、すぐにお待ち致しますね!」
ティーナが笑顔で返事をして。駆け足で寝室を出ていく。
ティーナ特製のセットは、きっといつもの定番メニューだ。
BLTサンドに、甘いミルクティーの組み合わせだろうから、目覚めたばかりの俺の脳内に、栄養を行き渡らせるには丁度良いと思う。
そんな俺とティーナの様子を見ていたアリスが、小声で突然話しかけてきた。
「勇者様とティーナさんは、とっても仲が良いのですね……!」
黒髪のアリスが、俺の目を見つめながら。
どこか遠くを見つめているような、憂鬱な顔色を浮かべているように感じる。
俺はそんなアリスの姿を見ていると。
表現しようのない不思議な違和感を、どうしても感じてしまう。そして、どこかで体が震えるような悪寒もするんだ。
このアリスという少女は、俺がずっと寝ていた間に。ティーナやフィートとも、だいぶ親しくなっていたようだ。
まるで友達同士のように、3人の仲は良い姉妹のようにさえ見えた。
それでも、俺はどうしてもアリスに対する……心の奥でモヤモヤとした感情が払拭出来ずにいた。
それは形の無い『異物感』と呼んでいいだろうか。
本来ここにはいない、存在していなかったはずの何か。
そんな異物が、俺の大切な仲間達に中に急に混ざり込んでしまったような、嫌な胸騒ぎを心のどこかで感じてしまっている。
この変な感情は、一体どこから来るのだろうか?
やはり、俺の脳内にはドローンから墜落した時の衝撃がまだ強く残っていて。
新しくコンビニの仲間に加わったアリスという、新参者を受けとめる事が、まだ出来ない精神状態に陥っているのかもしれないな……。
たぶん、もう少し時間が経てば、もっとすんなりとアリスの事も受け入れられるようになるのかもしれない。
そんな、困惑をする俺のもとに。
寝室のドアを勢いよく開けて。よく聞き覚えのある、2人の声が室内に響いてきた。
「……彼方、大丈夫? どこにも痛みはないの!?」
「コンビニの勇者殿、意識を取り戻されたのですね! 良かったです!」
寝室に入って来たのは、バーディア帝国皇帝のミズガルドと、ドリシア王国女王のククリアの2人だった。




