第二百四十七話 幕間 螺旋階段の魔女達②
「ロジエッタですって? その名前は、確か………」
枢機卿が驚きの声をあげる。
そう、彼女はその名前に聞き覚えがあった。
シャルテナは俯きながら、申し訳なさそうに枢機卿に対して説明を続ける。
「……そうなのです。私もあなたからの報告を聞いて、とても驚きました。混沌の魔女とも呼ばれている彼女は現在、グランデイル王国に所属していて。女王であるクルセイスに仕える、親衛隊長の肩書きを持っているようなのです」
大陸に覇を唱えようと、現在進行形で世界中の全ての国に対して、侵略戦争を繰り広げている東のグランデイル王国。
そのリーダーでもある、女王クルセイスを守護をする親衛隊長として。薔薇の騎士団を率いているのが、赤い薔薇を身にまとう真紅の騎士ロジエッタだ。
枢機卿も、カルタロス王国において開かれた第一回目の世界会議において。薔薇の騎士のロジエッタが、グランデイル王国代表として会議場に出席している姿を目撃している。
グランデイル王国の親衛隊長であるロジエッタは、城塞都市カディナの攻略や、バーディア帝国の侵略部隊にも参加して。グランデイル軍の将軍として、数多くの戦果を残しているという報告も部下達から受けていた。
「………グランデイル王国の親衛隊長を務めているロジエッタが、シャルテナ先輩の古い知り合い? そして私達と同じ、かつては女神教に所属していた不老の魔女でもあるというのですか?」
枢機卿が不審がるのは当然だ。
ただでさえ、胡散臭い風貌と言動を持ち。女神教を裏切ったクルセイスの片腕として行動をしているあの女が、自分達と同じ魔女であり。
5000年前のコンビニ大戦以前から生き続けている、シャルテナと同様の古参の魔女だなんて、とても信じられる訳がない。
「ロジエッタは、私の古い友人でした。彼女もまた、女神アスティア様から魔王種子を授かり。不老の魔女として、当時の女神教の実戦部隊を指揮していた、武闘派の魔女達のリーダーでもあったのです」
「………それほどの実力を持った魔女が、どうして現在はグランデイル王国の味方をしているのでしょう? クルセイスはアスティア様を裏切り。現在は女神教に敵対する行動を取っているというのに」
枢機卿には、自分よりも永くこの世界に生きている魔女がシャルテナの他にも存在していた事。
そしてその魔女が、敵対するグランデイル陣営に属する騎士として。女神に対して反旗を掲げる行動をしている事が全く理解が出来ない。
「女神教に所属し、そして魔王種子をアスティア様から授かった全ての魔女が、アスティア様の目的に賛同をしている訳ではありません。中には女神様の真なる目的を知り、女神教から離反してしまう者もいるのです。玉木、あなたが女神教を統率するようになってからは、厳しい戒律と厳格なルールによって魔女達をしっかりと管理出来るようになりましたが……。以前は、そうでは無かったのです」
シャルテナの言葉に、枢機卿は無言でその意味を理解した。
女神アスティアの崇高な目的は、決して万人に同意が得られるものではないだろう。
それは、現在の女神教という組織においても同様だ。
9つの魔王種子の管理を女神から託されている、女神教の最高幹部である不老の魔女達。
その者達の中で、いわゆる高い戦闘能力を買われて武闘派の魔女として女神教に所属している3本指の魔女達。そして生まれながらに持つ、遺伝能力を評価され。枢機卿によって子供の時から育成されている魔女候補生のメンバー達。
彼らは、実は女神アスティアの真なる目的を全く知らされていない。
彼らは直属の上司であり、女神の代弁者たる枢機卿に対してのみ忠誠を誓っているだけなのだ。
もし……女神アスティアの真なる目的を、彼らが知ってしまった時。
身も心も全てを捧げて、女神に心からの忠誠を誓っている者を除けば……。相当数の離反者が出てしまうのは、やむを得ない事だろうと枢機卿も考えていた。
「………では、ロジエッタもアスティア様の真なる目的を知り。その意思に反して、女神教を自ら離反した魔女の1人という事なのでしょうか?」
枢機卿の問いかけに、シャルテナは無言で頷く。
「残念ですがその通りなのです、玉木。ロジエッタは元々、この世界を1人で生きていくのに十分過ぎる強い力を持っていました。不老の力を得た者の中には、その力をまるで魔王のように、自らの欲望を満たす為だけに使用して、女神教から離れていく者もいるのです」
「………それで武闘派の魔女の人数を、現在は最小限に制限しているという訳なのですね。力をつけ過ぎた魔女は、我々から離反をする可能性がある。そう、アスティア様はお考えなのですね………」
枢機卿は、静かに目を閉じて考え込む。
魔王種子を10個も必要とする、今回の大規模な魔法実験。それを行うには自分が所持する物も含めて、現在……不老の力をもたらす魔王種子を、女神から預けられている魔女達から。その所有している魔王種子を、全て女神に返却させなければならない。
現在、魔王種子を与えられているのは9人の魔女達だ。
その中から、不老の力を失ってしまう事を恐れて。女神教を離反する者が、一体どれだけ出るだろうか?
シャルテナの元で、女神アスティアと常に一緒に過ごし。『不死』をもたらす魔法研究に、日々を明け暮れている学者の魔女達には、その心配はないように感じる。
彼女達は心から女神アスティアを崇拝している。
何よりも、共に魔法研究に携わる仲間として。彼女達はアスティアの真なる目的を最初から理解しているからだ。
一番、問題なのは……。
まだアスティアの目的を知らされていない、自分を除く3人の武闘派の魔女達。『3本指』の魔女達の意思はどうだろうかと、枢機卿は深く思案する。
序列第三位であり、3本指の中では最強といわれる血塗れのカヌレは、きっと心配ないと思う。
彼女は決して、枢機卿である自分には逆らわない。
問題なのは……序列5位と、序列7位に位置している武闘派の魔女、オペラとエクレアの2人だろう。
彼女達は、もし女神アスティアの真なる目的を知り。自分達が持つ魔王種子を取り上げられ。不老の力を失うと分かった時に、女神教に対して反乱を起こすという可能性はどれくらいあり得るのだろうか?
仮にもし、そのような事が起きてしまったのなら。
反乱を起こした2人の魔女を処分して。彼女達から魔王種子を奪うのは……暗殺者である自分の役目だと枢機卿は考えている。
自分はそうして、この5000年近い年月を。
ずっと女神の為だけに尽くす、『最強の暗殺者』として過ごしてきたのだから。
「………シャルテナ先輩、ロジエッタの事については理解を致しました。ですが、先輩と同様に。遥かなる永き時をこの世界で生き抜いてきた彼女が、どうしてこのタイミングで、再び歴史の表舞台に出てきたのだと先輩はお考えですか………?」
枢機卿の問いかけに、シャルテナは深い吐息を吐く。
そして、慎重に言葉を選ぶようにして口を開いた。
「――おそらくは、ロジエッタも今、この世界が歴史の最終局面にある事を理解しているのでしょう。女神アスティア様の願いがとうとう成就するこの時に。古のコンビニの大魔王が復活し。そして、世界各国で野心を持つ巨大な勢力が一斉に蜂起して動き始めました。この世界を混沌に導く事を愉悦としているロジエッタにとっては、今が最も世界を大混乱に陥れる事の出来る、好機と判断をしたのだと思います」
東のグランデイル王国が動き出し。
その他にも、野心を抱いていた幾多の勢力が一斉に動き出したこの激動の時代。
100年近く、人類と戦争を繰り広げてきた動物園の魔王と黒魔龍公爵が死に絶え。魔王領においては砂漠の魔王モンスーンがその命を落とした。
そして、この世界にとって最も脅威であるコンビニの大魔王の勢力が、北の禁断の地から5000年の沈黙を破って南下を開始する。
……確かに。今が最もこの世界にとって、混乱に満ちた時代である事は間違いない。
混乱の魔女であるロジエッタは、その中から自分が加わる事で、最も面白くなるであろう陣営に肩入れをしている、という事に過ぎないのかもしれない。
「………分かりました。確かに、今のグランデイル王国は女神教にとって、脅威をもたらす存在である事は間違いありません。私達が魔王領を制圧して。残る2名の忘却の魔王を撃破した後には、真っ先にグランデイル王国を滅ぼす事に致しましょう。私もあの裏切り者のクルセイスを、決して生かしておく事は出来ませんので」
いつも通り感情を表に出さない、枢機卿の静かな口調の中に。
シャルテナは、枢機卿が固い決意と強い闘志を抱いているのを感じ取った。
おそらくは、枢機卿自身も……。これから起きる戦いが、この世界で永遠とも思える時を生き続けてきた自身の人生の、その最後のゴール地点になると、直感しているのかもしれない。
「――玉木、お願いですから無理だけはしないで下さいね。あなたは、女神アスティア様の大切な親友です。あなたが命を落とすような事があったなら、アスティア様はきっと深い悲しみに暮れてしまう事でしょう。それにコンビニの大魔王はあなたにとって、因縁のある宿敵です。再び、あなたの恋人であった者と戦う事になる事を、アスティア様も深く心配されておりました……」
心配をするシャルテナの言葉に、枢機卿は深々と頭を下げた。
「………ありがとうございます。ですが、私の事なら大丈夫です。私は女神教を統率する最高責任者、枢機卿なのです。アスティア様から与えられた責任は必ず、最後までやり遂げてみせます」
固い意志を示した枢機卿は、その後……ふと、何かを思い出したかのように、急に黙り込んだ。
そして小さな声でシャルテナに問いかける。
「………シャルテナ先輩は、『桜』という名前の花をご存知でしょうか?」
枢機卿の突然の問いかけに。
シャルテナは首を傾げながら、返答をした。
「――桜、ですか? いいえ。私には聞いた事がない名前の花です」
枢機卿は頭上をゆっくりと見上げて。
漆黒の闇に包まれた、螺旋階段の真上を見つめながら語り始める。
「………私には生きているうちに、どうしても、もう一度だけ見たいものがあるのです。私の生まれ育った世界には1年に一度だけ、春の季節に満開に咲き誇る『桜』という名前の美しい花が存在していました」
それは枢機卿の故郷にある、遠い異世界に存在する花の名前。
枢機卿が生まれ育った、日本という名の国において。美しいピンク色の花びらを、1年に一度……春の季節にだけ咲き誇らせる花の名前であった。
異世界人であるシャルテナには、その『桜の花』というものが、一体……どういう花なのかを頭の中でイメージする事が出来ない。
そして実は、枢機卿にとっても。
桜の花の美しさが、どのようなものであったのか。実はもう、思い出す事が出来ないでいた。
この世界に召喚された暗殺者の勇者にとっても。桜の花を見たという想い出は、大昔に体験をした曖昧な記憶と成り果ててしまっている。
――そう、本当にあまりにも長く。
永遠の孤独に包まれた、寂しい人生だったと思う。
この世界で、不老の存在である魔女となり。5000年も前になる大昔に、たったの17年間だけ過ごした『日本』という国の故郷で……。
毎年、家族と一緒に見上げていた懐かしい故郷の花。
そのピンク色の桜の花びらが、限られた春という名の季節の短い時間の中で。満開になった桜の木から、花びらを舞い散らせて落ちていく光景が……とても美しかったという感情だけはよく憶えていた。
それは遠い過去の記憶の中にあっても、決して忘れる事の出来ない鮮やかな想い出となり。
今も枢機卿の記憶の中に、鮮明に刻み込まれていた。
枢機卿は、その桜の花びらを毎年――実の姉と2人で見上げる事をとても楽しみにしていた。
大好きな姉と過ごした懐かしい記憶は、枢機卿にとって。心の支えとなる本当に温かい想い出だった。
もう、しっかりとは思い出す事は出来ないけれど。あの桜の花が一面に咲き誇る美しい光景だけは、この世界に存在するどんなに綺麗な花であっても、決して凌ぐ事は出来ないだろう。
もし、叶えられるのなら……。
あの美しい桜の花を、もう一度だけ見てみたい。
自分の事を待ってくれているのかどうかも、今はもう、分からないけれど。大好きだった姉と一緒に、もう一度だけ、満開に咲き誇る桜の花の景色を……ほんの数秒だけでもいいから、一緒に見上げてみたい。
その些細な願いが叶うのなら……。
私の命なんて。いつ散ってしまって構わない。
その願望だけが、今の枢機卿にとって。
この世界を永遠に生き続けてきた、たった1つだけの生きる目標であり。
恋人も、クラスメイトも、全てを失ってしまった彼女が、人生の最後に願う唯一の生きる道標となっていた。
その小さな目標を、達成する為だけに。
一体どれだけの人間を、この世界で殺し続けてきたのかさえ、もう憶えていない。
そしてこれからも、更にどれだけ多くの人間達を殺し続けていく事になるのか、想像さえつかない。
玉木は、親友であるアスティアの願いを叶えてあげたいと心から思っていた。そして、もし叶うのであれば……。自分自身も、もう一度だけ故郷の日本に帰りたいのだ。
本当は不老の力なんて要らない。
そんな物を求めた事など、一度たりとも無かった。
ただ、女神アスティアの切なる願いと。
自分自身の真なる目的が叶うのならば、それだけでいい。
例え再び、コンビニの大魔王の『秋ノ瀬彼方』と戦う事になったとしても。
自分がこれまで、この世界で生き続けてきた最後の目標を叶える為に。
玉木は全身全霊を賭けて、これから始まる最後の戦いに自らの命をかけて挑むであろう。
枢機卿の話す『桜』の花の事が全く理解出来ずに、その場で困惑しているシャルテナに。
枢機卿は珍しく、クスりと笑ってみせた。
そして、シャルテナに対して再び深く一礼をすると。今度は踵を返して、螺旋階段を登り始めていく。
「……玉木。アスティア様に会ってはいかないのですか?」
シャルテナは慌てて、枢機卿を呼び止めようとした。だが、枢機卿は後ろを振り返る事なく、静かに前に向かって進み続ける。
「………アスティア様に、少しでもご安心して頂けるように。私はこれから急いで10個目の魔王種子を確保して参ります。動物園の魔王は黒魔龍公爵の自爆と共に消滅してしまったようですが、まだ魔王領には残り2つの魔王種子が残っています。部下達と共に、今度こそそれらを必ず手に入れて参ります」
そう、シャルテナに伝えて。
枢機卿は足早に、螺旋階段を上へ上へと進んでいく。
もう枢機卿は、決して後ろを振り返る事はなかった。
やがて無限に続く地底の螺旋階段を登り終え。
地上にやっと姿を現した枢機卿のもとに。
2人のカニバサミを付けた少女達が、息を切らしながら足早に近寄ってくる。
「枢機卿様ぁ〜、一体どちらにいらしてたんですかにぃ〜?」
「女神教の主力部隊は、パルサールの塔に全員集結済みですかにぃ〜。魔女候補生達も、みんな久しぶりに再会出来て、同窓会みたいに大盛り上がりですかにぃ〜!」
紅白カラーのカニ姉妹達から、女神教の軍隊が集結を果たしたという報告を受ける枢機卿。
女神教の統率者たる枢機卿は、カニ姉妹達にいつも通り冷静に指示を与えていく。
「………分かりました。3本指の魔女達を先発隊として、先に暗黒渓谷に向かわせて下さい。まずは、忘却の魔王の1人。暗黒渓谷のシエルスタを討ちます」
「了解ですかにぃ、枢機卿様!」
「お任せ下さいですかにぃ、枢機卿様!」
カニ姉妹達が、枢機卿の指示を伝える為に。
女神教の主力部隊が待つ、パルサールの塔の外に向かって駆けていく。
その後ろ姿を見届けながら。枢機卿は静かに、誰にも聞こえないような小声で独り言を呟いた。
「………本当は、彼方くんのコンビニに立ち寄れるのなら。事務所のパソコンで大量の黒いサングラスを発注して、部下達に配って回りたいくらいなのに。砂漠の魔王モンスーンを失ったとしても、残り2人の忘却の魔王達は強敵です。特に『虚無』のカステリナとの直接対決だけは、絶対に避けなくてはなりません。下手をすると、こちら側が全滅をさせられてしまうなんて事も十分にあり得ますからね」
懐かしいコンビニの事務所の事を思い出して。
枢機卿は自分が微笑を浮かべている事に気付いた。
故郷の日本に帰るという、自分がこの世界で永遠に生き続けてきた――唯一の希望。
それがもし、あのコンビニの大魔王の『秋ノ瀬彼方』が実は、生きていたという事を知った今なら。
もしかして、自分自身の目標が変わるような事があるのだろうか……と。
枢機卿は自分自身の孤独な人生に対して、思わず自問自答をしてしまうのだった。