第二十三話 地竜『カディス』
「ええっ!? 俺のコンビニを閉店する……?」
区長さんの突然の爆弾発言に、俺は激しく動揺した。
いやいや、だってそうだろう?
温和な区長さんから、まさかそんな言葉を突然言われるなんて、思いもしなかった。
こういうのって何て言うんだっけ? ほら、ことわざにもあったよな。たしか『青天の霹靂』だっけか?
雲一つない澄み渡るような青空に、突然雷鳴が鳴り響くような、予想外な事が起きたって意味だ。
俺にとってはまさに今が、ピッタリそのことわざに当てはまる状況なんだけど……。
さっきまでにこやかにプリンを食べながら談笑していたのに、一体何でこんな話になったんだ?
区長さんの言葉に驚いたのは、玉木やティーナも同じらしい。2人とも目をパチクリとさせながら、俺と区長さんの顔を交互に見回していた。
「それは一体どういう事なんですか、区長さん?」
俺は急いで区長さんに問いかけてみる。
「秋ノ瀬さんはこの壁外区に来て、まだそんなに日が長くないので多分、知らないとは思いますが……。実はこの壁外区には、4年に一度だけ訪れる『大きな脅威』が存在しているのです」
「大きな脅威、一体何なんですかそれは? それと俺のコンビニが閉店する事と、何か関係があるんですか?」
「ええ。でも誤解をしないで欲しいのは、私やここの住人はみんな秋ノ瀬さんのコンビニが大好きだという事です。だからこの壁外区で暮らす人々にとって、最も大切なコンビニを守る為に、秋ノ瀬さんにはここから避難をして欲しいと願っているのです」
「俺のコンビニを守る為に、ここから避難をして欲しい?」
うーん、まだよく分からないぞ。
とりあえず何かは分からないが、恐ろしい危機がこの壁外区に迫っている。だから俺のコンビニには一時的に、ここから避難して欲しいという事みたいだな。
「――それにはオレも賛成ですぜ。旦那!」
「うおっ? いきなり誰かと思ったら、ザリルか! お前、一体どこから入って来たんだよ!」
気付いたら、いつの間にかにザリルが俺の真横に座っていやがった。こいつは商人としての才能だけじゃなく、忍術の心得まであったのかよ。
「……いや、フツーにコンビニの入り口から入って来ましたよ、旦那。旦那が話に夢中で、俺に気付かなかっただけですぜ」
そ、そうなのか? と視線でティーナに問いかけると。ティーナがコクコクと頷いて、返事をしてくれた。
そっか。きっと区長さんの爆弾発言に動揺をして、俺は周りが見えなくなっていたのかもしれないな。
「それで急に話に参加してきて、『オレも賛成』ってのはどういう意味なんだ、ザリル? 朝霧の捜索の件はその後、進展しているのかよ?」
「へへへ……。そっちの方はまだあまり情報は掴めていないんですがね。でも、今の区長さんの話にはオレも賛成させて貰いますぜ、旦那」
ザリルが頭の後ろを手で掻きながら、少しバツの悪そうに舌を出す。
俺達のクラスメイトで、グランデイルの街から失踪してしまった朝霧の捜索が、なかなか進展していない事を、こいつなりに申し訳なく思っているらしかった。
「旦那……。旦那はまだ知らないでしょうがねぇ。この辺り一帯にはね、出るんですよ、アレが」
「『アレ』が出るって、一体何だよ? まさか、幽霊が出るって訳でもないんだろ?」
「ヘッヘっへ。まあ、幽霊とか妖怪の方がよっぽど可愛げがあるとオレは思いますけどね。でも、そんな生易しいモノじゃないんですよ。ここに出る化け物って奴はね……」
何だよ。
幽霊よりも怖いモノって、一体何なんだよ。
みんなして、俺を驚かそうとしてくるなよな。
ちなみに俺は、ホラー映画が超苦手だ。特に和製のホラーはマジで怖いし、背筋が凍るくらいに恐ろしい。
西洋のホラーなら、なんとなくSFやファンタジーの延長のような視点で見れるんだけどな。和風のは妙に現実的というか生々しいというか、背筋がぞくっとする感じがして、俺はめちゃくちゃアレが苦手なんだ。
だから俺にとっては、幽霊以上に怖い存在なんてこの世には存在しないと言ってもいいんだが……。
「秋ノ瀬さん。カディナの街が、どうしてあれだけ高い壁に周囲を囲まれているのかを知っていますか?」
「街が壁に囲まれている理由ですか? いいえ、特に聞いたことはなかったです。多分、敵国からの侵略とかに備えての防衛とかそんな感じなのかなと、漠然と思ってはいましたけど……」
「いいえ。実はそうではないのです」
区長さんが真面目な顔で言葉を区切る。
周りを見ると、ザリルやティーナも神妙そうな顔つきをしていた。どうやらこの辺りの事情を知らないのは、異世界から来ている俺と玉木だけのようだな。
「この地方には昔から『カディス』――と呼ばれる、巨大な地竜が住みついているのです」
「えっ、『竜』ですか? 竜って、ええっと……。やっぱり翼が生えていて、長い首や大きな尻尾が付いている、あの大きなモンスターの事ですよね?」
「カディスは地竜ですので翼は付いていません。でも、今の魔王が魔物を生み出すようになる以前から、この地に住み着いている太古の魔物なのです。普段は山奥に篭っている事が多いのですが、4年に一度だけ、山から降りてこの地にやってくるのです」
ええっ、ちょっと待った!
何でこんな街中に、ファンタジー世界ではお約束の、あのドラゴンが襲ってくるんだよ。
むしろそんな危険なモンスターがやって来る所に普通、住もうとは思わないだろう。何でわざわざそんな危険な所に、街を作ったりしたんだよ。
あっ、そうか……。俺が頭の上に、豆電球を浮かべたような表情をしたのに気付いて。
ザリルがここぞとばかりに解説をしてきた。
「そういう訳なんですぜ、旦那。だからカディナの街はあれだけ高い壁で周囲を囲っているんです。あの豪華な壁は何も見世物って訳じゃない。本来はこの地方に住まう凶悪な地竜対策って訳なんです」
いやいや、あんな立派な壁をわざわざ作るくらいなら、そんなのが襲って来ない地域に街を作ればいいんじゃないのか?
よっぽどお金が余ってる奴が、道楽で作ったとかなら分かるけど……。
ああ、そうか。あの街の中に住む住民はみんなお金持ちなんだったけな。あれくらいでかい壁を築くのも、余裕って事なのか。
ここが危険な地域だと分かっていても、わざわざここに巨大な街を建設する。自分達の財力は凄いから、壁を作って安全な街を作り上げてみせただぞ……って、自慢でもしたかったのかな?
それとも危険だと分かっていてもここに住まうだけの価値があるって事なのか? 例えば何か貴重な資源があるとか。ここでないと取れないとかレアな鉱物があるとかさ。
そういえば、街に働きに行ってる連中のほとんどはカディナの街の近くにある、鉱山に集団で働きに行っているって聞いた事がある。
確か貴重な鉱石が取れるとかなんとかって言ってたな。つまりは多分、そういう事なんだろう。
「……でも、それならこの壁外区の住民はみんなどうしてここに住んでいるんだ? そんな危険な場所に住んでたら、たくさんの犠牲者が出てしまうだろう?」
「まぁ、そこがまた実に悩ましい所なんですよ、旦那。このカディスって地竜なんですがね。これが実に変わった奴でして、襲ってくるのは必ず4年に一度だけ。それも別に街を破壊する程の大暴れをする訳でもなく、一回の襲撃でせいぜい50人くらいの人間を喰らったら満足をして帰っていくという、実に偏食な奴でしてね……」
「はぁ? それでも50人近くは犠牲が出るんだろ? 十分大きな被害じゃないか……。何でカディナの街の連中はそんな化け物を放っておくんだよ? 街には教会の御用達の騎士団とか、自衛用の軍隊とかが待機しているんじゃないのか?」
「……残念ながら壁の中に住まう人達は、外にいる人達を救う事はしません。地竜カディスがこの辺りに襲撃してくる時期は、カディナの街は周囲の壁の門を完全に閉ざしてしまうのです」
マジかよ……。何なんだよ、ソレ。
俺は思わず悪態をつきそうになったが、直前でなんとか堪えた。
ティーナが下を向いて、ずっと俯いていたのに気づいたからだ。
さっきの区長さんの声色も少し小さかったし。目の前にいるティーナに遠慮をしたのだろうという事が、鈍感な俺にでも流石に分かった。
……そっか。
ティーナは壁の中に住む住人だものな。
それもカディナの街に住まう市民の中でも、かなり力のある大富豪の娘だ。街の中の連中が、壁外区に住む人達に対して冷たい態度を取っているという状況を、カディナ市民側の立場で知っているだろうからな。
きっと区長さんや、ザリルの話を聞いて。ティーナは、いたたまれない気持ちになっているに違いない。
「それで? そのカディスとかいう大きな地竜が襲ってくるとして。ここの住人達はみんな、どうしているんだ?」
「もちろん、大方の連中はここから遠くに避難しますぜ。カディスが山から下りてきたって情報が入ったのもついさっきの事ですからね。街のみんなにもその情報はすぐに伝わるので、ほとんど連中はすぐにでも避難を開始するでしょうぜ。……ただ、中には避難をせずに、家の中に残る住人もけっこうな数で居たりするんですよ」
「避難せずに、ここに残る? 何でだよ! 大きな竜に襲われて食われるかもしれないのに、どうしてわざわざそんな危険な事をするんだ」
俺は訝しげな視線をザリルに送る。
だってそうだろう? 命あっての人生だぞ。死んでしまったら元も子もない。ここに残っていたら危険しかないのに、どうしてわざわざそんな自殺行為を好き好んでする必要があるって言うんだ。
「……まあ、旦那も知っての通りここの住人はみんな貧乏ですからね。その日暮らすのもやっとって人間がほとんどなんです」
「それは俺も知ってるさ。でも最近はそんな状況も少しずつ改善されてきたんじゃないのか?」
自分のコンビニのおかげだ――なんて言うのはおこがましいのは分かっているけどさ。
ここに住む人々が、余裕を持って暮らせるようになってきたって、ついさっきも話してたばかりじゃないか。
「まあ、連中からしたら……やっと居場所をここに作る事が出来たのに。家を破壊されて住処を失ったら、また路頭に迷う事になっちまいますからね。それは死に等しい行為なんですよ。幸い街の全てを地竜が破壊する訳でもないので、運を天にまかせて。祈りながらここに残る住人もいるって事ですぜ」
「いやいやいや――ここに残ってたって、別に地竜に対抗出来る訳じゃないだろう。それなら一時的にでも避難して、地竜が去ってから戻ってきた方が絶対安全だろうに……」
言いながら、俺はこの壁外区に初めてやって来た時の事を思い出していた。
ここに来た新参者は、街の外側に家を建てて暮らす事。それがこの地に住む為の唯一のルールだったはず。
そっか……。
今にして思うと、そういう事かって感じだな。
新参者は必ず外側に家を建てて暮らせって言うここのルールは、この地域に数年に一度だけ災いをもたらす地竜対策でもあったんだな。
カディナの街の壁に近い、内側に住む人達の家は、外側に新参の者が家を建てればその分だけ地竜の被害に会う可能性が減る訳か。外側に住む人が増えてくれれば、安全度が増していく訳だものな。
「まあ、もちろん理由はそれだけではないですがね。病気や怪我で動けなかったり、寝たきりの人等も大勢ここにはいるんです。急な避難に間に合わない連中だって居ます。そういった経済的にも健康的にも弱い住人が、どうしてもカディスの犠牲にはなっちまうんですがね」
「そうだったのか。まあ、何となく大体の事情は分かったけれど。その地竜が襲ってくる間だけでも、ここの住人達を安全な壁の中に避難させてあげるとかは出来ないのかよ。4年に1回くらいの割合なんだろう? 別に毎年って訳でもないんだし。それくらいしてあげても良いだろうに」
「カディナの街の市民は、自分達の安全の事しか考えません。なので壁の外の人達を助けようとはしないんです……」
ずっと俯いて沈黙していたティーナが、小さく言葉を漏らした。
それは本当に申し訳なさと、自分が壁の内側に所属する人間であるという事に、罪悪感を深く感じている悲痛な声色だった。
何だか、それを聞いているこちらの方がつらくなってしまう。
全員がそれ以上は何も言わずに、沈黙する。
俺はティーナにそんな謝罪の言葉を言わせてしまった、自分の失言を悔いた。
ここでの会話は、壁の中に住んでいたティーナにとっては残酷過ぎる。
ここは何とか話を切り替えないといけないな。
「……分かりました。それで俺にコンビニをいったん閉店して、ここから避難して欲しいって言う最初の話に戻るんですね、区長さん」
「ええ。カディスが山を降り、既にこちらに向かって来ているという情報も伝わってきています。早ければ今夜にでも襲ってくるでしょう。その間だけでも、秋ノ瀬さんにはここから避難をして欲しいのです」
区長さんが改めて、俺に向き直る。
その目には真剣な眼差しと共に、俺に対する親愛の念が深く込められている。
「ここで暮らす人々はみんな、昔からとても貧しい環境の中で育ってきました。皆、日々の生活をするのがやっとで、未来に希望を持てない生活がずっと続いていたんです……」
区長さんの話は事実だろう。
まあ、俺も最初にこの壁外区に来た時は、まるでスラムみたいな所だ、って不謹慎にも思ったしな。
最近は俺も、ここの住人達と本当に仲良くなったと思う。だから街のみんなの変化にも気付ける。
みんなが以前より、ずっと笑っている姿を多く見かけるようになった気がする。
「秋ノ瀬さんのコンビニが出来てからは、ここで暮らす人々は、みんな笑顔で過ごせるように成りました。今までと違って、日々の食事にも困らなくなりましたし、壁の中で働いた収入を貯蓄にも回せるようになりました。蓄えたお金で子供にプレゼントを買ってあげる事も出来ますし、新しい家具や衣服を購入する事だって出来るようになったんです」
隣でザリルがウンウンと、大袈裟なくらいに大きく相槌を打っている。
「みんな自分達の人生に、これからの未来に。幸せな希望を持つ事が出来るように成ったのです。――それは全部、秋ノ瀬さんのコンビニのおかげなんです」
「そうですぜ、旦那! ここの連中は旦那のコンビニさえあれば何とか暮らしていけるんです! だから、旦那にはいったん遠くに逃げて、地竜が去って安全になってからまたここに戻ってきて欲しいんですよ」
「彼方くん……」
話を聞いていた玉木が、心配そうにこっちをのぞいてきた。
まあ、それは不安だよな。RPGのボスモンスターみたいなのが突然襲ってくるって聞かされたんだから。
心配するのも無理はない。俺だって初期装備でいきなりモン◯ンの、リオ◯イアと戦うような馬鹿はしたくないのがのが、本音だしな。
そう。そこはまあ、理屈では分かってはいるんだけれども……。
俺はふと、ティーナの方を見る。
ティーナは壁の中に市民権を持つカディナ市民だ。
区長さんやザリルが話している間、ずっと下に俯きながら申し訳なさそうにしていた。
そんなティーナが今は、俺の目を真っ直ぐに見つめている。その瞳の色には、慈愛に満ちた温かい眼差しが含まれているように見えた。
きっと俺の思うようにして行動欲しい――。
俺がどんな決断をしたとしても、私は貴方に付いていきます! って事なんだろうな。
「よーーーしっ、俺は今決めたぞ!!」
俺は大きく威勢の良い声を上げて、椅子から立ち上がる。
「おお、ついに決心が固まりましたか旦那! なら、早速俺の配下の連中に旦那の避難先の場所と、道中の安全確保をさせますから、すぐにでも旦那はコンビニをしまって……」
「いやいやいや、何を言ってんだよ、ザリル? 俺はここから避難するだなんて、まだ一言も言ってないぞ!」
「はあっ!?」
俺の言葉にティーナを除くザリル、区長さん、玉木の3人が、一斉に頭の上に疑問符を浮かべる。
玉木とザリルにいたっては、何言ってんのコイツ?
ぐらいの表情を隠す事なくしてやがるな。
なので俺は、どういう事かを説明する為に。3人に向けて、改めて大きな声で発表をしてやった。
「俺はこの街に残る事に決めたぞ! そのカディスとか言う地竜を……『コンビニの勇者』であるこの俺が退治してやるんだ!!」