第二百二十五話 夜月皇帝の出陣
予想外なククリアの発言に驚き、俺は思わず身を乗りだしてしまう。
「帝国には真の皇帝がいるだって? そんな!? それじゃあ俺とフィートが宮殿から救い出した、あの皇帝ミズガルドはまさか、偽物だっていうのかよ?」
そんな馬鹿な話が……と、俺は耳を疑う。
バーディアの女海賊と周囲からは評され。帝国軍を連れて、初めて魔王軍との戦いに参加する決断を下した若き女皇帝。
ミランダでの戦いでは、魔王遺物である黒い戦車隊を引き連れてきた、豪快で勝気な性格を持つ赤い髪の皇帝ミズガルド。
カルタロス王国主催の世界会議の場にも、ミズガルドは帝国の皇帝として歴史上、初めて顔を出した。
そして、コンビニ共和国と直接戦う事こそなかったが、世界連合軍による大規模遠征にも軍を繰り出し。この世界の表舞台にたびたび顔を出して、その存在感を見せつけてきた皇帝ミズガルドが……帝国の本物の皇帝じゃないだって?
いや、そんな事が本当にあり得るのだろうか。
「コンビニの勇者殿、ボクの言い方が分かりづらかった事を、お詫び致します。今、ティーナ様が隣の部屋で看病されている皇帝陛下は、確かにバーディア帝国の本物の『皇帝』で間違いはないのです。決して偽物だとか、そういった類のものではありません」
「な、なら……さっきの言葉は意味はどういう事なんだ? 真の皇帝ではないと、言っていたじゃないか」
ククリアは、落ち着いた仕草で前髪を整え始める。不思議とその様子は、大人の女性の雰囲気を感じさせた。
やはり紫魔龍侯爵であるメリッサの影響が、ククリアには色濃く出てきているのかもしれないな。
「ボクが……というより、紫魔龍侯爵のメリッサが長い歳月をかけて調べ上げた過去の記憶の中にあった情報なのですが……。東のグランデイル王国と、南のバーディア帝国に、この世界で最も影響力のある女神教にさえ隠し続けてきた、恐ろしい陰謀が渦巻いているという情報があったのです」
「恐ろしい陰謀? それはつまり2つの国には、女神教のリーダーである枢機卿にも隠し続けてきた、秘密があるという訳のなのか」
「そうなのです。今となっては、グランデイル王国のクルセイスが露骨に世界制覇の野望をむき出しにして動き出しているのですから。その情報は、かなり高い信憑性を持つ事になったと思います」
神妙そうな顔を浮かべるククリア。
俺はククリアの、いやメリッサの知っている情報が知りたくて。急いでその話をの続きを、聞かせて欲しいと懇願する。
「頼む、ククリア。グランデイル王国のクルセイスを操る者や、バーディア帝国に影に潜む真の皇帝とは、一体何の事なんだ? 知っている事を俺に全て教えてくれないか?」
「――その事なら我が直接、そこにいるコンビニの勇者に話そうではないか」
「……えっ!?」
俺とククリアの会話に、背後から突然、割り込んでくる女性の声が聞こえてきた。
慌てて振り返ると、そこにはティーナとフィートに肩を担がれている、バーディア帝国の皇帝ミズガルドが立っていた。
「皇帝陛下……お体は、大丈夫なのですか?」
ククリアが驚きの表情で、皇帝ミズガルドをマジマジと見つめる。
「フン。大丈夫な訳はあるまい……。帝都を失い、我の直属の配下であった騎士達のほとんどを失ってしまったのだ。これではもはや、我は皇帝とは名ばかりのただの貧乏貴族と変わらぬ。きっとすぐにでも我は、『皇祖父』様の命で、帝国から追放されてしまうであろうな」
ん? 皇祖父?
一体、誰なんだそいつは……?
もしかして、それがククリアの言っていたバーディア帝国の『真の皇帝』とかいう存在なのだろうか。
「彼方様、すいません。皇帝陛下がどうしても、彼方様の元に連れて行って欲しいと、お願いをされましたので……」
ティーナがお詫びをするように謝ってくる。
「そんな、大丈夫だよ。ティーナ。皇帝の看病をしてくれて本当にありがとう」
俺は疲労しているティーナに代わって、皇帝の肩に自分の腕を回す。
そして倉庫に置いてあった椅子の上に、フィートと一緒に皇帝ミズガルドを、ゆっくり座らせる事にした。
皇帝の体調は、やはりまだ良くないようだ。
顔は紅潮しているし、全身の体温も高いように見える。熱をおびた額からは、冷や汗がこぼれ落ちている。
例え、自分の体の調子がまだ悪かったとしても。どうしても俺達と話をしたいという、皇帝の強い意気込みが感じられた。
「我も貴様達2人には、聞きたい事が山のようにある。交換条件という訳ではないが、詳しく聞かせて貰おうではないか。この世界で今、起きている出来事の全てをな。そして『コンビニの勇者』という存在についての秘密も我に話してもらおう。我も女神教の枢機卿にさえ、隠してきた帝国を影から支配する存在『夜月皇帝』についてを貴様らに伝えようと思う」
皇帝は椅子の背もたれに、体を深く預けてゆっくりと深呼吸をする。
その顔には、どこか緊張感のような重い雰囲気が漂っていた。
望んでいたような、穏やかな形では無かったけれど。とうとう俺達は、コンビニ共和国、ドリシア王国、バーディア帝国の3カ国間での外交会談を、コンビニの中で実現する事となった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「――なるほど。なるほど。帝都がグランデイル軍に制圧されてしまったという訳なのか。ハハハ。案外、あっさりとやれちまうもんだな。バーディア帝国1500年の歴史の中で、帝都が敵勢力に占領されてしまうなんて不名誉な事は、今までに一度でもあったのか?」
そこは、漆黒の暗闇と冷気に支配された氷の大地。
バーディア帝国の領土の最南端に存在する、永久凍土の土地の上に建築された、真っ黒な大聖堂。
その古い聖堂の中に。赤い鎧を着た帝国の騎士達に囲まれている、金色の豪華な衣服を身にまとった、若い青年が玉座の上に座っていた。
黄金の服を着た男の外見は、かなり若い。
見た目だけなら、20代前半の青年と見間違うほどの若さに見える。
夜色の髪色に、紫の瞳。透き通るように綺麗な白い肌には、黄金に輝く豪華なアクセサリーを大量に身に付けていた。
「夜月皇帝様。既に動き出したグランデイルの軍勢は、帝国領の全土に向けて侵攻を開始しております。このまま放っておけば、帝国がグランデイル王国に完全占領されてしまうのも、時間の問題かと思われます。いかが致しましょうか……」
男は部下の騎士からの報告を、ボサボサの髪を右手で掻きながら聞いていた。行儀の悪い態度で胡座をかき、小指で耳の穴をほじっている。
そしておもむろに耳糞のついた小指を、報告をしてきた部下の騎士に向けて飛ばすと――。
「……あっそ。じゃあ、とりあえずお前は死んどけよ」
と、視線を合わさずに無表情な声で告げた。
夜色の髪をした夜月皇帝が、そう命じた途端――。
彼の左右に控えている、ライオンの顔をした大型の『獣人』の騎士達が、一斉に赤い騎士に向かって襲いかかる。
「――!? 夜月皇帝様ッ!! どうか、どうか、お許しを、ぐギャァアアァァァーー!!!」
グランデイル軍によって、帝国領全てが敵に占領されてしまうかもしれないという、不敬な報告をしてしまった赤い騎士。
彼は10人近い、ライオン姿の獣人兵達が持つ鋭い爪によって、一瞬で切り刻まれてしまった。
夜色の髪の青年が座る玉座の床が、赤い鮮血の塗装でべったりと染められる。
「……フン、バカが! オレの支配するこの帝国領が、グランデイルごとき弱小国に支配なんてされる訳がないだろう。まあ、もういい。オイ、誰がこの薄汚いカスの血を掃除しておけよ」
夜月皇帝と呼ばれた男は、冷淡に指示を飛ばす。
そして黄金の衣服を輝かせながら立ち上がり。ツカツカと漆黒の大聖堂の中を1人で堂々と歩き始めた。
「それにしても、グランデイルの地下に潜んでいた『白アリの女王』が、まさかこのタイミングで動き始めるとはな。その配下であるクルセイスも、人間領から女神教徒達を全て追い出すとは、なかなかやるじゃないか」
「……しかし、皇祖父ミュラハイト様。このまま白アリどもを放っておく事は出来ません。白アリを放置すれば、やがてこの世界の隅々にまで巣を広げて、全てを食い尽くす危険性もあります」
付き従うライオン頭の獣人の騎士達の助言を聞きながら、ミュラハイトと呼ばれた男は、再び欠伸を漏らす。
「――なら、とうとうオレが、この氷の大地から外に出る必要があるだろうな。帝国を真に支配する夜月皇帝の初陣だ。せいぜい派手に暴れ回って、歴史にオレの名を刻んでやろうじゃないか!」
皇祖父ミュラハイトは、ハッハッハと大声で笑う。
そして何かを思い出したように。部下の獣人の騎士達にむかって問いかけた。
「それで……あの役立たずの皇帝、オレの孫娘のミズガルドはどうなった? 敵の手に捕まったのか?」
「いえ、どうやら帝都から脱出し、どちらかに落ち延びたご様子です」
「ハッハッハ。無能なくせに、無駄に張り切っていやがったからな。最後にはやっと自分の出来の悪さに気付けたという訳か。まだグランデイルの小娘の方が、君主としては有能だったようだな。フン、まあいい。見つけたらすぐにでも殺しておけ。もうアイツに用はない。後の事は、オレが全部やる。女神教も、グランデイルの白アリ共も。このオレが地上から全て大掃除をしてやる!」
帝国の夜月皇帝は、大聖堂の外に出ると。
建物に前に広がる、広大な氷の大地を見渡した。
そこには既に、重武装をしたライオンの姿をした大型の獣人兵、約2万人が大整列をして待機している。
彼らは帝国の真の支配者である、夜月皇帝の指示を、今か今かと待ち構えているのだ。
皇祖父ミュラハイトの命令だけに従うよう、特殊な洗脳魔法をかけて育てあげられた最強の獣人兵達。その能力は、たった1人で100人の敵兵さえもなぎ倒す、最強の戦士達だ。
「獣人兵どもの人数は、それなりに揃えられたみたいだな。だが、これだけではまだ足りないぞ。これから、グランデイル城に巣食う白アリの女王退治と、女神教徒、そして異世界の勇者達の抹殺を全てこなすんだからな。女神の泉にもっと人間を放り込んで、更なる獣人兵の量産化を進めておけ」
「夜月皇帝様。しかし、この永久凍土に住まう帝国領の人間達のほとんどはもう、獣人化をさせてしまいました。これ以上の獣人兵の量産をするとなると……。材料となる人間の数が足りません」
「……ハァ? そんなのは、その辺に住んでいる人間共を使えばいいだろう? この永久凍土だけでなく、帝国領に住む住人達を片っ端から集めて連れてこい。帝国のピンチなんだ。帝国で暮らす人間共は、皇帝であるオレの為に役に立つ義務があるだろう。女子供問わずに、全員連れてくるんだ。分かったな」
「ハハーーーッ。我々は帝国の真なる支配者、夜月皇帝様の命に従います!」
夜月皇帝は笑いながら、遠い空の先を見渡す。
その視線の先には、無限の野望が渦巻いていた。
この日――帝国領の最南端で。
永久凍土の土地に隠れる、帝国の真の支配者である夜月皇帝が、ついに歴史の表舞台に上がり。敵対勢力との戦いに向けて動き出そうとしていた。