第二百十五話 氷術師の勇者の最後
『裁縫者』の勇者の手から放たれた、無数の黄金の糸が、赤い触手の魔物の体を縫い付けていく。
黄金の糸は、見た目の細さからは信じられない程の強靭な強さと鋭い切れ味があった。暴走する魔物と化した霧島の体を、まるでボンレスハムのように縛り付け。無数に蠢く赤い触手を一瞬で切り落としてしまう。
「……か、桂木くん? その黄金の糸は、桂木くんが出しているの……?」
ぬいぐるみの勇者の小笠原麻衣子が、驚きの声を漏らす。
小笠原には今、目の前で起こっている出来事が全く信じられなかった。
今までずっと、戦闘用の能力を何一つ持っていなかったクラスメイトの桂木真二が……突然、目の前で覚醒したのだ。
それも数百を超えるぬいぐるみ兵達を持ってしても、手も足も出なかったあの凶悪な赤い触手の魔物を……。彼は今、一瞬で無力化させて押さえ込んでいる。
その凄まじい戦闘力の高さは、もしかしたら自分が操るぬいぐるみ軍団の戦力を、遥かに上回るかもしれないからだ。
「――小笠原、俺が霧島をここで押さえておくから! だからお前は、お前にしか出来ない事をこなしてくれ! 後は頼んだぞッ!!」
桂木が後ろを振り返る事もなく。腰を抜かして地面に座り込んでいた小笠原に対して呼びかける。
小笠原は最初は、桂木からかけられた言葉の意味が分からず。一瞬だけぼ〜っとして、たくましくなった桂木の背中をただ見つめていたが……。
すぐに自分に課せられた役割の意味を理解して、桂木に返答した。
「わ、分かったわ……桂木くん! 私に任せて頂戴!」
小笠原は瞬時に飛び起きて、戦闘態勢を整える。
そしてもの凄く小さなボソボソ声で、桂木に聞こえないように……。
『何よ……急に戦闘能力が覚醒したと思ったら、雰囲気まで突然イケメン化しないでよね! 私にだって心の準備があるんだから……』と顔を赤くしながら、桂木への愚痴をこぼした。
黄金の糸で全身を縛り付けらた赤い触手の魔物は、糸による束縛から逃れようと大きく体を震わせた。
そして、絡み合う糸と糸との小さな隙間から……。再び無数の触手を生み出し。
この黄金の糸を生み出している裁縫者の勇者を、強制的に排除しようと襲いかかってくる。
「――連続黄金刺繍、必殺、ジグザグ縫いッ!!」
縛り付けていた黄金の糸の隙間から伸びてきた細い触手が、再び桂木の能力によって一斉に切り落とされた。
空間上をジグザグ方向に進んでいく黄金の糸が、ちょうど霧島の本体から伸びてきた新しい触手を、狙い撃ちするかのように炸裂する。
糸は直角カーブを何度も折り返しながら光の線を描き。ミシンのジグザグ縫いのように、何重にも赤い触手を縫い付けながら切断していった。
「グギャアアアァァーーーーッ!!!」
既に人間としての自我を完全に失っている霧島の本体が、大きな悲鳴のような轟音を響かせる。
「霧島、待っててくれよ! もう少しで楽にしてやるからな……! そのままそこで大人しく俺に縫い付けられているんだ。大丈夫、すぐに全部終わらせてやるからな!」
裁縫者の勇者である桂木は、先ほど小笠原の体を身を挺して守ろうとした際に、大幅なレベルアップを遂げていた。
実は装甲車で霧島の体に突撃をした時くらいから、小刻みなレベルアップは重ねていたのだ。
桂木も自分の脳内に連続で鳴り響くレベルアップ音に気付いていた。だが、あまりも事態が緊迫していた為……レベルアップした自身の能力を確認する余裕が無かった。
そして、クラスメイトである小笠原の身に、本当の命の危機が訪れた時――。
桂木は自身の命を失うかもしれない危険を覚悟して。ただ小笠原を助ける為だけに、赤い触手の魔物の突進に正面から立ちはだかったその瞬間……。桂木の異世界の勇者としてのレベルは、爆発的な成長と進化を遂げたのだった。
霧島の体から増殖する触手を、黄金の糸で何度も抑え込み続ける桂木。
しかしその顔に余裕の色は全く無い。呼吸を乱し、青白い顔色を浮かべながら、歯を食いしばって必死に耐えている。
自分でも初めて繰り出す大技に、体力が限界を迎えてしまっているのだ。これまで戦闘経験が乏しかった桂木にとっては、全てが初めての経験だ。
能力によって生み出される黄金の糸を自在に操るだけでも、桂木の体力は大幅に消耗してしまう。
裁縫者の勇者の能力――『黄金の糸』によって触手を全て切り落とされてた霧島も、決して大人しくその場でじっとしてくれている訳では無かった。
赤い触手を全て失った霧島は、全身の表面に鋭いギザギザな形をした突起物を無数に出現させる。
それは先程までは赤い触手の先端部分についていて。チェーンソーのように、触れるもの全てを切り刻む凶悪な凶器となっていたものだ。
””ギュイーーーーーン!!!””
霧島の体の表面に出現した無数の突起物が、皮膚の上で高速回転を始めた。
ギザギザに鋭く尖った突然物は、全身を縛り付けていた桂木の黄金の糸を全て切断し。再びもの凄い速さで、無数の触手を再生させていく。
「霧島ーーッ!! もう、やめるんだーーッ!! 頼むから、そこでじっとしていてくれよッ!!」
桂木が懇願するように、霧島に呼びかける。
だが、霧島からの返答はない。
既に霧島の意識は完全に赤い触手の魔物に飲まれて、体と同化してしまっているのかもしれない。
「――クッ……!!」
桂木は再び『裁縫者』の能力を用いて、霧島の体の上に大量の黄金の糸を出現させる。
「――連続黄金刺繍、まつり縫い&乱撃ーーッ!!」
空間上に出現した黄金の糸は、巨大な霧島の体にクルクルと何重にも巻き付いていき。その全身を締め付けるようにして、キツく縫い付けていく。
黄金の刺繍を、連続で体に刻まれていく霧島。
その体から新たに生み出されたばかりの触手が、次々と黄金の糸によって切り落とされていく。
だが……体に食い込んだ糸は、皮膚の表面で高速回転する鋭利な突起物によって、再び切断されていく。
自身の体にまとわりつく黄金の糸を切断し続ける霧島と、空間上に何度も黄金の糸を生み出し、連続でその場に縫い付けようとする桂木との攻防は、しばらくの間ずっと続いていた。
そして、とうとう――。
桂木がずっと待ち続けていたモノが、この場に到着する。
「――桂木くん、待たせたわね! もう、大丈夫よ、後は私に任せて!!」
ぬいぐるみの勇者の小笠原麻衣子が、桂木の後方からそう叫び声を上げた。
小笠原の近くには、天まで届きそうなほどに背の高い――『超大型のクマのぬいぐるみ』が立っている。
「霧島、これでようやくお前を解放してやれるからな!」
桂木は黄金の糸を操りながら、安堵の息を漏らした。
何でも切り刻んでしまう、全身凶器と化した霧島にとどめを刺すには、これしか手段は残されていなかった。
それは高さ70メートルを超える『超重量級のクマのぬいぐるみ』の重量によって。霧島の体を上から一気に踏み潰してしまう事だ。
超大型のクマのぬいぐるみがここにやって来るまでの時間稼ぎをする為に、桂木は黄金の糸を使って何度も霧島の体を縫い続けていた。
超大型のクマのぬいぐるみは、その全身が巨体であるがゆえに動きが遅く。ここにやってくるまでに、かなりの時間を要してしまっていた。
更には、巨大なクマのぬいぐるみが正確に目標を踏みつけられるように。動きの素早い赤い触手の魔物が目の前から逃げてしまわないように――。
桂木は、まだ完全には使いこなせていない自身の能力を用いて、必死で黄金の糸を今までずっと紡ぎ続けていたのだ。
「霧島くん……ごめんね。これでもう、完全に終わりよ。あなたを助けてあげれなくて、本当にごめんなさい……」
小笠原が静かに目をつぶり。呼び寄せた超大型のクマのぬいぐるみに対して指示を与える。
霧島の体の上で片足を大きく上げた超大型のクマのぬいぐるみは、そのまま重力に任せて――。真下にいる、黄金の糸によって固定された赤い触手の魔物を一気に踏み潰す。
その……本当に最後の瞬間。
クラスメイトを踏み潰すという行為を、直視する事に耐えられず。両手を顔に当てて目を閉じていた小笠原には気付けなかった。
――だが、霧島の最後の瞬間をしっかりと見届けようとした、桂木にだけは気付けた。
巨大なクマのぬいぐるみの足に踏み潰される寸前の、本当に僅かな一瞬……。
「……ありがとうな、桂木………」
霧島の顔が微笑みながら、確かにお礼の言葉を述べていたのだ。
「――き、霧島ッ……お前……!」
”ズドーーーーーーーーン!!!”
70メートルを超える、超大型のクマのぬいぐるみの足が地表に力強く振り下ろされる。
無数の赤い触手を持ち、あらゆる物を切り刻んでしまう事の出来る凶悪な赤い魔物も……。
小笠原の操る、超大型のクマのぬいぐるみが持つ、超重量級の攻撃には抗えなかった。
上からのしかかる、圧倒的な重みと力によって押し潰され。霧島の全身はスクラップされた車のように……。完全にペチャンコとなり、そのままピクリとも動かなくなった。
「霧島………」
桂木は目の前で生き絶えた旧友の最期を見届けて。
その場でしばらくの間、目を閉じた。
そして静かに黙祷を捧げて、霧島の魂の安寧を心から祈った。
願わくば霧島の魂が無事に元の日本に戻り。
俺達のよく見慣れた懐かしい日本の美しい景色に囲まれて、静かに休む事が出来ますように……と。
桂木自身は、特に特定の宗教を深く信仰している訳ではなかった。
けれど、友人の死を目の当たりにして。つい考えずにはいられない。
異世界に召喚された自分が、もし……この世界で死を迎えてしまったら。
自分の魂は一体どこに向かうのだろうと。
間違っても女神教徒達が信仰をしている、女神『アスティア』とかいう奴のもとには行かないで欲しいと、今は強く願うしかない。
少なくとも霧島の魂が苦痛から解放されて。平和で安寧な世界に導かれている事を、今は心の底から願うしかなかった。
「桂木くん……。助けてくれて本当にありがとう。そして、ごめんなさいね。霧島くんの事を助けてあげれなくて……」
小笠原が、静かに桂木の元へと近づいてくる。
「いいや、全然平気っすよ。霧島の奴は、この世界で沢山の悪い事をしていたっす。だから例え友人だったとしても、あいつを救ってやる事は出来なかったと思うから。むしろ最後に小笠原に辛い仕事を押し付けてしまって、俺の方が申し訳ないよ」
桂木の言葉の中に、いつもの『〜っす』口調と、男らしいイケメンセリフが半分ずつ混ざり合っていた事に、小笠原は思わず苦笑しつつも……。
クラスメイトの霧島をこの世界から葬ってしまった事の悲しみを、2人はお互いの体を抱きしめ合いながら共有し、涙した。
グランデイル西進軍の総大将として、霧島正樹が行った行為は決して許されるべきものではない。
だけど、最後のその瞬間だけは……。
確かに彼は、自分達と同じ2年3組のクラスメイトであったと思う。この異世界に召喚され、魔王と戦う事を期待された、優秀な能力を持つ、氷術師の勇者であったのだ。
「おーい、麻衣子ーーっ! 桂木くーん! 2人とも無事なのーー?」
遠くから藤枝みゆきと、野々原有紀の声が聞こえてきた。
それと同時に。後方に控えていたドリシア・カルタロス連合軍が、ゆっくりとアッサム要塞に向けて進軍をしてきている音も聞こえてきた。
どうやら、アッサム要塞攻略戦の勝敗は完全についたようだ。
要塞にまだ立て籠っていたグランデイル軍も、迫り来る連合軍の兵力を確認して逃走を開始したらしい。
その為、戦場にはもはや――放棄された無人のアッサム要塞が残されているだけとなっていた。
「これから、この世界は一体どうなるんすかね……?」
旧友の霧島への心の整理をつけた桂木が、静かに小笠原に問いかける。
「そうね……。しばらくはアッサム要塞を防衛拠点にして様子を見守るしかないと思うわ。グランデイル軍の戦力はまだ、私達よりも圧倒的に多いんだもの。私達はこのアルトラス連合領の復興に力を注いで、西に向かった副委員長や、セーリス。そして南に向かっている、彼方くん達の帰りを待つしかないと思う」
そう、グランデイル王国との戦いはまだ終わっていないのだ。
北西のカルツェン王国を攻めている『水妖術師』の金森準が率いるグランデイル北進軍。
南のバーディア帝国を攻めている『不死者』の勇者である倉持が率いる、グランデイル南進軍がまだ残存している。
そしてグランデイル軍の本体を率いている、この悲劇の戦争を始めた全ての大元凶……クルセイスがまだ生きているのだ。
主力である花嫁騎士のセーリスが不在の連合軍としては、コンビニの勇者の彼方が戻ってくるまでの間。
せめて、アルトラス連合の領土内に豊かなコンビニ共和国の物資を行き届かせて。戦争による被害を受けた全ての人々の暮らしを、少しずつ立て直していくしかないだろう。
「よーし、決めた! 俺はマジでやるっすよ! 霧島の仇を取る為にも、絶対にあの女王のクルセイスを俺達の手で討ち取ってやる事にするっす!!」
桂木が拳を振り上げて、空を見つめながら大声でそう叫ぶ。
「ふふ……頼りにしているわ、桂木くん! 桂木くんはもう、十分に私達と一緒に戦える強い勇者になったんだものね」
「そうっすよ! 俺……今回のアッサム要塞の戦闘だけで……いきなりレベルが10も上がったっすからね!」
「レベルがいきなり10も上がったの!? それは本当に凄いわね……。遅咲きというか、仕組みはよくは分からないけれど、元々桂木くんには戦闘の才能があったのかもしれないわね」
「なになにー! 桂木がどうしたってー?」
藤枝みゆきや、野々原有紀。
そして連合軍と一緒に『射撃手』の勇者である紗和乃もやって来た。
合流した5人の勇者達は、クラスメイトであった霧島正樹の最後の顛末を桂木から聞き……。
全員は霧島の為に、その場で静かに黙祷を捧げた。
そして5人は、アッサム要塞の敷地の中に霧島の墓を作る事に決めた。
霧島の為に作られた墓の墓標には、グランデイル西進軍の総大将であった『氷結将軍』の名前は刻まれず。
ただ――。
『俺達の大切なクラスメイト、霧島正樹』
……と、異世界の文字ではない、彼らの故郷の文字である日本語がそこには刻まれていた。