第二百六話 もふもふ娘の登場
「さぁさぁさぁ〜〜! 世にも珍しい奴隷市の始まりだよ〜! 本日の超レア商品は、なんとこちらだ〜!!」
大勢の観衆で賑わう、ケンタキの街の広場の中心部。
そこでは屈強そうな外見をした男性数人が、鎖に繋がれている1人の少女を、広場の人々の前に押し出すようにして立たせていた。
この広場で怪しげな催し物を開いているこの男達は、見るからに『奴隷商人』という雰囲気がする。
正直、俺は異世界に来てから今まで、そういう連中とは遭遇した事がなかったからな。だからとうとう……異世界っぽいイベントに巻き込まれてしまったと思って、不謹慎だけどちょっとだけ胸の奥がドキドキした。
そして、今――。
俺の心を更にときめかしている、最大の要因は、
「――彼方様、見て下さい! あそこに動物の耳と尻尾が生えている女の子が立っています」
そう、ティーナの言う通りだ。
オークションにかけられている可愛い女の子には、茶色い猫耳と茶色い尻尾が付いている。そして体の大部分が、もふもふの柔らかそうな動物の毛で覆われているという……まさに正真正銘な『もふもふ娘』だった。
アレは間違いなく、『獣人』だろう。
それも人間と可愛い猫型の獣のハーフである、もふもふ猫娘に違いない。
俺はエルフだけでなく。とうとうこの異世界で、もふもふの獣人娘にも出会う事が出来たんだな。
ああ……母さん、俺もうゴールしても良いよね? だって異世界で一度は見てみたかったモノの全てを、俺は今日コンプリート出来たんだから。
「……さあさあ、今ではもう絶滅したと言われている獣人の血を引く可愛い小娘だよー! ここで手に入れておかないと、きっと一生後悔をするよ! さあ、ケンタキの街に住まうお金持ちの皆様方、この千載一遇のチャンスを逃さずに、ぜひ貴重な奴隷をゲットしていって下さいよー!」
奴隷商が小さなベルをチャリーンと鳴らす。
すると、貴重な獣人の娘を競り落とそうと。
広場に集まっていた多くの人々が、我先にと一斉に手を挙げて叫び始めた。
「――うおおおぉ、オレは金貨20枚を出すぞっ!!」
「俺は大金貨10枚だッ!! 絶滅したと言われる獣人の血を引く者なら、それだけの価値は十分にある!」
「負けるものか! こっちは大金貨50枚だぞ!! 帝国がもしグランデイル王国との戦争に負けたら資産も全部没収されてしまう可能性があるからな! 希少価値のある獣人の奴隷なら、どこにでも持ち運べるから資産運用にはもってこいじゃないか!」
広場のあちこちから、湧き上がる男達の欲望に塗れた叫び声。
どうやら、この場で今一番の高値を付けているのは大金貨50枚の男らしいな。
ちなみに大金貨1枚は、日本円で例えるなら10万円相当の価値がある。つまりは500万円であそこにいる男は、あのもふもふ娘を落札しようとしている訳だ。
……なるほど、なるほど。お前らのもふもふ愛はその程度のものなのか。甘いな、実に甘い。たかが500万円で、もふもふを制覇しようなんて、全くもって甘すぎるぞおおおおぉぉぉっ!
「さあ、他にもう高値をつける人はいませんかー? いなければ、そこにいる大金貨50枚の旦那が、この獣人娘を落札する事になりますぜーー!」
奴隷商人が広場にいる観衆全員を見回しながら、大声を上げる。
他の男達も悔しそうに歯軋りをしているが、さすがに大金貨50枚以上は出せないらしい。
それにしても、帝国ではこういった奴隷商人による怪しげな商取引が、公の場で堂々と行われているものなのだろうか?
そういえば以前、エルフ族のエストリアと話をした時に……。南のバーディア帝国の商人に、仲間のエルフ族が過去に連れ去られた事もあったと聞いていた。
もしかしたらこういう形で――過去に連れ去られたというエルフも、帝国領内でお金持ちの商人達に奴隷市で売られてしまっていたのかもしれないな。
「よーーし!! じゃあ大金貨50枚の旦那で、もう決まりかなーー?」
まずまずの買い値がついた事に、満足そうな表情を浮かべる奴隷商の男。男は手に持っていた落札を知らせるベルを、豪快に鳴らそうとする。
だが、待てーーい! そうはさせないぞッ!!
俺はすかさず右手を挙げて、広場全体に響き渡るような声で高らかに宣言をした。
「待ちなああぁぁぁ!! こっちは大金貨300枚出すぞぉぉッ! そのもふもふ娘は、この俺が買い取らせて貰う!!」
シーーーーーーーン。
広場にいる観衆が、一斉に静まり返る。
それはそうだろう。この俺以上にもふもふ娘への愛情が上回る奴なんて、この場にはい絶対にないだろうからな、ふっはっは!
「……か、彼方様!? 本当にいいんですか?」
ティーナが俺の手を心配そうに握りしめてくる。
……ん? 大丈夫だぞ、ティーナ。ちゃんと、もふっ娘は丹精を込めて俺が大切に育て上げてみせるからな。異世界転生や召喚モノの冒険記といえば、もふもふ獣人の女の子がお供に付いてくるのが定番じゃないか。
そういえば、あまりもふもふ獣人の男が仲間になるパターンは少ない気もするけど……。まあ、それは大人の事情なんだろうな。
コンビニ共和国を出発した俺は、実はレイチェルさんから大量の路銀を手渡されていた。
コンビニ共和国は既に、コンビニの商品を使って国家間の大規模な外交貿易を開始している。
同盟国であるドリシア王国、そして新たにコンビニ共和国と親交を深めたカルタロス王国がその主な貿易先になる。その他にも周辺の村々や、海沿いの交易都市とも通商を始めていた。
なにせ今回は、国家と国家が行う正規ルートの商取引だからな。
当たり前だけど、今までのコンビニの営業とは規模が格段に違う。関係国との貿易を進めていく上で最も役に立ったのが、俺のレベルアップによって新たに共和国内の敷地に建設された『コンビニ工場』の存在だった。
今までコンビニの事務所で発注した商品は、店内の倉庫の中に出現していた。
コンビニの倉庫はその広さも限られているし、国家間の貿易に必要な大量の商品を、一度に生産するという事は出来ない。
その欠点を、一気にカバーする事が出来るのが『コンビニ工場』だ。
敷地面積はそれほど大規模とはいえない工場だけど、中にはパソコンも複数台設置されている。
そしてなんと……コンビニで発注出来る商品を、一度に大量にコンビニ工場内に出現させられる能力を持っている。
例えば、コンビニの鮭おにぎりを一度に数千個単位、ペットボトルなら数千本という桁違いな単位で、一気に大量生産する事が出来る。
本当はそんな事を繰り返していたら、明らかにこの世界の経済を破壊してしまいかねないチートなんだけどな……。
でも、食糧や物資の不足している地域に、まとまった量の商品を大量供給出来るようになったのは大きい。
特に今は、グランデイル王国との戦いによって疲弊したり、食糧不足になっている地域が多く存在している。それらの地域を支援するという意味では、コンビニ工場の商品生産力は、これからは重要な意味を持つ事になるだろう。
……という訳で、別に俺自身が何か特別な事をした訳ではないんだけど。
コンビニ共和国は、他国からの出資や大商人からの投資を受けて、経済的にはかなり潤っているらしかった。
そしてそれらのお金の流れを全て管理しているレイチェルさんは、今回の俺のバーディア帝国への旅に際して。
ビックリするくらいの大金を、俺に持たせてくれた。
俺にはコンビニ支店1号店があるから、交通費、宿泊費、飲食代には困らないから大丈夫ですよ……って、ちゃんと伝えたんだけどな。でも、心配症なレイチェルさんは――、
『コンビニ共和国を代表するお方が、ドリシア王国の女王様を伴って帝国との外交に向かわれるのです。一国のリーダーとして恥じない態度と気品を保つ為にも、ぜひこのお金を持っていって下さいね!』
と、ニコニコ笑顔で俺に旅の路銀を渡してくれた。
もちろん、まさか俺が……そのお金を全て奴隷市で、もふもふ娘を買い取る為に使うなどとは、レイチェルさんも流石に予想してなかっただろうけどな。
「な、なんと……!? 大金貨300枚の値をつけて下さる、凄いお方が現れました!! ほ、他にもっと高い値を付けて下さるお方はいますでしょうか……?」
シーーーーーーン。
沈黙する広場。
うん。どうやら……俺のもふもふ愛が、完全勝利をおさめてしまったようだな。
「――で、では、そちらにいる黒い服の旦那が、獣人の娘を落札しました!! さあ、ぜひこちらへお越し下さい!」
周りからパチパチパチと、感情のこもらない、砂粒のようなまばらな拍手が起こる。
俺とティーナはそんなのは全くお構いなしに、広場の中央へ堂々と歩いていった。
「ほい、これが大金貨300枚の入った袋だ。これでその女の子は俺のものって事でいいんだよな?」
「えっ、ええ……まずは、袋の中を確かめさせて頂きますね!」
奴隷商の男は俺が手渡した袋に、確かに大金貨が300枚入っているのを確認して。興奮気味に目を輝かせる。
「旦那、実に良い買い物をしましたね〜! たしかに大金貨300枚を確認させて頂きました!」
「……ところでお前達は、他にもよくこういった奴隷の売買をしているのか? 今回のような獣人の奴隷だったり、例えばエルフだったりを金持ちに売り飛ばしたりしているのか?」
「えっ、と、とんでもない……!! 今回の獣人の娘はたまたま手に入ったレア商品なんです。エルフなんて今じゃ絶対に手に入らないですよ。大昔には西の土地に住むエルフを捕まえて売り飛ばすような業者もいたらしいですがね。それだって、もはや伝説です。エルフは数が少なくなって絶滅したと言われているくらいですし」
「そうか、では日常的にここで奴隷を売っている訳ではなくて、今回はたまたまという訳なんだな? 俺は凄いお金持ちだからな、他にも獣人の奴隷を隠しているのなら、もっと高値でそれを全て買い取ってやっても良いんだぞ?」
俺は探るようにして、奴隷商の男の目をじっと見つめる。
「そんな……旦那のご好意は有り難いんですけど、それは無理ですよ。獣人だってこの世界では絶滅したと言われているくらいなんです。本当に今回はたまたま一匹だけ、手に入った上玉なんです。グランデイルとの本格的な戦争がこの街にも及ぶ前に、早めに売り捌いて街から離れようと思っていたんですから……」
俺は奴隷商人の目を、再度じっと見る。
……うん。
どうやら、嘘は言っていないようだな。
俺がもっと高値で全てを買い取るぞ、と言っているのに。全然コイツは話に乗ってこなかったし。目を輝かせたりもしなかった。
まあ、コイツにとってはラッキーだったな。
もし、エルフを奴隷として大量に売り捌いているような業者だったり、獣人を組織的に誘拐しているような悪い連中だったなら。
俺はきっとこいつらの組織に乗り込んで、レーザー砲でお前達の仲間を全員、焼き尽くしてしまう所だったかもしれないぜ?
俺は意味深にニンマリと笑って、奴隷商人の肩をポンポンと叩いてやる。
奴隷商の男もニンマリと笑って、『旦那も悪ですねぇ〜』といった表情を返してきた。いや、俺が笑ってるのはそっちの意味じゃないんだけど、まあ、いっか。
俺とティーナは、鎖を外して貰った獣人の女の子を連れて。急いでザワザワとしている広場から走り去った。
これ以上、周囲の注目を集めるのは嫌だからな。
そして人気の無い、街の大通りの裏道にまで走って来て。改めて一緒に連れてきた、もふもふの女の子の様子を確認してみた。
茶色い猫耳に、茶色い尻尾。そして青い瞳の色。
全身には所々、もふもふな猫の毛が生えているが、顔や腕のあたりは人間の外見のままという……。
異世界モノにはよくありがちな、中途半端に人間の女の子としての可愛らしい外見部分と、もふもふな獣の部分を残している、まさに完璧な『もふっ娘』だ。
身長はティーナとそれほど変わらないように見える。年齢もかなり若いと思う。もちろん、エルフ族みたいに実は200年以上生きています……みたいな長寿設定があるのかもしれないけどな。
「えーと、君の名前は何て言うんだい?」
俺は奴隷商人から買い取った、もふもふの猫娘に尋ねてみた。
「わ、わたしは……フィートと言います。あ、あの、お願いです……! どうか、わたしに怖い事はしないで下さい……。わたしを家族の所に帰して下さい………」
ものすごく怯えたように体を震わせて、もふもふ娘のフィートが俺に上目遣いで囁いてきた。
「君には家族がいるのか? もしいるなら、その家族はどこにいるのかな?」
「じ、実は……この街の外にある、人があまり寄り付かない裏山にわたしの家族は住んでいるんです……」
「そうなのか。それじゃあ、そこまで一人で帰れそうかい?」
「――えっ?」
俺は怯えているもふもふ娘のフィートに、笑顔で肩をぽふぽふと撫でてあげる。
ああ、やっぱりもふもふって可愛いよなぁ……。俺もまた会えるのなら、実家の子猫のミミに再会したいな。まだ小猫だから、本当に仕草や行動の全部が可愛かったからなぁ〜。
「……もう何も心配をしなくていいんだよ。君はもう『自由』だ。俺は君を奴隷商人から買い取ったけど、君を奴隷として扱う気はない。だからもう、人間の手に捕まったりなんかしたらダメだぞ! 家族がいるのなら、これからは人目につかないような静かな場所で暮らしていくんだぞ」
そう伝えて。俺とティーナは優しく手を振って、フィートとお別れをする事にした。
「うんうん。俺は良い事をしたよな、ティーナ」
「ハイ。まさか獣人の方に出会えるなんて本当にビックリしましたけど……。無事に家族のもとに戻れて、本当に良かったと思います」
まあその為に、旅の路銀は全部使っちゃったけどな。
でも、もふもふ娘の幸せを買い取れたなら、それで十分満足だ。達者に暮らしていくんだぞ、可愛い猫娘よ。
「――さあ、コンビニに戻って早く帝都に向かわないとな。あと少しだけ街の中を探索したら、ククリアの待つコンビニ支店1号店に帰る事にしよう、ティーナ!」
「分かりました、彼方様!」
俺とティーナが仲良く手を繋いで、ルンルンとコンビニに帰ろうとすると。
なぜかいきなり、俺達の背中を見守っていたフィートが大声で呼びかけてきた。
「ちょ、ちょっと待って下さいーーーーーッ!!」
うおおぉ!? 一体どうしたんだよ!?
急に大声でもふもふ娘に後ろから呼び止められて。
俺とティーナは、2人で慌てて後方を振り返る。
「あ、あのぅ………!! 裏山まで、わ、わたしを一緒に連れて行ってくださいませんか!」
「えっ……? 裏山までって、その場所はここからそんなに遠い所にあるの?」
俺が尋ねると、なぜかフィートはバツが悪そうに下を向いて。その場でもじもじと体を震わせ始める。
うん、いちいち仕草が全部可愛いな。尻尾もぷるんぷるん揺れてるし、そんなのを見せられたら、ついつい、もふりたくなる衝動に駆られてしまうぞ。
「いえ……実は、ここからすぐそばなんですけど。でも、とにかく! もしかしたら、わたし……。また悪い人達にさらわれちゃうかもしれませんし! こんなに可愛いわたしをたった1人で放り出しても良いんですか!? せっかく大金貨300枚も出してわたしを買ったんでしょう!?」
うーん。顔を赤くして叫ぶフィートに、俺もティーナもちょっとだけ困惑してしまう。
俺達はこれから帝都にいって、皇帝ミズガルドに会わないといけない立場だからな……。
でも、もしかしたら獣人の一族は絶滅寸前まで数が減っているのかもしれない。
エルフ領の森に住んでいたエルフ族のように、一族全体で何か悩みを抱えているのかもしれないし……。なにより、もふっ娘は可愛いから、ちゃんと保護しないといけないかもしれないしな。
「……ティーナ、少しだけ寄り道になっちゃうかもだけど、大丈夫かな?」
「彼方様がそう決めたのでしたら、私はどこにでもついて行きますよ」
よし、うちの嫁の許可も貰えたし。
もふもふ娘のフィートを、裏山にいるという家族の所にまで連れて行ってあげよう。
俺とティーナは、道案内をしてくれるフィートの後について行く事にした。
ケンタキの街を出て、街道をゆっくりと外に向かって歩いていく。
だけど……少しだけ様子がおかしかった。
フィートの案内してくれる道は、ただまっすぐに前に進んでいくだけだし。一応、街から離れた場所には向かっているみたいだけど……。
フィートが言うような裏山なんて、どこにも見当たらないんだけど? むしろ、どんどん平地に向かっているような。
「……フィート? 君の家族が住んでいる裏山って、本当にこの辺りにあるのか?」
俺は先頭を早歩きで歩いているフィートに、そう尋ねてみた。
「へっへっへ、ちゃんとここで合ってるよ! この間抜けな金持ちのバカップルどもめ!」
さっきまでのおどおどした口調ではなく。
ドスの効いた低い声音で、フィートはいきなりそう呟くと――。
突然、人間のものとは思えないような脚力で、木の上に大ジャンプをした。
目の前にそびえ立つ高い木の枝に飛び乗った獣人娘のフィートは、木の枝の上で口笛を吹くと。
周囲の草むらから、いつの間にかにガラの悪そうな雰囲気の男達が……20人近くも躍り出てきた。
男達は、俺とティーナの周りをぐるりと取り囲み。ニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべている。
よく見ると、先ほど広場でフィートを売っていた奴隷商の男達が、その集団には混じっているようだ。
「……フィート? これは一体どういう事なんだ!?」
俺の問いかけに、木の枝に立つフィートは……。
くっくっくっ……と低い笑い声を出し。手に持っているナイフの刃先を、ゆっくりと舌舐めずりした。
「ふっふっふ、バーカ! 引っかかったな金持ちお兄さんよぉ〜! あたいがこの男達を率いている盗賊団の首領、フィート様って訳なのさ〜! さぁさぁ、持っている金目の物は、全部あたい達に差し出すんだね! そうでないと、そこにいる可愛い彼女さんが痛い目を見る事になっちまうよ〜!」