第二百二話 カルツェン王国の崩壊
「な、何なのだ……この見た事もない謎の文字はッ! これでは全く読む事が出来ないではないかッ!」
グスタフ王とその側近の騎士達は、黒い柱の前に置かれている石碑に書かれた文字が読めずに困惑する。
それもそのはずだ。
そこに刻まれていた文字は、異世界言語である『日本語』で……。この世界に住まう住人達には、決して読む事の出来ない文字で記されていたのだから。
だが、その文字が読める人物がこの場には2人だけいる。
そう――。異世界、それも現代の日本から召喚されてきた『地図探索』と『無線通信』の能力を持つ佐伯小松と、川崎亮の2名の勇者達だ。
そして2人の勇者達の動揺は、日本語が読めないグスタフ王や、その側近達の慌てぶりの比ではなかった。
「……おい、これは一体どういう事なんだよ!? 何でここに日本語の文字が刻まれていて、しかも最後に『玉木紗希』って、副委員長の名前が記されているんだ?」
「ああ……それにこの文字。だいぶ風化してかすれているようだけど、かなり長い年月が経過しているのは間違いないな。だとすると、この副委員長の名前が刻まれた石碑は一体、いつからここに置いてあったんだろう?」
川崎も佐伯も、目の前に刻まれている文字の謎が全く理解出来ない。
大昔に、この地に封印されたという――『アノンの地下迷宮』。
その最深部には、謎の黒い花嫁ドレスを着た少女が柱に埋め込まれていて。その近くにある石碑には、日本語の文字が刻まれている。
そしておそらく……その文字を刻んだと思われる人物の名前として、自分達のクラスの副委員長である『玉木紗希』の名前がそこに日本語で記されているのだ。
「佐伯、お前の名前もここに刻まれているみたいだけど、心当たりはあるのか? この文脈だとお前、過去にこの地下迷宮を作り出した事になっているみたいだけど……」
川崎は石碑の文字を凝視しながら、佐伯に問いかける。
「……いや。全然分からないし、もちろん心当たりだってないぞ。本当に俺には全く意味が分からないよ」
石碑には『コンビニの大魔王』という表記もあった。つまりこの件には、コンビニの勇者である秋ノ瀬彼方も関わっているという事なのだろうか?
情報があまりにも不足している2人には、もはやこの謎だらけの文字を正確に理解する事は不可能である。
だが、川崎にそう返答をしつつも……。佐伯の頭の片隅には、このアノンの地下迷宮に入ってからずっと疑問に思っていた不思議な感覚の事が気になり始めていた。
この複雑な地下迷宮を作り出したのは、一体誰なのかは分からないが……。
もし自分が『地図探索』の勇者としてのレベルをもっと上昇させて。複雑なトラップなどを組み込んだ迷宮を作り出せる能力を習得出来るとしたら。
おそらく……これと同じような地下迷宮を、いつかは作り出す事が出来るのではないかと思えたからだ。
自分には壁を建設するような能力はないし、不思議な仕掛けやループする道を作り出せるような能力はない。でもきっと、複雑に入り組んだ広大な迷宮を考案する事は出来る。
だから不思議とこのアノンの地下迷宮の奥に進んで行く時も、『自分ならきっと、こういうダンジョンを作るだろう』という直感がズバリと的中をして、最深部まで辿り着く事が出来たのだ。
佐伯は元々、日本にいた時はダンジョン攻略系のゲームが大得意だった。
日本製のゲームだけでなく、ヨーロッパやアメリカ、アジア系のダンジョンゲームもやり込んでいて、その全てをクリアしている。
そんな自分が、もし自由に『迷宮』を作る事が出来る能力が与えられたのなら……。きっとこんな地下迷宮を作るだろうという、理想を具現化したダンジョンが、まさにこのアノンの地下迷宮だった。
だから不謹慎にも佐伯は、味方の騎士達が次々と倒れていくこの複雑なダンジョン攻略の中で、自分の理想とするダンジョンの探索が出来る事に、密かに喜びを感じていたくらいだ。
古代よりフリーデン王国に領土内に封印されていたアノンの地下迷宮。その地下の最深部に眠っていたのは……柱に埋め込まれた、黒い花嫁衣装を着る1人の少女だった。
――だが、その事実が受け入れられず。
絶対に認められない、許す事は出来ないという人物がこの場には1人いる。
「ぐぬぬぬ、そんな……あり得ぬッ!! こんな事は決して認められん! 異世界の勇者達よ、貴様達にはこの石碑に書かれている文字が読めているというのか!? ここには一体何と書かれておるのだ! この少女に突き刺さっている、あの青い短剣が伝説の『魔王遺物』なのではないのか!? あの剣を手した者は女神様の祝福を与えられ。この世の全てを支配出来る最強の力を手に入れられると、きっとそこには記されておるのだろう!」
激昂して顔を真っ赤にしたグスタフ王が、ぐったりと疲れている『無線通信』の勇者である川崎の胸ぐらを掴み上げた。
「……うぐっ、ぐふぁっ……!?」
グスタフ王に首もとを掴まれ、苦しさで声を発せられない川崎に変わって。慌てて佐伯が、狂乱している王に向かって呼びかける。
「ち、違います……! どうかお静まり下さい、グスタフ王!! この石碑には異世界の文字で、古代の魔王に仕えし者をここに封印したと記されています! ですので、決してあの青い短剣が聖なる武具だとは書かれていません! むしろあの剣を抜いてしまえば……きっと恐ろしい災いを起こす邪悪な者を、この世界に解き放ってしまう危険性があると思われます!」
佐伯は川崎の首を掴み上げているグスタフ王に必死に呼びかけてみたが……。その悲痛な嘆願の声は、狂乱の王の耳には届かなかった。
グスタフにとっては、信奉する枢機卿の言葉のみが、この世全ての理よりも絶対なのである。
その枢機卿がこのアノンの地下迷宮に、『聖なる魔王遺物』があると言ったのだ。そしてそれを手にした者は、侵略者であるグランデイル軍を撃退出来る程の力を手に入れられると教えてくれた。
ならば、ここにはその聖なる『武具』は必ず存在していないといけない。
そしてそれはきっと、あの黒い少女の胸に突き刺さっている青い短剣に違いないのだ。古代の魔王に仕えていた戦士を封印しているだと……? くだらない嘘を言いおって! それならばなおさら、あの青い短剣が聖なる武具に決まっているではないか!
「――この役立たずの勇者共めッ!! このワシをたぶらかして騙そうとしておるな!! あの青い剣が封印されし聖なる『魔王遺物』である事を隠し、ワシに黙ってこっそりと剣を手に入れようと画策したのであろう。この愚か者共めッ!! そのような浅知恵にカルツェン国王であるこのワシが騙されるとでも思ったのか!」
グスタフ王は、掴み上げていた川崎の体をポイッと床に放り投げた。
そしてまるで何かに取り憑かれているかのように、柱に埋め込まれている黒い花嫁衣装の少女のもとに近づいていく。
「さあ、聖なる魔王遺物よ……! 封印されしその力をこの我に与えたまえ!! そして窮地に追い込まれし我がカルツェン王国を、邪悪な侵略者共の手から救いたまえーーッ!!」
静止を呼びかける佐伯と川崎の声も聞かずに、
カルツェン王国のグスタフ王は、黒い柱に刺さっていた青い短剣にスッと手をかけた。
すると――。
漆黒の花嫁に突き刺さっていた短剣は、いとも簡単にスルリと抜け落ち……。
あっさりとグスタフ王の手によって引き抜かれてしまった。
「なっ……!?」
佐伯も、そして地面に倒れている川崎もその光景を見て唖然とする。
古代の大魔王に仕えていた邪悪な戦士を封印している剣ならば、そう易々と抜ける事はないと思ったからだ。
だが……2人の予想に反して、青い短剣はグスタフ王の手によって簡単に引き抜かれてしまった。
短剣を手にしたグスタフ王は歓喜の声をあげて喜ぶ。
「やったぞーーーッ!! これで我がカルツェン王国は救われるのだ!! これでこのワシは世界を救う救国の英雄となるのだーーッ!! ハーハッハッハ! 枢機卿様、見ておりますか? 今こそこのグスタフめが裏切り者のサステリアやククリアに変わって、この世界に安定と平和をもたらして見せましょうぞ!!」
アノンの地下迷宮の最深部にある地下の闘技場の中で、グスタフ王の高らかな笑い声だけが余韻を残して響き渡る。
だが、その声を聞いているカルツェン王国の騎士達と、異世界から召喚された2名の勇者達も、言葉を失ったようにその場で静かに沈黙をしているだけだ。
それもそのはずである。グスタフ王が黒い柱に刺さっていた青い短剣を引き抜いても……周囲には何一つ大きな変化が起きなかったからだ。
「………………」
カルツェン王国の騎士達全員が、ゴクリと固唾を飲んでその場で静止する。
おかしい、あまりにも静か過ぎる……。
もしグスタフ王が引き抜いた青い短剣が、本当に最強の強さを誇る『聖なる武具』であったのならば……。もう少し大きな変化や異変が起こっても良いのではないだろうか?
川崎も佐伯も、周囲をキョロキョロと見回してみた。
けれど何一つとして、変わった事は起きていないように見える。
そんな中でただ一人だけ青い短剣を天井に掲げ、大喜びをしながらはしゃいでいる、グスタフ王の姿だけが痛々しく見えてしまう。
もはや、グスタフ王は正気ではない。王の瞳の奥には、きっと魔王を倒し。この世界に正義と安定をもたらす、輝かしい栄光を背負った偉大な自分の姿が映っているのであろう。
そしてそれを、自身の母親以上に溺愛している枢機卿に褒めて貰える未来図が浮かんでいるのだ。
歓喜の叫び声をあげ、子供のように青い短剣を天にかざしているグスタフ王には、気付く事ができなかった。
古代から封印されし、アノンの地下迷宮の最深部にある黒い柱に埋め込まれている……。漆黒に染まった花嫁ドレスを着ている少女の瞳が、いつの間にかに開かれていた事に。
その事に最初に気付いたカルツェン王国の騎士が、『ひいぃぃ……!!』と短く悲鳴をあげた。
その騎士の様子を見て、この闘技場にいる全員が黒い花嫁が既に目を覚ましている事に気付き、戦慄する。
まだ何も分かっていないのは、夢心地気分で頭の中がお花畑に染まりきったグスタフ王のみである。
太古の封印から目覚めた黒い花嫁は、眼下の下等な人間に対して静かに問いかける。
『――お前は誰だ? なぜ薄汚い人間が、アタシの目の前に立っている?』
だが、正気を失っているグスタフ王はそれでもまだ、目の前で起きている現実に気付く事が出来ない。黒い少女からの問いかけが、耳に届いてさえいなかった。
『……魔王様にたてつく薄汚いゴミ虫の人間共よ。この世から全て死滅するが良い。そして偉大なるコンビニ帝国の前に――ひれ伏せッ!』
黒い花嫁の手には、いつの間にかに長細い円筒形の武器が握られていた。
そして彼女はそれを、グスタフ王の顔の正面に突き付けると……。
至近距離から、凄まじい轟音と爆風の伴うミサイル攻撃を一気に解き放った。
”ズドドドーーーーーーーーンッ!!!!”
「ぐびぎゃあああああぁぁぁぁーーーッ!?!?」
闘技場に轟く大きな爆発音。
そして断末魔の叫び声と共に、粉々に飛び散るグスタフ王の体の肉片。
もくもくと立ち込める黒煙の後には……。銀色の球体シールドに包まれた、黒い花嫁衣装の少女だけがそこに立っていた。
その優れた才覚と、高い外交能力によってカルツェン王国を長く支えてきたグスタフ王は、最後には体の原型をとどめる事さえなく……。
黒い花嫁が手に持つ『ロケットランチャー』から放たれたロケット弾によって、木っ端微塵に粉砕されてしまったのである。
「ぐ、グスタフ王が………」
闘技場に残る、カルツェン王国の騎士達に激しい動揺が走る。
彼らはまだ、現在の状況が正確に理解出来ていなかった。
柱から飛び出てきた黒い花嫁が、その攻撃の矛先を人類全体に向けている事を……ここにいる彼らでは、到底察する事は出来ない。
『――薄汚いドブ鼠共め、この世界から全て消え去るが良い……死ねッ!!』
黒い花嫁の周囲から、眩い光が放たれる。
それと同時に闘技場の広い空間には、無数の円筒状の黒い武器が大量に浮かび上がっていた。
空中に浮かぶ無数の武器が、どれほどの威力を持つのかが分からないカルツェン王国の騎士達は……唖然とした表情でその様子を見守る事しか出来ない。
しかし、闘技場に浮かぶ無数の武器が高い殺傷能力を持つ『ロケットランチャー』である事を理解している異世界の勇者達……、川崎と佐伯は互いに手を繋ぎあって覚悟を決めた。
「……佐伯、今までこんな俺と最後までずっと一緒にいてくれて、ありがとうな」
「そんな事を言うなんてお前らしくないぞ、川崎。また死んで異世界転生をしたら、今度こそ当たりの能力を引いて一緒にハーレム無双の勇者になろうな……」
黒い花嫁が、静かに手を振り下ろす。
すると、闘技場に浮かぶ無数のロケットランチャーが眩い光を放ち……。その砲身から一斉に、ロケット弾の豪雨を地上に向けて降らせた。
”ズドドドドドーーーーーーーン!!!”
およそ数百発を超える、ロケット弾が黒い花嫁によって放たれる。
ロケット弾は、グスタフ王が引き連れてきたカルツェン王国の騎士達を、激しい爆発と爆風によって粉々に吹き飛ばしていった。
この日、アノンの地下迷宮の探索に向かったカルツェン王国のグスタフ王と、その探索隊に同行した異世界の勇者の2人は――完全に消息不明となってしまった。
王が不在となったカルツェン王国は、グランデイル王国軍による更なる侵攻を受け。その国土の半分以上を占領されてしまう事になったのである。




