第百九十五話 動物園の中の戦い
魔王軍が立てこもる浮遊動物園は、魔王領の空を北に向けて飛行している。
その進行方向は、コンビニ共和国がある場所とは真逆だ。
女神教の魔女達に追撃されている浮遊動物園は、戦場となる舞台をわざとコンビニの勇者達が向かうコンビニ共和国から、遠ざけようとしてくれているらしい。
追撃してくる女神教の飛竜部隊目掛けて、浮遊動物園から出撃した大量の魔物達が一斉に襲いかかっていく。
その戦力差はおおよそ『5万匹』対『500騎』。
数の上では、圧倒的に魔王軍が優勢だ。
だが女神教の飛竜部隊達は、追撃の速度を緩めるような事は決してなかった。
魔王軍の動きを察知した女神教の翼竜騎士団は、空中で臨戦態勢を整え始める。
序列第7位の魔女、エクレアの率いる黒い鎧を着た『黒色翼竜騎士団』400騎がいったん後方へ退くと。
代わりに序列第5位の魔女、オペラの統率する『銀色翼竜騎士団』100騎が前方へと躍り出てくる。
全長15メートル級の中型飛竜に、銀色の装甲を隙間なく装着させたメタリックな外観をしている100騎の飛竜騎兵達。
彼らはその背に、長さ10メートルを超える銀色の長槍を背負いながら飛んでいる。
浮遊動物園から飛び出した無数の魔物達が、追撃してくる女神教の銀色翼竜騎士団に向けて、正面から襲い掛かった。
『グギャギャァァァーーーッ!!!』
『ギニャァアアァァーーーッ!!!』
鋼鉄の装甲騎兵に向けて飛び込んでいった魔物達が、一斉に悲鳴をあげる。
魔王軍の魔物達は、まるでジャンボジェット機のエンジンの中に飛び込む小鳥の群れのように。銀色の騎士達が高速回転させている巨大な槍で切り刻まれ、その体を無惨に四散させて空中に飛び散っていく。
先行する飛竜隊の先頭で、凸形陣の隊列を組んで真っ直ぐに突き進む銀色の飛竜騎兵達。
彼らは長さ10メートルを超える巨大な長槍を、飛竜の上に乗りながら高速スピードで回転させていた。
回転する長槍は巨大なスクリューと化し。正面から突撃してくる魔王軍を、その圧倒的な破壊力で蹂躙していく。
その様子は、強力なエンジンを搭載した100台の大型の芝刈り機が、空中に浮かぶ魔物達を縦横無尽に刈り尽くしながら進んでいく光景にも見えた。
魔王軍の魔物達の中には、火炎球や電撃の魔法を放てる、上位クラスの魔物達も存在していたのだが……。
放たれたそれらの魔法攻撃は、鋼鉄の飛竜騎士隊には全く効果が無かった。
どうやら女神教の魔女であるオペラが率いる銀色翼竜騎兵には、対魔法攻撃用の特殊な防御塗装が付与されているらしい。
銀色の長い槍をプロペラのように、自由自在に大空で回転させ。
数で勝る魔王軍の空戦部隊を、羅刹の如き圧巻の強さで蹂躙していく銀色翼竜騎士団。
銀色翼竜騎兵団が討ち漏らした魔王軍の残党は、後方に控えている400騎の黒色翼竜騎兵達が刈り取っていく。
女神教の飛竜部隊が織りなす連携攻撃により、浮遊動物園から放たれた数万を超える魔王軍はあっという間にその数を減少させて、討ち減らされていった。
浮遊動物園の周囲を飛び交う、無数の魔物達を蹴散らし。
動物園の外壁ギリギリの距離にまで急接近した飛竜騎士達は、背中に背負っている銀色の長槍を浮遊動物園に向けて投擲を開始する。
”ヒュンヒュンヒュン――!!”
放たれた100本の長槍が、勢いよく浮遊動物園の地上部分に突き刺さった。
銀色の槍は動物園の外壁を易々と貫通し、動物園内部の奥深くにまで到達する。
銀色の長槍に外壁を貫通された浮遊動物園は、墜落こそはしなかったが……。どうやら、機動力となるエンジン部分に大きなダメージを負ってしまったらしい。
浮遊動物園は飛行をいったん停止して、空中に浮かんだままピタリとも動かなくなった。
この機を最大のチャンスと捉えた女神教の騎士達は、銀色翼竜騎兵が浮遊動物園の外壁をぐるりと周回し始める。
彼らは、必死の抵抗で押し寄せてくる魔物の群れを蹴散らしつつ。浮遊動物園へと侵入する為の突破口を徐々に作り上げていく。
だが、動物園への侵入を阻止しようとする魔王軍の最後の抵抗は凄まじかった。
高速回転する長槍のプロペラに特攻をかけ、体をバラバラに粉砕された味方の後方から、更なる魔物達の群れが自らの命を顧みずに猛突進を開始していく。
360度全ての方角から、無数の魔物達による文字通り命懸けの特攻を受けた翼竜騎兵部隊には、少なくない犠牲者が続出した。
魔王軍の特攻によって空から落とされた女神教の騎士達は、地上に落ちる前に……。飛行する魔物達に空中で群がられ、その体を無惨に食いちぎられていく。
想像を絶する、魔物達の必死の抵抗を潜り抜けて。
浮遊動物園の外側を周回する翼竜騎兵団は、とうとう数騎の飛竜が地上部分に降り立ち、動物園に上陸する事に成功した。
空中に浮かぶ動物園の地上部分に降り立てたのは、わずか2名のみだ。
だが……その2名こそが、飛竜騎兵達を指揮している女神教の最大戦力でもある『不老の魔女達』であった。
「イェイ、イエイ、イェイッ! やったーーーっ! カヌレお姉様の援軍要請をガン無視して、魔王領の境界側に先にやってきて大正解だったわーーっ! まさかここで本命の動物園の魔王を見つけられるなんて。私ってば、ホントにラッキーーっ!!」
「エクレアよ、このチャンスを決して棒に振るまいぞ。……いざ、参る!」
女神教に所属する不老の魔女の1人、『右手小指』のオペラ。
彼女は身長が190センチを超える長身の女性で、全身に銀色の重装鎧を身に付けた屈強な騎士でもある。
美しい銀色の長髪に、紅い瞳の色をした序列第5位の魔女のオペラは、伸縮性のある長い銀色の槍を両手で構えると。
動物園の地上部分で待ち構えていた魔王軍の防衛部隊を、鋭い槍で蹴散らしながら、疾風のような速さで駆け抜けていく。
オペラは自身の体をバネのように回転させて、まるで人間スクリューのように槍を前に突出させながら、魔物達が立ちはだかる通路を強行突破していった。
群がってくる魔物達には目もくれずに。
女神教が誇る、実力派の魔女は真っ直ぐに動物園内部の管理棟へと突き進んでいく。
オペラの後を追うようにして、女神教の序列第7位の魔女、『左手薬指』のエクレアも疾走する。
ショートカットの黒髪に、青い瞳の色をした見た目は少女のような外見をしているエクレア。その両手には黒い鋼鉄製の扇子が握られていた。
長槍使いのオペラが討ち漏らした魔物達を、エクレアは鋼鉄の扇子を使用して、流れるような動きで次々と切り刻み、確実に敵にとどめを刺していく。
女神教の不老の魔女達の上陸を許してしまった魔王軍は、一斉に侵入者に目掛けて襲いかかるが……。
圧倒的な実力を誇る魔女達には勝てず、魔物達はわずかな時間さえも稼げないまま、無惨に蹴散らされていった。
女神教が誇る3本指の魔女に、主力の欠けた魔王軍の部隊だけではとても歯が立たない。動物園の地上での戦いで、魔王軍の名だたる幹部達はことごとく討ち死にしていき、もはや魔王軍はその指揮系統さえ失いつつあった。
「黒魔龍公爵様、申し訳ございません……。我らの力では、女神教の魔女達を食い止める事はかないませんでした……、グフッ……!」
地上を守る魔王軍の防衛部隊を突破した2人の魔女達は、すかさず地下階層へと繋がる管理棟の中に入る。
そして凄まじいスピードで大階段を駆け降りていき。
魔女達は、真っ直ぐに動物園の最下層を目指した。
彼女達の目指す目標は――たった1つ。
この浮遊動物園の最下層にいる『眠り姫』。
動物園の魔王である『冬馬このは』を殺し、その心臓を力ずくで抉り出す事だ。
この世界に召喚された異世界の勇者のうち、世界の法則を乱しうる『バグ』とも呼ぶべき異能な能力。
『無限の能力』を持つ勇者に、人類への復讐心を持たせて大量殺人者へと追い込む。そしてその者を短期間で一気に『魔王化』させる。
それによって生み出された魔王の体の中に宿る心臓、すなわち『魔王種子』を奪う事がこそが……女神アスティアに仕える魔女達が狙う、隠された真実の目的。
既に女神アスティアから魔王種子を授けられている2人の不老の魔女達は、アスティアが欲する最後の1つ。10個目の魔王種子を手にする為に、今は眠り姫となっている冬馬このはの体を探していた。
冬馬このはが魔王となり、女神教の目的にいち早く気付いた黒魔竜公爵ことラプトルは……。最初の200年間は仲間と共に女神教の魔王狩り達から身を隠して逃げ延びていた。
だが無限に増殖する魔物達を制御出来なくなり、とうとう無限の数を誇る魔王軍を組織して、東の人間領に攻め込み女神教に対して戦争を開始する。
この世界で100年に渡って続いてきた魔王軍と人類との長き戦いは、魔王を殺してその心臓を奪おうとする女神教の魔女達と……。
それに対抗しようとした、黒魔龍公爵による冬馬このはを守る為の戦いというのが本当の真相だった。
その長きに渡る争いの決着が今――。
この浮遊動物園内において、遂に完結しようとしている。
「イェイ、イエイ、イェイー! オペラお姉様ーーっ。相変わらず見事な槍捌きで、とーっても素敵です! さぁ、一気に動物園の最下層まで降りちゃいましょうーーっ!!」
「……感じる。たしかにこの先に黒魔龍公爵はいる。エクレア、決して油断をするではないぞ。奴は我々の襲撃を何度も撃退し、女神教の本部があったフリーデン王国とミランダ王国を国ごと滅ぼしてしまった狡猾な男だ。この先に、どんな罠が待ち構えているやも知れぬぞ」
「了解ですーーっ! 罠の解除なら、ぜひ私にお任せをーーっ! 動物園内の敵はどんどん数を減らしているみたいです。噂通り動物園の魔王は、魔物を新たに生み出す能力が既に無くなっている可能性が高いようです、オペラお姉様っ!」
浮遊動物園の地下階層で待機していた魔物達では、侵入した2人の魔女の進撃を食い止める事は出来ない。
もし、魔王軍最大戦力であった緑魔龍公爵がまだ生きていたなら……。
このような魔女達による侵入でさえも、黒魔龍公爵と連携して撃退する事が出来たかもしれない。
緑魔龍公爵ことミレイユが、名実ともに魔王軍の最大戦力であった事は間違いなかった。彼女は冬馬このはを付け狙う魔女達と戦い、たった1人で魔女達を幾度も撃退してみせたのだから。
更に言えば、魔王軍の中で空戦部隊を指揮していた赤魔龍公爵がまだ生きていれば……。
接近してくる女神教の空戦部隊を浮遊動物園に近づく前に、空の上で迎撃する事も出来たかもしれなかった。
だが……今の魔王軍に残る4魔龍公爵は、もはや黒魔竜公爵のみである。
浮遊動物園の中で、眠りについている冬馬このはの側に常に控え、魔王軍全体の采配を振るってきた軍師でもある黒色魔龍公爵だけしか、今の魔王軍には戦力は残されていない。
「イェイ、イェイーーっ! オペラお姉様、見えてきましたよ。あそこがきっとこの動物園の最下層です! あの中にはお目当ての『眠り姫』と、性格が超悪いお付きの黒執事が待ち構えているに違いないですわ!」
「いざ……推して参る!!」
”ドゴーーーーーン!!!”
オペラの持つ銀色の長槍が、スクリューのように高速回転をして、浮遊動物園の地下10階層を閉ざしていた黒い扉をぶち破った。
既に動物園の内部には、先に侵入した2人の魔女達以外にも、数十名の屈強な女神教の騎士達が地上部分に降り立ち。外で魔王軍の残党狩りを始めていた。
その為、魔王である冬馬このはが眠る地下10階層に敵が侵入したにもかかわらず。2名の不老の魔女を追いかけてくる魔物はもう存在しない。
最下層にいる黒魔龍公爵を援護出来る魔物は、もうこの浮遊動物園の中には1匹たりとも存在しなかった。
魔女達は大きな扉を破り、広大な地下空間の中へと入る。
そしてお目当ての魔王、冬馬このはが眠っているブルークリスタルを視認した2名の魔女達は歓喜の声をあげた。
とうとう女神教の悲願でもある、女神アスティアが欲する10個目の魔王種子が手に入ろうとしているのだ。
長年にわたり、女神アスティアが研究し続けている『悲願』の達成に必要なもの。魔法の研究という分野においては、女神の役に立てない武闘派の魔女達にとって、今回の成果はまさに過去最大の功績といえるだろう。
――そう。きっと女神アスティアは、2人の魔女の立てた功績を喜んでくれるに違いないのだ。
「……予想よりも、来るのが早かったな。女神に仕える愚かな犬どもよ」
冬馬このはが眠る青い水晶のカプセルの横に、黒いソファーに堂々と腰掛けている黒髪の優男が、2人の不老の魔女達に声をかけてきた。
オペラとエクレアの2人は、視線を黒魔龍公爵へと移す。
この男こそが、魔王軍の大幹部。
動物園の魔王を守る4魔龍公爵の最後の1人であり、魔王軍を統率する実質的なリーダー。
黒魔龍公爵ことラプトルであった。
「あんたが黒魔龍公爵なのね。随分と見た目の若い、綺麗な顔立ちをした優男だったのねー! てっきりもっと無骨で、渋みのあるオッサンが出て来ると思ってたのにーっ!」
「……その青い水晶の中で眠っているのが、お前の主人の冬馬このはで間違いないのだな? 黒魔龍公爵よ」
エクレアとオペラの問いかけに対し。
黒魔龍公爵は微笑を浮かべる。
「動物園の魔王だって? くっくっく。お前達はまだ、このは様を邪悪な魔王として扱おうというのか? 面白い、ならば魔王様に仕える悪の守護者として、このオレも相応しい態度でお前達をもてなしてやろう!」
ラプトルは黒いソファーからスッと立ち上がる。
そして魔王軍のリーダーである黒魔龍公爵として、大きなマントを広げて臨戦態勢をとった。
魔王狩り達を率いて、魔王の命を刈り取る事を専門にした部隊を率いる2人の不老の魔女と。
動物園の魔王を守る4魔龍公爵の最後の1人――。
黒魔龍公爵との戦いが、今……浮遊動物園の最下層で始まろうとしていた。