第百九十二話 冬馬このは
魔王軍の実質的リーダー、黒魔龍公爵であるラプトルが真剣な表情で俺に告げてきた願いとは……。動物園の魔王であり、現在は眠り姫でもある『冬馬このは』を、この俺に引き渡すというものだった。
「…………」
ゴクリと、唾を一気に飲み込む俺。
ラプトルの目は真剣だ。そこには何かしらの策略や、陰謀を裏で企てているようには見えない。
もちろん俺にはまだ理解が出来ていないだけで、冬馬このはをコンビニの勇者に引き渡す事で、ラプトルにとって何か大きな利益が得られるような計画が、裏で動いていたりするのだろうか?
例えば、目の前のラプトルは女神教の連中と手を組んだとか。考えたくはないが、あの太古の悪魔である灰色ドレスを着たレイチェルさんに操られているとか……。
俺は首を横に強く振って、両目を何度も瞬きさせる。
そして大きく深呼吸をして心の整理をした。
魔王軍のリーダーである、ラプトルからの突然の提案。おそらくそこに、何かしらの陰謀が渦巻いているという可能性は、ほぼ無いと断言出来ると思う。
この100年間、魔王軍が世界の国々や女神教の連中と戦い続けてきた理由はただ1つ――冬馬このはの身の安全を守る為だ。
もちろん魔物に殺害された多くの人々や、滅ぼされた国々で暮らしていた人達には、魔王軍に対して大きな恨みがあるだろう。
だが、それでも……。黒魔龍公爵であるラプトルが目指していた目標は、純粋に主人である冬馬このはの身を守りたいという、一途な願いから行われていた事は間違いない。
そもそもラプトルにとって、主人である冬馬このはが死んでしまえば、自身の命もこの世界から消えてしまうはずだ。
そんな状況下で、自分の命以上に大切であるはずの冬馬このはの体を、この俺に託すと言ってきている以上――ラプトルの話は真実であると信じられると思う。
分からないのは、そこまで大切に守り続けてきたはずの『冬馬このは』を、どうしてこの俺なんかに突然引き渡すと考えたのか……だ。
「――自分の主人でもある動物園の魔王を、この俺なんかに手渡して本当に大丈夫なのか? 俺がお前の期待を裏切る可能性だってあるだろう。その考えに至った経緯を俺にも説明をしてくれないか?」
俺がラプトルの顔を、疑いの目で見つめると。
ラプトルはその場で両手をヒラヒラと振って、溜め息混じりに打ち明けてきた。
「別にカナタを100%信用しているという訳ではないさ。これはオレにとっても悔しい思いはあるが、いわゆる『消去法』の結果の選択なんだ」
「俺に『冬馬このは』を引き渡すのが消去法の結果だというのか? つまりは他の選択肢よりはベターだったと言いたいのか?」
「ああ……まさにその通りだよ、カナタ。メリッサの記憶を継いだドリシア王国の王女と話をしたのなら、多分カナタも聞いているだろう。オレ達は元々、この世界の北にあるという『禁断の地』を目指していたんだ」
『禁断の地』、それはこの世界の北にあるといわれている謎に包まれた大地だ。
そこには目に見えない透明な結界が張られていて。何人たりとも侵入をする事は許されない、聖なる土地とされている。
そして、結界の中へ無理矢理侵入を試みる者には、頭上から無数のミサイルの雨が降り注ぎ。炸裂する爆発音と共に、体を木っ端微塵に吹き飛ばされてしまうらしい。
その話はドリシア王国のククリアからも、俺は聞かされていた。
一説には、大昔にこの世界を支配した大魔王が作り上げた結界なのではという噂もあり。その結界の中に逃げ込む事が出来れば、女神教の連中に追われることのない安寧の日々を過ごす事が出来る。
だからこの世界に召喚された異世界の勇者達は、禁断の地の中に存在すると噂される『楽園』を求めて、遥か北の大地を目指す――とも言われていたらしい。
もっとも、その北にある禁断の地には一体何が潜んでいるのか。それを俺は『太古の悪魔』との遭遇……という形で、つい最近経験してしまった訳だけどな。
「ラプトル、北にある禁断の地にはおそらく『楽園』はないと思うぞ。あそこにいるのは、きっと……」
「――知っている。北の地には大昔にこの世界で暴れ回った過去の大魔王。カナタと同じ能力を持つ異世界の勇者が残した『巨大コンビニ』が潜んでいるのだろう?」
どうしてその事を? と驚いた顔をした俺に。
ラプトルは遠い目をしながら、重い声で告げてきた。
「オレは全部、見ていたんだよ……。カナタが魔王領に住む灼熱砂漠の魔王と戦っていた時に。北の地から突如やって来た、あの巨大な化け物と遭遇をした事をな」
「見ていただって? じゃあ、あの時にこの浮遊動物園もすぐ近くにいたって事なのかよ!?」
「もちろん実際には女神教の魔女の連中や、あの巨大コンビニに目をつけられない程度の距離は保っていたがな。だが、その時の様子を遠くから見させてもらって、オレは全ての真実を知ってしまった。北の禁断の地は、オレ達が思い描いていたような『楽園』ではなかった。むしろ邪悪な化け物が潜んでいた。禁断の地はまさに地獄と呼べるような恐ろしい土地だったと分かったのさ」
あの灰色ドレスを着たレイチェルさんと同じ姿をした女が俺の前に現れた時――。
ラプトルもその様子を、遠くから見ていたらしい。
「オレも紫魔龍公爵ほどではないが……。この世界の秘密を解き明かして、異世界の勇者にとって安全と噂されている北の禁断の地に、このは様を避難させたいと考えていたんだ。それがまさか、あんな化け物が眠っているような場所だったとはな。本当にとんだお笑いものさ。あの場所を目指して、今までずっと人間達と戦いながら、この世界の秘密を探ろうと北の地を追い求めてきたんだからな」
「目指していた場所が理想の『楽園』ではなかった。それで全てを諦めて、冬馬このはの体をこの俺に預けようと考えたのか?」
ラプトルは首を小さく横に振る。
「もちろん、理由はそれだけではないさ。魔王軍を東の人間領から撤退させたのは、4魔龍公爵が次々と倒されてしまったからではあるが……。実は、魔王軍に所属する魔物達の数が段々と減り始めていたのさ」
ラプトルが説明によると、冬馬このはの能力の暴走によって無限に生み出され続けてきた魔物達の数が……最近はなぜか減少し始めているらしい。
つまりは眠り姫である『冬馬このは』の力が、少しずつ弱まり始めていたのだ。
動物園の魔王軍が、魔王領に住む3人の忘却の魔王達や、女神教の魔女達にも恐れられていたのは――。無限に増殖する魔物軍団の『総数』による力の脅威が大きかった。
それなのに生み出される魔物達の数が減ってきているという事は、事実上、魔王軍が弱体化し始めていたという事だ。
ラプトルはその事実を必死に隠していたが、味方の4魔龍公爵達を次々と失った事で、とうとう魔王軍の総撤退を決める事にした。
このまま魔王領の中に隠れていても、いつかは女神教の魔女が率いる『魔王狩り』達に見つかってしまうだろう。だからそうなる前に、何としても冬馬このはの体を安全な場所に隠したいと願い、託すべき場所を探し続けていたらしい。
「――それで、最終的に1番安全だと考えたのが、今まで魔王軍と敵対していた『コンビニの勇者』に託すという決断だった訳なのか」
「本当に安心なのかどうか。そして信用が出来るのかどうかは、最終的にオレがカナタに直接会って見極めようと思っていた。あの巨大なコンビニと、それを操る守護者の女と対峙をしているカナタの様子を見て……。オレはコンビニの勇者は信用に足る人物だと判断した。だからオレはカナタと直接会って、メリッサの意志を継ぐ者とも繋がっていたという事実が聞けて、心の底から安心が出来たのさ。きっとカナタならこのは様の体を大切に扱ってくれるだろう、ってな」
「動物園の魔王である冬馬このはが、魔物を生み出す力が弱まってきているのは分かった。でも、それでも能力の暴走自体はまだ完全に止まった訳ではないのだろう? 危険な魔物を大量に生み出してしまう動物園の魔王の体を、コンビニ共和国の中で安全に管理していく事は本当に可能なのか?」
心情的には、俺自身に魔王である冬馬このはに対して、何か恨むような事や思う所は特に何もない。
むしろ眠っている間に能力が暴走していたのなら、本当にどうしようもないだろうとさえ思う。
でも……コンビニ共和国で暮らす、壁外区に住んでいた住人達や、この世界で魔王軍の魔物達に苦しめられてきた人々からしたら。俺が動物園の魔王を保護している事を知ったら、きっと良い顔はしないだろうな。
この世界は魔王軍の魔物達によって、約100年にも渡りずっと苦しめられ続けてきたのだから。魔物に家族を殺された人々は膨大な数になるだろう。
「このは様の体は、特殊なクリスタルの中に保管をする事で魔物を生み出さない状態にする事が可能だ。その事にオレが気付いたのも、実はつい最近の事なんだがな……。睡眠用のブルークリスタルが壊れない限りは、このは様の体を安全に管理する事が出来るだろう」
「ラプトルはこの先、一体どうするんだ? 眠り続けている大切な主人の体を俺に預けて、残った魔王軍と共にお前はこれから何をするつもりなんだ?」
俺はラプトルが心の奥底では一体何を考えているのか、まだ掴みかねていた。
魔王である冬馬このはの体を俺に預けたとして、その後ラプトル自身はどうするつもりなのだろう?
俺達と一緒に、コンビニ共和国陣営に加わって追撃してくる女神教の刺客と戦おうというのか。それとも、何か他に独自の行動を取る予定でもあるのだろうか。
「オレにだって考えている事はあるさ。まあ、強いて言うなら、あの巨大なコンビニと女神教の魔女。そして死んだ砂漠の魔王とカナタとのやりとりを見て、このは様の安全を確保する為のアイデアがオレの頭の中に浮かんだ……という所だな。オレはこれから、それを実行に移そうと思っている」
「アイデア……? それは一体、何なんだ?」
「悪いな、カナタ。それは今は言う事が出来ない。だが、カナタやコンビニの勇者を支持する陣営に不利益になるような事は決してしないと、オレは約束しよう。仮にも、このは様の体を預けているんだ。コンビニの勇者とその仲間達が、今後もこの世界でこのは様の事を大切に見守ってくれるような状態になっていなければ、その身を託したオレ自身が困ってしまうからな」
頼み込むような目線で、小さく頭を下げるラプトル。
俺は交渉術においては、まだ未熟だからかもしれないが。今のラプトルは嘘はついていないように感じられる。
いつ目覚めるのか、それとも永遠に目覚めないのかもしれない主人である冬馬このはの体。
しかもその能力は、どんどん弱まっているらしい。
それを今まで敵対していた陣営である、コンビニの勇者に託すというのだ。
ラプトルが最後に何をしようとしているのかは、まだわからないが……。少なくともコンビニ共和国にとって不利益になるような事を画策しているとは思えない。
もしそんな事をすれば、ラプトルにとっては預けた冬馬このはの体を、俺達に守って貰えないかもしれないというリスクを負ってしまうからだ。
「分かった。俺はラプトルの話を信じるよ。そしてその願いを受け入れよう。少なくてもこの俺が健在である限り、お前の主人である冬馬このはの体を、責任を持って守り続けると約束をしよう!」
俺の言葉を聞いたラプトルは、黒髪を片手で撫でながら『ハハッ……ありがとうな、カナタ』と少年のような笑みを見せた。
ククリアから聞いた黒魔龍公爵の話では、冷静沈着で寡黙な男だと聞いていたけれど。
俺が話したこのラプトルは、予想よりもずっと情に厚いタイプの男のように見えた。少なくとも、倉持や金森のような理解不能なサイコパスさは全く感じないな。
むしろ、もう少し早く俺はこのラプトルという青年に出会いたかったと、心の底から残念に思ったくらいだ。
何て言えば良いのか、分からないが……。そう、きっと俺とラプトルは性格の波長が合うのだと思う。
普通にプライベートで会えば、飲み友達とか、話の合う親友にもなれたかもしれないな。
「ラプトル、お前の話を信じて受け入れる上で、どうしても俺はお前にお願いしないといけない事がある」
「ああ、分かっているさ。今からカナタを俺の主人であるこのは様に会わせる。そうでないと、オレが本当に真実を語ったのかどうか疑わせてしまうだろうからな。オレの願いを聞き入れてくれたカナタを、オレは最後まで信用する事にする」
ラプトルがソファーの上で突然、指を鳴らした。
すると――。
”ヴイーーーーーン”
突然、最下層である地下10階フロアの床一面の色が変化し、ガラス張りの床へと変貌していく。
突然の事に戸惑う俺に、ラプトルは全面ガラス張りに変わった床の下にある地下空間の中心に置いてある、青い光を放つ物体を指差した。
「あれは………」
「あそこに眠っているのが、オレのご主人様である『冬馬このは』様だ。もう100年以上もあのまま目を覚ましていない。オレの作ったブルークリスタルの力で、今は魔物を無限に作り出してしまう能力の暴走は抑え込んでいるがな」
一面ガラス張りの床の真下に、青い光に包まれた水晶のような容器の上で、1人の綺麗な女性が横たわっていた。
その姿は幻想的な青い光に照らし出されて、まるで妖精のような妖しい美しさを放っている。
「その女性が、冬馬このはなのか……。凄く綺麗な女性だな。日本人だと聞いていたけれど、髪の色が真っ白に見えるな」
「このは様は魔王化をした際に、その頭髪が全て美しい白色に染まってしまったのだ。きっと能力の暴走が原因だろう。だが、髪の色が透き通るように美しい白色に変わっても、世界一お美しい女性である事には何も変わりない」
ラプトルは、自分の主人である冬馬このはに対して美辞麗句を並び立てて、その美しさを称賛する。
それを聞かされた俺は、思わずニヤけてしまった。
さすがは無限の勇者に仕える守護者のリーダーだな。自分の主人に対する忠誠心と陶酔っぷりが半端ない。
でも、ラプトルの言う話は確かに本当だと思う。
上から見下ろして見ている俺の目にも、冬馬このはという女性は美人に見えた。
背が高くモデル体型をしていて、身長は160センチは超えている。もし異世界に召喚されずに日本にたら、雑誌のモデルとしても充分に活躍出来そうなルックスに思えた。
「――ん? ラプトル、あの青いクリスタルの横に置いてある物は何だ?」
俺は、冬馬このはの体が横たわっている水晶のカプセルの横に、もう1つ同じ大きさの青いクリスタルのケースが置かれている事が気になった。
「アレはダミーさ。オレの能力で、このは様と全く同じ姿をした手作り人形を作成して中に入れてある」
「えっ、ダミーだって……? それって影武者のようなものなのか? 何かあった時に、本体を守る身代わりにする為に置いている、という事なのか?」
「…………」
なぜか、ラプトルは俺の問いかけに返事を返してはくれなかった。
それは決して俺を無視した訳ではなく。何か答えられない事情があるような、重苦しい顔をしていた。
どうやらラプトルには、やはり俺にはまだ答えられない何かの考えがあるようだな。あそこに置いてあるもう1つの青いクリスタルのカプセルはきっと……。これからラプトルがしようとする『何かの計画』に必要なものなのかもしれない。
「カナタ、オレがお前に信用をして貰う為にも、オレからも1つ提案をしたい事がある」
「提案……?」
それは一体何だ、と疑問顔を浮かべている俺に対して。
ラプトルはまるで俺の心を見透かしたように、俺に有益になるような提案を持ち掛けてきた。
「空中浮遊の出来るこの巨大動物園をカナタに貸してやろうと思う。外の砂漠でカナタの帰りを待つ1000人以上の人間達を、コンビニの本拠地まで一度に連れていくのは大変だろう。浮遊動物園をぜひ輸送用に使ってくれ。この巨大動物園なら、沢山の人間達を空から運んで行く事が出来るだろうからな」