第百九十一話 ラプトル
『ようこそ、コンビニの勇者さん』と、そいつはまるで学校の同級生のような親しげな口調で、俺に話しかけてきた。
ここは砂漠に降り立った、空中浮遊動物園の最深部。
大階段を降りて辿り着いた地下の最下層。地下10階の大広間の中で、俺はとうとう100年近くも、この世界を混乱に陥れてきた魔王軍の実質的首謀者と直接会う事が出来た。
黒魔龍公爵と名乗った男は、黒革のソファーに体を深く預けて腰掛けている。名前からして、きっと恐ろしい雰囲気を持った男なのだろうと警戒していたけれど。
予想に反して、それほど高圧的に印象は無かった。
見た目の姿は、若い高校生くらいの風貌に見える。
短めの黒髪で中世的な外見。身長は165くらいでそれほど高いという訳でもない。
キリッとした目つきと鼻筋の通った顔つき。もし学校にいたら女子人気の高い、童顔アイドルのような爽やかなルックスを持った奴だと思った。
「お前が、黒魔龍公爵なのか? お前がここにいるって事は、動物園の魔王である『冬馬このは』も近くにいるって事でいいんだよな?」
俺は見た目の幼そうな青年の黒魔龍公爵に尋ねながら、周囲の様子をキョロキョロと見回してみる。
この地下10階は他の階層とは異なり、魔王軍に所属する魔物達は1匹も存在していないようだった。今の所ここにいるのは、目の前にいる黒魔龍公爵を名乗る青年ただ1人だけのように見える。
「そうだね、もちろん魔王様はこの階のどこかにはいるよ。でもオレはあんたをまだ、魔王様に会わせる気はない。もし会わせた途端に、いきなり無防備なこのは様の首を切断しようとしたり。不老の力を生み出す魔王種子の心臓を抉り出そうとされても困るからね」
「俺はそんな非道な事は絶対にしないと約束するぞ。紫魔龍公爵の記憶を引き継いだドリシア王国の女王、ククリアからも頼まれているからな。まずはお前と直接会って、話をしてきて欲しいってな」
俺が紫魔龍公爵の名前を出すと、黒魔龍公爵は目を見開いて驚いたような顔つきをした。
「メリッサの記憶を引き継いだだって……? それはとても興味深いな。もし良ければオレにもその事を詳しく教えて貰えないか? コンビニの勇者さん」
黒革のソファーから身を乗り出すようにして。興味深そうに俺に聞いてくる黒魔龍公爵。
だが、俺は一瞬だけ……黒魔龍公爵が呼んだ人物の名前が誰の事か分からなくて困惑をしてしまう。
「……ん? メリッサって一体誰の事だ?」
俺の顔に疑問符が浮かんでいるのを察した黒魔龍公爵が、首を小さく横に振って謝ってきた。
「あー、すまない。メリッサはコンビニの勇者さんが今言った紫魔龍公爵の本当の名前さ。オレ達動物園の魔王の守護者にだってそれぞれ名前がある。黒魔龍公爵なんてのは、魔王軍の役職としての肩書きで、この世界の人間達がオレ達に付けた便宜上の呼称に過ぎないからな」
黒魔龍公爵が言うには、動物園の魔王の守護者でもある4魔龍公爵達には元々、それぞれ固有の名前があったようだ。
黒魔龍公爵――『ラプトル』
緑魔龍公爵――『ミレイユ』
紫魔龍公爵――『メリッサ』
赤魔龍公爵――『デイトリッシュ』
というのが、4魔龍公爵達の本来の名前であるらしい。
よくよく考えてみれば、まあ、それも当然か。
うちのコンビニの守護者にしたって、アイリーンの事を『青髪姫騎士将軍』とか。
レイチェルさんを『桃髪宿支配人将軍』だなんて、変な呼び方では呼ばないものな。
魔王軍幹部としての黒魔龍公爵という呼び方も、本来の『ラプトル』のいう名前とは全然関係ないものらしい。
しいて言うなら黒髪の青年という事くらいしか、肩書きと共通する部分は見当たらないな。
「そうさ。だからオレの事はラプトルと呼んでくれて構わない。黒魔龍公爵なんて大仰な名前は呼びづらいだろうからな」
「そういう事なら、俺の事もコンビニの勇者さんではなくて、『秋ノ瀬彼方』という名前で呼んでくれ。その方が俺も話しやすいからな」
「分かった。じゃあ、今からオレはあんたの事を『カナタ』と呼ばせてもらう事にしよう。改めてカナタ、今のメリッサの話についてはとても興味深かった。オレはもうメリッサはこの世界ではとうに死んだものだと思っていたからな。アイツはメンタルも弱かったし、ある意味、魔王様の性格に最も近い、繊細過ぎる心の弱い守護者だったからな。きっとどこかで自害をして果てたのだと思っていたのだが……。まさかその記憶の一部を受け継いでいる存在がいたとは驚きだ」
俺はドリシア王国のククリアから聞いた、紫魔龍公爵こと、メリッサの最期の顛末の話をラプトルに伝える事にする。
俺が紫魔龍公爵の記憶を継いだククリアと話した内容。主に冬馬このはが、魔王化による力の暴走で眠りから覚めない状態に陥ってしまっている事。その暴走により無限に魔物が動物園から生み出されて、その魔物の軍団が魔王軍としてこの世界で暴れていた事。
そして最後にククリアから頼まれた、主君である冬馬このはについて託された願い。
悪夢のような眠りから永遠に目覚めない魔王、冬馬このはの能力の暴走を、もう止めて欲しいという願いについても、目の前に座るラプトルに話してやった。
「――なるほどな。たしかにそれはメリッサらしい願いだ。その気持ちはオレも分からなくはない。……だが、オレはどんな時でもこのは様の命が永遠に生き長らえる事を望む。だからメリッサの願いを聞き届ける訳にはいかないな。それは例え、このは様がこの先……永遠にこの世界で目を覚まされなかったとしても変わらない」
ラプトルはソファーの上で目を閉じて、静かに沈黙する。
見た目は青年のような若さを持つラプトルだが、ソファーで考え込む姿は、年配で物知りな賢者を思わせる雰囲気と深みを感じさせた。
魔王軍の統治者として、黒魔龍公爵が何も考えなしにこの世界の破壊を優先させていた訳ではないという事が、俺にはその様子から感じ取る事が出来た。
しばらく沈黙していたラプトルは、突然『フッ…』と、安心したように温和な表情を見せて笑うと。
俺に対して、再び優しい口調で話しかけてくる。
「――そうか。それならなおさらオレは、安心する事が出来た。きっとオレがこれから選ぶであろう選択肢は、やはり正しかったのだと、より確信が得られたからな」
両腕を組み、1人で何かに納得したらしい様子を見せるラプトル。
そんなラプトルに、俺は疑問に思っていた事を尋ねてみた。
「ククリアは最初、オレに冬馬このはを殺してその暴走を止めて欲しいと願っていた。でも今は、お前と直接話をして欲しいという想いに変わっているようだ。だから俺はまず、魔王軍を実質的に支配しているお前と、ずっと話をしたいと思っていたんだ。ラプトル、お前は今、一体何を目的に行動しているんだ? 東の人間領から撤退した魔王軍を、今後はどうしていくつもりなんだ?」
ラプトルは一瞬だけ頭上を見あげて、考え込むような仕草をとる。そしてすぐに俺の目を真っ直ぐに見つめ直して、返答をしてきた。
「どうするも何も、オレにはもうどうしようもないよ。今や動物園の魔王軍は壊滅状態だからな。残された4魔龍公爵も、今ではオレ1人だけだ。しかもオレはこの動物園から外には出られない。これじゃあ完全にお手上げさ。今は女神教の『魔王狩り』達に見つからないように、ひっそりと逃げ続ける事しか出来ない。それも全て、カナタがミレイユやデイトリッシュ達を倒してしまったからなんだがな……。まあ、その事はもういい。全ては過ぎた事だ」
ラプトルは黒髪を掻きむしりながら、投げやりな態度で舌打ちをする。その態度は、どこか自暴自棄になっている様子にさえ見えた。
「お前は100年もこの世界で人間達と戦い続けて、一体何が目的だったんだ? 動物園の魔王はずっと目を覚ましていないんだろう? なら、この戦いは全てお前が直接指示をして行ってきた事になる。人間と戦争を続けて、最終的には何を達成したいと思っていたんだ?」
黒魔龍公爵である黒髪の青年ラプトルは、魔王軍の全てを指揮していた。
紫魔龍公爵をはじめとする他の4魔龍公爵達に対しても、眠り続けているはずの冬馬このはから思念を受け取ったと味方を欺いて、人間達との戦争を続けさせていた。
つまりこの世界で100年近く続いていた、人間と魔王軍との戦争は、この目の前にいるラプトルの一存だけで続いていたといっていい。
沢山の犠牲者が出た。滅ぼされた国だって幾つもある。
一体この男の最終目的は……何だったのだろうか?
「オレは、このは様の命を守るという事以外に何も興味はない。その為なら人間共を全滅させる事だってする。この世界に敵対的な人間達が存在をする限り、このは様の命はずっと脅かされ続けるからな。だからオレは魔王軍を組織して全ての人間を滅ぼそうとしたのさ。オレの考えは、メリッサには最後まで反対されたけどな……」
「この世界の人間全てが、女神教の関係者という訳ではないだろう。それなのに全ての人間を抹殺するというのはやり過ぎじゃないのか? 中には何も罪もないのに、魔物の襲撃によって犠牲になった人が大勢いたはずだ」
俺の厳しい問いかけに対して、ラプトルは無表情のままで答える。
「――だとしても、オレには興味がないな。どの人間が、このは様にとって『害』があるのかどうか、それを見極める線引きをするのは不可能だ。オレは『人間』という種族全体が、このは様の身にとって危険だと判断をしている。それにオレ達、無限の勇者を守る守護者にとって、人間は同情の対象となるべき同族ではない。守護者にとっては生み出してくれた主人の身を守る事が全てだ。その意味では人間は、農作物に害を及ぼす害虫と同じカテゴリーなのさ。それを意識せずに駆除している人間達と同じで、オレは人間を滅ぼそうとする事に、躊躇する気持ちは全く湧かないな」
ラプトルの解答に、どうやら俺は不快感を示した顔つきをしてしまったらしい。
そんな俺に対してラプトルは、『それはお前の守護者達も同じなのだぞ……』と、説明を付け足してきた。
コンビニの守護者達も外見は人間と似ていても、決して人間の仲間という訳ではない。だから、この世界に生み出された時から、人間に対して特別な思い入れは全く無い。
もし守護者が人間に対して同情的に振る舞っていたとしたら。それは、主人である無限の勇者の心の影響を強く受けているかららしい。
もしコンビニの勇者であるこの俺が、この世界で闇堕ちをすれば……。その配下の守護者達は、遠慮なくこの世界の人間達を殺害していくだろうとラプトルは冷静に告げてきた。
そんな事は絶対にあり得ない、と言いかけて。
俺はあの灰色のドレスを着た、巨大コンビニを操る太古の悪魔の姿を思い出して、口ごもる事しか出来ない。
たしかに、もし俺が人としての道を踏み外せば……。レイチェルさんや、アイリーン。そしてセーリスは今とは違う考え方を持って行動をしていたのかもしれないな。
思い返せば、そういう挙動をしかねない雰囲気を、コンビニの守護者達から感じとれる事もあった。
レイチェルさんも、最初はコンビニ帝国を作りたいと熱心に願っていたみたいだし。俺を無限に生かして、永遠のコンビニの繁栄を願っていたとしても……不思議はないのかもしれない。
「まあ、そういう事さ。オレはもし、このは様が目を覚まされたら、決して許して貰えない事をしたと思っている。でも反省はしていない。この世界から人間を全て排除する事。それが最終的には、このは様の安全を確保する為に最も正しい方法だったと信じているからな。方針は違えど、緑魔龍公爵のミレイユや、赤魔龍公爵のデイトリッシュもオレと同じ事を考えていたと思う」
「――そうか。それで、そんな考えを持っていたお前がどうして今回、コンビニの勇者である俺に会おうと思ったんだ? 冬馬このはの身の安全を考えるのなら、今は人前に姿を現すのはかなり危険なんじゃないのか? せっかくステルス機能を備えた浮遊動物園なんだ。ずっと空の彼方に隠れていた方が安全だったろうに、その危険をわざわざ犯してまで、俺に直接会いに来た理由を知りたい」
黒魔龍公爵こと、黒髪の甘い素顔を持った青年――ラプトルは、改めて俺の全身をマジマジと見つめ始める。
上から下へ視線動かして、まるで値踏みをするように俺の全身をゆっくりと見つめた上で。
いったんその場で深い吐息を吐き。重い口を開くようにして、ラプトルは自身の願いを告げてきた。
「オレはこのは様の事を、あんたに委ねようと思っているんだ。カナタ、眠りから覚めない動物園の魔王様の体を、どうか受け取ってはもらえないだろうか?」