第百八十七話 幕間 城塞都市カディナの終焉①
「ご当主様、サハラ様はどちらにおられますか!?」
綺麗な白髪の頭に、立派な白髭を口に貯えた。
長身で初老の男性が客間に慌てて駆け込んでくる。
ここはカディナ自治領の中心部にある、白亜の宮殿。
城壁に囲まれた商業都市カディナの中でも、その豪華さが1、2を争うと言われている、交易商サハラ・アルノイッシュの暮らす大豪邸だ。
「――ん? なんだ、アドニスか? どうした、ワシに何か用か?」
客間に座り、豪華な昼食を食べている当主の不機嫌そうな返答が返ってきた。
その見た目は、黄金色の装飾品で全身を着飾り。高級で美味な食材を年中自宅で食べ続けていたら出来上がるであろう、巨漢な体付きをした大金持ちの商人である。
そしてその人物は――コンビニの勇者と共に、冒険の旅に出ているティーナ・アルノイッシュの実の父親でもあり。今、客間に慌てて入って来た老執事アドニスが仕える、豪商アルノイッシュ家の当主でもあった。
「サハラ様、大変でございます! グランデイル王国軍が10万人を超える大軍で、このカディナの地を征服しようと乗り込んできます。急いで身支度を整えて、すぐにこの街から脱出をした方が良いと思われます……!」
「な、なぬぅ……!?」
屋敷に仕えている老執事から、いきなり不穏な知らせを聞かされたサハラ。彼は手にしていた大きな骨付き肉をテーブルの上に慌てて落とし。口に含んでいた高価なワインを『ぶふぅ〜っ』と正面に勢いよく吹きこぼしてしまう。
「ま、ま、まさか……! そんな事が起こり得る訳があるまい!! ふざけた事を申すでない、アドニス!! このたわけ者があああぁぁぁッ!!」
激昂したサハラは、アルノイッシュ家に長く仕える老執事に向かって。いきなり大きな怒鳴り声を浴びせかけた。
たしかにグランデイル王国を出発した女王クルセイスの率いる大軍が、このカディナの地に物資の補給の為に立ち寄るという報告は、サハラの耳にも入ってきている。
グランデイル王国軍は、魔王領に隠れているという魔王を討伐する為に、遥か西にある魔王領に向けて、自国の騎士団約10万人を引き連れて大遠征を行っている最中なのだ。
今回の遠征には、ミランダの地で魔王軍の大幹部である緑魔龍公爵を倒したと噂の異世界の勇者――倉持悠都も参加しているらしい。
今や名実共に、全世界の期待を一身に集めている『不死者』の勇者。彼はその仲間の異世界の勇者達である、
『結界師』の勇者である、名取美雪。
『氷術師』の勇者である、霧島正樹。
――の2人を、引き連れて。
魔王領に住む魔王と、魔王軍の残党を討伐する為にグランデイル軍と共に西に向かっている。
更には人類を裏切り、新たに『魔王』へと転生したと噂される……元コンビニの勇者である『コンビニの魔王』をも打ち滅ぼす為に。
グランデイル王国遠征軍は、人間領に暮らす全ての人々の期待を背負って、単独で危険な西の魔王領へと乗り込もうとしているのであった。
そんなグランデイル王国軍が、商業自治都市であるカディナ自治領を征服しようと画策している………?
バカな、そんな話は全く聞いていないぞ!
老執事アドニスからもたらされた話は、サハラにとってはまさに寝耳に水な知らせであったのは間違いない。
「――サハラ様、現実は時に物語よりも残酷である場合が往々にしてございます。私は若い頃、長い間戦場に身を置いていた事がありましたが……。補給物資を街に買い付けにきた軍隊は、あれほどの人数を擁して市街地に入ろうとは致しません。まして街の周囲を取り囲むのは不自然過ぎます。あれは明らかに、侵略や征服を目的にした軍隊の動きでございます」
「バカな事を言うな! クルセイスは今回の遠征に必要な兵糧、武器、補給物資の全てを、カディナ自治領の商業組合から独占的に購入してくれるという約束をしてくれたのだぞ! 10万を超える大軍の軍事物資だ。今回の取引だけで、街を一つ買い占められるほどの金貨が手に入るといのに。それを全部ドブに捨てて、この街からおめおめと逃げ出せとでも言うのか!!」
叱責された老執事は、怯まずに主人への進言を続ける。
「敵がカディナの街を軍事制圧しようと狙っているのは明らかです。おそらく既に街に侵入を開始しているグランデイル王国軍の動きから見て……。敵はカディナ商業組合の主要な富豪層である、大商人に真っ先に狙いを付けて襲撃してくるでしょう。彼らの狙いが、この地の制圧と占領が目的であるなら。街に住む大商人とその家族を全て始末しようとしてくる可能性もございます」
執事のアドニスの声は、どこか悲壮感に満ち溢れている。
それは、この事態に陥るまでグランデイル王国軍の狙いを看破出来なかった、自らへの後悔の念もあった。
せめてあと数時間早く敵の狙いを見抜けていれば。アルノイッシュ家に住む、当主とその家族達だけでも街の外に逃す事が出来たかもしれないのに……。
だが、今となってはもう、それさえも困難な状況となってしまっているのは間違いない。
既にカディナ自治領の周辺は、10万人を超えるグランデイル軍の大軍に包囲されている。この状況下で50人近い人数がいるサハラ家の家族全員を街から逃すというのは、ほぼ不可能に近いだろう。
そして最大の問題は……。おそらくこの緊急事態を当主であるサハラ・アルノイッシュに伝えたとしても。
その危機をきっと理解しては貰えないであろう、という確信がアドニスにはあったからだ。
老執事からの緊急の知らせを聞かされた、アルノイッシュ家の当主の反応は、
「――アドニス!! お前には今回のグランデイル軍との商談の重要性がまるで理解出来ておらんようだな! 我がアルノイッシュ家は今回の遠征軍への物資供給によって、莫大な富を得る事が約束されておるのだぞ! それを全て棒に振って、脱兎の如く無一文でこのカディナの街から逃走せよというのか! このワシをバカにするのもいい加減にせいッ!」
客間に豪商サハラ・アルノイッシュの怒声が響き渡る。
叱責を受けた老執事のアドニスはなおも嘆願を申し出るが……。当主であるサハラに、その願いを聞き入れて貰う事は遂に叶わなかった。
それどころか当主のサハラは、客間に使用人達を呼び寄せ。強引にアドニスを部屋から追い出してしまったのである。
カディナの交易商であるサハラ・アルノイッシュは、今回のグランデイル遠征軍との商取引に、自らの命運をかけていたと言ってもよい。
実はサハラは、ここ最近カディナ商業都市内の交易商としての地位と権力が著しく弱まっていたのだ。
その原因は、全てコンビニの勇者にある。
ミランダ遠征の後。それまで壁外区など、一部の住人達からは英雄のように扱われていたコンビニの勇者の評価は……突然、女神教の教会が発表した布告によって一気に貶められてしまった。
教会の神父曰く――。
コンビニの勇者は、大昔に存在した伝説の魔王の生まれ変わりであり。ミランダの地にて人類を裏切り、数万を超える世界連合の騎士団を大量虐殺した張本人であると。
これまで自らが魔王であるという事実を隠して、世界中の人々を油断させようとしていた事。その裏では魔王軍と結託して、内部情報を魔王軍へとリークしていた事。
そして極め付けは、人間の体を魔族化させるという不吉な商品を世界中にばら撒き。この世界全体を秘密裏に支配しようと画策していた……などという情報が、女神教の教会によって一気に広められてしまったのである。
それもこの情報は、女神教の実質トップである枢機卿の発表として、世界中に発信された。
女神教を信仰する世界各地の首脳達も、その発表を鵜呑みにし。
先にカルタロス王国で開かれた世界会議では、コンビニの魔王の配下の者達が集う場所に、討伐軍の派遣が決定されたほどである。
カディナの街の中でも、それまで重宝されていた異世界のコンビニ商品は全て不吉な物として処分されてしまった。
まだコンビニの勇者を信奉していた一部の壁外区の住民達も、壁外区から追放をされて全員街の外に放り出されてしまった。
そしてちょうどその頃、カディナの街を牛耳る大商人達の間では、アルノイッシュ家の娘がコンビニの中で働いていた……という噂が広まり始めていた。
その為、急激に交易商サハラの立場は危ういものとなってしまっていたのである。
サハラは街の商人組合の中で必死に弁明し。コンビニで働いていたと噂の少女は、自らの娘ではなく全くの別人であった事。サハラの娘だけでも全部で27人もいるのだから、似たような容姿の少女と勘違いをしたのであろう……と必死の言い訳を繰り返して。何とか、商業組合内での処分と追求を免れたばかりの状態であった。
だが、この一件でアルノイッシュ家の信用は失態し。
以前のような、国家規模での大取引は任せて貰えないような状況が続いていた。
そんな所に飛び込んだのが、今回のグランデイル王国遠征軍との大商談だったのだ。
今回のグランデイル遠征軍への物資補給の話は、アルノイッシュ家を始めとする、カディナ商業組合を代表する多くの大商人達のもとに同時に持ちかけられている。
魔王軍との戦争が終わってしまえば、これまでのように武器や防具類。そして長期の戦争に必要な穀物や、兵糧などの全ての軍事需要が一気に失われてしまう可能性がある。
もしそうなら、これが戦争終結前に荒稼ぎの出来る最後のチャンスなのだ。
元々、グランデイル王国とはここ最近は絶縁関係にあったカディナ商人達も、この大きな商取引の魅力には勝てない。全員が目の色を変えて飛び付いた。
戦争により利益を得ていたカディナの大商人達にとっては、この千載一遇のチャンスを逃すような事は絶対に出来ない。
カディナの街を代表する大商人であるサハラとしても、他の商人達に出遅れないように。今回のグランデイル遠征軍からの緊急要請――補給物資をカディナ自治都市に立ち寄って、大量購入をしていくいう大商談に乗っかるしかなかったのである。
客間から追放された老執事アドニスは、唇を噛み締めながら最後の覚悟を決める事にした。
「もはやこれまで……せめてティーナ様だけでも、この街を離れて下さっていて本当に良かった。コンビニの勇者様、どうかティーナ様をよろしくお願い致します」
アドニスは白亜の豪邸内を急いで走り、自室へと戻る。
そして久しぶりに過去に自らが愛用していた、古い1本の剣を取り出した。
長年使用する機会が無かった剣だが、その手入れだけは今も欠かした事は決してない。
手にした剣を腰に回して、アルノイッシュ家の老執事――『アドニス・ド・グランデイル』は……。
遠い過去に捨てた祖国との因縁に決着を付ける為に。
再び戦う決意をするのであった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
アルノイッシュ家の老執事であるアドニスを、客間にから追い出したサハラのもとに。
ほんの30分ほどしか経たずに、今度は別の使用人達が大挙して押し寄せてきた。
「ご当主様、た、大変ですーーッ!!! て、敵が……グランデイル王国軍が大軍でカディナ城壁内に、一斉に侵入してきました!」
「何だと!? そんな、バカな事が……!」
まだ客間で豪勢に食事を頬張っていた、サハラは目を見開いて驚愕する。
「ご当主様、どうか逃げて下さい! グランデイルの騎士達は城壁内に住む有力な商人と、その家族達を皆殺しにしているようです! おそらくグランデイル軍は、このカディナの政治的な統治機構を全て破壊するつもりのようです!」
大商人サハラの背筋が一瞬にして凍りつく。
先ほど、老執事のアドニスから告げられていた事態がまさか、現実に起こってしまうなんて!
だが今回ばかりは、使用人達の言葉を信じざる得ない。
客間に駆け込んできた使用人達は全員、全身が血まみれに染まっていて、体中に剣で切り付けられた傷があるからだ。
更に豪邸内のあちこちから、悲鳴の合唱が響き渡ってきている。その無数の悲鳴と絶叫の怨嗟が聞こえてくるのは、アルノイッシュ家の白亜の豪邸内からだけではなかった。
そう……。今やこのカディナ自治都市のあらゆる場所で。
グランデイル騎士団による、カディナ市民への無慈悲な大量虐殺が行われているのだ。
「くッ………!!」
サハラは血まみれの使用人達に誘導されて、いったん客間の外に出る事にする。
豪邸内を逃げ回りながら、その視界には既に屋内に侵入してきている無数の敵の騎士達が目に入ってきている。
グランデイルの騎士達は、アルノイッシュ家に長年仕えてきた使用人達を容赦なく斬り殺していく。
そしてちょうど運の悪い事に、この日はアルノイッシュ家の家族全員が集まる、家族会議を行う予定の日でもあった。
その為、50人近くはいるサハラの子供達や、複数人を超える妻や妾達も、この日は屋敷の中に全員集まってきている。
目の前で可愛い息子や娘達が、無惨にも殺されていく凄惨な光景。数十年以上にもわたって築き上げてきた、アルノイッシュ家の富も、財産も、名誉も、家族さえも……その全てが今、サハラの目の前で一瞬で失われようとしている。
「――ハハハ。そうだ、これは全部幻なんじゃ! 悪い夢に決まっておる。目が覚めれば、きっと全てが元通りになっているに違いない、ふひひ、ぐふふ……」
「ご、ご当主様……」
使用人達が心配そうに、サハラの顔を覗き込む。
アルノイッシュ家の当主は、完全に精神を崩壊させてしまったらしい。
そんなサハラと使用人達の目の前に、銀色の鎧を身にまとった数十人を超えるグランデイルの騎士達が立ちはだかった。
どうやらアルノイッシュ家の命運も、ここまでらしい。
サハラ達の前に立ち塞がる騎士達は、一切容赦をする事なく。
剣や槍を突き立てて、目の前にいるカディナ商人の関係者と思わしき人間達を、全て抹殺する為にこちらに迫ってくる。
「ご当主様あぁぁ、危ないです!! ぐぎゃああぁぁーーーッ!!」
サハラの周りを守るようにして立っていた使用人達が、グランデイルの騎士達によって全員斬り殺さてしまった。
もはや、サハラ・アルノイッシュの身を守る者は……この場には誰も存在しなくなってしまう。
「あはは、これは全部夢じゃーーッ!! 全てが悪い夢なのじゃあああぁぁーーー!!」
絶叫するサハラの体に、騎士達の振るう銀色の剣が振り下ろされる。
その時――。
”カキーーーーーーン!!”
サハラの体を取り囲んでいた複数人の騎士達が。
後方から何者かに斬りつけられて、一斉にその場に倒れ込んだ。
サハラの目の前に駆けつけたのは、1人の老執事だった。
初老を超えるその老執事は、屈強な体格で白銀色の剣を巧みに操り。押し寄せる無数の騎士達を退けていく。
自らの主人を守る為に、グランデイル騎士団の正面に立つその人物は……。
「――我が名はアドニス・ド・グランデイル。アルノイッシュ家に長年仕える者として、当主であるサハラ様を必ず守り通してみせる! さあ、グランデイル城の地下深くに眠る、過去の亡霊の女王に操られしグランデイルの騎士達よ。私がここで、お前達の蛮行を必ず食い止めてみせようぞ!」
遠い昔に祖国を追われた、元グランデイル王族の1人。
卓越した剣術を操る老剣士――アドニス・ド・グランデイルその人であった。