第百八十三話 コンビニの魔王の影
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ねえ、アレは一体どこからやって来た部隊なの?」
小高い丘の上から、巨大コンビニの様子を観察していた女神教の魔女――。『右手中指』のカヌレが、部下の騎士達に対してそう問いかけた。
「……カヌレ様。あの黒い騎士の部隊はどうやら、パルサールの塔から派遣された『左手薬指』のエクレア様に仕える、黒色翼竜騎兵団のようです!」
「エクレアの部下達なの? あの子、暗黒塔から全く動こうとはせずに、自分の配下の騎士達だけをここに送ってきたというの? まったくあんな子に仕えている部下達は、本当に可哀想よね。よりにもよって太古の大悪魔が復活を遂げて、今まさに地上に降臨しようとしている戦場に送り込まれてしまうなんて」
カヌレは首を小さく振りながらも。
すぐに自分の部下である、ピンク色の重装鎧を着たカヌレの騎士団に指示を飛ばす。
「いい? みんなよく聞いて! 私達、カヌレの騎士はこの場から全力で撤退を開始するわ! 呼吸が止まって、失神する寸前になるまで、全力で砂漠の果てまで走り抜けなさい。絶対に誰1人として、ここで死んではならないわ、分かった?」
「しかし、カヌレ様……。砂漠の魔王の『魔王種子』の回収に失敗し。残り2人の忘却の魔王達も取り逃がしてしまったとなれば。我々は後で、枢機卿様からきついお叱りを受けてしまうのではないでしょうか?」
心配そうに問いかける部下の騎士に対して。
カヌレは鬼気迫る表情で、語気を強めて言い返す。
「叱られるくらい別にどうって事はないわ! それよりも今は、ここから生き残る事を最優先に考えなさい! あの『太古の悪魔』と遭遇をして。無事にここから逃げのびる事が出来たなら、それはもう奇跡としか言いようがないわ。あの恐ろしい悪魔に遭遇した情報を、私達は必ずパルサールの塔に持ち帰らないといけないの。後の判断は全て枢機卿様に委ねる事にするわ」
「――畏まりました! これよりカヌレの騎士団は全軍、全力でこの地からの撤退を開始致します!!」
茶色いドレスの魔女、カヌレの指示を受けた騎士達は……。一斉に陣形を整えて、撤退の準備を開始する。
全軍が一丸となり、決して後方を振り返る事なく。
その超人的な脚力を用いて、猛スピードで戦場からの撤退を開始した。
それは、突如として北からやって来た『太古の悪魔』が持つ力と恐ろしさを正確に見極めた、魔女のカヌレが下した正しい判断であったといえるだろう。
もし、あとほんの僅かでも。
この撤退の判断が遅れてしまっていたなら……。
魔女のカヌレとその部下達は、巨大コンビニを操る灰色ドレスの悪魔。太古の昔にコンビニの大魔王に仕えた守護者達のリーダーである『レイチェル・ノア』に手によって。
きっと、全滅をさせられてしまったに違いないのだから。
部下達と共に撤退をしながら、女神教の魔女カヌレは独り言を呟く。
「――それにしても。あの巨大な移動要塞の上に乗っていたピンク髪の女と、コンビニの勇者との会話……。後で、必ず枢機卿様にこの事を直接問いたださないといけないわね」
遠目に見える巨大コンビニの禍々しい姿を、最後まで見つめながら。
カヌレの騎士は1人も犠牲を出す事なく。
地獄が溢れかえった、この恐ろしい戦場から離脱をする事に成功したのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「――アイリーン、いくぞ!! 俺の体にしっかりと掴まるんだ!」
右腕部分を全部消し飛ばされ、右肩から大量出血をしているアイリーンを抱きかかえて。
俺は巨大コンビニの近くから、全速力で走り去る事にする。
灰色の悪魔と化した、レイチェルさんと同じ姿をしたあの残酷な女から少しでも遠ざからないと。
俺達はもっと、あの女に恐ろしい目に遭わされてしまうからな。
女神教の増援軍は、地上と空の両方から大砲撃を開始していた。
だが、その砲撃は全て……。巨大コンビニに全くダメージを与えられていないように見える。
走りながら頭上を見上げると。空を飛び交う無数の飛竜隊から放たれた火炎球は、巨大コンビニに着弾する直前に――。
全て、コンビニの外壁に沿って展開されている、青い光の障壁によって防がれているようだ。
「おいおい……。あの巨大コンビニは、外壁全てに強力なバリアーまで付いているのかよ!」
それは流石に、無敵過ぎるだろう。
地上からの大砲隊による砲撃も、飛竜隊の空からの激しい攻撃も。巨大コンビニの外壁には、わずか1ミリほどの風穴さえ開ける事が出来ていない。
黒い騎士達の攻撃は、巨大コンビニに着弾をする1メートルほど手前のラインで。青いブルークリスタルのように光り輝く、薄透明色の結界に当たって全て弾き返されてしまっている。
これでは、どんな攻撃を加えたとしても全くの無意味だ。
あの青いシールドがある限り、巨大コンビニに外からダメージを与える事なんて到底出来っこない。
黒い騎士団から、一方的な砲撃を受けていた巨大コンビニに……突然、動きがあった。
灰色ドレスの女が、浮遊式の床の上から上空に向けて。
何か大きな手振りをする動作を始めると。
巨大コンビニの屋上から、大量の『何か』が大放出されたのだ。
”ドシューーーーーーーッ!!”
”ドシューーーーーーーッ!!”
”ドシューーーーーーーッ!!”
それは巨大コンビニの上部から、もの凄い轟音と共に放たれた――大量の『ミサイル』の雨だった。
その数は、軽く数千発以上は超えているかもしれない。
放たれたミサイルの雨は、無数の白煙の糸を空の上に何重にも引きながら。地上と空中にいる女神教の増援部隊に目掛けて、一斉に襲いかかっていく。
おそらくその全てが、動く敵を自動的に追尾する性能の付いたミサイルなのだろう。
”ズドドドドーーーーーーーーーーーン!!!”
空の上に、まるで花火のような無数の爆発と閃光が煌めき。煌びやかな光の輝きが連続で炸裂した。
大地を揺れ動かすほどの激しい振動が、周辺の大地に伝わっていく。
アイリーンの体を絶対に落とさないように、ぎゅっと強く抱きしめながら。俺はミサイルが着弾した後の、周辺の大地の様子をそっと確認してみた。
大量の黒煙の煙が、もくもくと地上から立ち昇り。
その煙の中から見えてきたのは、爆撃によって粉砕された騎士達の死骸や、破壊された無数の砲台の残骸だった。
巨大コンビニから放たれた、無数の誘導ミサイルによって。女神教の増援部隊は、どうやらほぼ壊滅状態に追い込まれてしまったらしいな。
空から無数に降り注いできたミサイルの爆撃を何とか逃れる事が出来た、女神教の増援部隊の生存者は3分の1程度の人数しか残っていなかった。
空を自由に飛べる飛竜部隊に比べて、地上の大砲隊はミサイルから逃がれるだけの機動力は持ちあわせていない。だからその戦力の大半は、一瞬にして消し飛んでしまったらしい。
戦場に後から駆けつけ、巨大コンビニに対して攻撃を加えていた黒い騎士達も、流石に『アレ』がヤバい奴だって事が認識出来たのだろう。
……まあ、その判断は既に遅過ぎたのだが。
地上にいる大砲部隊も、上空に飛ぶ黒い飛竜騎兵達も。慌てふためくようにして、その場で旋回を開始すると、巨大コンビニの周囲から全速力で撤退を開始していく。
だが、残念ながらあの灰色のドレスを着た残忍な性格の女は……。巨大コンビニに危害を加えようとした外敵の撤退を、黙って見逃すほど優しい性格はしていなかった。
巨大コンビニの屋上に備えられた上部ハッチが、一斉に解放される。
そしてそこから、無数の黒い攻撃ドローンが大空に向けて、一斉に離陸を開始した。
地上から空を見上げただけでも。巨大コンビニから大空に放たれたドローンの数は、おおよそ――数万機は超えているんじゃないかと思えた。
まるで黒いカラスの大群が、上空を埋め尽くすかのように。黒いドローンの大群によって、空が真っ黒な色に染め上げられてしまっている。
そして一斉に巨大コンビニから離陸した大量のドローン軍団は、残存する女神教の増援部隊に向けて。降り注ぐようにして空から一気に襲いかかっていく。
””ズドドドドドドドーーーーーーン!!””
既に荒野と化した地上と、真っ黒に染まった空の両方に。無数の閃光が煌めき、同時に大きな爆発音が連続で響き渡ってきた。
「……マジかよ。あの空を埋め尽くしている黒いドローン全部が、まさかの『自爆ドローン』なのかよ」
巨大コンビニから飛び出した黒いドローンの群れは、まるで体当たりをするかのように。一斉に女神教の増援部隊の生存者に向けて襲いかかっている。
ミサイル攻撃を逃れた、空に浮かんでいる飛竜騎兵達も。追撃してくる黒いドローンにまとわりつかれ。逃れる事が出来ずに大爆発をして、次々と爆死させられていく。
地上を大慌てで逃げ回る大砲部隊の騎士達も、コンビニから出撃した数万を超える自爆ドローン達に追い回されて。ことごとくその全てが爆死させられ、この世界から根絶やしにされていった。
どうやらコンビニに歯向かう者、そしてコンビニに危害を加える者は、誰1人してこの世界において生かしておく気はないつもりみたいだな。
クソッ……マジでこの世全ての悪を具現化したような大悪魔じゃないかよ、あの巨大コンビニは……。
だけど、自爆ドローンによって皆殺しにされていく女神教の連中を気にかける余裕は、俺達にもなかった。
敵に追い付かれたら、殺されてしまう。それは俺とアイリーンも一緒だ。
俺の身体能力は大幅に増強されていると言っても、今は重傷を負ったアイリーンの体を抱えながら、必死に逃げている状況だ。
コンビニ支店を外に出して、その中にいったん立て篭ったり。シールドドローンに乗って空を飛んで逃げる事も考えたんだけど。
女神教の黒い騎士達が、あの無数の自爆ドローンに襲撃される悪夢の光景を見た後じゃ……。それも、もう出来っこない。もし空を飛んで逃げたりでもしたら、むしろ自爆ドローン達の格好の的にされてしまうだけだ。
俺達はきっと一瞬にして。大量の自爆ドローンに群がられて、爆死させられてしまうだろうからな……。
「て、店長……! 後ろから、白い手がこちらに向かって伸びてきています!!」
「――えっ!? ……って、マジじゃないかよ!!」
風を切るように大地を全速力で駆けながら。
俺とアイリーンは、そっと後方を振り返ってみると。
そこにはもの凄いスピードで追撃してくる、2本の白い『手』が……。うどんのように『にゅう〜』っと長く伸びてこちらに迫ってきていた。
細く白い2本の腕は、遥か遠くにある巨大コンビニの真下から、こちらにまでずっと伸びてきている。
女神教の増援軍を全滅させた灰色ドレスの女が、俺達を捕まえようと、自分の手をあの場所から伸ばしてきているのかよ! ……でも、この距離なんだぞ!? あそこから、かなり遠くの距離にまで走り抜けてきたっていうのに。
ヤバい……!
マジであの白い手のスピードは早過ぎる!
このままだと、いつか必ず追いつかれてしまう。
もし、あの手に捕まってしまったなら。さっきのアイリーンのように、物理防御を完全に無視して。重力を自由に操る、見えない空気の断層によって俺達は押し潰されてしまうだろう。
「……店長、申し訳ありませんが、今から私の指定する場所にまで走ってもらう事は出来ますか? そこは、ここからそう遠くはありませんので、もう少し走れば辿り着くはずです!」
「アイリーン? よし、分かった。どこでも言ってくれ! あの妖怪みたいに、無限に伸びてくる白い手から逃れる為なら、俺は何でもしてみせるぞ!」
俺はアイリーンが指定した場所にまで、全速力で駆け続ける。
後ろを振り返る余裕なんてもちろん無い。これは、もう一か八かなんだ。もし、振り返って、少しでもスピードが落ちてしまったなら……。
きっと俺達は、あの白い手に追いつかれて。
俺達の命も、コンビニ共和国の運命も、全てが一瞬にして『終わって』しまうだろうからな。
追撃してくる白い手を避けつつ、走り続ける事、数十秒。
見えてきたのは……幻想の森の鬱蒼とした木々がまだ残っている場所だった。
「店長、あそこです! あの木の茂みの中に飛び込んで下さい!!」
「飛び込むだって!? 大丈夫なのかよ、それ?」
「私を信じて下さい! 先ほど私は、店長の元に駆けつける前に『寄り道』をしてきたと言いましたよね? だから大丈夫です。私達はきっと助かることが出来ますから!」
「――わ、分かった。頼むぜ、アイリーン! 俺はお前を信じているからな!」
怪我人のアイリーンの体を抱えながら。
俺はアイリーンが指定する場所に向けて、思いっきり大ジャンプをして飛び込んだ。
もしこれで、やっぱり場所を間違えましたなんて言われたら万事休すだぞ。もう、すぐ後ろにまで白い手が迫ってきているんだからな。
大ジャンプをした着地点となる場所。ちょうど茂みの中にある少しだけ開けた場所に、大きな『緑色の光石』がポツンと置かれているのが見えてきた。
「あれは……転移石なのか!?」
「店長、目を閉じていて下さいね!」
アイリーンが俺の体を掴みながら何かを小さく呟くと……。
途端に、俺とアイリーンの体は真っ白に輝く光に包まれていく。
目が開けられないくらいに眩しい光の輝きの中で、俺の意識は……プツリと、そこで途絶えてしまった。
一瞬にして、透明になり。現実世界から消失していく俺の体。
消えゆく意識の中で、俺とアイリーンの体が光に包まれて消えた瞬間に……。後ろから長く伸びてきた細く白い手が。
俺の体をわずかに掴み損ねて。
空を切るのが見えたのが――。
俺がその場で憶えている、最後の記憶となった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「……おかしい、彼方様の体が消えてしまった……? これは、どうやら転移魔法のようですね。でも、アイリーンのものではないはず。そうなると、誰か他の部外者が手を貸したという事なのでしょうか?」
ミサイルと自爆ドローン部隊による、激しい爆発攻撃によって。
何も無い荒野と化した大地を見つめながら、巨大コンビニの屋上の上で、灰色ドレスを着たレイチェル・ノアは静かに遠くの景色を見つめ続けていた。
そしてその場にはレイチェル以外はもう、誰も残っていないはずなのに。
灰色のドレスを着たレイチェルは、まるで誰かに問いかけるようにして、小さな声で呟く。
「――いかが致しますか『魔王』様? このまま追いかけますか?」
独り言を呟くレイチェルの脳裏には。
レイチェル以外、誰にも聞く事の出来ない。『絶対にあり得ない』はずの男の声が、小さく聞こえてくる。
『……もう少しだけ泳がせておいて構わない。ここまで5000年以上も待ったんだ。それくらいは待とうぜ』
聞こえてきた男の声に応えるようにして、レイチェルはまた独り言を呟く。
「畏まりました。ですが今回私達が動いた事で、世界中にコンビニの存在が知られてしまった可能性がありますが、それはよろしいのですか?」
『……それは構わない。それよりも俺の『体』を滅ぼした『暗殺者』の勇者が、まだこの世界に生き残っている可能性はあるのか?』
「分かりません。あれから随分と長い年月が経ちましたので、恐らく生きている可能性は少ないと思われますが……。ですが、もし仮に生きていたとしたらどう致しますか?」
『――殺せ――!!』
「……分かりました。では、私達は禁断の地に戻りましょう。もう1人の彼方様が、立派に魔王としての成長を遂げるまで。その様子をじっくりと北の大地で観察し続ける事に致しましょう」
男の声の返事は無かった。
出会った全ての人々を惨殺し。
殺戮の限りを尽くした、旧世界の大悪魔である巨大コンビニは……。
再び北の大地に向けて。
ゆっくりと引き返していくのであった。