第百八十一話 『コンビニ帝国』の守護者
地上から遥か高い上空を見上げてみると。
そこには今、巨大な『コンビニ』がそびえ立っていた。
建物の壁面から8本の長い脚が生えているし。実際より遥かに巨大な建造物になっているけれど。
その外観は、俺のよく知っているあのコンビニで間違いない。
何でここに、コンビニがあるんだ……?
この馬鹿デカい要塞のような姿をしたコンビニは、一体どこからやってきたのだろう?
周囲をぐるりと見渡してみると。先ほどの凄まじい爆撃で、骸骨騎士である暗黒渓谷の魔王――シエルスタが引き連れてきたスケルトン兵達は、ほぼ全滅しているようだった。
女神教の魔女カヌレは、ピンク色の騎士達に守られながら丘の上に立っている。
あのピンクの重装騎士達は、個々の戦闘レベルが段違いに高いからな。どうやら先ほどの凄まじい爆発においても、ほとんどダメージを受ける事はなかったらしい。
今は主人である魔女のカヌレを守る為に。その周囲に駆けつけて分厚い防御陣を形成しながら、突如出現した巨大な建造物を警戒しているようだった。
視界に入れただけで即死してしまう危険性のある、あの車椅子に腰掛けている少女の魔王だけは、どこにも見当たらなかった。
もちろん見つけたとしても。あの恐ろしい魔王の姿を、裸眼で直視する訳にはいかないのだが……。どうやらあの白いドレスの魔王だけは、この場から忽然とどこかに消え去ってしまったようだ。
「――店長、私……」
「アイリーン、どうしたんだ……? めちゃめちゃ体が震えているじゃないか!?」
俺は慌ててアイリーンのそばへと寄る。
すぐさまその細い体を抱き寄せて。全力で抱きしめながらアイリーンの背中をさすり続ける。
アイリーンのこの震え方は尋常じゃない。これじゃあまるで、雪山で凍死しかけている遭難者みたいな震え方だぞ。
「店長、ありがとうございます……! 少しだけ楽になりました」
「……ああ。でも一体どうしたんだ? もの凄く体が震えていたみたいだけれど」
「私にもよくは分かりません。ですが、あの巨大なコンビニは、きっとこの世に存在してはいけないものなのです。私には分かるんです。これからきっと私達は『出会ってはいけない方』に遭遇をしてしまうかもしれません。でも例えその結果、どのような真実を知ってしまう事になったとしても。店長の身は必ずこの私が守ってみせますので、ご安心して下さい!」
「出会ってはいけない方だって? それは一体、誰の事なんだ……?」
アイリーンは重苦しそうに俺から視線を逸らすと。そのまま下を向いて俯いてしまった。
俺はそれ以上は深く追求しなかったけれど。
ただ、アイリーンのその言い方が妙に気になった。
あの巨大なコンビニを誰が操っているのか。そしてこれから、一体誰が俺達の前に姿を現すのかもまだ分からないが。もしかしたらアイリーンはその人物の事を知っていて、本能的に怯えているのではないだろうか?
だってそうでないと。その謎の人物の事を”出会ってはいけない方”だなんて『敬語』を付けては呼ばないはずだ。
その人物はきっと俺達がよく知っている人物で。
それもアイリーンにとっては、敬うべき目上の人物という事になるのだろうか……?
しばらく俺達は、山のように大きな巨大コンビニを真下から見上げていると。
動きの停止していた巨大コンビニに、わずかな変化が起きた。
まるで巨大エレベーターのように。巨大コンビニの真下の土台部分から、大きな丸い円状の床が地面に向けてゆっくりと降下してきた。
見た目は直径10メートルほどの円盤の形をした、移動式の床だ。
立体駐車場に停めていた車が、最上階から地上に向けて降下をしてくるように。コンビニの床の一部分がくり抜かれたような状態で、俺達のいる地上に向けてゆっくりと上空から降りてくる。
丸いコンクリート製の床は、地上から5メートルくらいの位置で、いったん降下を停止させると。
その円盤状のコンクリートの床の上に立っている『1人の女性』が、俺とアイリーンに向けて上から声をかけてきた。
その女性は、俺もよく知っている人物だった。
そうか……。アイリーンが敬語を使うのも当然だな。
だって巨大コンビニから降りてきた、俺達のよく見知ったその人物とは――。
「レイチェルさん……?」
巨大なコンビニから、降下してきた丸い床の上に立っていた人物。
それは、コンビニの守護者達を統べるリーダー。
ピンク色の髪をしたコンビニホテルの支配人、レイチェルさんだった。
うん、そうだ。
確かにレイチェルさんで間違いない。
ただ、少しだけ。俺のよく知っているレイチェルさんとは、見た目の印象が異なっているようだった。
上空から降りてきた人が、圧倒的な美貌と知的で大人な女性の雰囲気を兼ね揃えた、美しい女性である事は間違いない。
でも、俺のよく知っているレイチェルさんは、いつもピンク色の綺麗な髪を灰色の帽子の後ろに束ねていたはずだ。
巨大コンビニからゆっくりと降りてきた女性は、ピンク色の長い髪をウェーブのかかった状態で、腰の辺りにまで長く下ろしていた。
そして何よりも大きな違いは、いつもより遥かに露出度が高く。怪しげな雰囲気のする、灰色のドレスを着ていた事だった。
コンビニホテルの支配人として、いつも日常的に着用している灰色の制服を、目の前にいるレイチェルさんは着ていない。
何ていうか。いつもの清楚なレイチェルさんからは想像も出来ない、あまりにもド派手過ぎるドレスを着ているように思える。
俺が言うのもなんだけどさ。レイチェルさんは体のスタイルが綺麗だから。青少年の健全な育成の観点からいっても、その露出度の高過ぎる衣装は心配になるくらいのものだった。
「……お久しぶりです、彼方様! 本当に本当に長い間、私はあなた様をお待ちしておりました。今日、とうとうお迎えに参る事が出来て、本当に嬉しいです!」
俺の姿を、一目見たレイチェルさんが……。
まるで生き別れの弟を見つけた姉のように。涙を目に浮かべながら、真っ直ぐに俺の事だけを見つめてきている。
そして、いつものように深々と頭を下げて。俺に向けて最敬礼の挨拶をしてきた。
「……レイチェルさん、どうしてここに? コンビニ共和国のみんなはどうしたんですか? それに、その巨大なコンビニは……何なんですか?」
この期に及んで俺の頭には、まだ少しだけ希望と願望が残っていたのかもしれない。
もちろん俺だって、薄々は分かっていたさ。
こんなにも巨大なコンビニに乗ってやって来たレイチェルさんが、俺のよく知っているレイチェルさんであるはずがないって事くらいはさ。
でもまだ、心の奥底ではその事実を認めたくはなかったんだ。
本音を言えば。目の前にいるレイチェルさんは、俺のよく知っている大好きなレイチェルさんのままでいて欲しかった。
アイリーンが体をあれだけ震えさせて怯えてしまうような、得体の知れない不気味な存在であって欲しくはなかった。
この巨大なコンビニも、俺がレベルアップをして大きな変化を遂げたように――。きっとコンビニ本店も俺の成長に伴ってパワーアップをして。
急遽レイチェルさんが、コンビニ共和国からここまで俺を助けに駆けつけて来てくれたんだ……って心から信じたかったんだ。
いや、むしろそうであって欲しいと。
俺は本当に本心から願っていた。
でも、俺の問いかけに対するレイチェルさんの反応は……、そんな俺の淡い期待を裏切る返答だった。
「コンビニ共和国……? それは一体、何の事でしょうか? 私は遠い昔から、ずっとずっと彼方様がこの世界に戻ってきて下さるのを心待ちにしていたのです。そして今日、とうとう彼方様をお迎えに参る事が出来ました。本当に今日までとても長かったです……。数えきれないほどの年月を、私はずっと北の地で一人で待ち続けてきました」
露出度高めverの服装のレイチェルさんが、しみじみと物思いにふけるようにして俺に語りかけてくる。
「さあ、彼方様。もう、ただ待つだけの日々は終わりを告げたのです。ぜひ、私の手をとって下さい! そして、一緒に参りましょう! 栄光ある『コンビニ帝国』の栄華を再びこの世界に取り戻すのです。私と彼方様で、共にあの美しく秩序正しいコンビニの真なる姿を復活させましょう!」
円盤状の土台の上から、レイチェルさんが天使のように微笑み。ニッコリと笑いながら俺に向けて手を差し伸べてきた。
”――ガチャリ!”
俺の目の前に、黄金剣を構えたアイリーンが立つ。
「……店長。私の後ろに下がってください。この邪悪な女に絶対に近寄ってはいけません!」
アイリーンの背中には、恐ろしいくらいの殺気が漂っていた。
それは剣士として。目の前にいる『邪悪な敵』を全力で倒さなくてはいけないという、強い信念が感じられるものだった。
「……おや、アイリーンではないですか? 機械化していない、自由意志を持ったあなたの姿を見るのは久しぶりですね。本当に懐かしいです。相変わらずその長く青い髪、そして綺麗な顔立ち。全てがとっても美しいです。あなたはコンビニの守護騎士として『魔王様』に忠実にお仕えをした、本当に立派な騎士でしたよ」
「私は『魔王様』などにお仕えした覚えはありません。こちらにいるコンビニの店長――秋ノ瀬彼方様にお仕えする事を誓った、コンビニの忠実なる守護騎士です!」
「……………」
空気が凍るような緊張感と。
一瞬の沈黙が、俺達の間には静かに流れた。
どうやら、この辺りがもう限界のようだな。
正直、もう少しこの『もう1人のレイチェルさん』から情報を引きずり出したい所ではあったけど。アイリーンが戦闘モードに入ってしまった以上、これ以上会話を引き伸ばすのはもう、無理そうだ。
俺は覚悟を決めて。一度ゴクリと唾を飲み込んでから、声を絞り出す。
「もう茶番はここまでにしましょう、レイチェルさん……」
「――彼方様? 茶番とはどういう意味なのでしょうか?」
顔に少しだけ驚きの表情を浮かべて。レイチェルさんがニッコリとした営業スマイルのままで聞き返してきた。
「俺のレイチェルさんは、そんなド派手な衣装を着たりはしない。いつだって清楚で、上品な品格を持ち合わせた大人の女性の雰囲気を持つ淑女なのが、俺達のよく知っているレイチェルさんなんだ。……お前は一体、何者なんだ? レイチェルさんと同じ姿で、同じ声で。俺とアイリーンをこれ以上たぶらかすのはやめてくれ!」
俺は頭上にいる、灰色ドレスの女に向けて叫び声を上げると。
怪しげなドレスを着たレイチェルさんは、ニコニコとした営業スマイルを一切崩すような事はなく。興味深そうに俺とアイリーンの事を見下ろし続けていた。
そう、俺には分かるんだ。
俺達の知っている優しいレイチェルさんとは違って。
目の前にいる女は、その笑顔の裏に。恐ろしいくらいに不気味なオーラを漂わせている気がする。
それは、最強の剣士であるアイリーンでも怯えてしまうくらいに。そしてこの世界の全ての存在を不幸に陥れる可能性があるくらいに……。
俺達の背筋を瞬時に凍らせてしまう、恐ろしい程の恐怖を伴うものだった。
「私はコンビニの勇者の忠実なる守護者である、『レイチェル・ノア』ですよ、彼方様? そのような敵意ある視線で睨まれては、とても辛いです。ああ、でも本当に残念です……。どうやらまだ彼方様は、真の意味での『覚醒』を成されてはいなかったようですね。彼方様の急激なレベルアップ反応が確認出来ましたので、この世界にいるゴミのような人間達を大量に排除して、魔王様へと成長をされる心の準備が出来たのだと期待をして、ここまでお迎えに来たのですが……」
「ゴミのような人間達だって? お前はレイチェルさんが絶対に言わない言葉を平気で口にするんだな! いいか、よーく聞くんだ! 俺のレイチェルさんは、決してそんな酷い言葉を使ったりはしない。コンビニ共和国を守るみんなの頼れるお姉さん、それが本物のレイチェルさんなんだ!」
本性を現し始めた灰色ドレスの怪しげな女に、俺はビシッと指をさして決別の意思表示を示す。
「うふふ……。実は彼方様が『魔王様』として覚醒をされたのかと思って、私は手土産をここに持参してきたのです。せっかくですので、良かったらご覧になりますか? この世界の人間達の味方である、『コンビニの勇者』の彼方様?」
灰色のドレスを着たレイチェルさんが、腕を組みながらニッコリと笑ってみせる。
コンビニの守護者のリーダーとして。強さと、知性と、大人の母性の全て兼ね揃えていたレイチェルさんが、こういう形で俺達の前に登場をすると……。
あのニコニコ爽やかな営業スマイルが、こんなにも不気味に思えるものなんだと俺は初めて知った。
初対面でレイチェルさんに会ったドリシア王国のククリアが、かなりビビっていたのも今なら納得出来る。
敵に回したら絶対にいけない存在。
それが今、目の前にいるレイチェルさんなんだと俺は改めて思い知った。
それにしても、この灰色ドレスのレイチェルさんの存在は、一体どういう事になるのだろう?
この世界で大昔に暴れ回っていた、伝説の大魔王が『俺』だったというのはもう確定だろう。もちろん俺と姿形は同じでも、別の存在、別の道を歩んだ秋ノ瀬彼方ではあると思うけどな。
大昔の大魔王である、別の秋ノ瀬彼方に仕えていたのが、今、俺の目の前にいる灰色ドレス姿のレイチェルさんという事になるのだろう。
……でも、どうしてこのレイチェルさんは、今もこの世界で生き続けているんだ?
無限の勇者の守護者というのは、主人である勇者が死んだら一緒に消えてしまう存在ではなかったのか?
おそらくアイリーンだったと思われる、魔王の谷の底を守っていたあの黒い騎士にしてもそうだ。
大昔にこの世界全てを支配したという、伝説の大魔王……『秋ノ瀬彼方』はもう、死んだんじゃなかったのか?
あの女神教のリーダーである枢機卿、おそらく過去にこの世界に召喚をされた別の玉木でさえも。たしか過去の大魔王は滅んだ、というような言い方をしていたはずだ。
大魔王は死んでも、守護者であるレイチェルさんは今もこの世界で生きている。
そして新たに召喚された同じ人物であるこの俺を、灰色ドレスのレイチェルさんは『迎えにきた』と言っていた。
つまりこの世界に、秋ノ瀬彼方という人物が2重に召喚をされたのには、何か俺の知らないカラクリがあったという事なるのだろうか?
もしそうなのだとしたら、おそらく……。
この灰色ドレスを着たレイチェルさんは、その謎の全てを知っているような気がする。いや、むしろ。その謎を生み出した『張本人』なんじゃないだろうか?
「て、店長……アレを見て下さい!? ウゥゥ……!」
アイリーンが突然、大声で俺に向けて叫んだ。
そしてそのまま両手を自身の口に当てて。その場で激しく嘔吐する。
「どうしたんだ、アイリーン!?」
アイリーンは口を必死に押さえながら、頭上にある何かを震えながら指差していた。
アイリーンの指差す方向を、ゆっくりと見上げてみると――。
俺の目に入ってきた光景は、あまりにもおぞまし過ぎた。
まさにこの世の物とは思えない程に異様で、恐ろしい形をした禍々しい物体を……。俺はこの目でしっかりと目撃してしまう。
「うっ……うっ……! な、何て事を………ッ!?」
俺の視界に入ってきた『ソレ』は。
巨大なコンビニの床から、真下に吊り下がっている巨大な『サッカーボールネット』のような形をしていた。
他に表現のしようがない。見た目はまんま高い所から吊り下げられている、白い網状のネットに包まれたサッカーボールだったからな。
だが……白い網の中に入ってるのは、もちろんただのサッカーボールではなかった。
巨大コンビニの底に吊り下げられている、白い網のネットは2つあった。高さ50メートル近い巨大コンビニの底に、ゆらゆらとそれは吊り下げられている。
そして、その白いネットの中には………。
ギッシリと網の中に、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた大量の『人間の体』が敷き詰められていた。
大人。子供。老人。女性。老若男女分け隔てなく。
体の骨格がバラバラになってしまいそうなくらいに、大量の肉の塊である人間が、密集して巨大なサッカーボールネットに詰め込まれて、コンビニの下に吊り下げられている。
その数は合計で、2000人近くはいるだろう。
1つのネットの中におおよそ1000人ずつ。合計で約2000人近い人間達が、巨大コンビニの下から空中に吊り下げられている。
それは人間を肉の塊にして、無理矢理に中に詰め込んだ巨大な『人間ボール』のような状態となっていた。
しかもネットの中に閉じ込められた人間達は、まだ全員生きている。
手足の骨はバラバラに砕け。おぞましい程にぐちゃぐちゃな体のラインに変形させられてはいるが……。
全員があまりの苦痛と苦悶に涙して、『助けて……助けて……』と、必死に叫び声を上げながら、網のわずかな隙間から顔と手を伸ばして外に救いを求めている。
「貴様が……貴様がッ!! アレをやったというのかッ!」
俺は生まれてきてから、これほどまでに激しい怒りを覚えた事はなかった。
目の中が真っ赤に染まるくらいに凄まじい眼力で、誰かを鋭く睨みつけた事も無かったかもしれない。
激しく脈打つ心臓の心拍数が体の限界をとっくに超えて、血管の隅々にまで供給される酸素量が急激に不足してしまう。
きつく握りしめた拳からは、爪が皮膚の中にまで食い込み。地面に滴るようにして、俺の両方の拳から赤い血が大量にこぼれ落ちてしまっていた。
降下して来た巨大コンビニの床に立つ灰色ドレスの女は、ニコニコと微笑みながら俺に優しく告げてくる。
「あのネット中の人間達は全て、彼方様へと捧げる私からの『手土産』なのです。ここに到着するまでに、途中で通りかかった人間達の街から、適当な数を私が拾い上げて来ました。たぶん、合計で2000人くらいはいるでしょうね」
両手を高らかに広げて、目の前の女はまるで怪しい宗教の教祖のように。
天使のような笑顔で俺の目を真っ直ぐに見つめながら語りかけてきた。
「あそこに吊るされている人間達を全て殺せば、彼方様のレベルは、おそらくあと『5』くらいは上昇するでしょう。今の彼方様のコンビニの能力レベルは30くらいですよね? ならあと少しです。ファイトですよ、彼方様! このまま順調にこの世界の人間達を殺して、ぜひ完全なる魔王化を成し遂げてましょうね!」




