第百七十四話 幕間 コンビニ大合戦その④
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「………あれ? ここは一体、どこなんだろう?」
目をゆっくりと開いてみると――。
そこはまるで、『異世界』のような場所だった。
眩いばかりに光輝く、ホールの天井に吊るされた豪華なシャンデリア。見た事もない色鮮やかで美しい高級家具類が、周囲には所狭しと沢山並べられている。
おそらくここは、どこか大きな屋敷の広いホールのような場所なのだろう……。
だけどここがどこなのは、全く見当もつかない。
でも、こんなにも美しく洗練された場所なのだ。
きっとさぞかし名の知れた、高貴な王族が暮らしている有名な王宮の中に違いない。
周りを見渡すと。周囲には同じように大理石の床にぽか〜んと口を開けて腰を下ろしている、騎士団の仲間達が数名ほど座らされていた。
少しずつ、脳裏にフラッシュバックしてくる直前の記憶。
そうだ……! 俺達は、カルタロス王国軍の正騎士として。コンビニの魔王軍の本拠地討伐の任につき。
女王であるサステリア様と共に、遥か西のエルフ領を超えた先にあるという――魔王軍の本拠地がある場所にまで、遠征をしにきたんじゃないか。
そして恐ろしい攻撃力を誇る巨大な魔王城を目の前に、攻めあぐねていた俺達は――。
突然、空から降ってきた『巨大な手』によって。
遥か上空にまで、体を掴み上げられてしまったんだ。
そのまま俺達の体は、雲の上の方にまで持ち上げられていき……。その後の事は、うーん、なぜかよく思い出せないぞ。
一体、俺達はどうしてこんなにも広々とした、美しいホールの中で座らされているんだろう?
所持していた武器はどこにいったんだ? 空に持ち上げられた時に、どこかに落としてしまったのだろうか。
大理石の床に座っているカルタロス王国の若い騎士達は、お互いに顔を見合わせながら、怪訝な表情を浮かべる。
ここは一般の平民上がりの騎士が、のうのうとあぐらをかいて座っていても良いような場所とは到底思えない。
周囲をキョロキョロと見回して。自分達の置かれているこの不思議な状況を、何とか理解しようと騎士達は必死に試みる。
どうやらここはまだ、『天国』ではないようだ。
あれだけ高い上空にまで、巨大な手に掴まれて持ち上げられてしまったんだ。……正直、自分達はあのまま死んでしまうのだろうと、死ぬ覚悟さえしていたというのに。
それが、一体何がどうなって。
こんなにも美しく、洗練された場所に座らされているのかが――まるで理解が出来ない。
おまけに、どこからか匂ってくる。このあまりにも香ばしく、鼻腔をくすぐる美味しそうな匂いは、一体、何なのだろう?
ただでさえ……カルタロス王国軍の食糧庫は敵に襲撃され。軍の内部の食糧供給事情は苦しくなり。それほど満足に、自分達はご飯を食べさせて貰えないという状況が続いているというのに……。
こんなにも美味しそうな匂いが、すぐ鼻の先にまで匂ってきたら。もう、我慢なんて出来るはずもない。
『”ぐうぅ〜〜〜〜!!”』
大理石の床に座っている数人の騎士達が、ほぼ同時にお腹を大きく鳴らしてしまう。
その音は、広大なホール全体にまで響き渡ってしまった。
そんな腹ペコな若い男の騎士達の前に。
――カツン、カツンと。
大理石の床の上で高い足音を響かせながら。こちらにゆっくりと近付いてくる人物がいる。
若い男の騎士達は、目を擦り付けて何度も瞬きをした。
自分達の目の前にまで歩いてきた人物は――長いピンク色の髪をした、とても美しい女性だった。
灰色の服に灰色の帽子を被った、あまりにも美しすぎる外見の女性。
白い彫刻のような肌は、まるで絹のように滑らかで光り輝いて見える。頭の後ろに束ねているピンク色の髪は、艶やかな光沢を放っているようにも見えた。
……そうか。やっぱり自分達はあのまま空の上に引っ張り上げられて、そこで死んでしまったんだ。
でなければ、こんなにも美しい女神様に現世で出会えるはずがない。
とうとう自分達は、信仰し、敬愛している。女神教が信仰対象としている伝説の女神様に、天国で出会えたのだ。
ああ……何という美しさなのだろう。まさに神話に出てくるような知性溢れる、完璧な美貌を持ったとても美しいお方じゃないか。
女性が持つ全ての『美』を体現したような人物が今――自分達の目の前に降臨して下さっている。
若いカルタロス王国の騎士達が、目の前に立つピンク色の髪の美しい女性に見惚れて。
だらしなくよだれを垂らしながら、口をポカーンと開けて惚けていると……。
目の前の女神様はクスクスと優しく微笑み。自分達に笑いかけてくれた。
そして、その場でゆっくりと頭を下げると。
丁寧にお辞儀をしながら、こう話しかけてきた。
「――ようこそおいで下さいました。カルタロス王国の勇敢なる騎士様方。どうか、このコンビニホテルでゆっくりとお寛ぎになり。旅の疲れを癒やしていって下さいね」
――ん? コンビニホテル??
数人の若い騎士達は、一斉に目を点にして。その場でパチパチと瞬きを繰り返す。
美しい女神様が卑しい平民出の私達などに、お声をかけて下さったのだ。
でも……悔しくも、学のない平民出身の自分達には――。その尊いお言葉の意味が理解出来ない。コンビニホテルとは、一体何の事を指す言葉なのだろうか?
すると――。
大理石の床に座っている若い騎士達の中の1人の目の前に――美しい女神様がそっと近づき。
何と、自らその場に腰を落として。じっと目の前に座る若い騎士と至近距離から直接、目と目を見つめ合わせるようにして、顔を覗き込んでくる。
鼻息がかかりそうなくらいの至近距離から、美しい女神様に見つめられ……。
若いカルタロス王国の騎士は、頭の上から――『ポンッ!』と大量の蒸気と湯気を噴出させて。顔がゆでだこのように、真っ赤になってしまった。
女神に見つめられた若い騎士は、不謹慎にも……。
その生温かい吐息が鼻筋にかかり。女神様の艶かしい、美しいピンク色の唇を上から見つめてゴクリ、と唾を飲み込み。
心臓が16ビートを刻むくらいに激しく脈打ちながら、胸を高鳴らせてしまう。
そんな……女神様、それだけはいけません……!
それ以上、その美しい形をした唇をこちらに近づけてしまったら。私くしは、私くしはもう……。
「――さあ、遠慮をせずに。そのまま口をアーンと開けて下さいね……」
若い騎士は目をつぶって。美しい女神様に言われた通りに。
その場でゆっくりと口を開けてみる。
……むにゅ、むにゅ。
開いた口の中に、柔らかく。生めかしいモノが侵入をしてきた。
――こ、これは……まさか!?
口の中に侵入をしてきた、柔らかいソレを――。
ゆっくりと舌先を転がすように絡めて味わい。もぐもぐと咀嚼を繰り返しながら、濃厚で甘いクリームのような、その優しい口触りを存分に堪能する。
顔を真っ赤に紅潮させていた若い騎士は、たまらず……ホール全体に響き渡るような、大声を叫んでしまった。
「――う、う、美味〜〜〜い!! 何て甘くて上品な味わいなんだッ!! 口の中で優しく、甘〜いチーズがとろけるようにふんわりと溶けていくぞ〜〜!」
「ふふ。そうでしょう、そうでしょう? これが異世界に存在する極上のデザート――。甘いクリームチーズが優しく口の中でとろけていく至高の一品。『レアチーズケーキ』というものなのですよ? この優しくも、まろやかで豊潤な甘いクリームの味わいを知ってしまったなら。あなたはもう……異世界のスイーツ無しでは、生きられない体になってしまったのです」
ピンク色の髪の女神様は、若い騎士の唇に付いていたレアチーズケーキのクリームを、そっとその白い指先でなぞり上げると。
その食べ残りの甘いクリームを、自身のピンク色の唇の中に入れて。ニコリと怪しく微笑みかける。
そしてトドメとなる必殺の殺し文句を、若い騎士の耳元に顔を近づけて。そっと囁いた。
「もし、よろしければ……もうひと口、お食べになりますか?」
「あああああああ〜〜!! 女神様、もう……もう……我慢が出来ませんッ!! どうか、どうか、俺達にもその至高のレアチーズケーキという食べ物を食べさせて下さい!!」
大理石の上に座っていた残りの若い騎士達が。
まるで親鳥が運んできたエサをねだる、産まれたての小さな雛鳥達のように。
口をパクパクさせて、子供のようにおねだりをした。
「全く、もう……。仕方がありませんね。そこで、ちょっとだけ我慢をしていて下さいね。――さくら様、追加でレアチーズケーキを4人分作って頂けますか? カルタロス王国の若い騎士様方は、甘〜いスイーツのケーキをたくさんご所望のようですので」
「分かりましたぁ、レイチェルさん……! 冷蔵庫に作り置きをしておいたケーキがいっぱいありますからぁ。今、そちらにいっぱい持ってきますねぇ!」
ピンク髪の女神様が呼びかけると。
その後ろに立っていた見た目の若い、大人しそうな女性が、テクテクと後ろに下がっていく。
女神様に頂いたレアチーズケーキを、貪るようにガツガツと食べ終えた若い騎士も。
更なるおかわりを要求して、口をパクパクと開けて正座をしながらおねだりを開始した。
「――皆様、さくら様が作って下さるケーキの他にも、ここには美味しい異世界の食べ物や飲み物がいっぱい用意されています。お腹いっぱいになるまでご馳走を堪能された後は、素敵な温泉施設や、快適でフカフカな高級ベッドも用意をしていますから。ぜひ、心ゆくまで当コンビニホテルを堪能していって下さいね!」
完全に、美しく優しい女神様の虜となった若いカルタロス王国の騎士達は……。
コンビニホテルの支配人である、レイチェル・ノアの言うがままに。
異世界の食べ物であるコンビニの料理と、『料理人』の勇者である琴美さくらの手料理をお腹いっぱいになるまで堪能した。
その後は、コンビニホテルのスイートルームで高級な羽毛布団に包まれ。温かい温泉で、心ゆくまで遠征と戦闘で負った旅の疲れも癒やし。
そのまま身も心も、快適なコンビニ生活にどっぷりと染まりきって。もう、元の生活には決して戻る事の出来ない、熱烈なコンビニの『信奉者』へと全員が変わり果ててしまった。
一方、その頃。大きな轟音がまだ鳴り響く外の戦場では――。
『アイドル』の勇者である、野々原有紀が展開しているコンサート会場の中で。
『クレーンゲーム』の勇者である秋山早苗が、次々と空から巨大なアーム降ろし。
世界連合軍の集結する場所から、まるで魚釣りゲームのように。白煙に包まれてパニックに陥っているカルタロス王国の騎士達を狙い打ちにして、次々とアームを使って空高くにまで釣り上げていっていた。
秋山のアームによって空に釣り上げられた騎士達は、そのままコンビニホテルの中へ、強制転移をさせられてしまう。
そしてホテルの中で待つ、美しいレイチェルさんによって。異世界のコンビニ料理と、快適なコンビニホテルの生活の虜にされてしまうのだ。
この日、世界連合軍とコンビニ共和国軍の2日目となる戦いでは……。
コンビニ共和国軍は、合計200人を超えるカルタロス王国の若い騎士達を、クレーンで釣り上げる事に成功をしている。
そしてその全ての騎士達を、一人も残す事なく。全員、熱烈なコンビニ共和国の信奉者(レイチェルの下僕)へと変えてしまう事に成功をしたのである。
「やはり、恐るべし……。レイチェルさんのあの美貌と、甘い誘惑の前には――。異世界の若い男の騎士達だって、イチコロで落とされてしまうんだな……」
コンビニホテルの中で、次々とコンビニ信奉者を量産させていくレイチェルさんの恐ろしい手腕を見つめていた、『裁縫者』の桂木真二と、『薬剤師』の北川修司が……。
ワナワナと震えながらその様子を、なぜか羨ましそうに見守っている。
「……何よ、例え相手が女性であっても。レイチェルさんの魅力にかかれば、みんなメロメロになるのは間違いないわ。私達コンビニメンバーも、みんなレイチェルさんにベタ惚れなのは間違いない訳だし。敵味方を問わず、誰でもその魅力で惹きつけてしまうなんて、本当に凄い人よね。うちの臨時大統領は……」
『射撃者』の勇者である紗和乃が、うんうんと頷きながらそう付け足した。
今の所――コンビニ共和国軍の陣営には、誰一人として怪我人や犠牲者は出ていない。
『ぬいぐるみ』の勇者である小笠原麻衣子が操る、『超巨大クマのぬいぐるみ』が敵の火矢で燃やされてしまったのは、唯一予想外な出来事ではあったが……。
コンビニ共和国臨時大統領であるレイチェルの指示で、すかさずアパッチヘリを救援に向かわせ。
無事に小笠原を救出する事にも成功をしている。幸いにも小笠原の身には、大きな怪我は何もなかったようだ。
そして、おそらく世界連合軍側の陣営でも。
今の所、大きな怪我人や戦死者はまだ出ていないはずである。
ここまでは、敵に『誰一人として犠牲者を出してはいけない』――という、コンビニ共和国臨時大統領であるレイチェルの方針は、しっかりと守られている形となっていた。
後は、このまま世界連合軍側に大きな動きがなければ。
今回の作戦は、ほぼ成功をしたといっても間違いはなさそうだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「――そんな……!? 我が軍だけで、既に数百人以上の行方不明者が出ているというのですか!」
2日目の戦闘が終わり。
騎士団幹部達からの報告を受けたカルタロス王国の女王――サステリアが両手で頭を抱えて悲鳴を漏らす。
「はい……。あの空から降りてきた巨大な手のようなモノによって。我が軍の騎士達は次々と、空の彼方にまで引っ張り上げられてしまいました。雲の上に引きずり上げられていった者達の生死は不明ですが……。既に騎士達の間には、大きな動揺が広がっているようです」
「分かりました。至急被害状況の確認と、行方不明になった者の捜索活動を続けて下さい。それと敵に襲撃をされた食糧庫の状況はどうなのでしょう? 昨日に続いて、また大きな損害が出ているのでしょうか……?」
顔を真っ青にして、サステリアがそう尋ねてみる。
既に初日にして、半分近い食糧が魔王軍によって強奪されてしまったのだ。下手をすると、もうカルタロス軍の食糧は全てなくなっている……。なんて事さえあり得るかもしれない。
「それが、サステリア様……。たしかに、本日も我が軍の食糧庫は敵によって襲撃を受けたのですが……。敵は今回はあまり大量に我が軍の食糧を強奪していかなかったようなのです。少なくともまだあと1〜2週間は、敵と戦えるだけの余剰物資が食糧庫には残っています」
「――食糧があまり強奪されなかった? それは妙ですね。初日だけで約半分以上もの我が軍の物資を強奪していったというのに……。敵は、今回に限ってなぜそのような情けをかけるような行動を取ったのでしょう? 早めに我が軍を飢えさせ、撤退に追い込むのが敵の真の狙いではなかったのですか?」
「分かりません。ですが、食糧庫を襲った敵の部隊が魔王城へと撤退をしていく際に。我が軍の騎士達に向けて『何か』を大量にばら撒いた――という噂もあるようなのです。一部ではそれは『パン』なのではないか、という噂もございます」
「――何ですって? 敵が我が軍に向けて『パン』をばら撒いていったというのですか? いけません……! それはきっと魔王軍の罠に違いありません。味方の騎士に、魔王軍がばら撒いた食べ物は、決して食べないようにと注意を促して下さい……!」
「ハハーーッ!! 畏まりました。カルタロス王国の騎士団全員に厳重注意を致します! ですが……我が軍の食糧は、半分近くを敵に強奪され。決して豊かな状態とは言えません。このまま苦しい戦況が続いていくとすれば、敵が配る食糧に手をつけてしまう者が大量に出始めてしまうかもしれませぬぞ。もしかしたら、既にそのパンらしきモノを、口にしてしまった者もいるかもしれません……」
「そんな………! まさかコンビニの魔王軍は、我が軍にその怪しげな食糧を配布して。そこに含まれる『毒』の作用で、カルタロス王国の騎士団を、一気に全滅させようとしているのでしょうか……?」
サステリアの言葉に、カルタロス王国軍の幹部達が一斉に青ざめる。
まさか、そんな事は信じられない……という思いと。確かにあの恐ろしい魔王軍がする事だ。そのような卑怯な奇策を弄する可能性もあるかもしれない……という疑いが、首脳陣の脳裏に深刻な影を落とした。
「――どちらにしても……。これ以上、我が軍の食糧物資を強奪されないように。明日からは食糧を分散配置して、敵に狙われにくくしましょう。そしてこれ以上、この戦いを長びかせない為にも。何としても、あの巨大な魔王城から降り注ぐ赤い光弾の雨を突破しなければなりません」
「サステリア様、その件についてですが……。カルツェン王国のグスタフ王から、魔王城攻略のアイデアがあると、緊急の報告が入ってきております。グスタフ王からの指示によると――。明日、カルタロス王国軍は、本日と同じように敵前で陽動作戦を行なって欲しいとの事でした」
「グスタフ王が……? 分かりました。我が軍はカルツェン王国軍の指示に従いましょう」
既に、打つべき手を完全に失っているサステリアには。カルツェン王国の提案を断る……という選択肢は全く無かった。
それに老練で実戦の経験も深く。騎士達にも信頼の高いカルツェン王国のグスタフ王の作戦だ。無下に扱う事は決して出来ない。
自分はまだまだ騎士達には信頼をされていない、若い新参の女王に過ぎないのだから……。
初めての戦争に慣れない若いサステリアは、小さくため息を漏らしながら、自軍の陣幕の中へと入っていく。
願わくば……行方不明となった、味方の騎士達が全員無事でいてくれる事を祈りながら。
そしてもし、味方の騎士達がコンビニの魔王軍によって誘拐をされてしまったのだとしたら。敵に捕まった騎士達が、酷い拷問などを受けていなければ良いのだけれど……と心から味方の騎士達の安否を気遣うのである。
そんな若き女王が心から心配をしている、行方不明となったカルタロス王国の若い騎士達は……。
次の日には、とんでもない形で。
サステリアの前に全員、元気なその姿を現す事となるのを――この時は全く知る由もなかった。