第十七話 壁外区でのコンビニ経営
「いらっしゃいませー! ただ今、レジまでは2時間待ちになっていまーす! 商品はたくさん取り揃えていますから、皆さん押さないで順番に並んで下さいねー!」
「ふぅ~〜!」
俺はコンビニのレジ打ちをしながら、少しばかり長めの溜息を漏らす。
今日も俺のコンビニは、相変わらずの大盛況だ。
店内には珍しい異世界の食品を求めるお客さん達が、わんさかと溢れかえっている。そしてお店の外には長蛇の行列が出来ていた。
――もっとも。
これでもオープンの頃に比べれば、落ち着いた方だ。
開店当初の頃は、コンビニに並ぶ客の行列が、長さ1キロを超える大行列になっていた事もあった。
毎日、入店まで8時間待ちとか、あり得ないような状態がず〜っと続いていたしな。
そんなピーク時の頃に比べれば。今はだいぶ、落ちついてきた方だと言えるだろう。
俺がカディナの街の南にある、この壁外区にコンビニをオープンさせてから――。
今日でもう、約1ヶ月の月日が経過している。
開店当初の頃はここの住人達も、こんなに貴重な商品を激安で売ってくれるお店が長く続くはずがない。
売り切れてしまわないうちに、出来るだけ多く買い占めておこうと。激安スーパーの特価品コーナーに殺到するおばちゃん達のような勢いで、毎日、コンビニに一斉に押しかけて来ていた。
だからあまりの忙しさで、俺もなかなか店を閉める事が出来かった。
開店から約2日間くらいは、ぶっ続けで働き通してしまったからな。
でも、いくらコンビ二は24時間営業が基本だからってさ……。中で働く店員まで、本当に24時間労働するのは流石に無理がある。
まあ、これは全部俺が悪い。
まずはルールをちゃんと決めてから、コンビニを開店させるべきだったのに。その場のテンションに任せて、ノープランのまま勢いでオープンしちゃったからな。
今思うと……ティーナと別れてテンションもガクンと落ちていたから。少しだけ自暴自棄になっていた所もあったのかもしれない。
とにかくあまりにもコンビニの営業が忙し過ぎて。俺は店を閉店させるタイミングが全然分からなかった。
並んでるお客さんの行列は全然途絶えそうにないし。外で待っているお客さんは、みんな俺のコンビニに入りたくて、ずっと夜通しで並び続けていてくれたからな。
しまいには行列の最後尾が、地平線の彼方に霞んで見えるような状態になってしまったくらいだ。
その時は、俺もなんとかお客さんの期待に応えないと……って必死だったし。そのまま夜も寝ずに働き、朝になっても、次の日になっても、俺はずっとコンビニの中で働き続けていた。
気付いた時には、流石に意識が朦朧としてきて。お店の中で卒倒しそうになってしまったので……。
俺はなんとか並んでいるお客さんに、次の日も必ずお店を開くことを約束してから、店をいったん閉める事にした。
そしてその日は、ベッドに飛び込んで死んだように深く寝込んでしまった。
これがブラック会社に飛び込んだ新社会人の心境なのか……と、俺はベッドの中で自分で自分を追い込んでしまった事を、深く後悔した。
そして次の日の朝、前日までの過酷な労働環境を改善すべく。
一応……俺なりに新しいルールを設けてから、コンビニを開く事にした。
まず最初に俺が見直そうと思ったのは、コンビニで扱う商品の値段設定についてだ。
どうやら俺は商品の値段を、あまりにも安く設定し過ぎてしまったらしい。
まあ、これも後で気付いた事なんだけどな。
この世界の貨幣価値の分からなかった俺は、とりあえず安ければ良いだろうと、適当に商品に値段をつけてしまった。
今、思えば全品が銅貨1枚(日本円にして約10円)ってのは、確かに有り得ない価格設定だよな。『価格ドット混む』でも、今時そんな激安商品は絶対に見つけられないぞ。
俺のコンビニは仕入れ値ゼロで、パソコンから商品を無限発注する事が出来る。
だから損得を考えずに、かなり適当な値段をつけてしまったんだけど、さすがにこれは失敗したな……と後で気付いた。
よし、それなら値段を上げよう!
……と、俺も一度は検討をしたんだけど。
でもさ。既に一度、決めてしまった価格だしな。
外でずっと並んでいるお客さん達も、銅貨1枚で水や食料を買えるのを期待して待ってくれていた訳だし。
明日また、開店します! と、約束をして。いざコンビニを開店させたら、いきなり値上がりしてる――ってのは、何だか詐欺をしているような後ろめたい気持ちがした。
客商売ってのは、『信用』が一番大事だと俺は思うんだ。
まして俺は、この世界の人々と交流をする為にこの商売を始めたんだからな。オープンの時だけ安くて、後でいきなり値上げをするようなお店では、みんなの信用が得られないと思う。
だから急に商品の値上げをするのは、みんなの期待を裏切るみたいで心情的にも俺は嫌だった。
……まあ、という訳で。
俺は一度決めた値段設定を撤回しない事にした。
だから、そのまま激安価格のままでコンビニ経営を継続する。
ただし、1人の客が一度に買えるのは『5品』までという新しいルールだけは導入させて貰う。
最初の頃は1人で一度に30~50個くらいの商品をレジに持ってくる猛者もいたからな。商品自体は事務所で発注をかければ、倉庫に無限に湧いてくるし、すぐに補充は出来るんだが……。
それじゃあ流石に俺の身が持たない。
なにせ店員は、俺1人しかいないんだぞ?
レジ会計、発注、補充、商品陳列と、全て俺1人でこなさないといけない状況で、負担をこれ以上増やしたくない。
1人の客に大量に買占めなんてされたら、店が回らなくなってしまう。
なので悪いが、お1人様が買える商品は5品までのルールは設定させてもらうことにした。
お店の入り口に張り紙で大きく貼り出して、俺も大声で叫んで列に並ぶ客全員に説明をして回った。
そしてもう一つ作った新ルールが営業時間の設定だ。
俺のコンビニは『朝の10時から夜8時まで』の営業時間とさせて貰う。
途中、昼の1時と、5時の2回に分けて。30分休憩も挟ませてもらう形だ。
コンビニだからって流石に24時間営業をするのは無理があるからな。店員が俺1人しかいない上に、商品の補充だってしないといけない。
実質、休憩時間は事務所のパソコンで商品の発注をして、店内の補充作業をしたりで大体終わってしまうんだが……。かえってこの方が効率がいいことに気付いた。
営業中にレジを止めて商品の補充をしに行くのは、並んでいる客を待たせてしまうし、めちゃくちゃ効率が悪い。
しかも混雑した店内で、商品の補充作業をするのは、かえって時間が掛かってしまう事にも気付いた。
もちろん俺自身が食事をする時間だって欲しいし、トイレにだって行きたいからな。
――あ、そうそう。
うちのコンビニのトイレは、お客には開放をしない事にしたぜ。
それはぶっちゃけると。街の住人達が近代的な『水洗トイレ』の使い方を全然理解してくれなかったからだ。
いくら張り紙をしたって、中世のボットン便所方式に慣れているここの住人達は、水洗トイレの使い方がまるで理解出来ない。ティーナは飲み込みが早くてすぐに憶えてくれたんだけどな。
1日にこんな、何千人も何万人も押しかけてくる客達の全てに、水洗トイレの使い方を丁寧に教えるなんて到底無理だ。時間の無駄でしかない。
ただでさえ俺は大忙しなんだからな。
そんなのは勘弁をしてくれよ。異世界の住民相手に、水洗トイレの使い方講習を毎日開くだなんて……俺は絶対に嫌だ。
だって俺は水洗トイレを異世界に布教する為にきた伝道師じゃないんだぞ? そんなフランシスコ・ザ◯エルさんとか、キリスト教を布教した中世の修道士みたいな真似なんて……俺には到底出来ない。
まして水洗トイレを布教するなんて、テンションも全然上がらないしな。
なので、コンビニのトイレは一般客には開放しない事にした。トイレをしたい人は、どこか店の外で勝手にやってくれよな。
まあ、何はともあれだ。
俺のコンビ二はオープンから、ちょうど約1ヶ月。
やっと周囲の住人達ともそれなりに打ち解けてきて。信頼関係が築けるようになってきた。
俺のコンビニはこれからもずっとこの壁外区で営業をし続ける事。商品は十分に在庫があるので、決して売り切れにはならない事。
それらを住人のみんなが理解してくれたので。オープンの頃に比べれば、お店に並ぶ客の行列もだいぶ落ち着いてきた。
俺が疲れて休憩を取る事も、みんなに配慮をしてもらえるようになったしな。
中には――、
「あまり、無理はなさらないで下さいね!」
「これからも、頑張って下さいね!」
「ずっと応援しています!!」
……って、心配や応援の声をかけてくれる人達もいるくらいだ。
それだけ俺がこの壁外区の住民達とも打ち解けてきたって事なんだと思う。
うんうん。苦労してコンビニの経営をしてきた甲斐があったってもんだよな。
俺がこの異世界で、一番欲しかったもの。
つまり『俺がここに居ても良いんだ』と思える居場所を……やっと今、俺は手に入れる事が出来た気がする。
「ふぅ。よし……もう1時か! 俺もお昼の休憩を取る事にしよう!」
店内に休憩用のクラシックのBGMを鳴らす。
するとお店の中に残っていたお客さん達も、一斉に店から外に出て行く。
この辺は、お客と俺との信頼関係の為せる技だ。
最初の頃は、このBGMが鳴ってもなかなか店の外に出てくれない客も大勢いた。
いつの頃からだろうか?
最近はうちに来るお客達の間で、
「さあ、女神様を休ませてあげないと駄目だよ。みんな外で順番に並んで待ちましょう!」
「そうだよ。俺達の女神様にちゃんと休息をとってもらわないと!」
「いつも私達の為にこんなに素晴らしいお店を開いてくれている女神様に、祈りと感謝を捧げましょう!」
――と、みんなが声を掛け合って俺を休ませてくれたり。俺の体調をいたわってくれる謎の風潮が出来あがっていた。
まあ、俺としては大助かりなんだけど。
何で俺がみんなから『女神様』呼ばわりされているのかは全くの謎だ。
そういえば、最近はコンビニの外に出ると、みんなに『壁外区の女神様』って呼ばれたりしている。
握手を求められたり、道行く人々に感謝をされたりと。まるで地方アイドルのように、もの凄くみんなに大切に扱われている気もするぞ。
これは、一体何なんだろうな?
いや、大切にされているのは嬉しいんだけどさ。なんかこう……。俺の想像してた以上に、変にみんなに敬われ過ぎているというか、う〜ん。
俺が1人でそんな考え事をしながら食事をとっていると、
――トントントン。
コンビニの入り口を叩く音が聞こえてきた。
「よう、旦那! また来ましたぜ! ここを開けて下さいよ!」
「……ん? おう、ザリルか! 今開けてやるよ。ちょっと待っててくれ!」
俺がコンビ二のガラス戸を閉じていた鍵を回すと、紫色のターバンを巻いた色黒の男が店内に入ってくる。
身長は180越えの長身。体全体を紫色の布とマントで覆っているこいつの名前は『ザリル』と言う。
年齢は今年で30歳。筋肉質な体型に、腰につけた曲刀が特徴的で、見た目はいかにもゴロツキっぽい風貌の男だ。
俺はあまり詳しくは知らないが、この世界の西方にあると言う砂漠の国の商人達は、こういう服装を好んでしているらしい。
つまり、この見た目のちょっと胡散臭いターバン男は西方出身の商人という事だ。
「へっへ。いつも助かりますぜ、旦那! ……そろそろ稼ぎも溜まってきたでしょうし、またオレが必要になる頃合いかと思いましてね!」
ニヤリと舌を出して不敵な笑みを浮かべるザリル。
頬に刻まれている十字のアザと相まって、いつもの悪人顔が、更に人相悪く見える。
う~ん、やっぱどこからどう見てもコイツは悪党顔なんだよなぁ。
まあ、実際に何か悪い事を、裏ではしていそうだけどな。俺はあまりそこには興味がないので、気にしないようにはしている。
俺はザリルの素性を深く詮索はしない。
コイツは俺がコンビニを経営する上で、必要な存在だからだ。なのでザリルとはこれからも、良い商売上の取引関係を続けていくつもりでいる。
「旦那、それじゃあ今日も『例のもの』を回収させてもらいますが、いいですかね?」
「ああ、これが昨日のコンビニの総売上だ。全部持っていってくれ!」
俺は昨日1日分のコンビニの総売上、約75000枚の銅貨が入った皮袋をザリルに手渡す。
「へっへっへ。相変わらず儲けていますね~。いやいや、羨ましい限りですぜ〜」
ニヤリと笑みを浮かべて、悪代官のような表情を見せるザリル。
こいつはきっと分かっていて、ワザとこんな悪い顔を俺に見せているんだろうなと思う。
ザリルは計算も出来るし、俺の知りうる限りこの辺りでは一番頭のいい奴だ。こういう顔つきで笑えば俺が好感を持つだとか、俺がどういう人間を警戒しているのかというような情報を巧みに計算して、悪人面を演出しているのだろう。
俺がこの紫ターバンの色黒男。ザリルと出会ったのは、コンビニをオープンしてから、約1週間程経った頃だった――。
それまでも、もちろんこいつは客としてコンビニには来ていたらしいが。俺も毎日何千人と来る客の顔全部は当然憶えられない。だから、こいつに何か特別な印象が残ったという事もなかった。
その日、俺がいつものようにコンビニの休憩時間になって休もうとすると、
「旦那! 旦那! ちょっといい話があるんですけど、いいですかね……?」
と、こいつはいきなり俺に話しかけてきた。
最初は人相も人相だし、俺も警戒はしたさ。
だが、こいつの話し掛けてきた内容は、俺にとっても確かに得のある内容だった。
「旦那はここの毎日の売上を、どうやって換金しているんですかね?」
「換金? さあ、何のことだ?」
「――いやね、ここの商品は全部銅貨1枚な訳でしょう? となると、毎日何万枚もの銅貨が店に溜まって、旦那もお金のしまい場所に困っているんじゃないかと思いましてね」
ザリルが指摘した内容は、確かに俺が今、一番困っている問題でもあった。
コンビニの商品は全部銅貨1枚で販売をしている。
俺自身は別にお金儲けがしたいという目的は無かったのだが、商売という形を取っている以上、タダでばら撒く訳にもいかない。
なので、自然と俺のコンビニには毎日の売上金である、大量の銅貨が溜まっていたのだ。
1日に10000~15000人のお客が来るとして、1人が銅貨5枚。つまりは、約75000枚くらいの銅貨が毎日コンビニの倉庫へと溜まっていく。
商品は無限発注出来るから、たくさん売れても別に問題はない。でも、溜まったお金はどう扱えばいいのか、俺も置き場所に困っていた所だった。
ザリルはコンビニに通いながら、その点に目をつけたらしい。
頭のいいコイツは毎日俺のコンビニに通い、商品や店の仕組みを鋭く観察し続けて、俺のコンビニの改善点をいくつも見つけたようだった。
「溜まった銅貨の置き場所にお困りでしたら、オレが街で金貨に換金してきてあげますよ」
ザリルはそう俺に提案をしてきた。
もちろん無料で――という訳ではない。
換金の手数料として、売上の0.5%を手数料として頂きたいという内容だった。
その時の俺は確かに銅貨の扱いに困っていたしな。
俺自身は別にお金を必要としていなかったし、店の倉庫に日に日に溜まっていく大量の銅貨を、効率よく処分してくれるなら、むしろそれは助かる話だった。
だから俺はザリルの提案に乗る事にしたんだ。
――それから俺とザリルの付き合いは、毎日のように続いている。
このザリルは本当に頭の切れる男で、俺のコンビニを利用して、次々と新しい儲けの仕組みを作り上げている。
例えばコンビニの商品を買った人々から、おにぎりやサンドイッチを包む透明袋などの『ゴミ』を買い上げているらしいのだ。
俺は全然、ゴミの問題なんて考えていなかったんだけどな。
よくよく考えると、確かにこれだけたくさんのコンビニ商品がみんなに毎日買われている状況だ。都心のようにゴミ回収の仕組みもないこの壁外区では、ゴミは外に捨てられて、どんどん溜まっていってしまう。
いわゆる環境問題としても、あまりよろしくはない。
ザリルは自分の部下の連中と一緒に、そういった透明の包み袋を大量に住民から買い漁っているらしい。
本当は空のペットボトルが一番欲しいみたいなんだけどな。俺からすればゴミとしか思えないような、透明なビニール袋も、クッションの中身として衝撃吸収材代わりに使えるとの事だ。
ペットボトルは飲み終わった後も、水を蓄えておける入れ物としての価値があるので、住民のほとんどが手放そうとせず、そのまま家に溜めこんでいた。
そんなペットボトルも、ザリルは銅貨1枚と交換という条件で、住民達と交渉して買い取っているらしかった。
俺のコンビニを利用する客からすれば、銅貨1枚で水を買い、銅貨1枚で容れ物のペットボトルをザリルに売る訳だから、実質無料で水を手に入れた事になる。
透明の包み袋もペットボトルも、ザリルによると、西方や遠方の国々で貴重な品々として、高く販売をする事が出来るらしい。
コンビニという異世界の珍しい商品を扱う店から生み出されるあらゆるものが、ザリルにとっては自分の商材になるという訳だ。
本当に商才が有るというか、頭の切れる奴で。俺はこういう人間がどんな世界でも成功をしていくのだろうとな、と感心したくらいだ。
何というか、目の付け所が並の人間とはまるで違う感じがする。
ザリルが街で換金をしてきた金貨を受け取った俺は、店内でコーラを飲みながら、ザリルと話を続ける。
「お前も最近はだいぶ儲けているみたいだな。がめついと言うか、ある意味本当に賢くて尊敬するよ」
「何を仰いますやら、旦那には到底及びませんぜ。何せ旦那は、今やこの壁外区の『女神様』なんですぜ!」
「その『女神様」ってのは一体何なんだ? 俺も最近そう呼ばれることが多くなってきて、気にはなっているんだが……」
『くっくっくっ』と、ザリルがくぐもった笑い声を漏らす。
俺が異世界人特有の無知を晒すと、こいつはいつもこういう笑い方をしてくる。
「旦那、この世界じゃ神様ってのは全部、『女神様』のことを指すってのは知っていますよね?」
「ああ、確か男の神様はいないんだったよな? その影響か、全ての国の王様も基本は全て女性。女王が国を治める事が多いって聞いたけど」
その辺りの話はここに来るまでの間に、俺はティーナから聞いて知っていた。
グランデイルに限らずこの世界の全ての王国では、基本は女王が統治をしているらしい。
この世界の教会が敬うのも、唯一神である『アスティア』という名前の女神様だけという事だった。
「その通りなんですよ。この世界じゃ偉い存在は全部女性という訳なんです。……つまり、この壁外区で奇跡のような行いをしてくれている旦那の事を、みんなは女神様が姿を変えて、壁外区に降臨したと思っている訳なんです。例え旦那の性別が、本当は男だったとしてもね」
「……うーん、そういうものなのか。なんだか女神様扱いされるのは、妙にむず痒いというか変な感じしか俺はしないけどな」
「はっはっは。しょうがないですよ、旦那は存在そのものがこの壁外区の中では奇跡なんですから。グランデイルの連中も、大変なミスを犯しちまいましたな。こんなに素晴らしい能力を持った勇者様を、『無能の勇者』呼ばわりして国から追い出すだなんて――。グランデイル嫌いのオレなんかは、むしろざまぁみろで笑いが止まりませんけどね!」
がっはっはっと、豪快に笑い続けるザリル。
聞いた話だと、ザリルはグランデイル王国とも商売をしていた事があったらしい。でも、相手側がいつも上から目線で接してくるのに嫌気がさして、グランデイルとの取引はやめたそうだ。
コンビニの中で俺とザリルは一緒に昼食をとっているが、こいつは昆布おにぎりが好物らしく、いつもそればっかりを食べている。
笑いながら口の中に入った昆布を床に飛び散らせるザリルの姿を見ていると、グランデイルに残してきた玉木のことをつい思い出してしまう。
あいつは今頃……ちゃんと、元気でやっているのだろうか?
「なあ、グランデイル王国は今どんな様子なんだ? 何か聞いている事とかないのか?」
「さてね。旦那が1ヶ月前に無能の勇者として国を追い出されたというニュース以外は、今のところ特に進展はありませんぜ」
「そうか……」
グランデイル王国では、特にあれから進展は無いという訳か。
「……まあ、相変わらず勇者召喚に成功してから、呼び出した異世界の勇者を全て自国で抱えこみ。独自に国内で訓練をさせている、という話だけは聞いていますよ。他の国々は早く勇者を前線に投入して欲しいと、要請を送り続けているらしいですがね。グランデイル王国は、まだその時期ではないと断り続けているらしいです」
うーん。
……となると、相変わらず選抜組は勇者育成プログラムの訓練を続けていて。3軍のみんなは王都の街で過ごしているという感じなのかな。
俺がいなくなって、3軍のみんながまた街で引き篭もり生活に戻っていなければいいんだが。
「グランデイルの様子が気になるんですかい、旦那?」
「まあな……。俺以外にも他にたくさんの勇者があそこにはいるんだが、そいつらは『一部』を除いて、みんな俺の友達なんだ。だから今頃どうしているのかと気になってな」
一部の除外者が誰のことを指すのかは、説明しなくてもいいよな? もちろん、思い出すだけでもムカムカする倉持や金森の事だぞ。
「なら、部下に調べてくるように言っておきますよ。旦那の頼みとあれば、オレは何でも聞きますからね」
胸に右の拳を当て、ワザとらしい親密アピールを強調してくるザリル。
こいつが持つ商人のネットワークがどれくらいのものなのかは俺も知らない。だが、結構な人数の部下を抱えている事は知っている。
まあ、ここは素直にザリルにお願いしておく事にしようかな。グランデイルの情報は俺も欲しい所だし。
「ああ、頼むよ。それにしてもお前はずいぶんと俺の事を買っているみたいだけど、何か理由でもあるのか?」
目を何度もパチクリさせながら、突然キョトン顔を浮かべるザリル。
つぶらな瞳で真っ直ぐに俺を見つめてくる。
いや、それ全然可愛くないから。
ウルウルした目をしても悪人面のままだぜ、お前。
「……はは。何を言うかと思えば……。オレは旦那がここ数百年の歴史の中でも、最も優れた異世界の勇者様だと思っているんですよ。それがなぜだか分かりますかい?」
「いいや。全然分からん。俺、自慢じゃないが、戦闘能力はからっきし駄目で、魔王なんてとても倒せそうにないんだぞ?」
「はっはっは。だから旦那は自分の価値が分かっちゃいないんですよ! この際、ぶっちゃけて言いますがね。異世界の勇者様に誰が魔王を倒して欲しいと本気で願っているんですかい?」
「――は!?」
今度は俺の目が点になる。
キョトンとした顔で、俺はザリルを見つめ続けた。
「いやいやいや……。魔王を倒すために俺達は異世界から召喚されたんだろう? この世界は魔王の創り出した魔物達のせいで、たくさんの被害を今も受けている訳なんだし」
「魔王軍との戦いなんて、もう100年以上も続いているんですぜ? 戦争だって一種の文化や風習みたいなものですよ。そりゃあ最前線の国々じゃあ、まさに国家の危機って奴なんでしょうがねぇ……」
そりゃあそうだろう。
だって、既に2つの国が魔物の襲撃を受けて滅ぼされてるって話なんだろう? それが世界の危機でないなら、何なんだって話になる。
「でもねぇ。そんな魔物との戦いに武器や食料を輸出して儲けている国や、傭兵として戦って稼いでいるような連中もいるんですよ。オレみたいなフリーの商人から言わせて貰いますとね? 戦争も既に巨大な経済の一環になってるんです。それこそ魔王が突然いなくなったら、世界中で経済危機が起こって、貧困で餓死する人が大量に出ちまいますよ! それも魔物に殺されるよりも遥かに多い人数でね」
俺はザリルの話を、呆然とした面持ちで聞いていた。
魔王を倒さなくても別にいい?
むしろすぐに倒すと経済状況が悪化して、餓死者が出るかもしれないだと?
……いやいや、なんじゃそりゃ!?
それじゃあ、何の為に俺達が召喚されたのか全然分からなくなるぞ。
そういえばグランデイル王国が勇者をゆっくりと育成して、すぐに戦わせようとはしない理由。
それを俺は多分、魔王を倒した後の世界で、政治の主導権をグランデイル国は取りたいのだ。だから、クルセイスさんは、手持ちの勇者をなかなか手放さないんだとばかり俺は思ってたけれど……。
この世界では、もう魔物との戦争自体が、大きな経済循環の一環として、根付いてしまっているという理由もあるって事なのか?
魔物と戦う為の武具の生産。
最前線の国々に送るための食料の流通。
そういった全てが、この世界の多くの人々の生活の糧となっているらしい。
「……でも、それは魔物との戦いで、直接の被害が少ない後方の国々の考え方なんだろう? 最前線で戦っている国はきっとそうは思っていないと思うぞ」
「ええ。その通りですぜ。……なので、旦那の能力はまさに世界を救う最強の能力と言う訳なんですよ。なにせ何もない所から、異世界の食料や飲み物を無限に創り出せる能力なんですからね! 旦那がいれば世界の食糧危機なんて全部解決出来ますよ! 貧困にあえいでいる国々や、この壁外区の住民達からしたら、まさに旦那は女神様としか言いようがない存在なんですぜ!」
……んん?
俺はザリルの話した言葉の中で、1つだけ気になる点があった。
なのでそれを指摘してみる。
「俺が食料や飲み物を無限に創り出せるなんて……どうしてそう思うんだ? 俺の店の商品の在庫には、限りがあるかもしれないぜ? それはお前の勝手な想像でしかないのだろう?」
俺はコンビニの商品発注の仕組みを、誰かに話した事はない。
実際には、裏のパソコンで発注ボタンを押せば無限増殖可能なんだか、ザリルが何でそれを知ってるんだ?
「ふふーん。そうですかねぇ? オレはもうかれこれ1ヶ月も旦那のコンビニに毎日通っていますがね。この店にどこからか商品の補充をしにきた業者を、オレは一度も見たことがありませんぜ。オレの部下達にも24時間体制でそれは監視させてますから間違いありません。それに――……」
ニヤリと口角を吊り上げたザリルが、俺の目を伺うようにしながら笑う。
「旦那。一番最初に、銅貨の換金をオレが申し出た時の事を覚えてますかい? 旦那は見ず知らずのオレに、店の7日分の売上を全部渡してくれましたよね? あれ、オレがそのままお金を受け取ってどこかに逃げちまってたら、一体どうするつもりだったんです?」
「それは……」
俺は言い返す事が出来ない。
ザリルは、ほくそ笑むように言葉を続けた。
「その時にオレはピンときたんですよ。旦那はお金に全く興味が無いんだってね! ……しかも、お金に興味が無いってことは、この店で扱っている商品の在庫状況にも余裕があるって事でしょう? 多分、オレなんかには分からない不思議な方法で、無限に商品を増やす事が旦那には出来るんじゃないですか? 違いますかい?」
――こ、こいつ……。
頭の切れる奴だとは思っていたが、そこまで分かっているとは……。
というか部下に24時間監視させているって、一体何だよ。そっちの方が俺は怖くて気になったぞ。
まあ、何にせよ。
コイツをあまり敵に回さない方が良い、という事は間違いないだろう。
俺の存在がザリルにとって今は利益になる以上、俺に危害を加えるようなことはないだろうし。むしろ俺という貴重な権益を失わない為に、積極的に守ってくれる可能性の方が高い。
「まあ……どうなんだろうな。その辺は企業秘密ってことにしておいてくれよ」
俺はお茶を濁して誤魔化す事にする。
「くっくっく。なあにオレも深くは詮索しませんよ。旦那は大事な取引相手ですしね。オレにとって旦那は、魔物をたくさん殺せるような強い勇者なんかよりも、遥かに価値のある勇者様ですからね。ぜひ、これからも末永くお付き合いをしていきたいものですぜ」
豪快にザリルが笑う。
そしてまた床に、大量の昆布をこぼしていく。
そうか……。
魔物を倒せる勇者よりも、食料を生み出す勇者の方が貴重という考え方か。
確かに俺のコンビニの能力は、貧困地域では重宝されそうな気はするな。
……あ、だからこの壁外区で俺は女神様扱いされている訳なのか。今更ながら納得がいった気がするぞ。
「それじゃあ、旦那! またお金を換金してきますぜ。頼まれたグランデイル王国の内部調査もちゃんとしておきますんで、楽しみにしておいて下さいよ!」
「おう、頼む! 別に急ぎじゃなくても構わないぞ。俺以外の他の勇者達が、今どんな様子なのかを調べてくれるだけでいいんだからな」
「任せて下さいよ!」
ザリルが右手を上げながらコンビニの外に出て行く。
顔は極悪人面だが、仕事は実に頼りになる奴だ。任せておいて間違いはないだろう。
「さて……と。俺もさっさと商品の発注と補充を済ませておくとするか」
俺は事務所に戻ると、パソコンの画面に向き合う。
ネットには繋がっていないが、商品管理画面から発注ボタンを押すだけで、無限にコンビニの商品は増やす事が出来る。
俺は午前中に売れてしまった、サンドイッチ、おにぎりなどの食品類の発注を大量にしておいた。
すると、パソコンの椅子に腰かけていた俺の耳に――金属製のドアをノックする音が聞こえてきた。
トン、トン、トン。
――ん? 今度は誰だ?
コンビニの事務所の裏口を知っているなんて、一体誰なんだろう?
この壁外区に来てから、俺は一度もコンビニの裏口を使ったことは無いぞ。
だからここの住人達も、この裏口の存在は知らないはずなんだが……。
俺は警戒しながら、恐る恐る裏口のドアの前に立った。
厚さ15センチのステンレス製ドアは、内側から鍵をかけている限り。外からは絶対に開ける事は出来ない。
ドアに耳を近づけながら、俺は外に向かって小さく問いかけてみた。
「―――誰だ?」
「……………」
一瞬の沈黙。
少しの間を開けてから。
何処かで聞き覚えのある、天使のような美しい声がドアの外から聞こえてきた。
「……彼方様? 私です! ティーナです! ここを開けて下さいませんか?」