第十六話 壁外区
「なるほど、この街で新しい商売をですか……。しかしそれは少々、難しいかもしれないですな」
「えっ、そうなんですか?」
アドニスさんが眉間にしわを寄せながら、首を傾げている。年季の入ったダンディな顔が、困惑した表情に変わっていた。
えっと……。
俺、そんなに困らせるような事を言ったのかな?
商売を新しく始めるのって、この世界では結構ハードルが高かったりするのだろうか。
「このカディナの街では、『市民権』を持つカディナ市民以外は、壁内で商業活動をしてはいけないという規則があるのです。まだこの街に来たばかりの彼方様では、おそらくその市民権を手にする事は出来ないでしょう」
「ええっ、そうなんですか!? しれっと街の片隅にお店を出して、こっそりと商売をするみたいなのは、やっぱりダメなんですかね?」
アドニスさんが顎に指を当てながら、首を小さく横に振る。
「うーむ……。それもやはり無理でしょうな。街の商業組合は横の繋がりを重んじます。無許可で開店をした新規のお店は、すぐに通報されてしまうでしょう。そうなれば教会から派遣された騎士達によって、街から強制退去を命じられてしまいます」
ガガーン――!
マジでかぁ。
さすがにこの街でも追放されてしまうのだけは勘弁願いたい。だって俺はもう、追放2回目になっちゃうぞ。
なかなか無いんじゃないか? 異世界で追放歴2回って。離婚歴じゃないんだし。
暗いソラディスの森の中を10日以上も歩いて、やっとここに辿り着いのにそれはあんまりだ。
「くっそ、人が沢山住んでいる街で、コンビニをささやかに経営したいという俺の願いは叶わないのかよ……」
「コンビニ? 何ですかな、それは?」
「あ、いえいえ! ただの独り言です。特に気にしないで下さい」
う~ん。でもこれはマジで困ったぞ。
そっか、市民権か。
正直、そんな事は全然考えていなかったな。
そういえば、この街に入る時もたしか市民証みたいなものが必要だったような。
ティーナがいたから、俺はすんなりとこの街に入る事が出来たけれど。本来なら、余所者の入場には厳しいルールが設けられているんだよな。
まあ、それは当然かもしれない。
日本だって外国から働きに来たら、ビザだとか、就業証明書だとか、長期在留資格だとか……いろんな書類が必要になるし。
俺みたいな異世界人が勝手にここで商売を始められるほど、この世界のルールも甘くはないって事か。
しかし、そうなるとだ。
人のいる街で、俺がコンビニを開いて商売をするって計画は、いったん考え直さないといけなくなるな。
なんだかんだグランデイルの城下町では、俺は異世界の勇者って事で王宮から手厚い保護を受けていた。だから王都の街の隅っこで、勝手にコンビニを開いていても誰からも文句は言われなかったしな。
でも現実には、やっぱりただ商売をしたいって思うだけじゃ駄目らしい。だけどそれって、かなりの無理ゲーなんじゃないかな?
だって余所者で、しかも異世界人の俺なんだぞ?
もし、お店を出す審査で『出身はどこですか?』って聞かれたら『日本です』とは答えづらいし。そんな怪しさ全開の奴、絶対に審査落ちするだろう。
「もし、このカディナの街の中ではなく。別の場所でも良いのでしたら、すぐにでも商売を始められる場所はありますが……」
「えっ、それは本当ですか? アドニスさん」
俺が困った表情を浮かべていたのを見かねてか。
アドニスさんが、どうやら俺に助け舟を差し伸べてくれたようだ。
すぐにでも、商売を始められる場所があるだって?
もしそれが本当なら、俺にとってはガチでありがたいんだけど。
「城壁に囲まれたカディナの街の中では、厳しいルールがありますので、新しく商売を始める事は難しいでしょう。ですが城壁の外、街の南部にある『壁外区』でしたらルールは何もありません。あそこには壁の中よりも遥かに多くの人が住んでいますし、新参の者を拒まないという風潮もあります。だからきっと、彼方様も商売を始めやすいと思います」
「壁外区? たしか、ティーナが言っていた、街の南部にあるって言う場所のことですよね? 街の外から壁の中に働きに来る出稼ぎの労働者が、そこにはたくさん住んでいるって聞きました」
「はい。カディナの街は、労働者のほとんどが壁外から働きに来ているのです。彼等は市民権を持たないので街の中に住むことは出来ませんが、壁の外に各々の住居を独自に設け、そこから賃金を得る為に壁の中に働きに来ているのです」
ほうほう、なるほど。
なんとなくだが、俺にも分かってきたぞ。
壁の中には市民権を持った、いわゆるエリート階層の住人が主に住んでいるのだろう。
でも、街の労働力は不足をしている。だからそれを補う為に、市民権を持たない壁の外で暮らしている人達を雇い入れ、街の中で労働をさせているという訳か。
なら俺も、この壁の外でなら、コンビニを自由に出して商売をしても怒られないって事だよな?
別にカディナの街の中でなきゃ嫌だ! なんて、こだわりは全〜然ない。
まあ、治安が良い事にこしたことはないんだけどさ。要は人がたくさんいる場所で、俺がコンビニを出して。普通に商売が出来ればそれでいいんだ。
暗い森の中だとか、危険な魔物が沢山いる場所とかさ。そんな危ない場所じゃないのなら、俺は基本どこでもウエルカムだぜ。
「アドニスさん、どうもありがとうございます! 俺、さっそく南の壁外区に行ってみます! そこで、新しく商売を始めてみます!」
「いいえ。礼には及びませんよ。貴方様は、ティーナ様の命の恩人です。それなのに我がアルノイッシュ家の主が、大恩ある貴方様に大変失礼な言動をとった事を、私は主に代わりまして、心からお詫びさせて頂きます」
長身のアドニスさんが深々と頭を下げた。
俺みたいな何処の誰とも分からないような奴にも、最敬礼の謝意を伝えてくれているのが分かる。
「私はティーナ様が幼き頃より、お側でお仕えをさせて頂きました。ですのでティーナ様を窮地よりお救い頂いた貴方様には大変感謝しているのです。もし、私でお役に立てることがございましたら、何でもご相談下さい。必ずや貴方様のお力になる事を約束させて頂きます」
「それは本当にありがたいです。俺はこの世界のことがまだ何も分かっていないペーペーですので、もし機会があれば、ぜひ相談をさせてもらいますよ。その時はどうかよろしくお願いします!」
俺は礼儀正しい長身の執事さんに、深く頭を下げてその場から離れた。
小走りで街の大通りを走りながら、俺は思う。
アドニスさんの厚意は、確かに有り難いことではあるんだけれど――。
「でも、俺がここに戻るような事は、もう無いのかもしれないな……」
ティーナにもう会えないのは、やっぱり寂しいけど。でも俺の素性や、追放の経緯はもうこの辺りでは知られているんだ。
無能で役立たずの勇者と評判の俺が、ここに頻繁に来るような事があったら。かえってティーナやアドニスさんに迷惑をかけてしまう気がするんだ。
それに俺はもう、誰にも頼らずに。自分一人の力で異世界を生き抜いていくと決めたんだしな!
「よーし、ここから俺は裸一貫で再スタートをするぞ。コンビニの勇者の新しい異世界生活の始まりだ!」
俺は、俺の異世界生活を新しく一からやり直す。
そう決めたのだから、人に頼らずに一人で何とか頑張り抜いてみせるさ。
俺は人混みの多い街中を走り抜け。
全力でカディナの街の南部を目指した。
出口である南側の城門までの道のりは、街の大通りをただ真っ直ぐに進むだけ。なので、余所者の俺でもそんなに迷う事はなかった。
心配していた南門の受付も、想像していたよりもずっと緩かった。
街に入る時と違って、外に出る時には一切の検問が無かったからだ。
受付の騎士達も、横を素通りする俺の事を全然気にする素振りもなかった。
どうやら街に入る時には厳しい審査を設けるが、出て行く者には、何も関与をしないというのが基本スタンスらしい。
――そして、俺はようやくカディナの街の南方。
壁の外に広がる労働者達の街。
噂の『壁外区』へと辿り着いた!
「うわああぁぁーーっ!? すっげええぇーーっ!! 何だかコレ、壁の中よりもこっちの方が遥かに広いんじゃないのか?」
見渡す限り、目に映る広大な光景は――。
全て『人、人、人、人……』で、溢れかえっていた。
この壁外区のイメージは……そう、人口密度の高いスラム街みたいな雰囲気を感じるぞ。
不規則に並び立つ、ボロボロのプレハブ小屋の群れ。乱雑に立ち並ぶ居住テントの群れ。
もう足場なんて全く無いと言わんばかりに。あちこちの地面にゴミや、生活廃棄物が散らかり放題だ。
テントとテントの間には、洗濯物を干す細いロープが無数に貼ってあって。その下には鶏を飼う家畜小屋のスペースなんかも、無秩序に広がっている。
これじゃまるで、夏休みに小さな子供達で溢れかえった市民プールみたいだな。
居住スペースの間を縫うように並んでいる細い通路には、露天商達が所構わずにあちこちで商売をしている。ここは壁の中と違って統一感なんてまるで無い。もう、何でもありの状態だ。
だからどこで誰がどんな商売をしているかなんて、きっと誰も把握してないんじゃないかな?
「これが『壁外区』か……。確かにここはルール無用な完全無法地帯、って感じだな」
壁の中の上品な街並みとは、まるで雰囲気が違う。
正直、治安もかなり悪そうだ。
窃盗、盗難、スリとか、きっと何でもアリって感じがする。いかにも治安は悪そうだし、とにかく人の密集度が本当に半端ない。
ちょっと見た目の悪そうな連中だって、その辺にゴロゴロいるし。テントやプレハブ小屋の間を走り回っている小さな子供達も、ボロボロの布切れをわずかに体にまとっているだけだ。
「生活の豊かさのレベルが、壁の中とは全然違う訳か……」
俺は壁外区の中を散策しながらそう思った。
ここは壁の中に住む事が出来ない住民達が暮らす街。貧しい生活環境の中で、多くの人々が共同で暮らす、巨大な生活密集圏になっている場所のようだ。
まあ、確かにここなら。俺がこっそり店を開いて商売を始めたとしても。誰にも文句は言われないだろうな。
「あのう……俺、今日ここに来たばかりの新人なんですけど。ここでお店を新しく開いて、商売を始めても大丈夫でしょうか?」
俺は近くの椅子に座っていた、木片アクセサリーを販売している露店商の男に話しかけてみた。
一応、俺は新参者だしな。壁の中のように、何か余所者に対しての特別なルールがあるのなら、先に聞いておいた方が良いだろう。
「はぁ? 店を開くって? お前がここでか? まぁ別にいいけどよ。新しく店を開くのなら、壁から一番遠い外側の場所で開くんだな。ここの唯一のルールは、新参者は『壁から遠くに離れた外側に住む』って事だけさ。それさえ守っていれば誰からも文句は言われないよ」
「壁の外側から? それって一体どういう意味なんですか?」
「だ〜か〜ら〜! カディナの城壁に近い安全な内側は、既に古参の連中で埋め尽くされているって意味さ。新しく来た人間は、壁から一番遠い外側に家を建てて暮らすんだ。そうすれば、内側で暮らしている連中は外から襲ってくる敵から身を守れて安全になるだろう? つまりはそういう仕組みになっている訳さ」
「……わ、分かりました! どうもありがとうございます!」
ほうほう。
なるほど、なるほど。
そういう事か。だんだん俺にも分かってきたぞ。
このスラムみたいな、一見するとルール無用そうに見える街にも、唯一守らなければいけないルールがあるらしい。
それは、新参者はカディナの城壁に面した内側ではなく。壁から遠くに離れた、外側から順番に住んでいけという事なのだろう。
たしかに人は多いけれど、安全な壁の中と違って。ここには外側に柵も無ければ、仕切りも何も用意されていない。見渡す限り、ただの平原しかないような場所だ。
仮にもし、盗賊の襲撃を受けたり。街の外から魔物が襲ってくるような事態が起きれば、壁外区の一番外側に暮らしている住人が、真っ先に襲われてしまうだろう。
安全な壁の中には、市民権がないから住めない。
だけど、せめて巨大な城壁を背にして暮らす事が出来れば、片側だけは安全を確保出来る。ここに暮らす人々にとって、それは大きなアドバンテージになるだろう。
「つまり安全な城壁の近くから離れた、外側に住む新規の住人は、常に外敵に身を晒す可能性が一番高い、危険な場所で住む事になるのか……」
逆に、壁の周囲に最初から住んでいる古参の人間は、外側に住む人達が真っ先に犠牲になってくれるので、自分達の安全度が増す。
いわば外側に住む人間を盾にした、『肉のカーテン』みたいなものだ。
新参は拒まないが、壁から離れた外側に順番に家を建てて暮らす事。それがここで暮らしていく上での、唯一のルールらしい。
俺は情報をくれた露天商に会釈して、すぐに街の外側に向かって歩き出した。
忠告通りに、壁外区の一番外側。
スラムのような繁華街の隅っこへと俺はやって来た。
「よし、後はどこか適当な場所で、良さそうな所はないかな?」
正直に言って俺のコンビニは絶対に目立つ。
多分、どこに建ててもすぐに注目されてしまうだろう。
まあ、どうせ目立つのならだ。
このスラムのような壁外区の一番外側で、最も危険そうな場所に、あえてコンビニを建てるとしようか。
今はコンビニのレベルも上がったし。自分の身くらいは自分で守れる自信もある。
なにせ今の俺のコンビニには、3重の鉄壁ガードが付いてるんだぜ?
ガラス。
防火シャッター。
強化ステンレスパイプシャッター。
この3つのガードを破って、店内に侵入してくるような猛者は、さすがにこのスラムの中にはいないだろう。
いざとなったら、それら全てを展開してコンビニの奥に引き篭もればいい。例えガラの悪い連中に囲まれたって、今の俺のコンビニならびくともしないはずだ。
「よーしっ! それじゃあここに決定だ! 俺のnew異世界コンビニライフを改めてここから始めていくぞ!」
俺は自分の能力『コンビニ』を開放する。
カディナの街の壁の外。
南部に広がる壁外区の一番端っこに――。
俺のコンビニはこの日、堂々とオープンした。
特に開店セールとかはしないけどな。
中世風の異世界。しかも人がごった返しているスラム街の中に、突然近代的な建造物が現れたんだ。これで目立たない方がおかしいだろう。
つまり俺が何も広告や宣伝をしなくたって、人は勝手に寄って来るって寸法さ。
「さあ、異世界コンビニの開店だよーーっ! 珍しいものばかり取り揃えているから、何でも好きな物を買っていって下さいーー!」
俺が大声で呼び込みを開始すると。
コンビニの外には、既にもの凄い数の人だかりが出来ていた。
街の外側に突然現れた謎の建造物。
それに驚いた周囲の住人達が、物珍しさと好奇心から、吸い寄せられるようにいっぱい集まってきている。
そうこうしているうちに。俺のコンビニには一番最初の客が、自動ドアを開けて入って来た。
――ピンポーン!
突然開いたガラスの自動ドアと、コンビニの入場音に驚いて。最初の客がその場で腰を抜かす。
周囲に集まった他の大勢の人々を代表して、まずは彼が店内に様子見で1人で入ってきたようだ。
まあ、ここまではグランデイルの街でも似たような光景はあったしな。異世界の住人が俺のコンビニに驚いて、その場で腰を抜かすのは既に経験済みだぜ。
以前は、そういった街の人達とも、俺はあまり交流をしてこなかった。
俺はコンビニに毎日引き篭もって、異世界の住人と積極的に関わりを持とうとしてこなかったからな。
だけど、今は違うぜ!
俺のコンビニは、あの頃よりも遥かにレベルアップをしている。店の品揃えだってバッチリだし。何より俺がやる気に満ち溢れているのが一番大きいな。
もうおにぎりが2つと、お茶しか置いてない寂しいコンビニなんかじゃない。多種多様なラインナップも、今はちゃんと取り揃えているから安心してくれ。
「いらっしゃいませー! さあ、うちの店には何でも揃っていますよ! どれでも好きな商品を買っていって下さいね!」
俺が明るく元気な、爽やか店員風に声をかけると。
「あ、あのぅ……。ここは、一体何のお店なんでしょうか?」
ボロボロの服を着た記念すべきお客様第一号が、おそるおそる俺に尋ねてきた。
おお、よくぞ聞いてくれた。
よーし、君には特別にコンビニの店長である俺が店の説明をして教えてあげようじゃないか。
「この店は『コンビニ』と言います。異世界の食べ物や飲み物なんかを沢山取り扱っている便利なお店なんです。珍しいものばかりだから、何でも好きな物を買っていって下さいね!」
「えっ? 異世界の食べ物や飲み物をですか?」
店内をキョロキョロ見回して、頭に疑問符をいっぱい浮かべる、お客様第一号。
コンビニのシステムがまだよく分からずに、困惑しているらしい。
透明な包装袋に包まれているコンビニの食べ物は、最初はそれが食べ物だって、なかなか気付いてもらえない事がある。
まあ、食べてみればそれが絶品だってすぐに分かってもらえるんだけどさ。
第一号のお客様は、店内をゆっくりと徘徊して。
陳列棚に並んでいるBLTサンドに興味を示したようだった。
震える手でゆっくりとサンドイッチを1つ掴むと、俺のいるレジにまでそれを恐る恐る持ってくる。
「あ、あのう……。それじゃあ、これを下さい」
「ハイ! ありがとうございますーっ!! BLTサンドを最初に選ぶなんてお客さん、お目が高いですね!」
俺は不自然なくらいに、ハイテンションで接客をする。接客業はやっぱり最初が肝心だと思うんだ。
ここは感じのいいお店なんだって、印象を与えておかないとな。
それにしても、やっぱりサンドイッチか。
ティーナもサンドイッチが好物だったけど。きっと異世界人にはおにぎりよりも、パンの方が食べ物としては分かりやすいのかもしれないな。
よし、これからはBLTサンドを主力商品として、入り口の前にたくさん並べて置いておく事にしよう。
「………………」
……ん?
サンドイッチを手にしたお客が、レジ前で無言で立ち尽くしている。なぜか、そのままちょっとだけ気まずい沈黙が流れた。
あれ? 俺、何かおかしな事を言ったのかな。
何でこの人、レジの前で固まっちゃったんだろう?
俺が無言でじっとしていると、目の前の客がおそるおそる小さく口を開く。
「えっと、その……それでこれは、おいくらなんでしょうか?」
「――ふぇっ?」
おいくら? ってそれ。
もしかしてサンドイッチの値段の事か?
ええっと、それはだな。
…………。
「やばあああぁぁ!? そ、そうだった!! 俺、コンビニの商品に値段をつけるのを、完全に忘れてたぞ!」
突然、俺が大声を上げたことに。
目の前のお客様が目を丸くして驚く。
いや、驚かせてすまない。
ここは俺も冷静にならないといけないよな。
でも本当にどうしようか?
俺、この異世界の貨幣価値とか全然分かってないんだけど。
正直、グランデイルの街にいた時はずっとコンビニの中に引き篭もっていたし。王宮から貰える生活保護のお金とかも、一切受け取りに行った事が無かったからな。
他の連中みたいに、街に出て買い物をするといった事も俺は全然してこなかった。
たしか銅貨と銀貨、それに金貨と大金貨といった単純な貨幣種類しか、この世界にはないって聞いていたけれど。正直それが、一体いくらの価値があるのかと聞かれても、全く分からないぞ。
こんな事ならもっとティーナに、この世界の貨幣の事についても聞いておけばよかった。
「あ、あのう……。だ、大丈夫でしょうか?」
俺の狼狽ぶりを心配したのか、声をかけてくれるお客様第一号さん。
「あ、ハイ。大丈夫です! そ、そうですね。ええっとそちらの商品は……そう! なんと、銅貨1枚で提供をしています!」
くそ……こうなったら、仕方ない。
貨幣価値はよく分からないけど、多分それくらいでいいんじゃないかな。別に俺は金儲けがしたくて、コンビニを始めた訳じゃないんだし。
すると、今度はお客様第一号さんの方が、その場で飛び上がるようにして驚いた。
「ええええっ!? それホントですかっ? 安ううぅ〜〜い!! ほ、本当に銅貨1枚でいいんですか!? もの凄く良心的なお店なんですね!」
えっ? そうなの?
銅貨1枚って適当に言ってみたけれど、それってそんなに安過ぎるものなの?
何だかお客第一号さんは、めちゃめちゃ驚いた顔を浮かべているけれど。
……まあ、正直。
俺はお金とかは別にどうでもいいし。
ただ、コンビニに引き篭もる生活を辞めて。この世界に俺の居場所を作りたいと思ったのが、お店を開く動機だったしな。
異世界の人と交流をして、自分がここに住んでも良いと思える場所を作る。その為にコンビニで商売をする。
ましてコンビニの商品は、パソコンでいくらでも無限発注が出来る俺には、コンビニ経営をしていく上での損なんて何も無い。
――よし!!
とりあえずは、銅貨1枚でコンビニの商品を全部売ってしまおう。
調子に乗った俺は、高らかに宣言をした。
まあ、これが後で大後悔をする事になるんだけどな……。
「ハイ、ここにある商品は全て銅貨たったの1枚なんです。だから好きなだけ買っていってもいいんですよ!」
俺がそう言い放った、直後だった。
お客第一号さんは、何度か目をパチパチと瞬きをした後に。急にその場で硬直してしまう。
えっと、今度はどうしたのさ?
また俺、何かマズイことを言ったのでしょうか?
動きの止まっていたお客第一号さんは、驚愕の表情を浮かべたまま目を見開いて。
そしてしばらくすると、突然俺に向けて大声で叫んできた。
「……じゃ、じゃあっ!! あそこに置いてあるお水の入った容れ物を20本下さい!! いいえ、やっぱり30本ッ!! 店に置いてある分、全部欲しいです!!」
「えええええええっ!?」
その叫び声を聞いてか、コンビニの前で店の中の会話を聞いていた人達が、勢いよく一斉に店内になだれこんできた。
「俺も!! あのお水の入った透明なビンみたいなのを30本欲しいです!」
「私もあのお水と、この白いパンみたいな食べ物を10個欲しいです!」
「あの白と黒の色をした三角形のモノも食べ物なんですか? 私はあれを20個欲しいです!」
「おいっ、押すなよ! 俺もとにかく水と食べ物をあるだけ全部欲しいです!」
「えっ、えっ、ええええええええ!? ちょ、ちょっと待って下さい! いったんみんな落ち着いて、まずは順番に並びましょう……!」
おいいぃぃ、一体どうなってるんだよこれはっ!?
その後、俺のコンビニは押しかけてきた大量のお客様の対応に追われて、超大忙しな状態になった。
……後になって、知った事だけどな。
この異世界では、銅貨1枚の価値が日本円の基準に例えると、だいたい10円相当くらいになるらしい。
銀貨1枚が――おおよそ1000円相当。
金貨1枚が――おおよそ1万円相当。
大金貨1枚が――おおよそ10万円くらいだ。
まあ、それはお客も殺到する訳だよな。
飲み物、食べ物が全部たったの10円で買い放題な訳だし。俺だって現実世界にそんな激安コンビニがあったなら毎日通うわ。
しかもだ……。
「う、美味めええっ!! このサンドイッチとか言う食べ物……なんて美味いんだっ!! この世の食べ物とはとても思えない!!」
「こっちの『おにぎり』とか言う食べ物も最高に美味しいわよ! 私、生まれてからこんなに美味しい食べ物を一度も食べた事がないわ! 今日はなんて幸せな日なんでしょう!」
「こんなに美味しいお水がたったの銅貨1枚で手に入るなんて!! 壁外区の井戸水は配給制で、毎日これだけのお水を確保するのに銀貨3枚以上は必要だというのに……。これは何という奇跡なのだろう!」
俺のコンビニで取り扱っている商品は、このスラムみたいな壁外区に住まう住民達にとっては、全てが『奇跡の食べ物』認定をされてしまったようだ。
噂を聞きつけた住人達が、一斉に押しかけ。俺のコンビ二の前には長さ2キロにも及ぶ、長蛇の大行列が出来上がっていた。
俺も商品を売っては、奥の事務所のパソコンで発注をかけ。更にまた入荷した商品を棚に陳列しては、会計も一人でこなすという――とにかく超大忙しな状態になった。
あまりの混乱ぶりに、俺は店の購買ルールを急遽変える事にした。
1人が一度に店内で買える商品は、最大10個まで!
購入制限を設けて対応しないと、とても俺一人では対応しきれない状況になったからだ。
(これはマジでヤバいぞ! このままだと俺、本当に死んでしまうかも……)
自分でブラック企業を起業して、そこで過労死をする経営者なんて、本気で洒落にならない。
――その後。
結局、コンビニのオープン開始日から丸々2日間。
だいたい48時間くらいかな?
俺はぶっ続けで、コンビニの中で働き続けていた。
夜も朝も、もう全く関係ない。
外に並ぶ客の行列は、一向に途絶える気配が無かった。
さすがに精神力と体力の限界に達した俺は、並んでいる住人達に、翌日また必ず店を開店する事を約束して。いったんお店を閉めることにした。
一応、この辺りの治安の悪さも考慮して、強化ステンレスパイプシャッターも閉めておく。
完全防備の状態で、コンビニのドアを全部閉めてから、俺は閉店をした。
「ハァ、ハァ……。ほんの少しでいいから、寝かせてくれ。こんなんじゃ俺、本当に過労で死んじゃうって!」
無計画な出店と、事前知識の無さが、こんなにも俺の首を絞めてしまうことになるとは……。
とにかく、明日からはもうちょっとコンビニの経営方針を考え直す事にしよう。
だから今は、ちょっとでいいから。
俺を寝かせてくれ。
俺は倒れるようにして、事務所の簡易ベッドの上で横になる。
この時、一瞬で意識を失った俺には、知る由もなかったのだが……。
閉店後もコンビニの前には、長蛇の行列が途絶える事がなく、朝まで並び続けていたらしい。
噂が噂を呼び。壁外区の全住民がここに押しかけてくる勢いで。凄まじい大行列が、コンビニの前に出来ていたようだ。
ああ、もう知らん!
とにかく俺はもう寝るからなっ!!
「とりあえず、俺……けっこう頑張ったよな?」
今までアルバイト経験だって、ろくにした事がなかったのに。いきなり長時間労働をしてしまったんだぞ。
むしろ社会人経験が無かったので、お店を閉めるタイミングが分からなかったのが、今回の俺の敗因だな。
起きたらコンビ二の閉店時間とか、色々とルールを改善をしていく事にしよう。
「ふぁ~~。とりあえず本当に疲れたよ。もう寝かせてくれ……」
――ティーナ、元気にしているかなぁ?
やっぱり俺の事、幻滅していたりするのかなぁ。
「はあ……。ティーナにまた、会いたいな……」