第十五話 ティーナのお父さん
ええっと。俺……本日、何度目の『でけえええっ!』宣言なんだろうな?
一体何なんだよ、この家は?
……っていうか、見た目がもう完全に『神殿』だよな。これを家って表現しちゃ、ダメなんじゃないのか?
正直、ギリシャにあるパルテノン神殿かと思ったぞ。それくらいに豪華で、まるで宮殿と思えるくらいに、ティーナの実家は大きな豪邸だった。
カディナの街のちょうど中心部。大通り沿いにある広い敷地のど真ん中に、真っ白な大理石の建物がそびえ建っていた。
建物の入り口付近には、巨大な白い円柱が何本も連なっている。多分、この家の敷地だけで学校のグラウンドくらいの大きさはあるんじゃないだろうか?
ちょっとヤバ過ぎだろ、このサイズ……。
「やはり君は大商人の娘であったか、ティーナたん」
「……えっ、何か言いましたか?」
「ううん、何でもないよ。それにしてもティーナの家って、すっごく大きいんだね!」
なんか、本当に大丈夫なのかな?
俺は少し不安になってきた。
俺なんかが気軽に手を繋いでたりしちゃ、いけないような御身分の令嬢だったんじゃないだろうか?
後で、偉い人に怒られたりしないかな……。
「――お嬢様!? ご無事だったのですか?」
豪勢な白い神殿の入り口。
その正面に立っていた、黒い執事の格好をした長身の男性がこちらに駆け寄ってきた。
年は軽く、60は超えていそうだ。
黒いタキシード姿に白髪の目立つ頭部。口元には白い立派な髭も蓄えている。
いかにも高貴な生まれの方に付き従う、経験豊富な老執事さんといった風貌の人だ。
「アドニス……! 良かった、またあなたに生きて会うことが出来るなんて!」
ティーナが黒い執事さんに向かって駆けていく。
全身で飛びつくように抱きつき。ティーナはそのまま、人目もはばからずに大声で泣き出した。
「お嬢様、ご無事で良かった。グランデイルに向かった商隊が、野盗に襲われ全滅をしたと聞いた時には、私は肝を冷やしましたぞ。お嬢様はご無事なのかと、毎日心配で生きた心地がしませんでした。こうしてまたお嬢様が無事に戻って来て下さり、私は本当に嬉しいです!」
「心配をかけてごめんなさい……。危ないところを、あちらにいらっしゃる彼方様に助けて頂いたのです。私の命の恩人です」
ティーナが俺の方を見つめて、執事さんに俺を紹介する。
いやぁ、命の恩人って言われてもなぁ。
何だか改めて紹介されると照れるよな。こういうのってさ。正直、何の取り柄もないただの無能な勇者なんですけどね。
「貴方様がティーナ様を救って下さったのですね。本当にありがとうございます! 私はティーナ様にお仕えしているアルノイッシュ家の執事、アドニスと申します」
長身の老紳士が、深々と俺に頭を下げた。
この人の身長って、一体どれくらいあるんだろう?
俺の身長が173くらいだけど。きっとアドニスさんは軽く190は超えていそうだった。
年季の入った渋い顔に似合わず、ガッチリとした体つきをしている。もしかしたら昔は騎士団とかにいて、武芸をたしなんでいた人なのかもしれないな。
俺が『いやいや~……』と、右手を後頭部に当てて照れ笑いを浮かべていると。白い神殿の方から突然、大きな叫び声が聞こえてきた。
「おお、ティーナ! お前、生きておったのか!!」
声の方向に振り向くと。身なりと恰幅のいい、いかにも大商人って感じのする男が立っていた。
周囲に見せびらかすように、全身のあちこちに黄金色の装飾品を身につけている。見た目のクールさより、自己顕示欲を最優先させたような衣服だ。傍目に見ても、一目でこの人が大金持ちだという事が分かる。
きっと毎日高級料理ばかり食べているんだろうな。お金で買えない物は何も無い、と言わんばかりの風格が全身から漂っていた。
「お、お父様……!」
お父様? ああ、やっぱりそうか。
だって見た目がいかにもだったしな。
この豪華の限りを尽くしたかのように、立派に建てられた白亜の神殿。
その神殿の主として、まさにふさわしそうな風貌を男はしている。正直、初見だとアラブの石油王にしか思えないくらいの見た目だけどな。
全身黄金尽くしの巨漢男が、ドシドシとティーナに向かって歩み寄ってきた。
両手を広げて、
さあ、ここから感動の親子再開シーンが始まる。
……のかな? と、俺が勝手に思っていたら――。
”――バシーン!!”
なんと。巨漢の男がいきなり、ティーナの頬を思いっきり引っ叩いた。
それは、周囲全体に響き渡るくらい大きな音だった。
「……ふぁッ!?」
あのデブ野郎、俺のティーナにいきなり何をしやがった!?
とっさの出来事に俺の頭は混乱した。
だってそうだろ? 感動の親子対面シーンのはずだったのに……。あのデブ野郎、いきなり実の娘の顔を引っ叩きやがったんだぞ!
一瞬で瞬間湯沸かし器と化した俺の脳細胞は、もはや沸騰寸前だ。
ティーナの前に立つあのデブを『敵』と見なし、全速力で駆けろと脳が全身に指示を出す。
後の事なんでもうどうでもいい。
俺のティーナを引っ叩くような奴は全員敵だ! 叩いた分の10倍は、叩き返してやるから覚悟しやがれ!
「――この野郎っ!!」
クラウチングスタートを決めて、全速力で駆け出そうとした俺の手を――誰かが引っ張った。
振り返ると、俺の手を引いていたのは執事のアドニスさんだった。首を静かに横に振り、アドニスさんは俺に諭すように小さく告げてくる。
「アルノイッシュ家の中での事です。ここは部外者である貴方様は、口出しをしない方がよろしいでしょう」
俺の手を握るアドニスさんの手がいっそう強まった。
ちくしょう、離しやがれ!
俺は異世界の勇者様なんだ。
俺を力ずくで押さえられると考えているなら、大間違いだぜ――と思ったが、
……うん。
俺の力では、どうしようもなかった。
俺の手を強く握るアドニスさんの手を、俺は振り払う事が出来ない。
まあ、そうだよな。
俺はコンビニに隠れるしか能がない、非力な一般人と何も変わりない無能なコンビニの勇者だからな。
ティーナを叩いたデブ野郎は、その後も、とても父親とは思えないような言動を繰り返した。
「馬車の積荷は一体どうしたんだ! 商人の娘でありながら、おめおめと手ぶらで帰ってくるとは……! 大切なアルノイッシュ家の資財を失い、損失を与えたのならその分を取り返す利益を上げるまではここに戻ってくるでない! この大馬鹿者めがっ!!」
地面に手をついて倒れている娘に浴びせられる、理不尽な父親の叱責。
おいおい。なんなんだよ、コレは……。
アレか? 大切な店の商品を失ったなら、それを取り戻すまで帰ってくるなとでも言いたいのか? このデブ野郎ふざけるなよ……!
それが、命がけで家に帰って来た自分の娘にかける親の言葉なのかよ?
「てめええぇぇーー、ふざけんじゃねーぞ! 娘が無事に家に帰ってきたんだろうが! 父親ならここは『おかえり』の一言くらい言って、優しく抱きしめてやる所だろうがッ!!」
執事のアドニスさんに右手を掴まれているので、俺はデブ野郎に手を出せない。
でも、せめて口は出してやったぜ!
だってそうでもしないと、とてもじゃないが俺自身の怒りが我慢出来そうになかったからな。
「――彼方様……」
ティーナが赤く腫れた頬を押さえながら、じっとこちらを見つめている。
「……んん? なんだそこの浮浪者のような小汚い男は? このワシに対して無礼な言葉を浴びせるとは、この街のルールも分かっておらぬのか?」
デブ野郎の後ろに控えていた数人の男達が、こちらをキッと睨んできた。
こんなデカイ宮殿に住んでいるくらいだ。
きっとボディーガードのような奴等も、たくさん抱えているんだろう。
主人の顔に泥を塗る奴には制裁を加えてやると言わんばかりに、男達がゆっくりとこちらに近づいてくる。
「お止めください、お父様! あの方は、私の命の危機を救って下さった恩人なのです! 盗賊達から命がけで私を守って下さり。そしていずれは、この世界をも救って下さる大切なお方。彼方様は、異世界から来た勇者様なのです!」
ティーナが父親の手を取り、取り巻き達を止めるようにと懇願する。
「異世界から来た勇者……だと?」
デブ野郎と、その取り巻きの男達の足がピタッと止まった。
お、おう。そうだぞ。
俺は一応、異世界から来た勇者なんだぞ。
たしか異世界の勇者は、この世界では救世主扱いなんだよな? なにせこの世界で暴れている魔王を、唯一倒せる伝説の存在だって話じゃないか。
さあ、分ったなら非礼を詫びて俺に謝りやがれ!
そして、ティーナに手をあげたことを全力で謝ってもらうからな!
俺が鋭い目つきで、デブ野郎を睨みつけていると。
「ふっふ……。ふぁーっはっはっはっはっは!!!!」
デブ野郎と、その取り巻きの男達が突然大声で笑い始めた。
――なんだ?
何でいきなり大笑いしてるんだ、こいつ等?
なんかこっちを指差しながら、もの凄い下品な声で笑っていやがるぞ。
……これって、もしかして。
俺が馬鹿にされているのか?
「……なるほど、なるほど。2週間程前にグランデイル王国から、召喚した異世界の勇者の中で、最も無能で役に立たない者を1人。国外追放したという報せが周辺各国に向けて発信されておったが。……大方、そいつの事なのであろう。確かにいかにも無能そうなアホ面をしておるわ」
「なっ……!?」
俺はデブ野郎の言った言葉が一瞬、理解が出来ずに固まってしまう。
おいおい、マジかよ……。
俺が国外追放された件を、周辺各国に発信って何だよ。何でそんな嫌がらせみたいな事までしやがるんだよ。
俺を追放するだけじゃ飽き足らず、無能な勇者とか、嫌な噂を全力で広めてやがるってのかよ、クソ……!
これも倉持達の仕業か? アイツ等、本当に性格が悪いな。
「彼方様は無能なんかじゃありません! 私の勇者様に失礼な事を言わないで下さい!」
ティーナが大声で抗議をする。
その目には、自分の尊敬する命の恩人が、不当に罵倒された事に対する非難の色が強く込められていた。
理不尽な父親の暴力にも、文句1つ言わずに耐えていたティーナ。そんなティーナが、俺が罵倒される事に対してだけは、例えそれが父親であっても許せなかったようだ。
実の父親を、明確な敵意の色を持ってティーナが睨みつける。
いや……本当にごめん、ティーナ。
俺もそれは言いづらかったから、最後まで君に本当の事を言えなかったんだけどさ。
その噂は、割とガチだったりするんだよ。
グランデイル王国から追放された経緯は色々とあるんだけどさ。まあ、俺が無能な『コンビニの勇者』である事は間違いないんだ。
「……ふん。追放された勇者は、グランデイル王国の中でも数々の犯罪を働いた不届き者としても聞いているぞ。そんなコソ泥以下の評判しかない者と関わっても、アルノイッシュ家の評判を落とす事にしかならぬわ! さっさと追い出すがいい!」
「お父様、なんて事を! 彼方様はそんな方では絶対にありません!!」
ティーナが俺を罵倒する父親に詰め寄ろうとする。
――が、それを周りの取り巻き達が抑えた。ティーナの口をふさぎ、身動きが取れないように押さえ込む。
「とにかくだ! そんな無能者の勇者になんぞ何の価値も無いわ! アルノイッシュ家にとって利益にならない者とは関わる義理も無い! さっさとここから立ち去るがいい!」
ティーナの親父さんが、バッサリと俺を切り捨てる。
本当に無価値なゴミを見るような目で俺を見下しているのが、その表情で分かった。
そして、取り巻き達に取り押さえられている自分の娘に向き直ると、
「お前もだ! 生きていたのなら、まだしてもらう仕事が山ほど残っているんだぞ! さっさと家に戻り自分の仕事をせんか! こんな所で油を売っている暇なんぞ無い! さあ、行くぞ!」
デブ野郎は俺の目の前で、叫び声をあげるティーナを無理矢理連れて、白亜の神殿の中へと帰っていく。
もう、俺のことなんて。
まるで眼中にもないようだった。
「彼方様ーーっ!!」
ティーナが宮殿の中に連れて行かれるのを、俺は為す術もなくただ見守っていることしか出来ない。
……いや、だってこれはしょうがないだろう。
俺の右手はずっとアドニスさんに掴まれているし。俺なんかの力じゃ、それを振り払う事も出来っこない。
おまけにティーナが連れて行かれた先は、彼女の住んでいる実家なんだぞ? 別に誘拐された訳ではない。むしろここで俺がティーナを無理矢理連れ去ったら、そっちの方が誘拐扱いになる。
確かにあのデブ親父はティーナに手をあげやがったクソ野郎だし、許せないとは思うが……。
それはティーナの家族間の問題で、俺なんかが外から口を出せるような事ではない。
全部、執事のアドニスさんの言う通りだ。
もちろん、ティーナを日常的に虐待しているだとか、奴隷として性的な肉体労働を強要しているとかなら、俺は全力でティーナを助けに行くさ。
でも、そうでないのなら……。
俺は何もティーナの家のことに、口出しをする権利なんか無いんだ。
ティーナにとって俺は命の恩人かもしれないが、実際には、俺はただの他人でしかないんだからな。
まあ、それも全部言い訳だな。
要は俺がただの腰抜けだったってだけだ。
本当は俺自身が、ティーナに会わせる顔が無かったのさ。
俺はグランデイル王国を追放された経緯をティーナに話していなかった。
命を救ってくれた勇者様として、すごく慕われていたし、俺に懐いてくれてたからな。俺もつい正直に話しづらくて、その事をティーナに説明してこなかった。
俺が追放された噂が、もうこの街にも広まっているのなら――。
後でティーナもそれを聞いて、さぞガッカリする事だろう。
自分を助けてくれた勇者様は、役立たずの『無能の勇者』なんだって知ってしまう訳だしな。
「くそッ………!」
何なんだろうな、このやるせない感じは。
マジで溜息しか出てこない。いや、全部俺が悪いんだけどさ……。
ティーナの家に命の恩人として紹介され、客人としてお世話になる。そんな、ささやかな願いもあっさりと打ち砕かれちゃったな。
まあ、この異世界に来てから、大抵の事はいつも俺に対して全力で逆風状態だったからな。今に始まった事でもない。
どこかもう慣れちゃった感もある。だから、そこまで落ち込み過ぎたりはしないさ。
「彼方様。当家の主の失礼な言動をお詫びさせて頂きます。大変申し訳ございませんでした……」
執事のアドニスさんが、深々と俺に頭を下げてくれた。いつの間にか、掴んでいた俺の手も離してくれている。
「いいえ。別にいいんですよ。俺の方こそ、ティーナの家のことに口を出す権利なんてないのに、つい失礼な言葉を言ってしまいました。本当にすみませんでした……」
俺もアドニスさんに謝罪をした。
異世界に来てからもうかなりの時間が経っている。
流石に俺も、この世界のルールを多少は学んでいるつもりだ。
ここは現代の日本の常識が通用しない異世界だ。
俺みたいな余所者が、ティーナの親父さんみたいな街の実力者に、非礼な言葉を浴びせることは本当は絶対に許されない行為なんだろう。
それこそ裁判なしで、その場で殺されたって不思議はない。それが許されただけでも、俺はきっと感謝しないといけないのだ。この世界ではな。
ふぅ……。何だかどっと疲れてきたな。
このカディナの街に無事に来られただけでも、今は感謝する事にするか。
街に着いたらきっとティーナとはお別れになるだろうって、最初は俺も思ってたしな。
あんまりにもティーナが俺に良く接してくれるんで、どこか心の中で甘えた考えがあったのだと思う。
俺みたいな無能なクズは、この世界では1人で生きていくしかない。元々そう決心をしてたんだから、今更どうってことはないさ。
「当主様はあのようにおっしゃっていましたが……。私はティーナ様を幼少の時からお世話をしておりますので、ティーナ様の命をお救い頂いた事。貴方様には本当に深く感謝をしております」
アドニスさんは、懐に手を入れるとそこから小さな布袋に入った何かを俺に手渡してくれた。
袋の重みから、中に入っているのはきっと金貨か何かなのだろう。
「少ないですが、きっとこの街では必要になるはずです。どうかお受け取り下さいませ」
「あ、いえ……大丈夫です。生きていくだけの食糧や、寝床には困らない能力を俺は持っていますので……」
アドニスさんは、一瞬、不思議そうな顔をしていたが、俺の気持ちを察してそっと布袋をしまってくれた。
俺は別に金目的でティーナを助けた訳じゃない。
ここまで一緒に来たのも、ティーナの家にお世話になろうとか、何か下心があった訳でもなかった
でも、俺……。
実はこの世界のお金を、手元には全然持っていない事に気付いた。
グランデイルの中にいた時も、俺はずっとコンビニの中に篭っていたし。食べ物や水もコンビニにあったから、ほぼ自給自足の状態だった。
だから、街で何かを買おうとしても。一文なしの俺には、今は何も買えない状態……って訳なんだな。まあ、コンビニがあるから何とかやっていけるだろうけど。
コンビニの中に引きこもっていた俺は、この世界の常識も、お金の事も何も分からない事ばかりだ。だからアドニスさんにお礼を受け取らなかった代わりに、ある事を聞いてみる事にした。
「あの……ついでにと言ってはなんですが、1つ聞いてもいいですか?」
「はい、何でしょう? ティーナ様の大切な恩人である方の頼みです。私にお答え出来ることでしたら、何でもお答え致しましょう」
良かった、それは本当に助かる。
このカディナの街に着いたら、俺は密かに実行してみたいと思っていた事があったからな。
この機会に、それを是非聞いてみることにしよう。
「実は俺、この街で新しく商売を始めたいと思っているんですけど……。どこかにお店を開いても大丈夫そうな場所って、あったりしますか?」