第百四十二話 幕間 枢機卿の正体
第1回目の世界会議が無事に終わり。
帰り支度をしていたドリシア王国女王のククリアは、バーディア帝国皇帝のミズガルドによって呼び止められた。
ククリアにとってそれは、あまりにも予想外な出来事だった。
その為……一瞬だけその場で立ち止まり。
思考が完全に停止してしまう。
だが、すぐに気を取り直し。改めて帝国の皇帝に対して向き直る事にした。
「これは、これは……バーディア帝国の皇帝陛下が、一体このボクにどのようなご用件なのでしょうか?」
ククリアは相手の出方を伺う意味でも。まずは社交的な笑顔を浮かべて、皇帝の出方を探ってみた。
「――うむ。ここでは下賎な者達の目があるからな。まずは、他に場所を移そうではないか」
バーディア帝国の皇帝ミズガルドは、配下の部下を1人も連れていなかった。どうやら皇帝単身のみで、ククリアの元に来ているらしい。
そして会議場の隅にある、誰もいないスペースの奥へと。
皇帝ミズガルドは、ククリアを誘導していく。
ククリアには、皇帝ミズガルドの誘いが何かしらの罠であるかもしれない……という警戒心は全く持っていなかった。
それは、自身の持つ『共有』の能力によって。皇帝ミズガルドの記憶の一部を、覗き見る事が出来たからでもある。
燃えるような赤髪の若い女皇帝。『バーディアの女海賊』と周辺国から噂されるほどに、苛烈な性格を持つ帝国の若き専制君主。
大陸最強の軍隊と、最も広大な領土を統べる皇帝ミズガルドは――皇位継承を巡る数々の宮廷内闘争や、権力闘争を勝ち抜いてきた実力のある皇帝だ。
もちろんその過程では、宮廷内部の数々の陰謀や策略をくぐり抜け。熾烈な皇位継承争いを勝ち抜いたという過去もあったようなのだが……。
皇帝ミズガルド自身は、基本的には他者を欺くのに小細工を弄するような事を好まない、真っ直ぐな性格をしている。
彼女は正面から堂々と圧倒的な力を持って。相手を叩きのめすタイプの性格なのだという事を、ククリアはその能力によって事前に知り得ていた。
だがら、皇帝がドリシア王国の女王である自分を、人気の無い場所に連れ込み。危害を与えるなどという事は、絶対に無いと断言出来る。
「――では、皇帝陛下。ご用件をお聞かせ頂きましょう。帝国の皇帝がわざわざこのボクを、このような人気のない場所にまでお誘いして。一体、何をお話しされようとしているのか、このボクにはとても興味がありますので」
ククリアは威厳あふれる皇帝ミズガルドの顔を、下から見上げるようにして尋ねた。
バーディアの女海賊ことミズガルドは、その身長がかなり高い。
まだ15歳という、身体年齢の低いククリアと比べると。帝国の皇帝ミズガルドとククリアには、小さな子供と大人くらいの身長差の開きがあった。
「……ドリシア王国の女王よ。貴様はその幼き年齢に似合わず、『世界の叡智』と呼ばれるほどに博識であると聞き及んでいる。よって我は貴様に尋ねたい。女神教の枢機卿について、貴様は何か知っている事があるか?」
「――枢機卿……様、についてですか?」
ククリアにとって、皇帝の問いは全く予想外な内容であった。
そしてバーディア帝国の皇帝であるミズガルドが、女神教の代表格とも言える人物――枢機卿に対して『敬称』をつけずに、その名前を呼んだ事も驚きであった。
バーディア帝国は、その国内に沢山の女神教徒を抱えている国家だ。
その為、帝国は最も女神教の影響下にある国といっても間違いはない。その帝国を統べる皇帝が、まさか女神教の代表者たる枢機卿の事を、呼び捨てにするとは……。
「女神教の枢機卿……様については、ボクもそれほど詳しく知っている訳ではありません。女神教の『表』の顔をつかさどるお方で、各国の王族や首脳とも太いパイプを持っている、政治的にも経済的にも重要な権力を握っているとても偉いお方であるという認識ですね」
本当はククリアは、枢機卿に対しては別の認識を持っていた。
魔王軍の4魔龍侯爵の1人。紫魔龍侯爵の記憶と能力を一部継承しているククリアは、女神教の枢機卿という人物に対して、あまり良い印象は持っていなかった。
直接対峙をした事こそ、まだないが。動物園の勇者である『冬馬このは』と、その守護者である自分達を追い詰めたのは、女神教の枢機卿の指示を受けてやって来た『魔王狩り』達だ。
彼らは遺伝能力を持った女神教が育て上げた能力者達で、女神教にはこの世界で遺伝能力に目覚めた者を探し出し、自分達の仲間に加える組織的なネットワークが存在しているらしい。
そんな『魔王狩り』達全てを、裏で操っているのは、女神教の代表である枢機卿だと言われていた。
枢機卿の指示を受けてやって来た魔王狩り達に、動物園の勇者である『冬馬このは』は追われ続けていた。この世界でお世話になった村を焼き討ちにされ、冬馬このはを慕う村人達を皆殺しにされた事だってある。
それを思えば……枢機卿はまさに、主人である冬馬このはの憎き宿敵のような存在だ。
だから、ククリアにとって枢機卿を好む理由など、全くなかったのである。
だが……枢機卿の事を考えると、なぜか胸の中につっかかるような不思議なモヤモヤを感じる事がある。
それが一体何なのかは……ククリア自身も、まだこの時は分かっていなかった。
「そうか。もし貴様が我がバーディア帝国が女神教の影響を強く受けている国ゆえに。警戒をして、知っている事を何も話せないようであるのなら――そのような遠慮は全く無用であると先に告げておこう。単刀直入にいって、我はあの黒い影に包まれた女の事を疑っておる。信用のならない胡散臭い女だと思っておるのだ」
「枢機卿……様が信用ならないと? それはいかなる理由からでしょうか? 内容によってはボクも、皇帝陛下にお伝え出来る事が変わるかも知れませんよ」
皇帝ミズガルドは周囲の様子を警戒しつつ。
ククリアの目を真っ直ぐに見つめる。
その燃えるような赤い瞳に宿る視線は、ククリアが信用に足る人物なのかを正確に見極めようとしているようでもあった。
……しばらくククリアの目を直視していたミズガルドは、やがて静かに口を開いた。
「あの女は、我が帝国の地下に眠っていた『魔王遺物』――古代の兵器である『黒い戦車部隊』を動かす方法を突然教えてきたのだ。我はその恩義に報いる為、そして魔王遺物の威力を確かめる為にもミランダの地へと帝国の兵を送る事を決めた。ところがどうだ? 出陣した魔王遺物は確かに凄まじい戦果を誇るものであったが、急に制御不能となり暴走した。そして集結していた世界各国の騎士達に襲いかかり始めたではないか。しかもそのタイミングであの枢機卿は、我らのもとから突然、姿を消しおったのだ」
「――つまり、帝国は女神教の枢機卿に利用をされた可能性があるとお疑いなのですね? 枢機卿は始めから陛下を利用して魔王遺物を動かさせ、ミランダの地で暴走をさせるつもりだったと」
「……うむ。確証は何もない。だが、それ以降あの黒い女は我の前に一度も姿を現さぬ。女神教の本部からは、コンビニの勇者が魔王遺物を操り、各国の騎士団を襲わせたのだという報告がなされたが……。我はそのコンビニの勇者とやらの姿を、ミランダの戦場で一度も見かけなかった。もし、あの女が我が帝国を『捨て駒』として扱ったのだとしたら……それは絶対に許してはおけぬ! 必ずあの女に報いをくれてやる」
バーディア帝国の皇帝ミズガルドの話は、ククリアにとってもとても興味深いものであった。
もし、帝国のミランダ遠征とそれに伴う魔王遺物の出陣。
そして、その魔王遺物である黒い戦車隊の暴走と、コンビニの勇者を魔王にして貶める陰謀が、全て最初から女神教によって仕組まれていたのだとしたら。
女神教の枢機卿がその陰謀の中心的な役割を担ったのは間違いないだろう。
魔王遺物の暴走による混乱の中で、緑魔龍侯爵を倒した後の、コンビニの勇者達を追い詰めようとしたのか。
それとも、あわよくばコンビニの勇者もろともミランダの戦場で始末をしようとしたのか。
どちらにしても。例えコンビニの勇者をミランダの地で抹殺出来ても、出来なかったとしても。
後の世界において、コンビニの勇者が『魔王』となり魔王遺物を暴走させたという事実。そして、それに伴いミランダの戦場にいた多くの騎士団の命を無慈悲に奪ったというストーリーは、おそらく最初から女神教徒と、グランデイル王国によって作られていた事は間違いなさそうだった。
「――ですが陛下? そのような話をなぜこのボクに話してくれたのでしょうか? 女神教が持つ広大な情報網を考えると、たとえ今回の遠征に不参加を決めているとはいえ、ドリシア王国の女王に女神教への不審を伝えるのはとても危険な事だと思うのですが……」
「ふむ。それは先程の会議場での貴様の態度から、ドリシア王国が女神教と密接に繋がっている可能性は低いと我は考えた。それに、仮に我が女神教に対して不審を抱いている事がバレたとしても、何も問題はないわ。その時はグランデイル王国がそうしたように。我が帝国も、国内であぐらをかいて居座っておる女神教の肥えたブタ共を、まとめて帝国の外に追い出すまでの事よ。我が帝国に蔓延る怪しい危険分子共は、この際……全て一掃してしまおうと思っている」
堂々と胸を張って、そう断言をする帝国の皇帝ミズガルド。
その威厳ある態度と言動からは、自らが口に出した事を誰の力も借りる事なく。全て自分1人で実行してしまえる程の決断力が備わっている事が分かる。
ククリアは、確かにこの皇帝であれば国内の女神教徒達を一斉に追い出す事もしかねないだろう……と感じた。
それだけ皇帝ミズガルドの言葉は、信用に足るものだと思えたのだ。
「――皇帝陛下、ボクも今回のコンビニの勇者の件につきましては……裏で女神教の策謀が動いているように思えます。ボクはコンビニの勇者様と直接お会いしていますが、彼はそのような行動を為す人物とは到底思えませんでした。おそらく、コンビニの勇者の存在が邪魔になった者達による蠢動があったのだと思われます」
「なるほどな……やはりか。そもそも、いつから異世界から召喚された勇者は、突然『魔王』に成る――などという、ふざけた戯言がこの世界ではまかり通るようになったのだ。異世界の勇者こそが魔王を倒し得る唯一の救世主である……という教えを広めたのは女神教の幹部共ではないか。それを、他国の腑抜けた王族共は、疑いもせずに女神教の枢機卿の発表だからと頭から信じ込みおって……バカバカしい」
皇帝ミズガルドの指摘はもっともである。
異世界の勇者はこの世界では魔王を倒してくれる救世主である。
それがやがて『魔王』へと変わり果てるなどと書かれていた古代の書物は全て『禁書』として女神教の手によって燃やされたはずだ。
この世界の人々は、女神教の教え通りに異世界の勇者信仰を持ってこれまで生きてきた。
それにも関わらず――今回のミランダ領遠征では、突如としてコンビニの勇者が新たな『魔王』になったという発表が女神教の総本部。それも、枢機卿の名によって発表をされたのであった。
この世界の人々は、女神教の本部の発表に一時的には驚き、戦慄をしたが……。
コンビニの勇者は実は最初から魔王の手下であり。異世界の勇者になりすまし、グランデイル王国に紛れ込んでいたのだ。
そして、さも魔王軍を倒しているかのような芝居を人々の前で行い。世界中の人々の信頼を得て油断をさせようとしていた。
そして機会を待って、人々が彼を信頼をしきっていた絶好のタイミングで人類を裏切ったのだ……と、女神教を司る各地の教会の神父達が、丁寧にその信徒達に説明をしていくと――。
やがて、最初の頃に感じられた情報の不自然さは鳴りを潜めていき。
今ではコンビニの勇者は元々、魔王の手先であった事。
魔王となる為に、人類を大量に殺戮できるチャンスを密かに窺っていたのだ……という、女神教が発表をした内容がそのまま人々の新たな常識として、皆の心に植え付けられてしまっていたのである。
「我があの枢機卿についての情報を得ようとしているのは、他にも理由がある。単刀直入に聞くが――貴様はあの『枢機卿』を名乗る黒い女が……いつから今の枢機卿であったのかを知っているか?」
「枢機卿がいつから、今の枢機卿でいたのか……ですか? それはとても難解な謎解きのような問いですね。それは、つまり枢機卿を名乗る人物は、途中で何者かに入れ替わっていた可能性がある……という事を仰っているのでしょうか?」
ククリアは皇帝の不思議な問いに対して、軽い気持ちで聞き返したのだが……。
ミズガルドの返答は、ククリアの予想だにしない内容で返ってきた。
「――いいや、その逆だ。あの枢機卿を名乗る黒い女は昔からずっと変わらずに女神教の『枢機卿』として居続けてきたのではないか? 貴様はその事について考えた事があるのか……と、我はきいておるのだ」
「枢機卿が、昔からずっと今の姿のままで居続けている……? それは一体どういう意味なのでしょう?」
ククリアは皇帝ミズガルドに聞かれ。
頭の中に眠る過去の紫魔龍侯爵の記憶から、枢機卿について知っていた知識にアクセスをしようとする。
そして、その事を皇帝に聞かれて初めて……。
今までに一度も、自身がその事について疑問を思った事がなかった事に、不思議な違和感を抱いた。
「枢機卿、たしかに……。なぜ、このような当たり前の疑問に、今までボクは思い至らなかったのでしょう。ボクは女神教の枢機卿の存在について、これまで何も疑問を持たずに過ごしてしまっていました……」
額に冷んやりとした汗が浮かび始める。
ククリアは自分自身が信じられないといった様子で、焦りの色をその小さな顔に浮かべた。
「やはり貴様もそうか。それは我も同じであるぞ。我は生まれた時から強い魔法耐性を持っていると周囲から言われてきた。今回はそのおかげなのかもしれないが、ミランダ領遠征の件で女神教の枢機卿の事を疑い出した時に……。我はまだ自分が小さき子供の頃から、あの枢機卿には、直接何度も会っていたはずなのだが。あの黒い女の容姿が、全く昔から変わっていない事に気付けなかった。いいや、考える事さえ封印をされていたといった方が正しいのだろう」
皇帝の話によると。女神教と密接な関わり合いがあるバーディア帝国は、今の皇帝であるミズガルドがまだ幼き少女であった頃から、女神教の枢機卿は帝国の宮廷に頻繁に顔を出していたらしい。
それはミズガルドがまだ幼き時の事なので、それから既に20年以上もの時が経過をしているはずなのに……。
少なくてもミズガルドが知っている限り。枢機卿の容姿は昔から何も変わっていなかったという。その声、雰囲気、様子も何一つ変化がない。つまりは枢機卿は全く歳をとっていないのだ。
そして不思議な事に。その事を頭の中で、疑問に思うような事がなぜか一度も無かった――という事であった。
「……これは何かの特殊な能力なのか、それとも魔術のようなものなのでしょうか?」
ククリア自身も、枢機卿は自分の主君である冬馬このはを追い詰めた首謀者であるにも関わらず。
なぜか枢機卿の存在について、調べようとしたり、行動を起こそうとした事が一度もなかった……という事に大きな違和感を持った。
おそらく枢機卿の存在について何かを考えようとしたり。その正体を探ろうとすると。
その者は強烈な頭痛に襲われ、その思考には至らないように誘導をされてしまう特殊な能力が働いているらしい。
それは、おそらく枢機卿自身が持つ特殊な能力によるものなのだろう。
「――我は帝国の文献に残る古い書物や、過去の歴史が描かれた絵画などを探し出し。帝国があの枢機卿と、これまでどのように関わってきたのかを全て探ってみたのだ。……すると、何と数百年前の帝国の宮廷内部の様子を描いた絵画にも、あの黒い女は、今と何ら変わらぬ姿のままで絵の中に描かれておったのだ。宮廷に古くから仕える召使い共に尋ねても、全て一緒であった。あの枢機卿という女は、昔から姿形を全く変えずに、我が帝国の歴史の内部に深く関わり続けていたのだ……」
その事実はまさに――亡霊や、悪霊のような不気味さを2人に感じさせるものであった。
ククリア自身も、女神教の中枢に存在する枢機卿について。
今までその存在を一度も調べようとした事が無かったという事実が、その存在の不気味さを物語っている。
おそらく、この世界に住む誰もが……。
昔から全く姿を変えずに、女神教の幹部として存在し続けている枢機卿に対して。
誰も、何も、疑問を抱く事さえなく。
その存在を、これまでずっと受け入れ続けてしまっていたのだ……。