第百十四話 無限複製の勇者の気配
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「やけに、静かな場所だな……」
セーリスはグランデイル王城の地下を歩きながら、そう感想を漏らした。
もちろん雑音が全くない……という訳ではない。
あくまで、他の場所と比較をしたらという意味においてだ。
地上にある華やかなグランデイルの王城と比べて。
この地下の迷宮の中は、あまりにも静か過ぎる。どれだけ歩いても、人気を全く感じさせる事のない、薄暗く寂しい通路がずっと続いていた。
真っ暗な通路には、灯りの松明が僅かに数本だけ灯されている。
このような暗く陰湿な場所が、大国であるグランデイル王城の真下に存在しているとは……まさか誰も思わないであろう。それくらいにこの地下迷宮の中は、湿った重苦しい空気と、空虚な静寂に包みこまれていた。
「ふーん……。ここは賑やかな地上とは大違いみたいだねー。王城の地下なんだから、もっと守備兵や城で働いてる人間達が沢山いておかしくないはずなのに……。もしかしたら、ここは城の中で働いている人間達にも、秘密にされていたのかもしれないね」
薄暗い地下の暗闇を突き破るようにして。
純白の花嫁衣装を着たセーリスが、前に歩みを進めて行く。
グランデイル城の地下は、まるで巨大な地下牢のように。狭い通路と小さな小部屋のスペースが、複雑に入り組みながら張り巡らされている。
恐らくこの地下道は、普段はほとんど使用されていないのだろう。
もし何か倉庫のような役割をこの地下空間が果たしているのだとしたら――。
もっと明かりが多く灯されていてもいいはずだ。それが使用されていないという事は、人の手による日常的な手入れは、ほとんどされていないという事になる。
地下の薄暗い通路を、奥へ奥へと進んでいくと――。
その先にかすかに光を発する、『何か』がようやく見えてきた。
「おおーーっ、すげーーッ! 地下の奥にめっちゃ大きな『大穴』が開いてるじゃないかよーー!!」
セーリスは地下道の奥で、地面の底に大口を開けて広がっている巨大な縦穴を見つけた。
それは直径30メートル位はある、円筒状の形をした大穴だった。穴の周囲には、更に下の階層へと降りていく為の螺旋状の階段が、ぐるりと穴の壁面に沿って設置されている。
巨大な大穴の底を、セーリスは真上から顔を乗り出して。慎重に覗き込んでみると……。
穴の底は完全な暗闇に包まれていて。上から見下ろしても何も見る事は出来なかった。
まるで地獄の底にでも繋がっているかのように、この謎の大穴の底はかなりの深さがあるようだ。
「……こんなにバカでっかい大穴が、まさかグランデイル王城の地下に眠っているなんてね。アタシは割とこういうのは嫌いじゃないよー。だって何だか洞窟探検みたいで、ワクワクするじゃないか!」
セーリスは嬉しそうにステップを踏みながら、早足で歩き始める。そして、円筒状の縦穴に設置されている螺旋階段を、一気に下り始めた。
この穴の底の深さは、一体どれくらいあるのだろうか?
このままゆっくりと螺旋階段を降りていったら。底に着くまでには、かなりの時間がかかりそうだ。
グルグルと無限に続く、巨大な螺旋階段をしばらく降り続けていくと――。
穴の底に……ようやく微かな光源が見えてくる。
「おおーーっ、やっと穴の底が見えてきたじゃん! 予想よりも結構深かったねー。たぶん、この穴の深さは500メートルくらいはあるんじゃないかな……?」
セーリスは螺旋階段を穴の半分くらいの深さにまで降りた所で、ようやく底の方で発光をしている『何か』を見つけた。
それは、この真っ暗な暗闇に包まれている地下の中で。朧げな淡い緑色の光を、わずかに周囲に発しているようにも見える。
セーリスは、穴の底まで一気にショートカットをする事にした。
巨大な穴の中心に向けて、螺旋階段の途中から。一気にジャンプをして真下にまで飛び降りる。
さすがに穴の深さが全く分からない状況では、上から下に一気に飛び降りてしまう事には、抵抗があった。
まさかとは思うが、本当に地獄の底にでも繋がっていたりしたら大変だ。永遠に上には這い上がれない、無限の深さがあったら地上に戻れなくなってしまう。
だが穴の底までの、おおよその深さが特定出来たのなら、話は早い。
後は一気に真下に飛び降りてしまった方が、早く穴の底には着けるだろう。
花嫁騎士には、自身の身を守ってくれる絶対防御のシールドが備わっている。だから、例え高い所から真下に飛び降りたのだとしても……。自分の身を安全に守り抜く事が出来る。
”ヒューーーーーーーッ。
……ドサッ……!!”
穴の底に辿り着き。暗闇の中で緑色に輝く、かすかな光源のある場所にまで辿り着いたセーリスは、そこで『えっ……?』と声をあげて驚いた。
そこはまるで、巨大な万華鏡の中心部に入り込んだかのようだった。
緑色に発光をする小さな石が、無数に地面に張り巡らされている。
プラネタリウムの天井に照らし出された、美しい星空の映像を、そのまま地面に映し出したかのように。地下の大穴の底には、幻想的に光輝く神秘的な空間が広がっていた。
「へぇ〜、ここが噂に聞く『装置』とやらなのかな? たしかこの世界に最初に召喚されたという、『最初の勇者』って奴が、この召喚戻しのゲートを使って、元の世界に戻っていったんだろう?」
たしかにこの場所は、この真っ暗な地の底にあって。
淡い緑色の光が無数に輝く、あまりにも神々しい神聖な雰囲気の漂う場所となっている。
一体、どういう原理でこの地の底が発光しているのかは分からない。しかし、直径30メートルくらいある、この円筒状の大穴の底には……。たしかに緑色に発光する、謎に満ちた場所が存在していたのである。
この場所で本当に過去に異世界の勇者が、元の世界に戻る事が出来たのだろうか?
それは、現存するグランデイルの古い書籍の中でも、正確には明記されていないという。だが、この神秘的なゲートを使って、最初の勇者が元の世界に旅立っていったという伝説だけは確かに残っているようだ。
そう考えると、ここはまさに――。
太古の昔からこの世界に存在する、最も歴史の古い『古代遺跡』と呼んでもいいのかもしれない。
しばらくの間、穴の底を入念に散策し続けるセーリス。
そして少し歩いた所に、不思議な『台座』が設置されている事に気付いた。
その台座には、大きな石碑が置かれている。
石の表面には古代文字のようなものが刻まれているようだ。
石碑の近くにまで行き。セーリスはそれを注意深く見つめて観察してみた。
だが、その文字の内容までは解読する事が出来なかった。
石碑の下には、小さな数字が刻まれている、丸い石をはめ込むような場所が用意されている。
もしかしたら、これが『座標』と呼ばれているものなのかもしれない……とセーリスは思った。
石碑の下にある、はめ込み式の石の場所は全部で16桁の数字を入力する必要があるようだ。
だが、ヒントも何もない今の状態では……。そこに何の数字を当てはめれば良いのか全然分からない。せめて石碑に書かれている文字が読めれば、何か分かったのかもしれないのだが。
石碑に刻まれている文字は、この世界の文字ではない。
もちろん異世界の勇者達が召喚された、元の世界の言語――例えば、英語や日本語、といった文字でもないようだ。
「うはぁーーっ! これはさすがのアタシでもこれはお手上げだわー! 16桁の数字だなんて、組み合わせが多過ぎるし、どの数字が何を現しているのかも全く分からないじゃん! クレジットカード番号じゃあるまいし。これはレイチェル様に直接見てもらわないと無理かなぁ? ……あ、でもレイチェル様は、コンビニの地下階層から外に出られないんだっけ……」
セーリスはしばらくグランデイル城の地下に眠る、この不思議なゲートの台座を睨み続けていた。
だが、やがてそれとは別のものに興味が移った。
この不思議な光を発している謎の空間の近くから、何やら別の『機械音』のようなものが聞こえてきたからだ。
吸い寄せられるようにして。花嫁騎士はその場所へと向かってみる。そしてそこで……信じられないような物が目に飛び込んできた。
「……ちょ、ちょっと!? 一体、何なんだよコレは!?」
セーリスは思わず大きな悲鳴を上げる。
そこは、先程の緑色の光を発するゲートが置かれていた場所の、すぐ近くにある空間だ。
壁には別の場所へと繋がる小さな通路が存在をしていた。そしてそこを真っ直ぐに奥まで進むと、先程までの空間とは全く別の、広々とした場所が広がっていた。
そして、その場所にあった『異様な』ものとは……。
一言でそれを言い現すとしたら。巨大な白い繭に覆われた、無数の卵が大量に詰められている『白アリの巣』だ。
白い繭に覆われた、人間が1人丸ごと入るくらいのサイズの卵が、地下の壁に無数に産み付けられている。
その中には、おそらくこれから人間になる、と思われる『人の形をしたモノ』が、大量に卵の中で蠢いていた。
「……おいおい、ここは何なんだよ? 一体ここで、何を育てているってんだよ。この白い繭の中に入っているモノは、まさか……全部、人間だっていうのか?」
壁に無数に産みつけられている白い繭の中心と思われる場所に。大きな扉で閉ざされた鋼鉄の部屋があった。
壁が頑丈な鋼鉄で作られている、立方体の形をした不思議な小部屋。それが、この気持ちの悪い空間の中心部に置かれていた。
「ははーん、この怪しい鋼鉄の部屋の中に、どうやら卵を産んでいる『何か』が潜んでいるって訳なのかなー?」
そう推測をしたセーリスは、さっそくスカートの中からロケットランチャーを取り出すと……。
怖い物など何も無いと言わんばかりに。その鋼鉄の小部屋の扉に向けて、いきなりミサイルを発射させた。
”ドゴーーーーーーーン!!!”
暗闇と静寂が支配をしている地下空間に、大きな爆発音が鳴り響く。
ロケットランチャーによって攻撃を加えられた鋼鉄製の扉は……。巻き上げられた黒い煙と、大量の粉塵が収まってみると。その外観には傷一つない、全くの無傷な状態のままで残されていた。
セーリスのロケラン攻撃は、鋼鉄の扉には一切通用しなかったのである。
「へーー。アタシの攻撃でも壊す事が出来ないんだ? よっぽどこの扉は頑丈なのか。それとも何か特殊な魔法結界でも付与されている、って事かな?」
セーリスは改めてその鋼鉄製の扉に近寄り。注意深く様子を観察してみる。
すると――。
扉には、この世界の言語で小さな文字が彫られているようだった。
『グランデイル王家の血筋を引く者。かつ、遺伝能力を有する王族のみが、この扉の中に入る権利を有する』
「うーん、これはグランデイル王家の血筋を引く者でないと、ここには入れないという事なのかな? 物理的な攻撃でも壊せないのだとしたら、何か強力な古代の魔法結界が、この部屋には張られている可能性が強そうだねー」
”――ガチャ、ガチャ……!”
扉の様子を観察していたセーリスの後方から、突然――。
複数の金属音が聞こえてくる。
セーリスが後方をゆっくりと振り返ると。そこには白い鎧を全身にまとったグランデイルの騎士達が、ぐるりと花嫁騎士の周囲を取り囲んでいた。
その数は、おおよそ20人ほどはいるだろうか。
それぞれが剣や槍を構えて、侵入者である異物を排除しようと――臨戦態勢を取っている。
「おっと、やっと守備隊のお出ましかい? こんな地下の秘密の場所に堂々と侵入してやったっていうのに、誰もお迎えが来ないから、さすがにおかしいと思ってたよ! さあ、アタシが全員まとめて相手をしてやるから、かかっておいでー!!」
セーリスはロケットランチャーを両手に構えると、その場で戦闘態勢を取る。
そして、自分を取り囲んでいる白い鎧の騎士達を見て……少しだけ訝しげな表情をする。
今、目の前にいる騎士達は……その顔の部分まですっぽりと大きな白い兜を付けている。その為、その中にある表情までは見る事は出来ない。
だが……どうも、その顔の作りが。
全員、とてもよく似ているように思えたのだ。
それは、この地下空間の壁にびっしりと産み付けられている。白い繭に包まれた卵の中に入っている人間の顔に、そっくりな気がする。
「おいおい、まさかの超SF展開かよ……? グランデイルの地下では、能力の高い魔法戦士の『クローン』を大量に作っているとか……。まさかそんなトンデモチートが行われているんじゃないだろうね……?」
それとも。そういう事の出来る優れた能力を持つ者が、このグランデイルの地下にはいるという事なのだろうか?
例えば、無限に魔法戦士を複製出来る能力者が存在をしているとか?
仮にもしそうなのだとしたら、この鋼鉄製の扉の中に隠れているのは、おそらく……。
”ズゴーーーーン!!”
突然、セーリスの体に複数の上級魔法による火球攻撃が炸裂する。
もちろんそれらの魔法攻撃は、セーリスの体を守る『鋼鉄の処女』によって全て弾かれる。
グランデイルの白い魔法戦士達は、コンビニの花嫁騎士に対して、有効なダメージを与える事は出来ない。
だが……。その一つ一つの魔法攻撃はかなり強烈で、強い破壊力があるとセーリスには分かった。
絶対防御シールドを持つセーリスでなければ、これだけ強力な上級魔法を使いこなす事の出来る魔法戦士達を、同時に20人も相手にする事は不可能だろう。
「ふぅ。ちょっと面倒くさいけど、まあしゃーないか。とりあえずお前達の相手が終わったら、いったんアタシはここから撤収する事にするよー。だってアタシの力じゃ、これ以上の解析をする事は出来ないだろうしね。後は、この情報をレイチェル様と私の旦那様に伝えて、その判断を仰ぐ事にするしかないね」
そう大きな声をあげて、宣言をするやいなや。
セーリスの目つきが、急に鋭くなった。
戦闘モードに入った純白の花嫁騎士は、一瞬でその場から。グランデイルの騎士達の立っている中心の場所に向けて、高速移動を開始する。
そして周囲を取り囲んでいる騎士達の中の、1人の顔先に――直接、ロケットランチャーを突きつけた。
”ズドーーーーーーン!!”
セーリスは至近距離から、いきなりミサイル攻撃を加え。その騎士の体を粉々に吹き飛ばした。
もちろんその爆風を間近で浴びた花嫁騎士も、本来ならば無事では済まないだろう。
だが、銀色の球体シールドを持つセーリスは、無傷の状態のまま。すぐさま他の騎士の近くに高速移動を開始する。
立て続けに、次の騎士の顔先にもロケットランチャーを至近距離から突きつけていくセーリス。
それは無慈悲なまでに、残酷で、美しく。強烈な爆砕音と共に、白い魔法戦士達の体を順番に木っ端微塵に粉砕していく。
グランデイルの魔法戦士達も、花嫁騎士に対して必死の反撃を試みる。
高レベルの上級魔法を連続で繰り出し。魔法の力を付与した魔法剣を用いて、一斉に花嫁騎士に斬りかかった。
しかし、騎士達の攻撃はセーリスには全く通じない。
地上で、城から逃げまどう騎士達を逃がしていた時と、今のセーリスの雰囲気はまるで違う。
セーリスはまるで殺戮を楽しむかのように。地下にいるグランデイルの魔法戦士達を、次々と圧倒的な戦力によって瞬殺していった。そこに容赦や手加減は一切無い。
白いロングスカートの中から、ロケットランチャーを繰り出し。それを素早く相手の体に突きつけると。至近距離から敵を一気に吹き飛ばしていく。
グランデイルの地下で発生した、クルセイスの親衛隊である魔法戦士達と、コンビニの守護者である花嫁騎士との戦いは――。
恐ろしいほどに一方的に。
無敵の防御力を誇るセーリスが、圧倒的な力を見せつけながら、魔法戦士部隊を次々と打ち破っていった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「――皆さん、短い間でしたが、本当にお世話になりました。私はこの街から離れてしまいますが、これからも街の人達の事をどうかよろしくお願いします」
グランデイル王都にある、大きな病院。
その入り口で、回復術師の勇者である香苗美花が、同僚である病院の仲間達に向けて深々と頭を下げる。
「うう〜っ、女神様〜! 行ってしまわれるのですね……。街のみなさんも、本当に悲しまれると思います」
グランデイルの病院で働く医師と看護師達が、全員嗚咽を漏らしながらその場で涙ぐむ。
回復術師の香苗が、このグランデイルの王都の病院で働き始めてから、もう半年以上の時が経つ。
異世界の勇者として、香苗はまさに奇跡としか思えないような治療の数々をこなし。数多くの人達の病気や怪我を治癒してきた。
評判を聞きつけた他所の街からも、わざわざ女神様の治療を受けたいと、グランデイルの街に駆けつける者も多数いた。香苗の働く病院の前には、連日多くの人々が大行列を作って並んでいたのである。
「本当にごめんなさい。私はどうしても、グランデイルの街から離れないといけない理由が出来てしまったのです。でも、もしまた平和な時が来て、私も堂々とこの街に戻って来れるようになれたら、必ず皆さんの前に顔を出します。異世界から来た私に優しく接してくれて、本当に感謝しています。今まで本当に、ありがとうございました」
香苗は再び深くお辞儀をすると、大きく手を振って病院の外へと歩きだす。
病院の仲間達には、自分がこれからグランデイル王国の敵になってしまうかもしれない……と、正直に伝えたにも関わらず。
みんなは『女神様の選ばれる道を、私達は信じています』と、香苗の無事を祈りながら、丁寧に送り出してくれた。
病院の入り口に集まっている仲間達の姿が、段々と見えなくなるまで……。香苗は一生懸命手を振り続けた。
そして、最後は決して振り返る事なく。
真っ直ぐに、前へと歩み始める。
これから自分が目指すべき場所は、そう……コンビニの勇者がいる所なのだ。
クラスのみんなと、秋ノ瀬彼方が待っているコンビニが、これからは自分のいるべき居場所になるのだから。
香苗はグランデイルの街の小道をゆっくりと歩きながら、ふと思い出す。
「そういえば……みゆきちゃんは病院には来なかったみたいだけど、一体どうしたのかな……?」
もしかしたら、藤枝みゆきも街で他に寄る所が増えてしまい、こちらに向かうのが少し遅れているのかもしれない。
藤枝みゆきにとっても、グランデイルの街は長い時間を過ごした想い出深い街のはずだ。
グランデイルの王宮は、街の病院からはかなり近い距離にあるので、先にそちらに帰っておこうか……? それとも、病院に向かうこの小道付近に残っていた方が、みゆきと合流をしやすいだろうか――と、香苗は歩きながら考えていると。
”――ズシャリ……!”
突然、後方から。重い金属を地面に引きずるような音が聞こえてきた気がした……。
香苗が、慌てて後ろを振り返ると。
そこに立っていたのは……。
「……詩織ちゃんじゃないの!? ビックリした、今までどこにいたの? クラスのみんなも詩織ちゃんの事をとっても心配してたのよ!」
香苗の前に、突然姿を現したのは――。
この世界に召喚をされた、異世界の勇者の仲間。
同じクラスメイトであり。1軍の勇者として、勇者育成のプログラムにも参加していた――『剣術使い』の勇者である、雪咲詩織であった。
「………ハァ………ハァ………ハァ………」
香苗は久しぶりに再会したクラスメイトを見て、一瞬喜んだが……。
すぐに雪咲の様子を見て、怪訝な表情を浮かべる。
それは、雪咲の顔色がとても悪そうに見えたからだ。
その表情は暗く。紫色にやつれた顔色を浮かべている。
呼吸もだいぶ乱れていて。小さな深呼吸を幾度も繰り返しながら、フラつくようにしてその場に立っているのが分かった。
街の病院で働き、多くの病人や怪我人の治療をしてきた香苗だからこそ……一目で分かる。
今、クラスメイトの雪咲は、何かしらの重い病を患っている。
それもそれは普通の症状ではない。顔の色が紫色に痩せこけてしまうような重い病気だ。
以前に一度だけ……。同じような症状を抱えた患者が街の病院に運ばれてきた事があった。
香苗は一生懸命に尽力をしたが、その患者の病気を治す事が最後まで出来なかったという苦い経験がある。
その紫色の顔色を浮かべた患者は、回復術師の奇跡の能力を用いても、治癒をする事が出来ずにそのまま死亡してしまったのだ。
後でこの世界の医療にまつわる本を読んで、その恐ろしい症状について……香苗は独学で勉強をした事があった。
そう……。雪咲が今、患っている症状はあの時と全く同じなのだ。
これは強力な魔力の影響を受けた『呪いによる病』に違いない。
「……詩織ちゃん、本当に大丈夫? 体調は悪くない? 顔色も随分と悪いから、ちゃんと安静にしてないと!」
雪咲の身を案じた香苗が、そのそばに急いで駆け寄ろうとする。
だが、細長い黒剣を地面に引きずりながら歩いていた雪咲の視線が、急に鋭い目つきに変わった。まるで野獣が獲物を見つけたような険しい視線を向けて。
近づいてくる香苗を目を細めて睨みつける。
「……グランデイル女王と、コンビニの勇者の仲間は全て殺せと命令されている」
「えっ、詩織ちゃん……? ど、どうしたの!?」
雪咲のそばに駆け寄った香苗を。
両目の瞳の色が全て真っ黒に染まっている雪咲が、呼吸を荒げながら、鋭く睨みつけると――。
突然――手にしていた細い黒色の剣を、大きく頭上に向けて振り上げて香苗に襲いかかった。
「詩織ちゃん――!?」
「コンビニの勇者の仲間は全員、一人も残さずに、殺すッ!」
黒色の細剣が、勢いよく香苗の頭上に振り下ろされる。
「きゃああああああーーーーッ!!!」
香苗はとっさに両腕で、自身の頭を庇おうとする。
――だが、とても間に合わない。
目の前で、クラスメイトによって振り下ろされた狂剣の一撃は……。
そのまま香苗の体を、真っ二つに切り裂こうと襲いかかる。
雪咲の黒剣が、香苗の体を切り裂こうとする。
まさにその寸前に――。
”カキーーーーーン!!!”
通りの奥から、こちらに向けて高速移動で駆けてきた『舞踏者』の勇者の持つ双剣が、『剣術使い』の剣撃をギリギリのタイミングで弾き返した。
雪咲が持つ真っ黒な黒剣と、藤枝みゆきが両手に持つ双剣が激しくぶつかり合ったその衝撃で……。
両者の体がそれぞれ後方に、大きく弾き飛ばされる。
「……み、みゆきちゃん――!!」
地面に尻餅をついて倒れている、藤枝みゆきのもとに慌てて駆け寄る香苗。
「あーーいてててっ! これはきっとお尻に青いアザが出来たねー。美花ちゃん、遅れてごめんね! でも、超ギリギリのタイミングで間に合って、本当に良かったよー!」
藤枝みゆきは、お尻にこびりついた地面の土を払いながら。その場でゆっくりと立ち上がる。
そして、正面に立ち塞がる、『剣術使い』の勇者を真っ直ぐに見据えて双剣を構えた。
「久しぶりだねー! 誰かと思えば、雪咲じゃんー! ちょっと見ない間に、いきなりクラスメイトに斬りかかるような、ぶっ飛んだ性格になっちゃったのー?」
「………コンビニの勇者の仲間は、全て……殺す!」
「えっ? 雪咲、今、何て言ったのーっ? 全然、聞こえないよーー!」
小声でボソボソと何かを呟く雪咲に対して。みゆきが大声で呼びかけてみる。
「みゆきちゃん! 詩織ちゃんの様子は明らかにおかしいわ。たぶん、今の詩織ちゃんは正常な状態じゃないと思うの」
「うん、分かってる。美花ちゃん。雪咲はクラスの中でもゲームにばっかり夢中な、ちょっと浮いた奴だったけどさー。絶対に仲間に斬りかかったりするような奴じゃなかったもの。……だからきっとアレは、誰かに操られていると考えるのが正解なんだと思う」
香苗とみゆきは、雪咲の様子を注意深く見守っていると。
真っ黒な細剣を右手に構えた雪咲詩織が、突然、獣のように突進を開始した。
そして、香苗を守るようにして立つ、舞踏者の勇者に向かって、勢いよく斬りかかってくる。
「お前も、ここで死ねーーッ!! このクソパリピ女がーーーッ!!」
迎え撃つ藤枝みゆきも、気合と度胸では決して雪咲に負けていない。
「ハアーーッ!? いきなり何なのよーーッ!! 誰がパリピ女だってーーッ! 勝手に決めつけるんじゃねーーッ!!」